新年明けた(18禁)
2011年01月01日12:28
酔っ払って寝たので、初夢とか何見たか覚えてない。 目が覚めたら何か日記とか書いてあった。 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1649547627&owner_id=459989どうしてあんな日記を書いたのかさっぱりわからないのだが、デタラメが書いてあるようで、何か意外と大切な事が書いてある様な気がした。
多分その内、こうやって年が明ける様に、ドルが暴落して新しい時代が始まるんだろう。 僕は何というか、中学生のころから登校拒否児だったのだが、これはある意味「戦後60年体制」の中に組み込まれ損なった様な感じなんだろう。 取り込まれ損なった中で、世の中のウソの裏側をいっぱい見てきた。 そういうウソに取り込まれるのがどうしてもいやだったし、ウソに取り込まれない事に誇りを感じていた。
一方で、そんなかっこいいことを言っていても、お金がなかった。 かっこいい僕よりも、かっこ悪い友達の方がたくさん金を持っていて、かっこいい服を持って、僕よりもいいギターを持っていて、僕よりもいいコンピューターを持っていて、僕よりも知識を持っていて、僕よりも技術を持っていて、僕よりたくさんご飯を食べていて、大学も卒業していて、僕と違ってアメリカに留学もした事があって、英語もペラペラで、結婚もして幸せそうだった。
だけど何だろうな。 2000年くらいからちょっとずつ時代が変わって来たような気がする。 1990年代は、僕が十代だったので、時代の変化が見抜けなかっただけかもしれないけど。 2000年くらいから学歴社会と言うものが崩壊しつつあった。 だから中卒の僕でもやってこれた。
みんなには決してわからないかも知れないが、いじめられっ子というのは、ある意味楽なのだ。 何故かというと敵が誰なのか明らかだからだ。 敵に勝てばよい。 僕は現在、敵がいなくなってしまった。 だから何か、急に何をやってもよいことになってしまい、いきおい何をやればいいかわからなくなってしまった。 つまり敵が自分の気持ちの中にシフトした。 これはこれまでのように楽ではなくなった、ということだ。
つまり元の切り上げがポイントなんだろうな。
血が出るほど足が痛くなるスケート靴を買ってから、何か思ったのだけど、とにかく中国人はアホだということだ。 コピー製品がたくさん出回っているし、それらの質はコピーだけあってなかなか悪くない。 だけど表面だけコピーしていてその本質までコピーしていないので、使い込むとはっきりと違いがわかってしまう。 間違ってもらっては困るのだが、僕は中国人をバカにしている訳ではない。 中国人はスケート靴を作るノウハウや根気を持っていない。 だからアホだ。 だが、しかしである。 考えてみれば、日本で売っているスケート靴も、すべからく日本製ではないことに注意すべきである。 中国人がバカだとしたら、日本人も同じようにバカである。 日本人も中国人と同じように、スケート靴を作るノウハウや根気を持っていないので、外国からスケート靴を輸入しているのだ。 日本には物がたくさんある、というだけの話だ。
中国には物が少ない。 今の中国は欲望の塊である。 中国人も足の痛みのない質の高いスケート靴が欲しくてしかたがないのだ。 だがそんな物は中国のどこを探しても売っていないのだ。
これまでの日本を振り返って見ると、つまり、アメリカは、日本に富を移転する事により、日本に巨大な市場を得ることが出来た、と見ることが出来ないだろうか。 日本は輸出でガッポリ儲けて、というよりはむしろ、アメリカは日本にシコタマ輸出させる事でガッポリお金を持たせたのだろう。 日本人はいい気になって、世界中に行って買い物をしてきた。 つまり日本は巨大な市場になったのだ。 日本人はお金持ちになったつもりで、実はアメリカのお金持ちにお金を流すツールとしてワークしていたのだろう。
これとまったく同じ事が、今、正に中国で起ころうとしている。 日本人は中国が世界中で資源を買い漁っていると言っている。 田中ニュースにも書いてあるけど、利権とかそういうものっていうのは、お金があれば買えるというものではない。 お金を出してもテメェには売らねぇよ、の世界だ。 中国が利権を得ることが出来た、ということにははっきりした何かの意図が含まれている。 こうして中国は、1960年代の日本と同じように、アメリカからお金を渡されているのだろう。
