今回は裏拍の叩き方で説明した裏拍の演奏の順番の違いが最終的にメロディーの発展する方向を全く逆向きに変えてしまうということを説明する。
- 裏拍を先に叩いてから後で表拍を叩く
- 表拍を先に叩いてから後で裏拍を叩く
裏拍を後として捉えると譜面上この様な配置になる。
裏拍を先と捉えると譜面上このように配置になる。
これは人間がリズムを感じる時の根本的な感覚の違いを表している。
通常この違いを意識する必要はない。だが日本人のミュージシャンにとってこの違いを意識することはとても重要だ。何故ならばこのリズムの認識方法は日本人とそれ以外の人たちの間で全く違うからだ。
今回はこの裏拍の向きの違いが最終的にメロディーが発展する向きの違いを生むことについて説明する。
日本のリズムと海外のリズムの違い
日本人のリズムの認知方法と海外の人たちのリズム認知方法は異なる。その違いについて 何故、日本人は縦乗りなのかで説明した。この記事でも説明したとおり、日本人は言語上の制約からこの違いを認知することに大きな困難が伴う。その違いとは日本人には最初に聞いた音を表拍と認識する習慣があることだ。あまりにも当然のことのようだが、実は海外の人たちはしばしばその習慣がない。最初に聞いた音をむしろ裏拍として認識する習慣がある。日本人のこのリズム認知の習慣は世界的に見ると非常に珍しい。
このマイケル・ジャクソンのヒット曲『ヒューマン・ネイチャー』のライブ映像を聞くと(日本人なら)実際に自分自身に起こる現象として違いを観察することができる。
このイントロを一般的な日本人は次のように聞き取る筈だ。
だがこれは間違っている。マイケル・ジャクソンの歌う「チーチキ」の最初のチーは8分音符8つ目の裏拍だ。
リズム認識に違いがあることを自分の感覚で認知することはむずかしい。しかしこのようにリズムの認知方法に違いがあることを再現可能な現象として確認することはできる。
何故このような違いが起こるのだろうか。それは日本人と海外の人たちで修飾音をつける方向が違うからだ。日本の古くからある音楽=演歌/音頭などにもジャズと同じ様に3連シャッフルはしばしば表れる。だが海外の3連シャッフルと大きく異なる点がある。その違いとは装飾音をつける方向の違うことだ。
装飾音が入る方向の違い
海外の民謡では装飾音が先に入るが、日本の民謡では後に入る。日本のシャッフルは、擬音を使って表すと『チャンカ・チャンカ・チャンカ』という様にチャン(シャッフルの先頭音)が先に演奏され、カ(シャッフルのアクセント音)が後に演奏される。これも日本人としてはごく当然の様に感じることだが、これは海外ではしばしば完全に逆の順番で演奏される。海外の3連シャッフルを擬音を使って表すと『カチャン・カチャン・カチャン』というように裏拍が先に演奏される。このことを一般的な言い方でロンバードリズムまたはスコッチスナップ(スコットランドの指鳴らし)という。ロンバード・リズムについては次のビデオでとてもわかりやすく説明されている。
次のビデオはスコットランドのバグパイプの演奏だ。ロンバードリズムが多用されているところが観察できる。
欧米の民謡ではこの様に「タカーータカーーラタカー」と装飾音が前に入る所が特徴的だ。
他方、日本の民謡は真逆の装飾音が入る。次のビデオは阿波踊りのビデオだ。阿波踊りのリズムは装飾音が後ろに入ることがわかりやすい。
「チャンカ・チャンカ・チャンカ」と装飾音が後に入る。日本の民謡は地域によって多種多様だが装飾音が後ろに入る点ではほぼ共通している。
これは裏拍の叩き方で説明した裏拍の順番と同じことだ。裏拍を先と認知するからこそ無意識のうちに装飾音を先に入れようとする。裏拍を後だと認知しているからこそ無意識のうちに装飾音を後に入れようとする。
この様に拍の順番はリズムだけでなくメロディーの作り方自体に根本的な影響を与える。
メロディーの発展する方向の違い
裏拍と表拍の順番認識が違うことで起こるもっとも特徴的なことは、メロディーが発展する方向が逆になることだ。後出し裏拍の場合
