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2018年1月17日水曜日

何故、日本人は縦乗りなのか ─── 縦乗りを克服しようシリーズその1 (oka01-qioaafwfeykuqiuj)

どん、どん、どん、どどんがどん。 どっどんがどんの、どんどんどん。

日本人は何故たてのりなのでしょうか。ロックやってもたてのり。クラシックやってもたてのり。ジャズやってもたてのり。バンドやってもたてのり。手拍子打ってもたてのり。ステップ踏んでもたてのり。かっこよくダンスしたつもりでたてのり。歩いてもたてのり。走ってもたてのり。 何をやってもたてのり。─── 日本人は、どうやってもたてのりから脱出できません。

縦乗りからの脱出。 これは日本人にとって永遠のテーマです。日本のミュージシャン達は激しくスイングする本物のグルーヴを求め、滝に打たれたり、長期間断食して生死の縁をさまよったり、燃え盛る炎を裸足で渡ったりします。しかしそんな命がけの努力も虚しく、依然として縦乗りから脱出することはできません。

しかしもうリズムを精神論で考える必要はありません ─── 日本人が何故縦乗りになるのか。これまでこの原理を正しく理解して説明することに成功した人はいませんでした。

私は12年に渡る海外放浪のなかで、この縦乗りの問題について私なりに答えを探してみました。今回はそこで私が気がついたことを様々な実例を実際に譜面に起こし目に見える具体的な形で説明してみたいと思います。

私はこの記事を本格的な演奏者を志す人、そして真剣に英語を習得したい方に捧げたいと思います。 ───  私が海外放浪中に気がついた最大の発見は、日本人が英語が苦手な原因と日本人の縦乗りの原因は全く同じだということです。そのことについて以下で順を追って見ていきたいと思います。

 


出だしの音は必ずしも表拍ではない

バダムツーという英語の表現があります。これはドラム音を模した擬声語です。コントショーなどでのオチが飛び出した直後にバックバンドのドラマーが叩くドラム音をあらわします。特に決まったスペルはありませんが、普通はBa Dum Tss と綴ります。

このバダムツーは日本人には理解しにくい面があるのかもしれません ─── バダムツーは英語圏の表現ですが、欧米だけでポピュラーだというわけでは決してありません。中国やタイほかのアジアの国々でも一般的な表現です。日本の外ではさほど珍しいものではありません ───  だけど日本だけで何故かあまり認知されていません。

この様な音です。

これを何か面白いことが起きた時に、演奏します。


 これは、日本語でいうところの「チャン・チャン」のようなものです。



※ チャンチャンをバダムツーと訳したセンスが素晴らしいと私は感じましたが、如何でしょうか。きっと英米人がチャンチャンを見てバダムツーと訳すことはあっても、日本人がバダムツーを見てチャンチャンと訳すことはなかったのではないかと私は思いました。

裏拍から始まるリズムを必ず聴き間違える日本人

私がここで申し上げたいことは、日本人は何故かこのリズムを正しく聞き取ることができないということです。

このリズムを譜面に書き表すと次のようになります。



だがこれを読む皆様はひょっとしたら次のように聞きとったのではないでしょうか。


だがこれは間違っています。

 ─── ここに日本人とそうでない人の大きな感覚の違いが見つかります。

(※ この部分の記述は2019年1月20日に加筆訂正されました。訂正についての経緯をこの記事で説明しました。)

外国のリズムは裏拍から始まる


日本人と外人はリズムの解釈が違います。 次のビデオを見て下さい。


Human Nature (Live At Wembley July 16, 1988)

この曲は、マイケル・ジャクソンのヒット曲『ヒューマン・ネイチャー』です。この曲の冒頭でマイケル・ジャクソンが「チーチキ・チーチキ」と歌っていますが、この記事を読んで下さっている皆様は、このリズムをどの様に聴き取りましたでしょうか。


この様に解釈されたのではないでしょうか。しかし曲が始まると間もなくこの解釈が間違っていることが明らかになります ─── 実は次のようになっています。


このように8分音符1つ分ずれた形でリズムが始まっています。


ここからわかることは、日本人はある音を聞いた瞬間、当然のようにそれを8分音符の表拍として認識しているところを、外人は当然の様にそれを8分音符の裏拍として認識しているということです。 

『リズムの解釈の違い』 ─── 私は海外の僻地で語学武者修行し10年で4ヶ国語(英語・タイ語・ラオ語・中国語のそれぞれ方言)を学んだのですが、この『リズムの解釈の違い』は、日本語から離れていく過程で常に念頭にあった事柄でした。その人の母国語が音楽の聞こえ方にも大きな影響を与えています。これは数ある日本人が外国語が苦手になる原因でも最も大きな要因ではないかと私は考えています。

