FLAGS

MENU

NOTICE

2018年6月13日水曜日

頭合わせと尻合わせの違いについて ─── 縦乗りを克服しようシリーズその4 (oka01-ijwqavqncvfzxshk)


最近、三拍目裏からひっくり返った状態で曲を始める練習をしている。 こういうと難しく聞こえるが、要するに50年代風のジャズのイントロだ。

これに慣れた状態で「チャコの海岸物語」を聞くと、二重にひっくり返った様に聞こえることに気付いた。ものすごく意外な場所から曲が始まる様に感じるのだ。

本物の裏乗りの音楽

R&Bの名手アレサ・フランクリンが歌う、Moody's Mood という曲を聞いてみよう。


ジャズ・R&B・ソウル… 全ての要素が一曲に凝縮された名演だ。

曲の始まり方がちょっと変わっている。この曲は、 何の予告もなく3拍目裏から入り、そのまま一度も1拍目表で解決せずに、2拍4拍を強調した『ツー・フォー・ビート』に移行。息をつかせずに曲が進行していく ─── これは50年代のビッグバンド・ジャズでとてもよくあるリズムトリックだ。50年代以降の少人数編成ジャズでも、しばしばこのリズムトリックは使われる。

曲が裏ビートから始まって、裏表がひっくり返っている様なリズムは、米国英語の発音リズムから来ている。このリズムは、しばしば日本人が非常に苦手とするリズムではないか、と僕は思っている。

日本人が聞くとひっくり返って聞こえるのだが、僕は見ていて、彼らが、ひっくり返った状態が正しい状態だと感じているらしいことを見て取った。

参照:
何故、日本人は縦乗りなのか ─── 縦乗りを克服しようシリーズその1
縦乗りの起源・日本語のリズム ─── 縦乗りを克服しようシリーズその2
縦乗りをよく知る・縦乗りと裏縦乗り ─── 縦乗りを克服しようシリーズその3

日本語のリズムは、外人にはひっくり返って聴こえる

この2〜3日、Moody's Mood ばかり聞いていて、この3拍目裏から始まる練習ばかりしていたのだが、この状態で、ふとラジオから流れてきた「チャコの海岸物語」を聞いたら、二重にひっくり返っている様に聞こえて、ものすごく混乱した。


サザンオールスターズ「チャコの海岸物語」のオリジナル版はネット上では視聴できない為、代わりに加山雄三版の「チャコの海岸物語」を聞いてみる。

この曲は、1拍目裏から始まる。


1拍目裏から入ると、7つの8分音符が先立って演奏される。

この始まり方は、恐らくだが、英語を話す人達に強い違和感を与えるのではないだろうか。

偶然にもベンチャーズが「チャコの海岸物語」を演奏している映像があったので、それを見てみる。


冒頭の部分を、微妙に崩して演奏していることがわかる。はっきりとはわからないが、こんな感じだ。


3連符と16分音符の微妙な違いを行ったり来たりするラテンのリズムが入っているので、正確に譜面化できないが、およそこういう形だ。

リードギタリストのジェリー・マギーが、日本人にとって馴染みのある「7つ8分音符始まり」を崩して弾いたのは何故だろうか。これは僕の想像だが、彼はこのリズムを『理解』できなかったのではないだろうか。

日本語の独特なリズム

日本語を話していると気が付かないものだが、この7つの8分音符が先立って入るリズムは、日本語だけが持っている非常に独特なリズムだ。

例えば、日本の童謡「通りゃんせ」 にこのリズムは繰り返しあらわれる。


「いきはよいよい」 「こわいながらも」の部分が「7つ8分音符始まり」だ。1拍裏から始まって、1拍表で終了する。

日本のメロディーに 「7つ8分音符始まり」は、くりかえし出現する。



具体例としてふさわしくないほどに、かなり古いが「それにつけても」の部分が、1拍裏から始まって1拍表で終わるリズムに相当する。日本のメロディーにはこの様な例が無数にある。

このリズムは、日本語が話せない人には、全く馴染みがなく、このリズムを演奏することが全くできない。例えば『よーおーポン』で手を打つ『一本締め』は、日本語を話す人なら誰でもあわせることができるだろう。このリズムが難しいというのは、日本人には想像もつかないことだ。だが外国の人にとっては、「ポン」がどこに来るか予想がつかないので、あわせられない。




これは一本締め(手締め)を題材にした演歌の曲だ。客席のリスナー全員が、正しい位置で手を打っている。

ところで一本締めは、関東の文化なのだそうだが、僕はネイティブ関東人がこれをやっているのを見たことがなく、関東にいる西日本人が関東風にしようという趣旨でやっている場面しか遭遇したことがないので、これが関東の文化だという見解に強い違和感を感じているのだが、ともかく、このリズムは、日本語が話せない人には『理解』がむずかしいリズムだ。