例えば次のような音符があったとする。この音符に裏拍をつけようとしたとき、もし裏拍が後ろに付ける感覚で付けるならば次のようになる。
この様に音は基本となる音の後ろに音が追加されることになるだろう。
ここでもし、更にこの拍に裏拍(修飾音)をつけようとしたらどうなるだろうか。
更に追加してみよう。
後出し裏拍の感覚でメロディーを組み立てると、この様にメロディーは後ろに伸びてゆく。これを読む人がもし日本人なら、これは至極当然のことと感じるかも知れない。だが海外の人はしばしばこれと完全に逆の方法でメロディーを組み立てる。
先駆け裏拍の場合
再度、次のような音符があったとする。もし裏拍を前に付ける感覚で修飾音を付けたらどうなるだろうか。
この様に音は基本となる音の前に先駆けて追加される。
もしこの音符に更に裏拍(修飾音)を付けるとしたらどうなるだろうか。
更に追加してみよう。
先駆け裏拍の感覚でメロディーを組み立てた場合、この様にメロディーは前に伸びてゆく。これを読む人がもし日本人なら、これは極めて直感に反した奇異な組み立て方と感じるかも知れない。だが日本人以外の人々は全く逆に、日本人のメロディーの組み立て方に奇異なものを感じている。
この先駆け裏拍と後出し裏拍がもたらす違いは全ての音符に対して成り立つ。ここでは便宜上4分音符を使ったが、全音符・2分音符・4分音符・多連符他、全ての音符に対して成立する。
メロディーを合わせる場所の違い
上図は後出し裏拍に於いて全音符・2分音符・4分音符・8分音符について最初に表れる裏拍を一覧化したものだ。裏拍が遅れて表拍の後にやってくることからメロディーは後ろの方向に発展してゆく。これは日本人としては当然に感ぜられることかも知れないが、海外のリズムではこれと全く逆の発想でメロディーが発展する。
上図は先駆け裏拍に於いて全音符・2分音符・4分音符・8分音符の最初に表れる裏拍を一覧化したものだ。裏拍が表拍に先駆けてやってくる為にメロディーは前の方向に発展してゆく。
後出し裏拍で構成するメロディーは小節の最初の音がメロディーの始まりの音になり、先駆け裏拍で構成するメロディーは小節の最初の音がメロディーの終わりの音になる。この様に、拍の向きが先駆けか後出しかによってメロディー全体の向きが逆になる。
メロディーの最初の音を小節の最初の音で揃えることを頭合わせ乗り(head aligned rhythm)と呼ぼう。メロディー最後の音を小節の最後の音で揃えることを尻合わせ乗り(bottom aligned rhythm) と呼ぼう。
尻合わせ・頭合わせとは
尻合わせとは映像業界用語のケツ合わせを参考にして私が独自に考案した用語だ。ケツ合わせとは、音声を映像に乗せる際の手法のひとつで音楽やナレーションの終わりを映像が終わる位置に合わせて逆算して音楽の先頭の位置を決めることを指す。ジャズで即興演奏をするときも同じ作業が発生する。ジャズの即興演奏ではしばしば、バンド内の演奏者でコミュニケーションを取り合い、メロディーの終わりの位置にあわせてアクセントをつけることでインパクトを演出する習慣がある。この習慣のことを尻合わせ乗り(bottom aligned rhythm)と呼ぶことにする。
このようなメロディーを演奏するときは、メロディーの終わり部分をメロディーが終わる位置(通常は小節の後端)に合わせて逆算してメロディーの先頭を決めなければいけない。この作業のことを尻合わせ(bottom aligning)と呼ぼう。
逆にメロディーの先頭にアクセントをつけてインパクトを演出する習慣のことを頭合わせ(head aligning) と呼ぼう。頭合わせも私が独自に考案した用語だ。俳句・演歌・音頭などの日本の伝統的な音楽文化ではリズムの始まりを丁度に合わせて終わりを奥ゆかしく曖昧にして余韻を楽しむ習慣がある。これが頭合わせだ。
シフト量と尻合わせ
2小節4分音符8個のメロディーがあるとき、このメロディーの弱起が1拍ずつ増えていくと次の様になる。この弱起の長さのことをシフト量(shift distance)と呼ぼう。
このようにメロディーには弱起部分と通常部分の2つの部分がある。この弱起部と通常部の長さの比率のことをグルーヴバランス(groove balance)と呼ぼう。