アジア人はみな英語が苦手でしょうか ─── 必ずしも苦手ではない様です。私が放浪中に見てきたアジアの人々・・・タイ人・ラオス人・ベトナム人・中国人はしばしばさほど勉強しなくてもある程度の英語が話せるようになります。日本人以外のアジア人は、どんなに奥地に住んでいる人々でも、見様見真似で多少の英語を話すことができます。そもそも英語はそんなに習得が難しい言語ではありません。しかし何故か日本人だけが英語を見様見真似で習得することができません。日本人はアジアのなかでも特に例外的に英語が極端に苦手のようでした。

何故日本人だけ英語が苦手なのでしょうか。以下でその理由を考えてみたいと思います。

アジアでも日本だけが表拍から始める

次の曲は2014年頃にタイで流行していた曲です。

この曲は私がバンコクを放浪している時にタイで流行していた音楽です。大変に流行していましたが、世界的にヒットしていたという訳ではなかったようです。ある南米のDJが作った曲がタイ人の感覚に受け入れられて、タイだけで爆発的に流行していた曲のようでした。

私はこの曲を聞いた時に当然のように「ウォカ・ウォカ・・・」と言っているように聞こえたのですが、ある日私は、この同じ曲をタイ人が聞いたときタイ人は「カウォ・カウォ」と解釈しているらしいことに気付きました。

私はこの曲に興味を持ってしばらくの間、この曲の曲名を調べていました。しかしタイ語で「ウォカ・ウォカ」と検索しても全く見つからなかったのです。随分と長い時間を掛けて調べていたある日、偶然にこの曲がタイ語で「カウォ・カウォ」と呼ばれているということに気付きました。

この曲の作者の名は ウォカ( Mc Jair Da Rocha )といいますので、恐らくですがこの曲中で連呼している言葉は恐らくDJ本人の名前ではないか...と私は推測しています。 つまり解釈としては「ウォカウォカ」の方が正しいのではないでしょうか。しかしタイ人は当たり前のようにこの歌詞を「カウォカウォ」と認識していました。私にとってこのタイ人の聞き間違いはとても興味深いものでした。

日本人が日本語で「ウォカ・ウォカ・・・」と読み上げた時、タイ人はそれを「カウォ・カウォ」と聞き取ります。日本人とタイ人は同じ音に対して違った音として解釈しています。

民族音楽はそれを演奏する民族の言語と深く結びついています。実は日本の民族音楽(音頭や演歌)には弱起(アナクルーシス/アウフタクト)がありません。だがタイの民族音楽には弱起があります。

─── 世界を広く見渡して見るとむしろ弱起を持たない言語のほうがずっと少ないため、日本語を母国語とする人はしばしば日本語以外を母国語とする人たちが演奏する弱起のついた音楽が理解できない...という現象となって現れてきます。

日本人の勘違いによって変化したリズム

次のビデオは日本の1960年代のコメディー・クレージーキャッツのオチの音楽です。




これを譜面に起こしてみました。


始まりの音は弱起で始まっているが、終わりの音が弱起になっていません。本来は次のようにならなければいけない筈です。


この2つを比較してみましょう。


  1. 8分裏からメロディーが開始する点は認識していますが、メロディー全体のずれまでは認識していない。
  2. 4分音符1つ分早くメロディーが始まっている点が認識できておらず、オリジナルと比較して全体が4分音符1つ分ずれた状態で解釈している。
  3. 8分音符1つ分早くメロディーが始まっている点が認識できておらず、オリジナルと比較して全体が8分音符1つ分ずれた状態で解釈している。
  4. 小節末8分音符裏でメロディー終了すべきところが小節頭で終了している。

※ 私は、この部分の記述に関して2018年2月3日に訂正しました。訂正した理由は2019年1月20日の訂正と同様です。訂正の経緯に関して1月20日の訂正理由を説明した記事で説明しました。