一本締の「よーおーポン」も、7つの8分音符「それにつけても」のリズムも、どちらも日本語のリズムの根底に流れている「123休み」のリズムに根ざしている。


このリズムが、日本人の演奏するポップス・ロック・ジャズ・ファンク・R&B・エレクトロ…全ての音楽に、強い影響を与えている。日本語のリズムは、場合によって、著しく音楽からスピード感を奪う。このスピード感にかけた演奏を「縦乗り」と呼ぶことがある。

日本人にとって、この 「縦乗り」の原因を理解することは容易ではない。

僕は、12年間にわたり海外の辺境で語学の武者修行に明け暮れていた。特にラオス〜タイ東北部の言語・ラオ語の方言を研究してきた。僕がラオ語を研究し始める時、「ラオ語が話せるようになれば、リズムの理解がよくなるだろう」という予想をしていた。日本語しか話せないと、日本語のリズムに縛られる。日本語以外の言語が話せるようになれば、この束縛から脱出できるのではないか、と考えていたからだ。

実際にラオ語が話せるようになって、改めてジャズを聞いてみたら、日本人の演奏、外人の演奏を即座に聞き分けられるようになった。これは「アジアとヨーロッパの違い」ですらなかった。日本は、アジアの中でも突出して特殊なリズムを持っていることがわかった。想像以上にはっきりとその違いを理解することができるようになった。

言語によって違うリズム

日本人のリズムと、外人のリズムの違いを図説してみた。



実際にこの違いを具体的に音で比較するビデオを作ってみたので、実際に聞いてみよう。


邦楽は、その小節の内側だけでメロディーが動く。洋楽は、次の小節を先取りするようにメロディーが構成される。特に4拍目で次の小節のコードを先取りした打撃音を演奏する点が特徴的だ。

ちなみに僕の知人・友人(日本人)にこれを聴かせてみたところ、大半の方々の反応は、「どこがちがうのか、全くわからない」というものだった。 何度もくりかえし聞いてみてほしい。ちなみに、このビデオを作った僕自身は、この違いが分かるまで優に10年以上掛かった。前半と後半は、全く違う。全く違うのに、どこが違うのかわからない。 ─── それは何故なのだろうか。それを以下で見ていきたい。

メロディーの終わりをはっきりさせる!

裏乗りにするためには、一般的によくいわれることに「裏拍を強調する」ということがある。確かに、それはひとつの大きな要因だが、裏拍が強調されても縦乗り感が色濃く残る場合も多い。それは何故だろうか。

それは日本人はしばしば、メロディーの先頭でリズムを取るからだ。

日本人はしばしば、メロディーの先頭でリズムを取るが、海外のメロディーは、メロディーの終端でリズムを取る。 この特徴は、実はアメリカの音楽だけに限らず、欧米や東南アジアの民族音楽など、大半の音楽でもそうだ。恐らくだが、日本だけが他の国と違うリズムのとり方をしている。

日本のメロディーは、メロディーの開始位置にアクセントがある。だから無意識のうちに1小節目・1拍目からメロディーを始めようとする。だが海外のメロディーは、メロディーの終了位置にアクセントがある。だからたいていの場合、1小節目・1拍目でメロディーを終わろうとする。

つまり、縦乗りになる本当の要因は、裏拍とは関係なく、メロディーの開始位置・終了位置による。スピード感のあるメロディーは、先にメロディーの着地点を4拍裏と決め、そこに向けてメロディーが構築される。その際、次の小節のコードを先取りする形でメロディーを作り、その小節が始まる直前・4拍目裏にてメロディーが終了する。縦乗りのメロディーは、1拍目頭からメロディーが開始し、その小節内・その小節のコードでメロディーが終了する。これは聞く人にメロディーがワンテンポ遅れて動くような印象を与える。

次の小節を先取りして早めにメロディーを開始すると、メロディーの音符の数が合わなくなって、解決が遅れてしまって、解決が次の小節に持ち込んでしまっても、スピード感は残る。だが次の小節を先取りせず、1拍目からメロディーを始めると、解決が遅れた時に即座に問題化する。バンドが既に次のコードを演奏しているのに、古いコードをそのまま弾き続けることになる。これが発生すると、音楽は著しくスピード感を失う。

