誰も聴かない、誰も聴いていない、世界中から生暖かい目で見られて続けているという冷酷な現実から目をそらし、延々と『世界中から大人気』と現実否認を続け、ひたすら外国の権威を振りかざしてばかりいる残念な『一流』日本人ジャズプレーヤーに対して、飽くまでも日本人としての自己批判の一環として海外で日本人の名にふさわしい日本人としての謙虚さや礼儀正しさを身につける御提案をさせて頂く日本人による日本人の為の日本人ジャズ批判です。
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NOTICE
■■■ 現在縦乗りを克服しようシリーズを大規模再構成/加筆訂正中です ■■■
2022年5月29日更新: 末子音がない日本語 ─── 縦乗りを克服しようシリーズその22
2022年5月15日更新: 裏拍が先か表拍が先か ─── 縦乗りを克服しようシリーズその3
2022年5月11日更新: 頭合わせと尻合わせとは何か ─── 縦乗りを克服しようシリーズその2
2022年5月8日日曜日
2021年7月10日土曜日
日本人ジャズマンと口裂け女の共通点 (oka01-knlbkjwajeonrzig)
日本人ジャズマンは『縦乗り口裂け女』だ。 裏乗りの人にまとわりつくして「私グルーヴしてる?」と尋ねる。グルーヴしていると答えると縦乗りにされてしまう。グルーヴしていないと答えると殺してしまう。 ─── これを読んで怒るなら怒れ。どうせ最初から仕事なんか干されてるし、ご自由に。だけど事実を言っておく。
僕は日本で演奏したいけど、どうやっても演奏できない。誰と演奏してもリズムがずれる。何をやってもずれる。そして「お前のリズムはおかしい」と怒られる。そして「お前は自分が見えていない」と非難される。そして「お前は勝手すぎる」と非社会的人間扱いする。だけど僕はどうしても自分のリズムがおかしいと思えなかった。だから自分のリズムがおかしくないことを確認する為に次のような手法を使った。その手法とはとても単純だ。
2021年5月28日金曜日
日本のジャズ界におけるリスナとプレーヤーの捻れ現象について (oka01-gxddgpxhlnutrnfi)
前編:日本人ジャズリスナと日本人ジャズプレーヤーを隔てる残念な壁
僕は、商人系日本人・農民系日本人が両方混ざっていて、商人と農民の両方の考え方が同時にわかる..だから商人的な打算的な考え方をしつつも、土着文化を大切にする農民的感覚を持っており、金銭を使って土着文化を踏みにじる人に強い反感も持っている。
僕は、商人系日本人・農民系日本人が両方混ざっていて、商人と農民の両方の考え方が同時にわかる..だから商人的な打算的な考え方をしつつも、土着文化を大切にする農民的感覚を持っており、金銭を使って土着文化を踏みにじる人に強い反感も持っている。
ジャズの世界で商業戦略を重視している人を見ると、土着のリズム文化を資本主義で滅茶苦茶に汚している様に僕からは見える。だが実は、土着の感覚ほうが日本人のごく一般的な感覚なのではないか。僕はジャズを演奏していて、土着を汚している様に見える感覚を常に持っているのだが、ジャズを演奏する人たちはそういう土着の感覚を決して理解しない。
ジャズを演奏する豊かな人々は商人系日本人が多い。だが日本全体から見れば実は少数派ではないか。
実は商人系ジャズマンのどんくさい土着感のないリズムは、農業系のジャズファンの反感を買っているのだが、それが表面化しない。それは何故なら、農業系の日本人は普通無口で主張が少なく、一方商人系の日本人は通常よく喋るし主張も強いからではないだろうか。
それが日本のジャズ捻れ構造の根底にある。
2021年5月27日木曜日
日本人ジャズリスナと日本人ジャズプレーヤーを隔てる残念な壁 (oka01-nutuxhemzvglowdm)
ジャズは難解だろうか。僕はこれまでこのことについていくつか記事を書いた。
難解にならないジャズ
難解なジャズとは 〜 ジャズと権力6
縦乗りの何が問題なのか