このフレーズは、もともと40〜50年代のジャズのメロディーを模倣したものです。



もともとのオリジナルはこの様に裏拍を起点としたリズムを多様する音楽でした。それを日本人が模倣するとリズムの解釈を間違えリズムの形に変化が現れます。

この変化を理解するために、次のゴスペルミュージシャンの演奏を聞いてみたいと思います。


このミュージシャンはエディーハワードという教会(ゴスペル)のミュージシャンです。

彼が冒頭で弾いたメロディーを譜面に書き起こしてみました。

この様に全てのフレーズが必ず裏拍で終わっています。

海外のメロディーはしばしばこの様にかならず裏拍で終了します。

それは欧米の音楽だけではなくしばしばアジア各地の民族音楽でも見られる特徴です。

日本のミュージシャンだけが何故か執拗なまでに表拍で始まり表拍で終わります。

では何故日本の音楽には裏拍で終了する要素がないのでしょうか。
 

必ず表拍から始まる日本語のリズム

俳句が日本語の上で成立する最大の芸術であることは異論の余地がありません。

俳句のリズムを譜面に表すと次のようになります。


俳句のリズムは必ず表拍から始まります。これは日本語が持っている基本的な発音規則のひとつです。日本語が母語だと気が付かないものですが、世界の言語を広く見渡してみると発音のひとつひとつが全てが表拍から始まる言語はそう多くありません。日本語の発音のリズムは日本語以外の言語と大きく違います。この日本語の発音リズムが日本人のリズムの認識に大きな影響を与えています。

英語の文章の聞き取りをしているとよく気がつくものですが、英単語には先頭シラブルにアクセントがくる単語はあまり多くありません。多くの単語は2つめのシラブルにアクセントがきます。1つ目のシラブルは、ごく短く弱くしか発音しません。

このことは、外人に日本語の名前を読ませることでも観察することができます。
これは日本のアニメ「アキラ」の英語吹き替え版です。 アキラを欧米人に発音させると「アキーラ」と2つ目のシラブル(音節=英単語での発音上の単位)にアクセントが来ます。2つ以上の音節を持つ単語は、大抵2つめのシラブルにアクセントを置くのが慣例だからです。 だから「カネダ」は「カネーダ」、「タカシ」は「タカーシ」になります。このアクセントの置き方は日本語としては間違っているが英語のアクセントの置き方としては正しい。この様に世界的に見ると日本語のように全ての単語のアクセントが必ず先頭にくる言語はあまりないため、外人はしばしば日本語の表拍強調のリズムを正しく再現できません。

シュン・ヤマグチの正しい発音の仕方: 日本語ではヤマグチを頭にアクセントを置いて「ヤマグチ」と発音します。 しかし英語では通常頭にアクセントを置かずに2つ目以降の音節にアクセントを置きます。これは音楽(ジャズ)での裏拍から始まる弱起と同じ役割を果たします。

これが日本人の縦乗り(表乗り)の由来です。

※ 実際には英語のアクセントのルールはもっと複雑で、単純に2つ目のシラブルにアクセントが来るというような簡単なルールではありません。詳細については、ネット上にたくさんの解説があるので、参照して下さい。 英語のアクセントの10の法則シラブルとアクセントグーグル検索

必ず裏拍から始まる外国のリズム

では外国語のリズムとはどういうものでしょうか。それはスコッチ・スナップスと呼ばれています。スコッチ・スナップスとは『タンタ・タンタ・タンタ』というリズムを演奏する時、裏拍の「タ」と表拍の「タ」を「タラ」とくっつけて『タン・タラン・タラン・タ』と順序を変えて演奏することをいいます。このリズムがジャズのリズムの原型となった。次のビデオがとても参考になります。


これは元々はゲール民族ゲーリックと呼ばれる言語から英語に取り込まれた発音のリズムで、これが英語の発音方法に影響を与えていると言われています。英語以外にもゲーリックの影響を受けた諸言語はしばしばこのスコッチ・スナップスを持っています。このスコッチ・スナップスが中世以降に成立したクラシック音楽に影響を与えています。

日本語の発音は、海で隔てられていた環境で長い年月にわたって発展してきました。そして日本語は、それぞれ相互に影響を与え合ってきた欧米・中国・東南アジアとは全く違った形で別個に発展してきました。日本語を話す人々は、この様な海外の発音習慣に対して全く慣れを持っていません。

スコッチスナップスはロンバーティックリズムとも呼ばれています。

縦乗りリズムが引き起こす致命的な問題

見方を変えますと、言語が表乗りであることはとても個性的な特徴です。他の言語と違うからこそ、他の言語と違った発想で世界に貢献することができるでしょう。違うこと自体は決して問題ではありません。

ただひとつだけ問題が起こるとしたら外国起源の文化を模倣するときに大きな支障となるということです ─── 例えば、外国語を勉強しようとした時、或いはジャズやロックなどのリズムが強調された音楽を演奏しようとした時には問題となります。