早め早めに動くことで、リスナに意外さや新鮮さを感じさせることができる。

日本語は、文末をはっきりさせない

日本語はそもそも、あまり語末をはっきり発音しない言語だ。これは歴史的な日本語の読み方…例えば百人一首の読み方などを見ることでも、わかる。

にわづに ───
くや ─── このはな ───
ゆーごもり ───
まははるべと ───
くやこのはな ───



日本語の発音は、語尾を伸ばすことで言葉の終了点をはっきり示さないのが、通例だ。

だが英語は、必ず言葉の終了地点をはっきり示す。

例えばエミネムの歌い方を見てみよう。


このビデオで歌われている歌詞の文末をそれぞれ太字で表してみた。

Went from addict to a workaholic,
word to Dr. Dre
In that first marijuana tape
guess I got a chronic case
And I ain't just blowin' smoke,
'less it's in your momma's face
I know this time Paul and Dre
They won't tell me what not to say


この様に文末が強調される。実際の音と文面を聴き比べてほしい。

実は、語尾をはっきり示す(文末でリズムを取る)という特徴は、英語だけに限った特徴ではない。世界中の大半の言語がそうだ。

外国語は、文末でリズムを取る

タイの民謡は、日本の民謡(音頭・演歌)と好対照なのでここで紹介してみたい。



曲冒頭の歌詞は、次の通りだ。英語のリズムのとり方と同じく、文末を小節の先頭に揃えアクセントを付けて演奏されていることがわかる。

ลูกชายคนดี lu:k cha:y khon di:
ก่อนนี้มันมาดแมน koon ni: man ma:t mae:n
ลูกชายคนดีเดี๋ยวนี้ lu:k cha:y khon di: diao ni:
มันบ่แม่น man bo: mae:n
เฮ็ดงานบ่เป็น haet nga:n boa pen
ยามเว็นพักสายตา ya:m wen phak sa:y ta:
ยามแลงลงมาถ่าเบิ่ง ya:m laeng long ma: tha: beung


更に、日本の民謡とタイの民謡を比べると、驚くべきことがわかる。

タイの民俗文化は、日本と非常に近いが、そのせいか音楽のリズムも非常に似ている。日本のリズムは、前述の通り「ドン・ドン・ドン・休み」の繰り返しでできているが、実はこの点、タイのリズムは、日本のリズムと同じだ。

だが、日本のリズムとタイのリズムを比べると、大きく違うところがある。よく見てみると、日本のリズムでは1拍目が始まりだが、タイのリズムでは1拍目が終わりだ。

日本のリズムは、1拍目から始まる。

日本のリズムは、1拍目で始まる。


タイのリズムは、1拍目で終わる。

タイのリズムは、1拍目で終わる。


日本のリズムは、「1・2・3・休み」だが、タイのリズムは、「3・4・1・休み」になっている。 言い換えると、タイのリズムには「アウフタクト(アナクルーシス)」がある。日本のリズムには、「アウフタクト(アナクルーシス)」がない。

つまり、タイのリズムと日本のリズムは、形は同じだが、全く正反対の配置でできている。タイのメロディーは、どのメロディーも次の小節に向けて「アナクルーシス(アウフタクト)」を使って構成されている。メロディーはどの部分をとっても必ず、小節頭で終わっている。

次のビデオは、タイの子供向けの数え歌だ。あどけない子供に似合わない良好なグルーヴがある。



この曲のメロディー構成は前述の通りメロディーが小節が始まる前に始まり小節が始まる1拍目でちょうど終わるようになっている。

日本人的にはとてもトリッキーに聴こえるが、タイでは特殊なリズムテクニックという訳では決してない。子供からお年寄りまでみなごく当たり前のようにこういう音楽の数え方をする。
 




上の2つのビデオは、どちらもタイ(ラオ系タイ人の居住地区である東北地方)の民謡(モーラム)をベースにした歌謡曲(ルークトゥン)だ。どの曲もアウフタクトが多用されている。



他方、日本の伝統的なメロディーは、みなメロディーの開始位置が小節の頭で揃っている。



───
──に──
みれて
ヨー
だてた
─りげ──

三橋美智也を引き合いに出すまでもなく、日本のリズムは小節の頭で揃っている。その頭の揃いかたでグルーブを生み出していく。この特徴は、日本の演歌・音頭のみならず、歌謡曲・ ロック・ポップス・アニソン・ヘビメタ・クラシック・ジャズ・ファンク・・・全ての日本の音楽で共通している。

日本語は、文頭でリズムを取る

文頭でリズムを取り、文末をはっきり示さないというのは、日本語だけの非常に独特な特徴だといえる。

だから日本人は、無意識のうちに文頭でリズムを取ろうとする。つまり無意識のうちに1小節目・1拍目からはっきりと音を出してメロディーを始めてしまう。これが日本人独特なモッサリとしたスピード感のない雰囲気を醸しだしてしまう。

だが外国の音楽は、文末でリズムを取る。メロディーの終わりではっきり音を出してアクセントをつける。そして1拍目からメロディーを始めることは極めて稀だ。だが日本人は、このリズムの取り方が理解できない。

縦乗りと横乗りは同時に演奏できない!