ジャズを演奏しても聞いてもらえないのは、日本人にジャズが人気がないからではない。演奏しているジャズがグルーヴしていないからだ ─── 実は日本人はジャズが好きだ。きちんとグルーヴした演奏をすればあたりに隠れていたジャズ好きのマニアがぞろぞろと集まってくる ─── 僕はこのことをストリート演奏の経験として知っていたのだ...と気付いた。
日本人ジャズマンにありがちな特徴
日本人のジャズマンは驚くほど大勢いる。東京のなかだけの狭い世界ではあるけども、それでも日本中からジャズ好きのジャズマンがたくさん集まってきており、フェースブックなどで見回すだけでも2〜3000人はいる。
僕は日本人ジャズマンのなかでもやや異色で、ジャズ以外の音楽を演奏する人とも少しだけ交流がある。それで思うのだが日本人ジャズマンは少し他のジャンルの音楽人と異なる毛色がある。
- 優等生タイプが多い。
- 勉強が得意でコード理論やスタンダードに対する知識量が多い。
- 運動が苦手なタイプが多い。
- リズム感が悪い。
- 挫折に弱い。挫折を知らない。
- 傷つきやすい。
- 排他的。異質な人たちとコミュニケーションを取ることが苦手。
ブルースやレゲエ・ロカビリー系の人たちなどを見ると、全く真逆の気質を見かける。
- 劣等生不良上がりが多い
- 勉強苦手。勉強は嫌い。
- 運動は滅法得意。
- リズム感が良い。
- 挫折を多く経験。挫折に強い。挫けない。
- ちょっとのことでは傷つかない。
- 社交的。外部の人に対してオープン。
そういう中でも一頭抜きん出ている人は、必ずしもこの傾向に当てはまる人ではないが、でも一般的な傾向として上記のような漠然とした特徴は感じる。
ジャズが得意な優等生タイプの行動パターン
彼らは真面目でコツコツと地道な努力をすることが得意なのだが、その努力の範囲内で解決できない問題と出会うと他人に責任転嫁する傾向がある...と僕は思う。
ジャズのなかでもコード理論は比較的よく整理されて勉強しやすい形になっている。だけどジャズのリズム理論はほとんど全く研究されておらず勉強によって習得することができない。ジャズを学習する上でもリズムだけはある程度の本能的な自分自身の感覚によって習得していくことが求められる部分だ。だからこそ彼らにとってリズムが悪いという点はとても受け入れがたい事実なようだ。
リズムが悪いことだけなら大きな問題ではない。問題の一番大きな点は「リズムが悪いということを他人に責任転嫁して、延々と他人の妨害をする」習性だ。
優等生タイプは小賢しく知恵が回るので、あらゆる理論を動員して自分のリズムの悪さに対して理論武装を固めていく。こうして優等生タイプはリズムが良い列島タイプの人々を蹴散らしていく。
僕は日本のジャズ好きな人々は実はむしろ本能的な感覚をつかって物事に突き進める劣等生タイプの人が多い。彼らは当然、そういう優等生タイプの人間が撒き散らす自己弁護などに興味はない。
独自に作ったリズム理論
僕はあまりリズムがよくなかったが、僕が所属していたジャズ研(早稲田ジャズ研)周りにはジャズマンなのにリズム感が良い人が多かったので、僕は劣等感が強かった。僕が東南アジアに放浪の旅に出て語学武者修行をするようになったのは、そのリズム感が悪いという劣等感を克服したかったからだ。
リズムを体得するほど僕は運動神経がよくなかったので、僕はそれを具体的に訓練によって習得するために、リズムを理論的に分析する様になった ─── それで10年以上掛かったが東南アジアで方言を学んで、その原理を体得してきた。 それを日本に持って帰って理論化したのが僕のオフビートカウント理論だ。
僕はリズム感が悪い優等生タイプを貶したり虐めたりする事に最初から興味がないというよりはむしろ、僕自身がリズム感が悪かったので僕が使うために理論を作ったわけで、是非皆様も活用してみてください!的な感覚でみんなにおすすめしているのだけども、僕はここで少し思うことがある。
彼らは自分がリズム感が悪いということを直視出来ておらず、できれば自分がリズム感が良いということを信じていたいらしいことだ。リズム感が悪いということにうすうす気付いてはいるのだけども、それを認めることができない。