縦乗りは英語上達の邪魔をする

縦乗りは、日本人が英語の聴き取りが苦手になる理由そのものです。

英語の単語によくある2つ目の音節にアクセントがくる単語を日本人が聞き取ろうとすると、日本人は裏拍として弱く発音される先頭の音節をほとんど必ずと言っていいほど聴きもらしてしまい、更に2つ目の音節を1つ目の音節と勘違いした状態で聞き取ろうとします。結果として、その後の全ての音節の解釈が矛盾してしまうことから、結果として全文を聞きもらしてしまいます。

例えば『フォトグラフィー』 という単語は、ファターグラフィー という様に、タにアクセントが置かれます。すると日本人には「ターグラフィ」というように聞こえてしまい「ターグラフィとは、なんぞや」と悩む結果になります。

他にも「ダーナルド(=マクドナルド)」「リース(ポリス)」「ヴァーナ(ニルヴァーナ)」などなど、よく知っている単語なのに、それがそれとすぐに同定できずにしばらく頭をひねります。

次のビデオを見て見てください。

日本人はしばしばこの曲の様に弱起の裏拍から開始する音を聞き漏らしてしまう様です。皆様はこのビデオを見たときにこの先頭の音を聴き取ることが出来ましたでしょうか。このビデオではその聞き漏らしやすい点に映像で目印をつけてあります。

  次のビデオは如何でしょうか。

 ─── 如何でしょうか。この様に文章の切れ目位置を間違って認識してしまうことによって、文章の中の重要な部分を聞き漏らしてしまい、結果として文の全体の意味がつかむことができなくなってしまうでしょう。

次の例はもっと複雑な例です。カーペンターズの名曲『スーパースター』のサビ部分の歌詞を御紹介します。

英語話者は、この様に常に日本人から見たときに8分音符1つずれた位置から文章を読み始めます。そして日本人はこの部分の音声を聞きもらしてしまうのです。そしてそのあとの音声解釈が全て矛盾した状態になってしまい、どんなに努力しても聞き取ることができなくなってしまうのです。

これは『ある音符を耳にした時、外人はそれを裏拍と感じるが、日本人はそれを表拍と感じる』という感覚の違いに深く根ざしています。最初の音符を裏拍と考える外人は、ある音符を聞いた時に裏拍がそこにはっきり聞こえなかったとしても「そこに裏拍があった筈だ」という推測が働きます。それと同じように『ターグラフィ』と耳にした時も無意識のうちに『ターの前にフォがあった筈だ』という推測が働いています。

  次のビデオは如何でしょうか。

この音楽は有名なバッハの「インヴェンション1番」です。この曲は休符からはじまっており裏拍が先頭になり1拍目で終了する『尻合わせリズム構成』になっています。日本人はこの音符を聞き取ることができないため、音符1つずれた勘違いしたメロディーとして記憶してしまうのです。 これも日本人が英語が聴き取れない理由と全く同じ原因で起こる問題です。

裏拍から始まるリズムはクラシック音楽ばかりではありません。これはつい最近(注:2023年時点で)流行した音楽 SchoolBoy Q の Collard Greens です。この曲は4拍目から始まりますが、この様に4分音符裏拍から始まるリズムを日本人は1つずれた形で認識して記憶してしまいます。

英語文化(欧米やアフリカ文化やラテン文化や東南アジア文化=要するに日本以外の多くの国)に、この裏拍から始まるリズムは無数に存在します。次の例は セロニアス・モンクの I Mean You です。

日本語には英語・ラオ語・タイ語・その他の多くの言語と全く違った特徴が多くあります。このことが原因になり、日本人が外国語を話すと知識の十分・不十分ということとは無関係に、外人から理解できるかたちで発音できないことが多いようです。

日本人はしばしば、訓練の十分・不十分ということとは無関係に、外人から理解できる形で文章を読みあげること自体ができません。

それぞれの母国語によって発音に癖が生じてしまうということは致し方のないことですが、日本人の場合はそれが癖というものを遥かに超えてしまい、全く理解すらしてもらえないという状況に陥ってしまうのです。

縦乗りはジャズ上達の邪魔をする

同様に音楽の演奏を行うときにも大きな支障が表れます。ジャズ・クラシック・ポップス・ロック・ファンク・R&B… 等々、現代の人が好む音楽はしばしば裏拍を強調するリズムを前提としてメロディーが構成されています。