シフト量が増加していくと最終的に全てが弱起になる点に到達する。するとメロディーの終わりが小節の頭に揃うことになる。この状態のリズムを尻合わせ(bottom aligned)と呼ぶ。
また場合によってシフトローテーション量(shift-rotation distance)という呼び方を使う場合がある。 曲のメロディーは通常、1小節2小節4小節など一定の長さで繰り返されている。だからメロディが弱起方向にシフトした場合、そのシフトしたメロディーは次の小節の終わり側に回りこんで食い込む。繰り返しパターンのなかでのシフトとは1小節なら4拍・2小節なら8拍のなかで拍を回転させているのと同じこととみなすことができるため、場合によってはシフトローテーションと呼ぶことがある。
尻合わせ乗りはどういう音か聞いてみよう
尻合わせ乗りでは小節の終端がメロディーの終端に揃っているという特徴がある。これは頭合わせ乗りでは小節の先端がメロディーの先端に揃っているという特徴と対象的だ。ここでは具体例を実際の音として聞いてみよう。このように、頭合わせ乗りのリズムは譜面上でメロディーが左に寄っており、尻合わせ乗りのリズムは常に譜面上でメロディーが右に寄っている
※ ビデオ中では『縦乗り』『横乗り』という言葉を使っているが、ここで縦乗りは頭合わせ乗り、横乗りは尻合わせ乗りとほぼ同じ意味と考えて構わない。
尻合わせ乗りは弱起とも呼ばれる。弱起は普通1〜2拍の長さで構成される。ジャズでは多くのメロディーが弱起と共に構成されている。ジャズの弱起の特殊なところはクラシック音楽の弱起よりも大分長いことで、場合によっては2小節を超えることもある。 またクラシック音楽よりも弱起が多用され、場合によってはメロディーの全てが弱起だけで構成されていたりすることも稀ではない。
ジャズの有名なメロディーをみると尻合わせリズムの例が無数に見つかる。
ジャズの尻合わせ乗り
次の曲はジャズの超有名曲『枯葉』だ。 この曲はメロディーが主に弱起で構成されている。弱起とは小節が始まる前にメロディーが始まることだ。弱起については メトロノームが鳴る前に歌いはじめよう でも説明した。ジャズではメロディーが全て弱起になっている場合があるが、枯葉でメロディーが部分的に全て弱起になっているところが観察できる。枯葉はほとんどのメロディーが弱起で構成されている。だがデュークエリントンのイン・ア・メロートーンという有名なスタンダード曲ではメロディーが全て弱起になっている。
このイン・ア・メロートーンのメロディーは全て弱起だけで構成されているジャズ・スタンダード曲の好例といえる。この様にジャズでは全てが弱起であることが珍しくなく、それどころかアドリブでは弱起でないメロディーはほとんど現れない。弱起はジャズのスピード感の原動力だ。
次の曲はウェス・モンゴメリーの有名曲でジングルスという曲だ。
この曲のメロディーも全て弱起で構成されている。
日本の頭合わせ乗り
日本人は尻合わせリズムを理解することがとても難しい。尻合わせという概念を理解することができないだけでなく、そもそも尻合わせのリズムの存在自体に気付くことができない。尻合わせの存在を認識してそれを理解するまで大変に長い年月が掛かる。場合によっては教えること自体できないということも珍しくない。日本人の尻合わせ乗りが苦手になる原因は、日本人が外国語が苦手になる原因と等しい。日本人がつくるメロディーは必ず小節の頭がメロディーの頭に揃っている。当たり前なことと思われるかも知れないが、日本人以外の人たちがしばしば小節の終わりをメロディーの最後にあわせようとすることと対象的だ。彼らは日本人と全く逆にメロディーの先頭を小節の頭に揃えることを避ける。メロティーの先頭を揃えることは世界的にみてとても珍しい習慣だ。詳しくは 節目がない言語・日本語 で説明した。
私が尻合わせを理解したのは10年以上にわたって外国を放浪したあとだった。だが日本に帰ったあとで理解した尻合わせのリズムを仲間に聞かせてみると、目の前で見ているのに全くそのリズムの配置の違いに気付くことができないということを知った。私はそこで初めて日本人には尻合わせを理解する能力がないという大変に驚くべき事実に気付いたのだった。