だから僕がリズムが悪い彼らにリズム理論の学習を勧めると、薄毛の人にアートネーチャーを勧めることと全く同じ状況が起こって怒られてしまう。
或いは実はしばしばあるのは、実はリズム感がとても良いのだけども、それを認めてしまうとしばしばリズム感が悪い優等生タイプの仲間を貶すことになってしまう ─── 信頼する仲間を貶すことは自分の信義に背くので、自分のリズム感を認めることができない...というケースもある。これもまた仲間思いで義理堅い優等生タイプに多いケースではないか。
優等生タイプのジャズマンの方々が持っているリズム感に関する自己認識はとても複雑で、そこを的確に指摘することはなかなか簡単ではないようだ。
自分の思いを実現する方法
自分の演奏したグルーヴによって人々が陶酔する・・・そういう状態を夢見て楽器を演奏するのではないだろうか。だけどもそこには大きな障壁がある。
そこに横たわる問題を正しく理解して、具体性のある形で対応して、きちんと自分の思いを実現していく。
それが僕が オフビートカウント理論 を考え出した真意だ。
2021年4月1日木曜日
相手に伝わらないことに気付かない日本人 (oka01-thvpsrocwwlfirze)
僕はこのケヴィン氏が言っていることがとても重要だと思っている。ケヴィン氏は『この踊りは駄目だ!彼女は周りにフィーリングが伝わっていないのにその事に気付いていない!周囲の人々の目を見ていない。表情を見ていない!』
僕は日本人ジャズマンに全く同じことを思う。日本人ジャズマンは自分の音楽が相手に伝わっていないのにそのことに気が付かない。
気付かない日本人
僕は外国でタイ語イサーン方言を勉強していて思うのだが、僕が今まで10年以上見ているなかで日本人がまともにタイ語を話しているのを見たことがない。勉強して喋るは喋るのだが、それが相手に伝わっていないということに気付かない。自分の思い込みで延々と喋るので、見ていて恥ずかしい。しかもタイ人は相手の思い込みをいちいち正さず放置する傾向があるので、日本人はいよいよ本当に気付かない。
タイに限らず、英語でもドイツ語でも僕はこの日本人の独りよがり傾向を思う。日本人の独りよがり傾向をきちんと戒めて正そうとする日本人は実はあまりいない。
そういう日本人が、ジャズを演奏することが得意になる筈がない。
これを見ても気付かない
僕も前述のビデオを見ていて周囲の人の目に非常に強い違和感を持つ。奇特な目で見られているのに気付かない。それを見ているだけで恥ずかしい感じがする。
だが恐らくこのビデオを見てもその違和感に気付かないのだろう。これを読んでいる人自身が。
そこに気付かないと駄目だと思うのだ。
ミュージシャンなら。
気付かないならそこに自分の認知力の限界があると気付いて努力しなければいけない筈なのだ。
ミュージシャンとして。
てきとう日記から日本人ジャズ批判へ移動しました。 (Sun, 08 May 2022 04:17:33 +0900)
2020年10月6日火曜日
2020年8月28日金曜日
日本語が持っている独特なリズムが引き起こす問題 (oka01-iomszauaadvrlhts)
ドラマーのSさんと延々とリズムトレーニングをしました… 8分音符1つずれカウントをしながらドラムを叩いて、間違えた音を1音1音修正していく根気のいる作業でした…
リズムとは発音そのものではないかと思うのです。
2020年7月20日月曜日
難解にならないジャズ (oka01-anzmipyiqpjuitjz)
僕の演奏もそういう方々の演奏手法を採り入れていたのだが『演奏が難解だ!』と批判を受けることが非常に多かった。そんな難解な奴ばかり聞いていないで「もっとビバップみたいなオーソドックスな奴を聞け!」と言われた。それがきっかけでウェス・モンゴメリ/グラント・グリーン等々の古いバップを聞くようになった。現在僕がビバップが好きな理由はもともとは他人のアドバイスだったのだ。
だがビバップを聞くようになり結果的に僕はアフリカ系の方々の音楽に傾倒する様になった。ビバップの本質はアフリカ系民族の民族音楽が持っているリズムだ。ビバップからR&Bを聞くようになりゴスペルを聞くようになりアフリカの民族音楽を聞くようになった。
