浦島太郎
2011年01月25日13:11
僕は「浦島太郎」になるのが好きだ。僕が言う浦島太郎というのは、長いことコンピューターなどの最新技術に触れておらず、久しぶりに再び降れると時代の変化の大きさのあまりビックリしてしまう事を指している。
長いこと最新技術に触れていないと、戻ってきた時に丸で浦島太郎になった様に、時代が変わっていてビックリする。 これは時代遅れではなく、時代に振り回されないひとつの処世術だと僕は思う。最新技術というのは、とかく問題が多い物だ。 最新技術は魅力的で速く使いたいと誰でも思うが、実際に使ってみると、問題が多くて問題に振り回され続け、大変な時間を浪費する事が多い。 ある技術が黎明期であるころのその技術の利用者はこういう技術に翻弄されがちだ。 問題の多い最新技術をだましだまし手直しをして、莫大な時間をかけて使いこなすノウハウを積み重ねながら使い込んでいく。 そういう黎明期の問題というのは、大抵時間が全て解決してしまう。 新技術が5~6年たって成熟してくると、そういうだましだまし使いこなすテクニックは全て不要な存在となるのだ。 すると、莫大な時間をかけて使いこなすノウハウを積み重ねたのに、全て無用な知識に変わってしまう。 だましだまし使いこなすテクニックを磨くことは人生の浪費だと僕は思う。
長いこと最新技術に触れていないと、戻ってきた時に丸で浦島太郎になった様に、時代が変わっていてビックリする。 これは時代遅れではなく、時代に振り回されないひとつの処世術だと僕は思う。最新技術というのは、とかく問題が多い物だ。 最新技術は魅力的で速く使いたいと誰でも思うが、実際に使ってみると、問題が多くて問題に振り回され続け、大変な時間を浪費する事が多い。 ある技術が黎明期であるころのその技術の利用者はこういう技術に翻弄されがちだ。 問題の多い最新技術をだましだまし手直しをして、莫大な時間をかけて使いこなすノウハウを積み重ねながら使い込んでいく。 そういう黎明期の問題というのは、大抵時間が全て解決してしまう。 新技術が5~6年たって成熟してくると、そういうだましだまし使いこなすテクニックは全て不要な存在となるのだ。 すると、莫大な時間をかけて使いこなすノウハウを積み重ねたのに、全て無用な知識に変わってしまう。 だましだまし使いこなすテクニックを磨くことは人生の浪費だと僕は思う。