それ以降、平易な日本語で誰でもわかるように尻合わせを説明するためにはどうすればよいのか…という私の長い長い探求の旅が始まった。
桃太郎さん現象
桃太郎さん現象とはジャズのアドリブのリズムが無意識のうちに「もーもたろさん、ももたろさん」のリズムになってしまう症状のことだ。この症状の恐ろしい点は、演奏者が完全に「〽もーもたろさん♪ももたろさん♪」と桃太郎さんを歌ってしまっているにも関わらず、演奏者自身はそれがそれだと全く意識することができないことだ。日本国内のジャズ業界で桃太郎さん症候群のキャリアが拡大していると見られ、東京都内でプロ活動するジャズマンの95%以上が罹患していると推定される。「ハハハ! そんな馬鹿なことがあるものか!」と思われるなら、まずは御自分の演奏をチェックしてみるとよい。まず間違いなく『桃太郎さん症候群』に罹患している筈だ。日本語の発音と頭合わせには深い関係がある。日本語を母語とする人にとって特別な訓練なしに縦乗りリズムから脱出することはほとんど不可能だ。
桃太郎さんのメロディーは頭合わせ乗りリズムで構成されるメロディーの代表だ。日本人は子供の頃から繰り返し繰り返し、このメロディーを聞いて聴き馴染んでおり、それが言語の中に深く埋め込まれている。こうして培われたメロディーのセンスは簡単に変わらない。
─── ならばメロディーセンスを変えることなくリズムだけ変えてしまえば良いのではないか。そこで私が思いついたのは『縦横変換』という処理だ。 頭合わせ乗りで構成されるメロディーをメロディーの形はそのままで尻合わせ乗りのリズムでメロディーを構成しなおしてしまうアイデアだ。縦乗りと横乗りの違いはとても単純なので、機械的に変換することができる。次のビデオは童謡桃太郎さんをジャズのリズムに変換したものだ。
桃太郎さんのメロディーを譜面にすると左に寄っている。これは頭合わせ乗りの特徴だ。だがこの尻合わせ乗り版の桃太郎さんは譜面上右に寄っていることがわかる。これが尻合わせ乗りの特徴だ。
この様に聴き馴染みのあるメロディーを尻合わせ乗りに変換した上で何度も繰り返して聞いておくことで、桃太郎さん現象の症状を緩和することができる。
世界の尻合わせ乗り
日本人は尻合わせ乗りがとても苦手だ。何故なら日本の民族音楽(演歌・音頭・島唄・民謡)には尻合わせ乗りが存在しないからだ。日本語の文脈のなかに尻合わせ乗りと対比できるものが全く存在しないため、それ自体を認識することに大きな困難を伴う。だが中東/東南アジア/アフリカの民族音楽には尻合わせ乗りのメロディーが一般的だ。これらの国々の民族音楽はほとんどのメロディーが尻合わせ乗りで構成されている。だから現代的な商業的に作られた歌謡曲・コマーシャルで掛かる宣伝ソングに至るまで尻合わせ乗りのメロディーが多用されている。
アフリカの尻合わせ乗り
次のビデオはエチオピアのポップスだ。エチオピアのポップスは日本の陽音階に似た音階で構成されており日本人的に馴染みやすい。リズムは尻合わせ乗りが多様されている。『マタマタ (mata mata)』ベハイル・バヨウ氏( Behailu Bayou )(2015年)
カボベルデはアフリカ西側にある小さな島だ。日本人にとって聴き馴染みのない島だが、実はカボベルデは日本領だった時代もあって実は日本と関係が深い。1975年に独立して共和国になった。ポルトガル領だった時代が長く現地語とポルトガル語が混ざったクリオールと呼ばれる言語を話す。音楽も現地の音楽とポルトガルの音楽が混ざったとても不思議な感じの音楽を演奏する。 次のビデオはカボベルデの名歌手エリーダ・アルメイダの曲だ。
曲『レバムクボ』エリーダ・アルメイダ
Elida Almeida - Lebam Ku Bo
タイの尻合わせ乗り
次の曲はタイの子供向けの数え歌だ。この曲はほとんど有名ではないが、タイの尻合わせ乗りのリズムがとても判りやすいので紹介したい。この数え歌は4分音符2つの弱起が必ず入る。