それでアフリカ系のリズムパターンを自分の演奏にも取り込むようになった。すると僕はまた「演奏が難解だ!」と非難を受ける様になった。
僕は今はわかる ─── 難解ではない音楽の正体は演歌だ。
ジャズは、メロディーが1小節目1拍目から左側に向かって伸びていく。メロディーの開始点は決まっておらず1小節目3拍目や2小節目の4拍目等々、思い思いの場所から始まって良い。だがメロディー終了点は必ず4小節目の4拍目裏で固定されている。僕はこのメロディー構成の事を尻合わせと呼んでいる。
だが演歌はこのジャズのメロティー構成と全く真逆をつかう。演歌ではメロディーが1小節目1拍目から右側に向かって伸びていく。メロディーの開始点は必ず1小節目1拍目と固定されており、メロディーの終了点は決まっておらず、むしろ終了点をはっきり示さないのが流儀だ。僕はこのメロディー構成の事を頭合わせと呼んでいる。
だからジャズと演歌は原理的に絶対に同時に演奏できない。終了点を決めないのが演歌のしきたりで、終了点を必ず決めるのがジャズのしきたりだ。この2つのしきたりは絶対に両立できない。『頭合わせ』『尻合わせ』を同時に満たすことはできない。
日本人はメロディーの開始地点がはっきりしていないと難解だと感じる。だが実は日本人以外の人は、メロディーの開始地点がはっきりしていると逆に難解だと感じている。終了地点がはっきり決まらないとどうやってリズムを解釈して良いのか理解できないからだ。
頭合わせには頭合わせの良さがある。僕はこれを無理に尻合わせに当てはめてはいけないと思う。頭合わせには頭合わせの伝統がある。また更にいうと日本は必ずしも頭合わせリズムを演奏する訳ではない。日本に存在する全てのリズムを例外なく頭合わせに改造しなければいけない理由も見当たらない。そして僕は尻合わせのリズムを難解とも思っていない。
僕は純国産できちんとリズムの多様性を実現したバンドを作りたい。
頭合わせ乗りを否定することもなく、尻合わせリズムを全て頭乗りに改造することもなく、両立したバンドを作ってみたい。
尻合わせを憎んでいる人も、尻合わせを愛している人も、尻合わせに媚びている人も、尻合わせに執着している人も、尻合わせを憎んでいる人も、頭合わせが理解できなくて悩んでいる人も。
音楽は垣根を超えて人を結びつける。
更新記録:
カテゴリを音楽メモから日本のジャズを理解するに変更した。(Thu, 27 May 2021 18:09:37 +0900)
2020年6月15日月曜日
2019年12月4日水曜日
縦乗りの何が問題なのか (oka01-iocawsuudphuqkle)
日本人の演歌的なリズムのことを縦乗りと呼ぶことがある。僕は縦乗りが大嫌いなのだけど、一方で演歌が好きでもある。いろいろ思い起こしてみると、この縦乗りと演歌は実は全く違うことを言い表しているのではないかと思う。
基本的にその人が縦乗りかどうかはその人の自由だ。その人のリズムの感じ方を他人がとやかくいう理由はない。だけどジャズをやっているなら話は別だ。ジャズは横乗りの音楽だからだ。激しい横乗りのリズムでアドリブ演奏するジャズ…その醍醐味の源泉こそが横乗りだ。みな横乗りに憧れてジャズを始めたのではないか。少なくとも僕はそうだった。 縦乗りを極めた音楽である演歌や音頭を演奏するならともかく、ジャズに縦乗りは合わない。
縦乗りジャズはダサい。それは誰が聞いてもダサい。だがそれをダサいと思わない人がいる。リズムの感じ方について他人がとやかくいうのは失礼だ、だからそれをダサイというのは失礼だ、そういう論理でそれをダサくないという。
だが僕は10年以上に渡って東南アジアを放浪した結果として、妙な特技を身につけたようだった。それは全く同じメロディーを縦乗りと横乗りで弾き分けるという特技だ。この特技はどうやら、縦乗りの本質を鮮やかに暴きだす様だった。それも非常に残虐な形で ───
2019年9月4日水曜日
2019年2月4日月曜日
2018年12月3日月曜日
ジャズと権力5…カーゴカルトと日本のジャズ (oka01-efstcgabqvlqecyd)
