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2018年8月24日金曜日

ジャズと揉み手 (oka01-elwfvbmvnsiptpkx)

日本のジャズと揉み手の不思議な関係について考えてみた。

まえがき

今月8月は、いろいろと苦悩した月だった。都内のあちこちのセッションに顔を出して、自分の居場所を探してみたが、どう考えても自分はシーンのなかで異端だった。どれくらいの距離を取って、どれくらいアピールをするのが効果的なのか、見えてこない。あまり激しくアピールすると、拒絶されてしまうだろうことも目に見えており、非常に悩ましかった。

以下は、この一ヶ月間に考えたことを散文的にまとめた文章になっている。結論ははっきりしない。だがとにかく現状のまま出してみようと思う。

なお、ここに出てくる話は、日本語のリズムと外国語のリズムの違いに対する話題が繰り返しでてくる。これらに関しては、次の記事で説明したので、あわせて参照頂けたら幸いだ。

何故、日本人は縦乗りなのか ─── 縦乗りを克服しようシリーズその1
縦乗りの起源・日本語のリズム ─── 縦乗りを克服しようシリーズその2
縦乗りをよく知る・縦乗りと裏縦乗り ─── 縦乗りを克服しようシリーズその3
日本語のイントロ ─── 縦乗りを克服しようシリーズその4

散歩に出た話


何となくぶらっと散歩に出た。田町まで行って、そこから六本木まで歩くことにした。何も目的はなかったが、六本木に来たら、以前よくライブを見に行った某Aというジャズの店で、あるR君という昔一緒に演奏したことがあるギタリストが出演していることに気付いたので、ぶらっと入ってみることにした。

僕が知っているR君は、ジョージ・ベンソンの完コピだった。久しぶりに見たら、カート・ローゼンウィンケルの真似などしていて、隔世の感があった  ─── お客さんはほぼ満員で大盛り上がりだった。

しかしバンドは、実に和風リズムだった。プレーヤーは全員非常にテクニカルで、目にも止まらぬ早業で楽器を操っている。だが聞いていると、どこからともなく、どーんどーんどーん!どっどんがどーん! という音頭(揉み手)のリズムが聞こえてくる。彼らは黒人音楽を非常によく研究しているので、色々な複雑なシンコペーションも駆使する。だがそれでも、聞こえてくる演歌のリズム。

裏から入っても、2・4を強調しても、8ビートを演っても、16ビートを叩いても、32ビートでも、64ビートでも、128ビートでも、256ビートでも... 恐らく65536ビートでも、『どどんがどん』は『どどんがどん』のままだ。音符の細かさは、その本質ではない。 どんなに音符が細かくても、必ず『演歌のリズム』の起点である1・3にリズム起点が戻ってくる。

僕はこれを聞いて、どうしても垢抜けないという印象が拭えなかった。だが客席は満席で、お客さんは皆、この「超高速揉み手」音頭を楽しんでいる  ─── これを見た時に僕が感じた違和感は、筆舌に尽くしがたい。「これ、ジャズじゃなかったの?!」

日本語のリズム

日本語のリズムは、日本語のあらゆる局面に埋め込まれている。全ての語呂合わせの言葉のリズムが

  • おいっちにーぃさーーーん! おいっちにーぃさーーーん!

になっている。これは別名「揉み手」とも呼ばれ、4拍子のうちの1拍目・3拍目で手拍子を打つリズムに基づいている。

  • とーんとっことんの!すっとーんとーーん! 
  • つくてん、つくてん、つくてんてーーん! 
  • えぇらやっちゃ、えぇらやっちゃ、よーいよーいよーい! 
  • こんぴら船々 追い手に 帆かけて シュラシュシュシュ 
  • いきはよいよい、かえりはこわい

これらは全て、1拍目3拍目に手拍子を打つ揉み手のリズムとフィットする。


だがこれらは、ジャズのリズムとは全く相容れないものだ。何故かというと、ジャズのリズムは、起点が2拍目・4拍目にあり、揉み手の真逆と言ってよい構成になっているからだ。


