ネットで人々を見ていると、その頭の悪さに呆然としてくる。大変な数の頭の悪い人々が、実に頭の悪いことをして、頭の悪いテレビを見て、頭の悪い揉め事を起こして、頭の悪い喧嘩をしている。
他人は、自分を映す鏡だ。— おかあつし (@ats4u) May 12, 2018
頭が悪く見える理由とは ─── それは『自分が見えていない』という点だ。
僕は、タイ/ラオス/中国南部に通算12年住んだ。この辺りは、アジアでも少数民族の人々が多く住む地域だ。この数年でアジアは急速な発展を遂げ、バンコク/シンガポール/広州/ホーチミンは、もう発展途上とはいいがたい大きな街になった。少数民族の人達は、こういう大きな街に出稼ぎにくる。
彼らは、ほとんど教育らしい教育を受けていない。場合によっては字が読めなかったり、計算能力や計画能力がなかったりすることも珍しいことではない。だが何かしらの特技を持って、街に来て仕事をする。
タイ/中国/ラオスは、基本的に大陸の陸続きだ。だから外国が陸続きで、色々な国家・民族の人が国境を超えて歩いてやってくる。当然、異民族との交流は日常だ。言葉が通じない・意見が通じないことは、全く普通のことで、そういう中でぶつかり合いながら、仕事をして食事をして生活している。
僕もそういう異民族とのぶつかりあいの中に放り込まれ、色々なことを思った。例えば、僕は、色々な民族の人のなかで比べると、話すのが遅い方だとか、気が利かないほうだとか、語学は得意ではないほうだとか、技術は得意だが、商売が得意な人には勝てないとか、そういう『相対的な自分の位置』のようなものが見えてくる。
僕がいた県は、ベトナム戦争の影響がとても大きい街だったので、西洋人も多かった。西洋人にもいろいろなタイプがいる。人によっては、圧倒的な技術能力の高さの人もいたし、ビールばかり飲んでいる人もいたし、そういう人のコミュニケーション能力の高さに舌を巻いたこともある。
─── 世の中は、広い。
多民族のぶつかり合う中で、自分の特技や限界を知っていく ─── そういうぶつかり合いが大切なのではないか、と思う。
さて、日本に帰ってきて思うのだが、日本人は、まるで自分が見えていない。自分の限界を知らず、誇大妄想に取り憑かれて大言壮語ばかりぶちまける人がいたかと思うと、恐ろしく劣等感が強く、自分を卑下して止まらない人もいる。
他人の意見を聞く気がないのは自分の方なのに、それを他人に投影し「日本人は他人の意見を聞く気がない」と喝破する人がいる。(日本語には『自分の欠点を他人に投影する』ことを端的に表す『自分のことは棚に上げる』というとても便利な表現がある。)一方で、人の意見を聞きすぎて自分を見失ってしまい、自分が何がしたかったのか、わからなくなってしまう人もいる。
大陸でいろいろな人を見たあとで、日本人を見ると、日本人は実に『馬鹿ばかり』なのだ ─── 大陸には、字が読めない人、計算が出来ない人が、沢山いる。だが彼らは自分の限界点を知っている。そして自分だけが通れる突破口も知っている。それにひきかえ日本人は自分の事を何も知らない人ばかり。
大陸なら、即座に淘汰されてしまうようなひどい悪癖や欠点を持っているのに、それが寛容に許されて受け入れられてしまう『ぬるま湯』にどっぷりとつかっている。『井の中の蛙』のまま子供っぽい全能感を丸出しにして威張り散らしても「はいはい」と優しく受け止めてもらえる日本。
『日本人の馬鹿』は、今に始まったことではない。島国という孤立した環境で外部との接点がないことにより、日本人は太古の昔から『馬鹿ばかり』だった ─── ただ単に、それがネットの出現によって肉眼で観察できるようになっただけだ。
日本は、アジア少数民族の『ガラパゴス島』 なのだ。
更新記録:
(Mon, 08 Jul 2019 02:31:59 +0900) タイトルを『何故、日本人は馬鹿ばかりなのか 』から『何故、日本人は馬鹿が多いのか』に変更した。文末に次の文を加筆した <<『日本人の馬鹿』は、今に始まったことではない(中略)ようになっただけだ>>