これらの音楽はしばしば裏拍からリズムが開始します。この裏拍開始リズムを日本人が演奏しようとすると、その最初に聞いた裏拍を表拍と聞き違えてしまうことにより、常に1拍ずれた地点を演奏してしまうという非常に迷惑なクセとなって観察されることになります。この現象は日本人が外人と演奏した時に、特に顕著な問題として観察されます。つまり日本人にこの現象が発生している場面を外人から見ると、その場にいる日本人全員そろって1拍ずれていることに気付いていない恐怖の大迷惑軍団が出現している様に観察されます。

そしてこれが全ての音が執拗なまでに表拍から開始しつづけるリズム的になんのおもしろみもないジャズという結果となって現れます。

このように外国起源の裏拍から始まる音楽を日本人が演奏すると、日本語がもっている表拍から始まるリズムと衝突してしまい、外国起源の音楽がそもそも持っているリズムの面白さを損なってしまいます。 

縦乗りは演歌/音頭以外のリズムを腐らせる

ジャズやロックのように裏拍から始まる音楽では、ある音を聞いた瞬間にその音が何小節目の何拍目の属しているかを確定できません。その拍の位置として考えられる可能性は数通り存在します。(※ 裏拍は8分音符だけでなく4分音符2分音符全音符全ての音符に存在するからです。このことは後により詳しく説明致します。)つまり音を聞きながら音感上でいくつか仮説を立てて音感を使って考える必要があります。これが独特な緊張感を生みます。

裏拍から始まらない音楽は、始まる音は必ず最初の小節の最初の拍で固定されていますので推論する必要がありません。推論する必要がないので緊張感がありません。これが日本人のリズムが外人に退屈感を与える原因です。

音感上でその音が小節上のどの音か推論するとき、裏拍から始まる音楽では必ず裏拍から始まることを前提として推論します。裏拍から始まる音楽では裏拍から始まることを期待して聴き始めます。音楽が裏拍から始まらないということは絶対にありえないことであり、推論にあたっては裏拍から始まらない可能性は完全に除外して考えます。

─── つまり日本人が演奏する必ず表拍から始まる音楽は、外人を激しく落胆させてしまいます。  

日本人のリズムが外人に与える違和感を体感してみよう

日本人のリズムはそんなに罪深いものなのでしょうか ─── 決してそういう訳ではありません。それは単に語法の違いが生み出す違和感でしかありません。

ちなみに次のビデオは外人の方が演奏する演歌「ずんどこ節」です。裏拍から始まる音楽を表拍から始めるリズムで演奏する日本人のジャズはとても気持ち悪いリズムとして他者に響きますが、逆に、表拍から始まる演歌のリズムを裏拍から始めるリズムで演奏すると、揉み手手拍子が常にヌルッとずれており、とっても乗りにくく、とても気持ち悪い(…と少なくとも私は感じる)のですが、皆様はどのようにお考えになられますでしょうか。

日本の縦乗り音楽を横乗りで首をガンガン横に振りながら歌う彼ら。彼らの表拍は常にずれています。

いやそんなことない!外人が演奏する演歌も素晴らしい!とおっしゃいますでしょうか。

氷川きよしのずんどこぶしと比べて如何でしょうか。

カリッと歯ざわりのよいピタリと合った表拍。その確固とした基盤があってこそのゆったりとそれでいて躍動感を感じるコブシの聴いた歌声。1拍3拍の表拍から始まる揉み手の豊かな響き。表拍から始まる音楽の素晴らしさがここに極まっています。

このリズムの良さはジャズとは別物であって、そこにジャズを混ぜてしまえば違和感しかありません。

ジャズのリズムは演歌と真逆の語法を持っており、その語法を守らないリズムはその良さを残ってしまう…とそうお感じになりませんでしょうか。

外人さんが演奏する演歌として多少寛容に見ているからこそ、聴ける。だけど本当に対等な独りの日本人として向き合ったら、それを本当に許して受け容れる事は出来るでしょうか 。 いつまでも奇妙な外国語訛りを直せない彼らを町内会の役員として迎え入れることはできるでしょうか ───国際社会に立つ日本人も同じ立ち位置にいます。

そういえば日本の演歌にはジャズを飽くまでも演歌として解釈しなおした「ブルース」というジャンルもありました。

飽くまでも演歌としてジャズを取り込んだ音楽には、本格ジャズを目指したのに努力虚しく不本意にも演歌になってしまった現代の和製ジャズマンの様な歯切れの悪さなど当然ありません。