日本語のリズムの何が悪いのか。もし自分のリズムが深く日本語に根ざしているならば、日本の伝統に根ざした音楽を演奏すればよい。だが日本が近代化して、様々な外国の文化を取り込んだ結果として、外国起源の音楽を演奏することも多くなった。それが日本のロックでありジャズだった。

日本のロック。日本のジャズ。世界と違ってもいいではないか ───

いや、良くないのである。

何故かというと、日本のリズムと、外国のリズムは、原理的に、絶対に同時に演奏できないからだ。

日本のリズムは、表拍を基準にして、裏拍の位置をずらすことによって、音符のニュアンスを表現する ─── だが外国のリズムは、裏拍を基準にして、表拍の位置をずらすことによって、音符のニュアンスを表現する。

外国人の演奏するリズムは、基準になる表拍が安定せずフラフラと動きまわる。だから日本人が外人と一緒に演奏すると、日本人は音符のニュアンスを表現することができなくなる。

逆もまた然りだ。日本人の演奏するリズムは、基準となる裏拍が全く安定せずフラフラと動きまわる。だから外人が日本人と一緒に演奏すると、外人は音符のニュアンスを表現することができなくなる。

それでもいいではないか!と思われるかも知れない。どうせ外人と一緒に演奏する機会なんかない! 確かに、それでも外人同士・日本人同士で分かれて演奏している分には、問題がないだろう。しかし近年、日本もどんどん国際化している。日本国内でも、欧米人・アジア人・日本人が同時に演奏する、という機会も珍しくなくなってきている。

それでも確かに、日本人同士で固まっているなら、確かに問題ない。しかし…。

我々ジャズマンは、本物のジャズのリズムを目指していたのではなかったか…。そんなものは目指していない、と言われてしまえば、それまでだが…。…ならば演歌歌手や音頭の歌手を目指した方がずっと直接的で、本来の目的にかなっているのでは…。

日本には、ジャズよりもずっと古くからある重厚で奥ゆかしい伝統的な音楽の世界が存在する。

演歌歌手や音頭歌手を目指すのでは不足だというならば、それは何故なのか。

ジャズという敵性音楽

対策

さて、もしも貴方が日本のリズムから離れ、ジャズ・ロック・ファンク・R&B等々の音楽のリズムの世界に近づいていきたい、と考えるならば、漠然とそれを練習しているだけでは、決して習得できない。具体的に日本語が持っているリズムの呪縛から脱出して自由になる為に、具体的な方法を考えなければいけない。

─── 僕は、次のような方法を考えた。

1.外国語を学ぶ。

縦乗りの根本的な原因は、日本語が持っているリズムだ。 このリズムから脱出するには、基本的に外国語を学ぶ以外に方法はない。だがその方法を取ることが難しい、という場合は、やむを得ず、2番以降の方法で妥協することになる。

2.メロディーの終わりを意識して、終わりをあわせるように意識する。

少しずつ、次の小節のコードを先取りする様なメロディーを作る練習をする。まず最初は、小節の一番最後の8分音符だけ、次の小節のコードを先取りしてみる。次は、最後の8分音符2つ分だけ次の小節のコードを先取りしてみる。次は3つ、次は4つ…と徐々に増やしていく。

よくあるジャズのアドリブでは、8分音符3つ程度が『常に』次の小節に食い込んでいる。流れのある演奏者は、この食い込んでいる長さが非常に長い。しばしば8つ以上、即ち1小節をまたいで2小節以上を先取りして演奏する。

3.数える。

この練習をするにあたって、口で「ワン・ツー・スリー・フォー」と数えながらのは非常によい練習だ。これにより、伴奏がなくても、自分が何拍目から始めているのか、はっきり意識することができる。

その際は「ア・ワン 、ア・ツー、ア・スリー、ア・フォー」と、裏拍でも声を出し、裏拍をはっきりと意識すること。またこの時、「ワン・ア、ツー・ア、スリー・ア、フォー・ア」と裏を後にする順番で数えない方が良い。飽くまでも「ア」を先に発音すること。次節を参照。