この曲のギターリフは、リズム起点が2拍目・4拍目にある為、日本人が聞くとリズムが『裏返って』いるように聞こえる。この『裏返った』感じが、およそアメリカの音楽の面白さの原点になっている ───  否、日本外にある全ての外国の音楽の面白さの原点になっている。米国だけでなく、中国・東南アジア・中東・北欧・南米・アフリカ… 全ての世界中の音楽の原点だ。

だが、日本人がロック・ジャズ・R&B・ファンク等々、外国が起源の音楽を演奏すると、執拗なまでに1拍目3拍目を強調する『揉み手リズム』に置き換えられてしまう。外国起源の音楽の良さを完全に損なってしてしまう。

これが僕には、とても気持ち悪く感じる。

エセ「ジャズ」の気持ち悪さ

僕が感じている日本のジャズの気持ち悪さは、筆舌に尽くしがたい。どのように気持ち悪く、何故気持ち悪いのか。それがどうやっても気持ち悪いジャズを演奏する人達に伝わらない。 だが最近僕は、非常によい説明の方法を思い付いた。

関西人は、関東人の喋る関西弁が気持ち悪いという。ちなみに僕は関東人だが、僕もエセ関西弁は気持ち悪いと思っている。

 ───  もしこういうシチュエーションがあったらどうだろう。

関東人が2人ステージにあがって、気持ち悪いエセ関西弁で漫才をやっている。

「そりゃちがうやろー」
「あかんやでー」

─── 客席には100人くらいの関東人が集まって大爆笑。大盛り上がり。

「おもしろーい!」
「やっぱり◯◯さんの関西弁は、本場大阪で鍛えただけあって、本格的よねー!」
「だよねー!」
「このノリさいこー」


 ─── 関西人がそんな状況と出くわしたら、発狂するだろう。

僕が日本のジャズを見ると発狂しそうになるのは、同じような感覚だ。

明らかに気持ち悪いエセのジャズを演奏しているのに、それに気が付かない同類があつまって、偽のジャズを本物と勘違いして、賞賛している。その違和感たるや、筆舌に尽くしがたいものがある。参照:エセ関東人の見分け方がおもしろ過ぎる件www

どんな関西弁が普通で、どんな関西弁が普通でないか、それを説明することはとても難しいものだ。だがそれでも、おかしな関西弁は、即座にはっきりと「それ」とわかる。

同じようにジャズも、どんなジャズが普通で、どんなジャズが普通ではないのか説明することは、とてもむずかしい。だがそれでも、おかしなジャズは、はっきりと「それ」とわかる。

東村山音頭化現象について

僕にとって、日本人が演奏するジャズは、もはやギャグだ。ふざけているとしか思えない。ふざけているのかなぁ...と思って僕もふざけると、確実に機嫌を損ねて怒らせてしまう。この不条理感たるや、筆舌に尽くしがたい。

その面白さは、若干古いが「東村山音頭」の面白さと似ている。



教会音楽というシリアスさが求められる場面で、おもわず音頭を歌ってしまうというシチュエーションの面白さ  ─── それが東京でジャズをやっているプロミュージシャンと重なって見える。『僕はジャズマンですよ?』『音頭なんか演奏したこともありませんよ?』・・・といいつつ、その手拍子に豪快な揉み手が入る。

おい!

これからスムーズジャズを演るぜ。

クックックッ 俺のビートのあまりの壮絶さに 小便チビるなよ…

行くぜっ!

ど ん ど ん ど ん ツ!

ど ど ん が ど ん ッ!