あちこちのセッションに行って、バンドがすごくタテノリな時でも、僕が入った途端に、雰囲気がガラリと変わってウラノリになる…というパターンを、数度経験した。多分、みんな頭の中でイメージしている音は、ウラノリなのだけど、ウラノリに移行する手順がわからないのではないか…。
※ タテノリとは何たるかについては、次の記事内で述べた。僕は自分のリズムの才能をほとんど信用していないので、『ノリ』というものについて、具体的な手順を決め、機械的に処理する様に心がけている。
縦乗りを克服しようシリーズ
その1…何故、日本人は縦乗りなのか
その2…日本語のリズムを限界を探る
その3…日本語のリズムからの脱却・裏縦乗りとは何か
その4…節目がない言語=日本語
その5…日本人は聴こえないリズム・小節縦乗りとは何か
その6…縦乗りと横乗りの違い・日本の同性愛文化について
ジャズと権力
『東京は大好きだが、東京者は大嫌い』
『縦乗りと横乗りの本質』
『ジャズの武道性』
だが、こうやってウラノリになった時(移行しようとした時)に、喜ぶタイプの人と、怒るタイプの人がいる。喜ぶのはわかるが、怒る理由がわからない。怒るタイプの人は、演奏が終わった後、僕がひとことも言葉を発していないにも関わらず、「失礼なやつだな!」と怒りはじめる。何か本当に怒らせる様な心当たりがあるなら、仕方がないが、僕には心当たりがない。何度も真剣に考えたが、僕は、何故怒られているのかわからない。だがとにかく、僕は怒られる事が非常に多い。
これもしばらく見ていて徐々に思うようになったが、どうやら、怒るタイプの人は、ほとんどの人が『プロ』の人なのだ。
このことについて、僕はこう考えた。
2018年9月11日火曜日
2018年9月10日月曜日
ジャズと権力2…縦乗りと横乗りの本質 (oka01-yxcuhljccrhmxbtn)
だがこのリズムは、日本人としての一般的な感覚からはかけ離れており、しばしば聴きとることが難しいようだ。 ─── これが何かひとつの大きな問題のトリガーを引いてしまう。
本物の黒人が来て演奏して、それが聴き取れないなら、何も問題はないのだが、日本人がそれを演奏して、それが聴き取れないと、 大抵「お前の演奏は間違っている!」「何故そんな嫌がらせばかりするのだ」と罵倒されてしまう。そこで何か口答えでもすれば「お前に何がわかる!」と怒鳴られてしまう。独りで強情を張る奇人という烙印を押されてしまう。
日本のセッションで演奏していると、みんな1拍目と3拍目に強拍が置かれる。しつこいほどに置かれる。 ─── どうやら東京のジャムセッションで演奏する時は、演歌・浪花節・音頭・民謡にもある程度の嗜みが必要なのだと思う。
では東京のジャムセッションで演歌ハイブリッドジャズを演奏すればいいのだろうか。それにも僕は、一抹の違和感を覚えるのだ。問題の本質は、もっと複雑な要素をはらんでいる。
ジャズと権力1…東京は大好きだけど東京者は大嫌い(oka01-jfdnkynywxhtrvlj)
権威に無頓着になって純粋な芸術としての音楽制作をするにせよ、日本で続ける以上、日本ジャズの権威主義の激しい妨害を受けることは避けられない。その音楽が世界レベルに近づくほど、受ける妨害は激しくなる。
日本社会でジャズ演奏活動を続ける上で、この社会矛盾にたいしてどの様な姿勢を維持することが望ましいのか。社会学的な観点から分析してみた。
この文章は、東京都内のジャズ界で生活するなかで常に感じ続ける強い違和感の来る場所がわからない僕が、一種のブレーンストーミングとして書き始めた文章に、加筆訂正して体裁を整えたもので、3つのパートに分かれている。
『ジャズと権力1. 東京は大好きだが、東京者は大嫌い』(当記事)
『ジャズと権力2.縦乗りと横乗りの本質』
『ジャズと権力3.ジャズの武道性』
またこの文章中、繰り返し日本語が持っている特殊なリズムの存在について言及されるが、この特殊なリズムについて次で説明した。
何故、日本人は縦乗りなのか ─── 縦乗りを克服しようシリーズその1
縦乗りの起源・日本語のリズム ─── 縦乗りを克服しようシリーズその2