数え方

もっとも基本となる数え方は、


ワン・ア
ツー・ア
スリー・ア
フォー・ア

と数字を表拍、裏拍で「ア」という数え方だ。だが日本人は、この数え方だけでは不十分だ。この数え方だけでは、メロディーの先頭を1拍目表にあわせる、という癖を矯正することができない。

そこで僕が考えたのは、 これを順番にシフト・ローテートする練習方法だ。

  1.  『ワン・ア・ツー・ア・スリー・ア・フォー
  2.  『・ワン・ア・ツー・ア・スリー・ア・フォー
  3.  『フォー・ワン・ア・ツー・ア・スリー・ア』
  4.  『ア・フォー・ワン・ア・ツー・ア・スリー』
  5.  『スリー・ア・フォー・ワン・ア・ツー・ア』
  6.  『ア・スリー・ア・フォー・ワン・ア・ツー』
  7.  『ツー・ア・スリー・ア・フォー・ワン・ア』
  8.  『ア・ツー・ア・スリー・ア・フォー・ワン』

この8パターン全てを練習する。この時、4拍目又は4拍目裏(小節の終わり)をはっきり意識し、そこでアクセントをつける。

まず、アドリブやバッキングを演奏する時に、ワン・ツー・スリー・フォーと数えながら演奏する練習を行う。次に順番を変えて、フォー・ワン・ツー・スリーと数えながら演奏する練習を行う。この様にして、数え始める位置を1小節8個ある全ての位置で数え始めることができるように練習する。この時、メロディーが終わる位置は、4拍目裏で固定する。

(この文章だけでは、とても理解できないので、いずれビデオで説明したいと思う。)

始まりに正確な日本人・終わりに正確な外国人

日本人は時間に正確だといわれている。だが皮肉なことに、正確なのは始業時間だけで、終業時間は、ほとんど守らない。一方、外国人は時間にルーズだ、と言われている。遅刻常習犯でなかなか決まった時間に現れない。しかし始業時間はルーズな彼らも終業時間については極めて正確だ。

外国のオフィスワーカーは、終業時間になると挨拶もそこそこ、サッサと帰ってしまう。日本人はどうだろうか。就業時間中は、ミーティングやら挨拶回りやらで時間を取られて仕事にならない…終業時間が過ぎてようやく「あぁ!これやっと思う存分仕事ができるぞ!」と張り切る、という業界があったりなかったり。

そういう「節目のない」日本人の性格が、音楽にも現れている…と思うのは、僕だけだろうか。 ─── 日本人は、音楽も、メロディーの始まりは正確だが、終わりははっきりせず、奥ゆかしく終わる。外国人は、メロディーの始まりははっきりしないが、終わりの地点は、とても正確だ。

日本語の発音には、はっきりした終わりがない。つまり日本語には節目がない ─── なんとも皮肉な話だ。

『節目』というのは日本文化の重要な概念だが、実際の所、本来の日本人の気質は、節目もなく、けじめもなく、ダラダラと止めどなく仕事をしつづけてしまう面があるのではないか。だからこそ自分を戒める為に「節目節目を大切に」と、あたかも自分に言いきかせるようにしつこく言い続ける様になったのではないか。

僕の縦乗り論は、日本の音楽文化を真っ向から否定しているように思われることが多いが、実は、「音楽も仕事もきっちり節目をつけましょう」という、極めて日本的なことを言っているだけなのではないか…と思ったり思わなかったり。

(つづく)

関連記事:65536

更新記録:
(Sat, 16 Jun 2018 13:34:28 +0900) 追記した。
(Fri, 02 Nov 2018 16:44:53 +0900) スマホ対策の為、静的に関連記事を追加した。
(Sat, 05 Jan 2019 05:59:57 +0900) 大幅に追記した。縦乗り横乗り比較のビデオを追加した。
(Tue, 08 Jan 2019 01:26:51 +0900) 2019年1月に追記した部分をやや書き加えた。
(Tue, 08 Jan 2019 02:44:17 +0900) タイトルを『日本語のイントロ』から『節目のない言語・日本語』に変更した。
(Tue, 08 Jan 2019 06:20:28 +0900) 縦乗りを克服しようシリーズのタイトル全面見直しを行った。
(Wed, 10 Apr 2019 02:23:14 +0900)タイ語の数え歌を追加した。
(Sun, 18 Aug 2019 14:06:49 +0900) 終乗りの例文を右寄せにした
(Sun, 22 May 2022 20:32:39 +0900) 表題を『節目がない言語・日本語』から『頭合わせと尻合わせの違いについて』に変更しました。

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




おかあつ日記メニューバーをリセット


©2022 オカアツシ ALL RIGHT RESERVED