日本のポップス音楽は外人を失望させる

実は日本のポップス音楽は、世界的にもすこぶる評判が悪いものです。



この方は日本オタクで、日本アニメ好きが講じて日本語までマスターしてしまった方です。日本オタクで日本を極めても、日本の音楽だけは理解が難しいといいます。特にリズムが理解できない、という ─── 彼は基本的に、私がこれまで書いたことと全く同じことを言っています。これは彼個人の意見というよりは、日本人以外の人が日本人の音楽を聞いたときに誰もがしばしば思うことでもあります。

次の記事を見てみましょう。

日本人は何故ジャズが好きなのか (アメリカ公営放送NPRの記事)
日本のジャズ(英語版ウィキペディアの記事)

どちらの記事も日本ジャズに強く批判的な意見が書かれているのですが、そのことに日本人だけが気付いていません。

※ 反例として2020年ごろから山下達郎や竹内まりやの80年代の音楽が海外で流行していることを挙げる人もいるかも知れません。 しかし彼らが60年代のモータウン・ミュージックを緻密に研究しており、彼らの音楽はそのリズムに大きな影響を受けている点は指摘できるのではないでしょうか。

日本のポップス音楽は日本人をも失望させる

日本人はそういう日本人のジャズを楽しんでいるのでしょうか。否。日本人の演奏は、日本人が聞いても面白みを感じさせません。日本語の訛りが外国から来た音楽に影響を与え、それが日本独特の音楽文化として育っていくなら、それはひとつの新しい文化と言えるが、日本人の演奏を日本人の批評家が両手を挙げて賛同することは実際のところあまりありません。

何故なら、日本人は必ずしも縦乗りではないからです。

日本の伝統音楽は縦乗りではない

まず日本文化の代表として相撲の太鼓を見てみましょう。

日本文化代表の相撲の太鼓のリズムは縦乗りではありません。三連符のスイングがあり、裏拍の強調があり、かつ裏拍が先行しており、更に表拍のずれがあります。

日本の縦乗り音楽には分布の偏りがある

縦乗りの分布には地域的に偏りがあります。その為に日本各地の民謡を見てみましょう。


これは秋田の民謡です。聞いてみると縦乗りのリズムが少なく裏拍から始まるリズムが多用されていることがわかります。





これは津軽三味線の演奏です。この音楽にはジャズと同じアフタービートを織り交ぜた手法が駆使されています。3連符や16分音符のポリリズムなど複雑なリズムも多用されています。4拍目で間を空ける縦乗りのリズムは出てきません。


このビデオは福島県(伊達市)の太鼓まつりの様子です。鳴り物が8分裏でチキチキと鳴りつづける軽快なリズムが心地よく響きます。また「あそーれ、あそーれ」2拍目4拍目(アフタービート=裏乗り)に入るアウフタクトが特徴的です。それぞれ先行する8分音符によって装飾されています。4拍目で間を空ける縦乗りのリズムは出てきません。



これは『鹿児島三下り』という鹿児島の民謡です。縦乗り2拍子を基調にしつつもアフタービートが折り重なる複雑なリズムを持っています。



この『鹿児島小原節』は東京音頭の原曲となったことでも知られています。しかしここには『どどんがどん』の縦乗りリズムは出てきません。 一説によると『どどんがどん』は京都の花唄が起源だとも言われており、この鹿児島小原節と京都の花唄を混ぜたものが東京音頭となった、という説があります。(参考:大石始『お祭り好きの日本人なら知っておくべき、夏〜秋の風物詩「音頭」について』


宮崎県の民謡『正調刈干切唄』・・・全く異なる非常に複雑なリズム構成を持っています。


熊本民謡『おてもやん』・・・2拍ごとに8分音符先行して始まるアナクルーシスが使われています。これは南米のリズムと同じ手法です。これも『どどんがどん』の縦乗りリズムとは異なります。

越中おわら節は、装飾音的な弱起が多用されたリズムが特徴的です。これも縦乗りリズムとは異なります。


新潟の佐渡おけさは、2/4拍子を基調にしており民謡のなかでは「縦乗り」リズムに近いようです。しかし調べてみると非常に複雑な変拍子になっており6小節+8小節+10小節+間奏10小節の繰り返しでコーラスが作られています。歌詞の節目で切り替えているのかも知れません。詳細はわかりません。



このように民謡のリズムはしばしば非常に複雑で、決して単純な『縦乗り(2拍子オンビート)』ではありません。一般的に、民謡が盛んな地域ほど裏乗り(オフビートや変拍子)が強く、演歌/盆踊りが盛んな地域ほど縦乗り(2拍子固定オンビート)が強い傾向があります。