「どどんがどん」 自体に罪はない。だがジャズをやると言ったあとで、どどんがどんをやるというのには、それをギャグとして成立させる本質的な意外性がある。

僕は、10年以上日本から離れていた。日本に帰って2年くらい、ジャズの世界に戻ってきて1年くらいたった。都内のあちこちのセッションに顔を出すようにもなって、僕は何度も次のような状況を目撃した ─── プレーヤーが、あきらかに「どどんがどん」のリズムにのっかったブルースを演奏する。そのリズムでお客さんもミュージシャンも大盛り上がりする。で、外人のお客さんが隅っこに追いやられ「なんかすごいけど、ついていけんわー...」となって引きまくっている ───

ジャズをやるといいつつ、飛び出す「どどんがどん」のリズム。それはどう見ても明らかに「どどんがどん」なのに、それが全く無意識で、それが「どどんがどん」のリズムだと認識できない。

A:「♪どどんがどん!」
B:「今、どどんがどんって言いました?」
A:「いえ言っていません!ジャズって言いました!」
B:「そうですか。」
A:「♪どどんがどん!」
B:「どどんがどんって言いましたよね!」
A:「いえ、だから言ってませんって!」
B:「そうですか。」
A:「♪あそーれ!どどんがどん!」
B:「今、本格的にどどんがどんって言いましたよね!?」
A:「言っていませんったら! しつこいですね!」

まるでこういう感じだ。僕にはもうほとんど、不条理漫画の世界にしか見えない。


そこにいる10人以上のミュージシャン・リスナーの全員が、ジャズと称して「どどんがどん」を楽しんでいる。そこで僕が「このリズムは、ジャズじゃありません! それは思いっきり音頭です!」と叫ぶことに、何の価値があるのだろう。

僕はいつも、心の中で強烈な違和感を感じつつ、何も言わないで帰ってくる。

邦楽の魅力

「どどんがどん」の演歌・音頭(揉み手)には、何の罪もない。むしろ素晴らしい。問題は、違うところにある。ジャズをやるといいつつ「どどんがどん」をやるから、東村山音頭化してしまうのであって、演歌・音頭(揉み手)自体には、何の罪もない。

そもそも、日本語の持っているリズムには、ものすごく強いオリジナリティーがある。日本の音楽は、強力だ。



例えば、日本にはこういう素晴らしい音楽が、現代でも生き続けている。 この演奏は、まさしく本物の音楽だ。日本語のリズムの旨味を最大限に引き出した素晴らしい演奏といえる。

日本には、こういう世界の音楽と一線を画した、非常にオリジナリティーの高い音楽がたくさんある。

日本のジャズミュージシャンがおかしいのは、彼らが音頭(揉み手)を演奏しつつ、名目上ジャズミュージシャンを名乗っているところだ。 音頭をやるといって音頭を演奏するのは、気持ち悪くない。むしろ格好いい。だが東京のジャズミュージシャンは、いみじくもジャズミュージシャンを名乗っている。にも関わらず音頭を演奏しているのは、意外性がある。しかしその意外性を感じない人達が集い、実に楽しそうにジャズ風音頭を楽しんで満足気に帰ってゆく。

日本のジャズが面白くない本当の理由

更に踏み込んで言うと、東京の一等地で演奏している「どどんがどん」のジャズミュージシャンは、河内家菊水丸のように、卓越していない。ジャズ音頭ミュージシャンの演奏は、「どどんがどん」に変化や抑揚がなく、邦楽としてみても、実に味気がなく面白みがない。

日本のジャズが面白くない理由を説明するのに、これ以上の言葉は必要ない。

ジャズの持っている哲学的意義

ジャズとは「自分が誰なのか」を強く問いかける音楽だ。もし自分自身の持っている音楽が、「どどんがどん」ならば、どどんがどんに根ざした新しい音楽を作ればよい。だが、その自分の心のなかの「どどんがどん」の存在を否定してしまうと、それが心の中でわだかまりとなり、その後ろめたさが音楽に滲み出てきてしまう。

本来、それがジャズかジャズではないかなど、関係ない。それは単なる音楽であって、その内容は人それぞれ違っていい筈なのだ。

日本のジャズの不健全なところは、明らかに音楽としてのクオリティが低いにもかかわらず、『ジャズ』という過去の栄華幻想にすがっているだけで、それぞれの演奏者がその内容を真剣に考えていない所だ。 聴く方も『ジャズ』という過去の栄華幻想に酔っているだけで、音楽を聴いていない。