恐らくだが、2010年代の中国は、1960~1990年(高度成長)の日本と同じように、巨大な市場としてワークするのだろう。 これは1950年から比べると、天と地がひっくりかえるようなドラスティックな価値観の変動がある。 いや、何も変わってはいないのだけど、日本は高度成長を作り出す為に、たくさんのウソを信じてしまっている。 受験戦争とか学歴社会とか反中とかいうような、ウソを信じない人間は、僕のように辛酸を舐めることになるからだ。 しかし、恐らくそのウソがウソだということが、いきなり明らかになるのだろう。 元の切り上げと共に。 そうなると、円も暴落するかもしれない。 円がドルと共に暴落するかどうか、はっきりしない。 しないという説もあるけど、そんなこと誰がしったことか。 そうなる前に金を買わないと。
もしそんなことがいきなり起こったら、僕は完全に敵を見失う事になる。 僕の敵は自動的に自滅することになる。 そこで僕は一体何をするのか。
昨日の日記によると、僕の得意技能は、インラインスケート・ジャズギター・語学研究家・国際情勢アナリスト・プログラマ・暗号アルゴリズム専門家らしい。 酔っ払ってかいたわりに、そういうえば確かにそうだ、と思えるようなことが書いてあるじゃないか。
こういう技術っていうのは身につけるのがものすごく難しい割に、そのメリットが正しく理解されず、安く買い叩かれる事が多いのだ。
所詮、人間なんていうのは、カネとセックスである。 カネが欲しいのは、ウマいものを食いたいからであり、カネを使ってオンナとセックスしたいからである。 しかしである。 ここから更に考えると、オンナがカネが欲しいのはかわいい服が欲しいからであるかもしれないが、究極的には、かわいい服でカネを持っている若い美男子を射止める為であり、いずれ生まれてくる子供(いやもう既に居るのかも知れないが)にウマいものを食わせたいからこそ、カネが欲しいのだろう。 そこには何らのやましいことことなど、存在しない。 そこにあるのは、多少表面的に複雑だが、山奥のラオの村で起こっている人間の営みとまったく同じ、 人間の営みだ。 カネとセックスは、たくさんあっても幸せには決してなれないかもしれないが、なくなると、とても不幸になるものだ。 マンコとチンコの気持ちのよい結びつきがないということは、長い目で見て、人生に影を落とす。 ( ま、もっとも人間の欲望には、どういう訳か、自己顕示欲とか、支配欲とか、独占欲とか、あまり生存に必要ないっぽいのもいっぱいあるけど。 )
僕が専門としている、ジャズギター演奏・プログラミング、暗号技術や実装アルゴリズム・ラインダール・ブロウフィッシュの実装論や、国際政治の分析・ラオ語の文法分析をいかにして、みんなのマンコとチンコの気持ちいい結びつきに変換するのか。 僕は大真面目である。 マンコとチンコの気持ちのよい結びつきがないということは、長い目で見て、人生に影を落とす。 僕の持っている技能がみんなのマンコとチンコの気持ちいい結びつきにつながるのだ、という事実と方法を正しく示す。
# いや、ひょっとしたら正しく示さなくてもいいのかもしれない。 アップルの宣伝とかがそうじゃないだろうか。 現実的にマッキントッシュのコンピューターを使ってもマンコとチンコの結びつきにはつながらない。 だけどアップルの宣伝は、明らかにマンコとチンコの結びつきを暗喩している。 そして、みんながそう信じているからこそ、それが現実になる、ということがある。
マンコとチンコの気持ちのよい結びつきがないことにより、人生に影を落とすことを余儀なくしているのに、なお未だにウソを信じる人がたくさんいる。 これらの問題を、頭のいいやつらは、カッコをつけて、受験戦争や異様な物価高異様な就職難により、「引きこもり」「少子化」という問題が発生している、という風な説明のしかたをするのだ。 僕はそんなウソクサイ言葉は使いたくない。 引きこもりというのは、日本人が、僕が言う社会のウソを信じてきた、ツケだ。 1980年代のジジイがカネ欲しさのあまりウソを信じてきたつけが、2010年のカネを持たない若者に回ってきているのだ。 1980年代作られて未だに信じ込まされているウソを、僕が暴いてやる。 僕がウソを暴きたいとおもうのは、それが結果的に、みんなのマンコとチンコの気持ちのよい結びつきにつながるからだ。