本当に厳密に日本の民謡を研究してみると、日本人は縦乗りでなければ乗れないという前提には大きな疑問が生じます。日本人のジャズマニアはしばしば裏乗りと縦乗りを非常に敏感に聞き分け、日本的な縦乗りジャズを本格的ではないとして批判的に見ていることが多いようですが、もしも本当に日本人が必ず縦乗りという特徴を持っているならば、この様な事は決して起こらないことではないでしょうか。

縦乗りを克服する方法

声出しオフビートカウント練習法

声出しオフビートカウント練習法とは、私が考案した練習方法です。即興演奏しながら声を出して8分音符1つ早くカウントするだけのとても単純な練習方法ですが、英語の聴き取りとジャズの即興のリズムの改善に顕著な効果があります。

しかしこの日本人のリズムの弱点をピンポイントで刺激する練習法は、実際にやってみると大変な苦痛をもたらします。私自身も最初に始めた頃は1分も続けることが出来なかった程でした  ─── しかし英語の歌詞の聴き取りに使うリズム感の使い方は、正にオフビートカウント練習をした時に辛くなる感覚そのものです。

現段階(2022年10月13日追記時点)ではまだ、わかりやすい練習方法の解説が完成していませんが、いくつかのテキストを作成致しました。

オフビートカウントの方法 ─── 縦乗りを克服しようシリーズその15

オフビート・カウントの初歩 ─── 縦乗りを克服しようシリーズその31

オフビートカウント実例

※ このビデオの中では歴史的な背景によってオフビートカウントではなくイクウェイトリアルカウントと呼ばれています。後に私はこれをオフビートカウントと名前を変えました。

応用例

日本人も聴かない縦乗り日本ジャズ

都内のどこもガラガラのジャズバー『日本人はジャズが理解できないからな』とうそぶく日本人ジャズマン ─── そんなジャズがお嫌いな日本人も、外国から来たジャズマンのライブは見に行きます。『日本人は外国から来たものは何でもありがたがるから仕方がない …。』 本当にそうでしょうか  ─── 日本人のジャズを日本人が聴きにこない理由は、日本人のジャズが縦乗りだからではないのでしょうか。

演歌の良さもない ─── かと言ってジャズの良さもない。そんな音楽を誰が聴きに行くでしょうか。

日本人のジャズは、しばしば日本人も聞きません。当然外人も聞きません。つまり日本の縦乗りジャズは、しばしば単なる演奏者の自己満足でしかない... と結論付けることもできるかも知れません。

音楽のリズムと言語は密接な関係があります。日本語が持っているリズムには、あまりにも独特過ぎるために、日本人以外の誰も理解できない要素が含まれています。しかもそれは必ずしも全ての日本人が理解できるものではありません。

この縦乗りリズムの問題は、自分の考えを日本から海外に向けて発信する為には元より、日本国内に向けて発信する際も尚更、必ず打破しなければいけない巨大な壁のひとつではないでしょうか。

私はそういう思いから『縦乗りを克服しようシリーズ』 と銘打ち、縦乗りを克服する為の具体的な方法について考えて記事としてまとめさせて頂きました。 もし宜しければ御笑覧頂けましたら幸いです。



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更新履歴:
「ノリ」を「乗り」に表記統一した。(Tue, 06 Mar 2018 05:11:38 +0900)

タイトルを『何故、日本人は縦乗りなのか』から『縦乗りを克服しようシリーズその1・何故、日本人は縦乗りなのか』に変更した。(Sun, 18 Mar 2018 21:11:50 +0900)

『リズムの解釈の違い』について追記した。(Mon, 25 Jun 2018 21:42:04 +0900)

『アナクルーシス』について追記した。(Mon, 25 Jun 2018 21:45:08 +0900)

ビデオのリンク切れを修正した。 『フォトグラフィー』の記述の前後を若干加筆訂正した。(Thu, 01 Nov 2018 23:17:36 +0900)

スマホ対策の為、静的に関連記事を追加した。 (Fri, 02 Nov 2018 16:44:53 +0900)

ビデオのリンク切れを修正した。(Mon, 07 Jan 2019 07:41:02 +0900)

縦乗りを克服しようシリーズのタイトル全面見直しを行った。(Tue, 08 Jan 2019 06:20:28 +0900)

冒頭のバダムツーの譜面を訂正した。(Sun, 20 Jan 2019 15:45:34 +0900)

最終章『表乗りの何が問題か』を『縦乗りの何が問題か』に変更した。若干の加筆訂正を行った。(Sun, 03 Feb 2019 11:40:33 +0900)