縦乗りをよく知る・縦乗りと裏縦乗り ─── 縦乗りを克服しようシリーズその3
日本語のイントロ ─── 縦乗りを克服しようシリーズその4
日本語がもつ特殊なリズムと、ジャズとの関係は以下で説明した。
言語と音楽『ジャズと揉み手』
この文章を読み始めるにあたり、これらを前もって読んで知識を持っていることが望ましい。
2018年9月6日木曜日
和製ジャズへの違和感(oka01-qfxbeagipibhvqty)
僕が感じている和製ジャズに対する違和感は、次のようなものだ。明らかに訛っていっるのは自分のほうなのに、それを棚に上げて相手に文句ばかり言っている ─── この様な感じで。
「おめ何言ってんだ?! これが標準語だべー? 」
「確かにそういう標準語もあるかも知れませんが、だけどその『だべー』というのは、多分方言なのかな…と。」
「何いってんだあんた、間違ってんの、おめぇだっぺ?!何だおめぇのそのしょうじゅん語は!?」
「いや、それ『しょうじゅん』じゃなくて『ひょうじゅん』です!」
「おめぇこのやろう! ホントに頑固なヤロウだな!これがしょうじゅん語だべ〜!?」
「だから違います!」
「お前は何で独りでそうやって強情はってんだべ?!」
僕はいつも「強情だ」「頑固だ」「人の話を聞かない」と言われる。別に人の話を聞いていない訳ではないのだが、それが明らかに方言なのに、方言を喋っていると認識出来ずに、それを否認しつづける人と喋る時の違和感というのは、どうやっても受け入れがたいものがある。
その気持ちについて書いてみたい。
2018年8月24日金曜日
ジャズと揉み手 (oka01-elwfvbmvnsiptpkx)
まえがき
今月8月は、いろいろと苦悩した月だった。都内のあちこちのセッションに顔を出して、自分の居場所を探してみたが、どう考えても自分はシーンのなかで異端だった。どれくらいの距離を取って、どれくらいアピールをするのが効果的なのか、見えてこない。あまり激しくアピールすると、拒絶されてしまうだろうことも目に見えており、非常に悩ましかった。以下は、この一ヶ月間に考えたことを散文的にまとめた文章になっている。結論ははっきりしない。だがとにかく現状のまま出してみようと思う。
なお、ここに出てくる話は、日本語のリズムと外国語のリズムの違いに対する話題が繰り返しでてくる。これらに関しては、次の記事で説明したので、あわせて参照頂けたら幸いだ。
何故、日本人は縦乗りなのか ─── 縦乗りを克服しようシリーズその1
縦乗りの起源・日本語のリズム ─── 縦乗りを克服しようシリーズその2
縦乗りをよく知る・縦乗りと裏縦乗り ─── 縦乗りを克服しようシリーズその3
日本語のイントロ ─── 縦乗りを克服しようシリーズその4
散歩に出た話
狸穴町というところに散歩に来た。 pic.twitter.com/xRcOf7OKSr— 𝘼𝙩𝙨(おかあつし) (@ats4u) August 22, 2018
2017年12月25日月曜日
理解と愛情 ─── 何故、音楽を演りたいと思ったのか (oka01-jbfgppgifckaoxdx)
...だが時代はデフレ。もう80年代のような華やかなプロミュージシャンの世界は存在しない。全てのプロミュージシャンは、増大する赤字を苦渋の思いで眺めつつ、プロ活動をしている ─── 或いは、自分の音楽の信じがたい低俗化を苦渋の思いで眺めつつ、プロ活動している ─── 或いは、苦渋の思いを知らぬ幸せなプロミュージシャンを、その親類が苦渋の思いで眺めている。
そういう意味で、今の世の中に、本当の意味で「プロ」はいない。
そういう時代に、プロミュージシャンを目指すとは、どういうことなのか ───
著者オカアツシについて
小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。
特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々
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