だから俺にオッパイ揉ませろ、このやろう。
多分その内、こうやって年が明ける様に、ドルが暴落して新しい時代が始まるんだろう。 僕は何というか、中学生のころから登校拒否児だったのだが、これはある意味「戦後60年体制」の中に組み込まれ損なった様な感じなんだろう。 取り込まれ損なった中で、世の中のウソの裏側をいっぱい見てきた。 そういうウソに取り込まれるのがどうしてもいやだったし、ウソに取り込まれない事に誇りを感じていた。
一方で、そんなかっこいいことを言っていても、お金がなかった。 かっこいい僕よりも、かっこ悪い友達の方がたくさん金を持っていて、かっこいい服を持って、僕よりもいいギターを持っていて、僕よりもいいコンピューターを持っていて、僕よりも知識を持っていて、僕よりも技術を持っていて、僕よりたくさんご飯を食べていて、大学も卒業していて、僕と違ってアメリカに留学もした事があって、英語もペラペラで、結婚もして幸せそうだった。
だけど何だろうな。 2000年くらいからちょっとずつ時代が変わって来たような気がする。 1990年代は、僕が十代だったので、時代の変化が見抜けなかっただけかもしれないけど。 2000年くらいから学歴社会と言うものが崩壊しつつあった。 だから中卒の僕でもやってこれた。
みんなには決してわからないかも知れないが、いじめられっ子というのは、ある意味楽なのだ。 何故かというと敵が誰なのか明らかだからだ。 敵に勝てばよい。 僕は現在、敵がいなくなってしまった。 だから何か、急に何をやってもよいことになってしまい、いきおい何をやればいいかわからなくなってしまった。 つまり敵が自分の気持ちの中にシフトした。 これはこれまでのように楽ではなくなった、ということだ。
つまり元の切り上げがポイントなんだろうな。
血が出るほど足が痛くなるスケート靴を買ってから、何か思ったのだけど、とにかく中国人はアホだということだ。 コピー製品がたくさん出回っているし、それらの質はコピーだけあってなかなか悪くない。 だけど表面だけコピーしていてその本質までコピーしていないので、使い込むとはっきりと違いがわかってしまう。 間違ってもらっては困るのだが、僕は中国人をバカにしている訳ではない。 中国人はスケート靴を作るノウハウや根気を持っていない。 だからアホだ。 だが、しかしである。 考えてみれば、日本で売っているスケート靴も、すべからく日本製ではないことに注意すべきである。 中国人がバカだとしたら、日本人も同じようにバカである。 日本人も中国人と同じように、スケート靴を作るノウハウや根気を持っていないので、外国からスケート靴を輸入しているのだ。 日本には物がたくさんある、というだけの話だ。
中国には物が少ない。 今の中国は欲望の塊である。 中国人も足の痛みのない質の高いスケート靴が欲しくてしかたがないのだ。 だがそんな物は中国のどこを探しても売っていないのだ。
これまでの日本を振り返って見ると、つまり、アメリカは、日本に富を移転する事により、日本に巨大な市場を得ることが出来た、と見ることが出来ないだろうか。 日本は輸出でガッポリ儲けて、というよりはむしろ、アメリカは日本にシコタマ輸出させる事でガッポリお金を持たせたのだろう。 日本人はいい気になって、世界中に行って買い物をしてきた。 つまり日本は巨大な市場になったのだ。 日本人はお金持ちになったつもりで、実はアメリカのお金持ちにお金を流すツールとしてワークしていたのだろう。
これとまったく同じ事が、今、正に中国で起ころうとしている。 日本人は中国が世界中で資源を買い漁っていると言っている。 田中ニュースにも書いてあるけど、利権とかそういうものっていうのは、お金があれば買えるというものではない。 お金を出してもテメェには売らねぇよ、の世界だ。 中国が利権を得ることが出来た、ということにははっきりした何かの意図が含まれている。 こうして中国は、1960年代の日本と同じように、アメリカからお金を渡されているのだろう。