クレージーキャッツのオチの音楽を採譜しなおした上で加筆訂正を行った。(Sun, 03 Feb 2019 14:24:05 +0900)

章題レベルを変更した。(Sun, 03 Feb 2019 16:10:30 +0900)

『アジア人のなかでもかなり変わっている日本』の結論分を若干加筆訂正した。 (Tue, 05 Feb 2019 12:56:49 +0900)
 
『リズムのおもしろさ』がない理由/『日本のポップス音楽は外人を失望させる』『日本のポップス音楽は日本人をも失望させる』の3章を追記した。(Tue, 09 Apr 2019 22:34:08 +0900)

後半で民謡のビデオを3つ追加した。音頭の由来へのリンクを追加した。(Thu, 11 Apr 2019 07:19:13 +0900)
 
福島県の太鼓祭りのビデオを追加した。(Thu, 25 Apr 2019 12:11:03 +0900)

カシワデ・ファンクのビデオを追加した。(Wed, 19 Jun 2019 16:58:55 +0900)

スコッチスナップスに関する記事を追加した。(Sun, 02 Feb 2020 17:01:30 +0900)
句読点を修正した。ビデオのリンク切れを修正した。(Sat, 27 Feb 2021 15:54:00 +0900)

Human Nature (Live At Wembley July 16, 1988) という引用元を表示した。(Mon, 03 May 2021 19:27:39 +0900)

だである体からですます体に変更しました。 (Sat, 01 Jan 2022 22:51:51 +0900)

文末表現を若干修正しました。(Sun, 02 Jan 2022 16:14:04 +0900)

段落見出しを改良し加筆訂正を行いました。 『日本人のリズムが外人に与える違和感を体感してみよう』を加えずんどこ節のビデオを追加しました。 (Wed, 11 May 2022 23:36:23 +0900)


最終章を『縦乗りの弊害』から『日本人も聴かない縦乗り日本ジャズ』に変更し、加筆訂正を行いました。 (Thu, 12 May 2022 12:45:29 +0900)
細かな語尾の訂正等々の加筆訂正を行いました/ケルト民族のゲーリック語→ゲール民族のゲーリックに修正しました。あるフィドル奏者のビデオで『ケルト語にはスコッチスナップがない。』という発言を見つけた為。 (Mon, 16 May 2022 09:10:36 +0900)
語尾を修正しました。事柄だった→ 事柄でした /深かった→深いものでした (Sat, 28 May 2022 18:19:19 +0900)
ですます体の間違いを2つ修正した。 (Sun, 18 Sep 2022 22:21:09 +0900)

シュンヤマグチのビデオを追加しました。(Wed, 12 Oct 2022 13:04:08 +0900)

オフビートカウント練習法の記述を追加しました。 (Thu, 13 Oct 2022 09:29:58 +0900)

オフビートカウント練習法の記述を追加しました。 (Thu, 13 Oct 2022 09:29:58 +0900)

アキラのビデオがリンク切れになっていたものを修正しました。(Tue, 18 Apr 2023 20:44:27 +0900) 

ハイスクールミュージカルのビデオを追加しました。(Tue, 18 Apr 2023 21:18:59 +0900)

テープマシーンのブーメランのビデオを追加しました。(Tue, 18 Apr 2023 21:25:34 +0900)

エディーハワードのビデオをYouTubeのビデオからTwitterのビデオに入れ替えました。 (Sun, 08 Oct 2023 16:21:02 +0900)

ずんどこ節のリンク切れを修正しました。(Sun, 08 Oct 2023 16:51:51 +0900)

正調刈干切唄のリンク切れを修正しました。(Sun, 08 Oct 2023 23:19:38 +0900)

We're All in this to gether のツイッター動画が壊れていたので、リンクを入れ替えました。 (Wed, 01 Nov 2023 22:36:07 +0900)

カーペンターズ『スーパースター』を追加した上で周辺を加筆訂正しました(Fri, 03 Nov 2023 10:14:19 +0900)

バッハのインベンションを追加し周辺に加筆訂正を行いました。(Fri, 03 Nov 2023 10:20:50 +0900)

SchoolBoy Q - Collard Greens と I Mean You を追加しました。(Fri, 03 Nov 2023 10:29:37 +0900)

大相撲の太鼓へのリンクを追加した上で加筆訂正を行いました。(Sun, 19 Nov 2023 16:11:36 +0900)

ビデオサイズを 560x315で統一しました。(Sun, 19 Nov 2023 16:45:27 +0900)

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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