『縦乗り』は日本人独特なリズムの習慣を指す言葉です。これは元々日本語の一般表現としてあった言葉ではありません。私がこの『縦乗り』という表現を初めて耳にしたのは、1994年前後の早稲田モダンジャズ研究会で活動している時でした。
当時のジャズ研究会では、ジャズらしいスイングが感じられないリズムについて、誰からともなく縦乗りという表現で言い表していました。もとより、このジャズ研究会は、単語の頭部と後部を引っ繰り返していうジャズ用語が飛び交う一般とはかけはなれた世界でしたので、この『縦乗り』という言葉が一般的な表現であった可能性は低いでしょう。
その後私は、この縦乗りという表現が指し示す現象をよりよく観察し、その定義を考える様になりました。私の考える縦乗りの定義は以下の通りです。
縦乗りの基本三要因
— 岡敦/Ats🇯🇵 (@ats4u) December 8, 2024
1.裏拍を後ろと認識していること
2.拍の多層を理解できないこと
3.尻合わせが理解できないこと#オフビートで思考する語学
- 裏拍を後ろと認識していること
- 拍の多層を理解できないこと
- 尻合わせが理解できないこと
私は、この3つの条件を満たした状態で演奏する音楽のリズムを縦乗りと定義しました。
以下のビデオは、この条件に従って、縦乗りと横乗りを体の動作によって体現したものです。
【音のない動きだけで分かる横乗り縦乗りの違い】
— 岡敦/Ats🇯🇵 (@ats4u) December 9, 2024
1. 裏拍が先行している
2. 拍の多層構造が存在する
3. 動きが尻合わせで配置されている
どんなに海外で高度な横乗りを会得しても、横乗りと縦乗りの違いがはっきり区別しない限り日本帰国と同時に縦乗りに戻ってしまう #オフビートで思考する語学 pic.twitter.com/wDTfJTLMhV
縦乗りの定義に関する詳しい解説は別項として改めたいと思います。
つまり、そもそも縦乗りとは日本人である私が、日本語を真摯に反省し海外の言語との違いを客観的に観察した結果でしかありません。 ですから当然、縦乗りは海外からやってきた表現ではありません。
そもそも海外の人は日本人のリズムの何が違うのかすら気付くことが出来ません。何故なら日本語があまりにも独特すぎるからです。彼らに日本人の何が間違っているか、日本人の何が違うのか、日本人は何故グルーヴしないのか、質問しても当然教えてくれる筈がありません。海外の人々は、日本語に関する知識が全くないのです。
縦乗りの本質は日本語訛りにあります。この縦乗りという日本語訛りがあることにより、そもそも海外で一般的な発音の発展型である横乗りリズムが理解出来ない=その場の目の前で見ているのに、オウム返しに同じリズムを再現することができないという現象が起こります。
音楽や外国語を会得しようとする時、必ずしも本物を目指す必要はありません。しかし日本人の場合だけは特に、この縦乗り訛りを直す必要はあるのです。
何故ならば、日本語では、リズム認識の時間軸の向きが、海外の言語のでのリズム認識の時間軸の向きと、完全に真逆だからです。
日本人は全く同じリズムに対して、海外の人と全く逆の順番でリズムを認識しています。このことが起因することで日本人は、数多く存在する様々なリズム形のなかに盲点のように認識出来ないある特定のリズム形を持っているのです。
この日本人独特なリズム認識偏りを矯正するために考え出された方法が 声出しオフビートカウント練習法です。
縦乗りという概念も、オフビートカウントという方法論も、純粋な日本人による日本人の為の日本人の概念です。当然外国の人が知っていたり実践したりしていることはありません。しかし海外の言語と日本語の発音を真摯に比較した結果として、日本人に欠けているリズム認識を後天的に獲得することを目標として、飽くまでも理論的な定義に基づいて考察された方法論です。
そして恐らくですが、日本人以外の人々にとっては不要な練習方法ではないかと私は考えています。何故なら海外の人々にとって、それはほとんどの場合、練習しなくても出来ることだからです。これは、日本人だけが出来ないことなのです。
ギル慶と交互に手を叩いてみたのですが、ギル慶は全く揺れないのです。外人とやると必ず揺れないのですが、ギル慶は話した感じ日本人なのに、一緒に手を叩くとその手の叩きかたは、確実に日本人でないのですね…。
— 岡敦/Ats🇯🇵 (@ats4u) January 15, 2022
この練習方法は日本人専用なので、海外本場のミュージシャンが実践していることは絶対にありません。当然、外人のミュージシャンが実践しているはずもありません。
海外で闘う日本人にとって、敵の特性をよく知ることは大切です。しかし敵の特性を知る以上に大切なことがあります。それは自分自身の特性をよく知ることです。
「彼を知り己を知れば百戦殆からず。」です。 いくら勉強熱心に敵についての知識をよく勉強していても、自分自身の特性について無知な人は闘いで生き延びることは出来ません。自らの行いを戒めて反省できない人は自分自身の特性を知りません。この状態では、敵についての知識すらも有効に活かすことが出来ないのです。
私達は、この状態でありながら「世界的ミュージシャン」を名乗るおこがましさを知らなければならない ─── 私はそう思います。
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