音頭とジャズの語法の違い

米国で生まれたジャズが、南米の民族音楽と融合して生まれたのがボサノバだ。ならば、ジャズと日本文化が融合して新しい音楽が生まれても、全く不思議はない。だがジャズが日本に持ち込まれて60年以上経った現在でも、それは実現していない。

南米の音楽とジャズが融合しえたのは、もともと南米の音楽と、ジャズが持っている基本的な語法が似ていたこともあるのではないだろうか。

日本の音頭リズムは、基本的な語法自体が違う。そのような音楽をジャズと混ぜる場合は、ジャズの語法をきちんと理解した上で、ドドンガドンの語法と混ぜあわせていく、という若干高度な技法が必要になってくる。

この語法の違いをもう少し具体的に説明すると、1拍目表と4拍目裏の扱い方の違いがあげられる。音頭ではメロディーの起点が必ず1拍目表に置かれる。つまり音頭では、1拍目の音を必ず演奏する。ジャズではメロディの起点を1拍目以外の任意の音符に置き、メロディーの終点を4拍目裏に置く。つまりジャズでは、1拍目の音符は大抵、演奏しない

音頭では、4拍目裏の音符を当然のようにその小節内の音符として扱うが、 ジャズでは、その4拍目裏の音を、次の小説の一部と考えて演奏する。この様に、ジャズと音頭では、1拍目表と4拍目裏の処理のしかたが全く違う。

本来、ジャズを演奏するならば、自分自身の存在の本質を常に問いかけられ、ジャズと音頭の違いを激しく問いかけられつづけることになる。だが日本人同士でジャズを演奏すると、揉み手のジャズを演奏する者同士で集うことになり、自分の存在の本質を問いかけられることなく、日々が過ぎていく。

日本でジャズのリズムの魅力を伝えるとは

ジャズのリズムは、魅惑的で衝撃的だ。もちろん揉み手(音頭・演歌)も素晴らしい。だが、今この場では、ジャズのリズムが僕の求めているリズムであり、ここだけは絶対に妥協できない。

だが関東近郊のジャムセッションに出撃すると、どうしても「大東京音頭大会」になってしまいがちだ。揉み手リズムを否定するようなことがあってはいけないが、ジャズの演奏中に「揉み手」が入ってくると、効果的にスピード感が落ちてしまうということも事実だ。
 
よって「揉み手」には、ある程度毅然とした対応をとることも必要になる。

もちろん音頭ビートを奏でる人の人格を否定する様なことがあってはいけない。だが演奏に揉み手が出てきてしまった ら、やんわりと「そうではないですよ」と演奏を誘導し、裏乗りに引っ張ってゆくことがどうしても必要だ。

具体的にいうと、若干音量を上げて、揉み手リズムの上から、裏乗りのリズムをかぶせて、揉み手リズムの存在を隠す。上から音声をかぶせてしまうというのは、失礼なことと思うかも知れないが、実際には往々にして揉み手リズムの人も、裏乗りのリズムを演奏しようと悪戦苦闘しているものだ。上からかぶせることでそっと手を差し伸べて裏乗りに誘導することで、バンド全体のサウンドを自然な裏乗りに誘導することができる。


カレー(ジャズ)にワサビ(揉み手)を入れたら、おいしくない。カレー(ジャズ)に入れるのは、唐辛子(スイング)でなければいけない。ワサビが不味いと言っている訳では決してない。だがカレーにワサビをいれても、絶対においしくない。

だが我が国日本では、カレーにワサビを入れる人が、後を絶たない。

カレーにワサビを入れる人を見つけたら、我々の美味しいカレーを守る為、体を張ってでも断固阻止する。ワサビを入れるなら、刺し身。そのためには、まず刺し身を用意しなければいけない。そこを理解してもらう。

全ては美味しいカレーを一緒に食べる為だ。

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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