恐らくだが、2010年代の中国は、1960~1990年(高度成長)の日本と同じように、巨大な市場としてワークするのだろう。 これは1950年から比べると、天と地がひっくりかえるようなドラスティックな価値観の変動がある。 いや、何も変わってはいないのだけど、日本は高度成長を作り出す為に、たくさんのウソを信じてしまっている。 受験戦争とか学歴社会とか反中とかいうような、ウソを信じない人間は、僕のように辛酸を舐めることになるからだ。 しかし、恐らくそのウソがウソだということが、いきなり明らかになるのだろう。 元の切り上げと共に。 そうなると、円も暴落するかもしれない。 円がドルと共に暴落するかどうか、はっきりしない。 しないという説もあるけど、そんなこと誰がしったことか。 そうなる前に金を買わないと。
もしそんなことがいきなり起こったら、僕は完全に敵を見失う事になる。 僕の敵は自動的に自滅することになる。 そこで僕は一体何をするのか。
昨日の日記によると、僕の得意技能は、インラインスケート・ジャズギター・語学研究家・国際情勢アナリスト・プログラマ・暗号アルゴリズム専門家らしい。 酔っ払ってかいたわりに、そういうえば確かにそうだ、と思えるようなことが書いてあるじゃないか。
こういう技術っていうのは身につけるのがものすごく難しい割に、そのメリットが正しく理解されず、安く買い叩かれる事が多いのだ。
所詮、人間なんていうのは、カネとセックスである。 カネが欲しいのは、ウマいものを食いたいからであり、カネを使ってオンナとセックスしたいからである。 しかしである。 ここから更に考えると、オンナがカネが欲しいのはかわいい服が欲しいからであるかもしれないが、究極的には、かわいい服でカネを持っている若い美男子を射止める為であり、いずれ生まれてくる子供(いやもう既に居るのかも知れないが)にウマいものを食わせたいからこそ、カネが欲しいのだろう。 そこには何らのやましいことことなど、存在しない。 そこにあるのは、多少表面的に複雑だが、山奥のラオの村で起こっている人間の営みとまったく同じ、 人間の営みだ。 カネとセックスは、たくさんあっても幸せには決してなれないかもしれないが、なくなると、とても不幸になるものだ。 マンコとチンコの気持ちのよい結びつきがないということは、長い目で見て、人生に影を落とす。 ( ま、もっとも人間の欲望には、どういう訳か、自己顕示欲とか、支配欲とか、独占欲とか、あまり生存に必要ないっぽいのもいっぱいあるけど。 )
僕が専門としている、ジャズギター演奏・プログラミング、暗号技術や実装アルゴリズム・ラインダール・ブロウフィッシュの実装論や、国際政治の分析・ラオ語の文法分析をいかにして、みんなのマンコとチンコの気持ちいい結びつきに変換するのか。 僕は大真面目である。 マンコとチンコの気持ちのよい結びつきがないということは、長い目で見て、人生に影を落とす。 僕の持っている技能がみんなのマンコとチンコの気持ちいい結びつきにつながるのだ、という事実と方法を正しく示す。
# いや、ひょっとしたら正しく示さなくてもいいのかもしれない。 アップルの宣伝とかがそうじゃないだろうか。 現実的にマッキントッシュのコンピューターを使ってもマンコとチンコの結びつきにはつながらない。 だけどアップルの宣伝は、明らかにマンコとチンコの結びつきを暗喩している。 そして、みんながそう信じているからこそ、それが現実になる、ということがある。
マンコとチンコの気持ちのよい結びつきがないことにより、人生に影を落とすことを余儀なくしているのに、なお未だにウソを信じる人がたくさんいる。 これらの問題を、頭のいいやつらは、カッコをつけて、受験戦争や異様な物価高異様な就職難により、「引きこもり」「少子化」という問題が発生している、という風な説明のしかたをするのだ。 僕はそんなウソクサイ言葉は使いたくない。 引きこもりというのは、日本人が、僕が言う社会のウソを信じてきた、ツケだ。 1980年代のジジイがカネ欲しさのあまりウソを信じてきたつけが、2010年のカネを持たない若者に回ってきているのだ。 1980年代作られて未だに信じ込まされているウソを、僕が暴いてやる。 僕がウソを暴きたいとおもうのは、それが結果的に、みんなのマンコとチンコの気持ちのよい結びつきにつながるからだ。
だから俺にオッパイ揉ませろ、このやろう。
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