次のビデオはラオスのラムサラワンと呼ばれる民謡だ。前述のタイの数え歌と同じ4分音符2つが弱起として入る尻合わせ乗りのリズムが多用されている。
次のポンサック・ソンセンは80年代タイで有名だった民謡歌手だ。4分音符2つが弱起として入るリズムが多用される。
ポンサック・ソンセン(モーラム歌手)
アンカナーン・クンシャイは70年代に有名だったタイの民謡歌手だ。この形式はラム・トゥーイと呼ばれる非常に有名な形式で、今タイでルークトゥン・モーラムと呼ばれているタイの商業大衆音楽の大半はこのラムトゥーイを踏襲している。
曲「トゥーイ・サラップ・パマー」アンカナーン・クンシャイ
เต้ยสลับพม่า - อังคนางค์ คุณไชย
インドの尻合わせ乗り
次のビデオはタミル(インド)の伝統音楽のミュージカル「ティラナ・モハンナバル」だ。この音楽のリズムでは長さの一定しない不定長の弱起が入る。ティラナ・モハンナバル(Thillana Mohanambal)
世界の頭合わせ乗り
頭合わせ乗りは日本独特なリズムだが、日本以外にもいくつか似たリズムを持った文化がある。中国の頭合わせ乗り
日本の頭合わせ乗りに最も近いリズムは中国の頭合わせ乗りだ。中国の頭合わせ乗りの発祥は中国北部の三字経ではないか、と私は考えている。次のビデオが三字経の例だ。中国の古い哲学者の言葉を判りやすい3文字区切りの詩としてリズムに合わせて朗読して暗記する習慣が13世紀頃に成立したという。次の三字経は孟子の人之初を歌ったものだ。三字経・人之初(朗読)
中国のポップスは弱起を持たない。次のビデオはランダムに選んだ中国の音楽コンピレーションだ。中国の音楽が弱起を持たないことが判りやすい。
クルドの頭合わせ乗り
クルドのカルホリと呼ばれる民族の民族音楽(ポップス)は日本と近い頭合わせ乗りを持っている。次のビデオははっきりわからないが恐らくファリボーズ・ナムダリ(FARIBORZ NAMDARI)という歌手が恐らくドスティ・ダシュテムという歌手をプロデュースしたのではないか、と想像するがはっきりしたことはわからない。この音楽のリズムは弱起を全く持たない。日本と異なり6/4+1/8 という変拍子の上で弱起なしの頭合わせリズムを構成している。FARIBORZ NAMDARI YE DOSTI DASHTEM kurdish (kalhori)
次のビデオもクルド(恐らくカルホリ族)の音楽だ。詳細はわからない。日本と似た頭合わせ乗りが見られる。
Deshti Kelhuri - Dilim Em Shew - New Clip Vin Tv 2012 دەشتى کەلھورى-دلم ام شه و - (Kurdish Music)
結論
頭合わせ乗りと尻合わせ乗りのどちらが優れている、ということは言えない。但しそこには演奏者の間で共有されるべき語法がある。音楽の特性によって求められるリズムのタイプが異なる。音頭や演歌など安定感を強調した音楽で尻合わせ乗りを適用したら逆効果だし、ジャズのような不安定感を強調した音楽で頭合わせ乗りを適用しても同じ様に逆効果だ。ジャズは尻合わせ乗りで演奏される音楽だ。だから演奏者の間で尻合わせという語法がきちんと共有されていなければいけない筈だ。だが日本のジャズ界では尻合わせで演奏するミュージシャンは極少数で、中国の春歌と同じ頭合わせ乗りで演奏されることが状態化している。尻合わせ乗りで演奏すると風紀を乱す迷惑者として排除されることは全く珍しくない。
本来であれば尻合わせ乗りをきちんと体系的なメソッドとして教育する機関があって然るべきだが、それは2020年現在まだ日本に現れていない。この縦乗りを克服しようシリーズがそういう状況に一石を投じることになればと私は思う。
更新記録:
(Sun, 02 Feb 2020 23:20:59 +0900)大幅に加筆訂正した上で、タイトルを『拍の向き』から『頭合わせと尻合わせの違い』に変更した。
(Tue, 06 Dec 2022 21:46:15 +0900) 僕という表現を私に変更した。