僕はこの10年間というもの、タイの地方農村地帯を中心にずっと海外生活を送ってきた。2016年10月、僕は諸事情により日本に帰ってきた。もう絶対に日本には帰らない覚悟でいたので、この10年間は、帰らないとなると、必ず必要になる語学などの技能を片端から順番に身につけてきた。
だが日本に置いてきたものは大きく、放置できないものばかりだったので、やむを得ず帰ってきた。予期せず帰ってきたが、帰ってきたことで、ものすごく多くのものが見えるようになった。
その最たるものは、西日本人と東日本人の見分けがつくようになったことだ。
西日本人の見分け方
これは僕がタイでいろいろな少数民族の人とつきあうなかで身につけたサバイバル技能・「民族当てクイズ」を応用したものだ。難しく聞こえるかも知れないが、要するに顔つきや方言などを見て、その人の出身を当てる技能だ。色々な民族の人たちが混在する地域に住んでいる大陸人は、誰もが日常的に当たり前のようにやる習慣だ。何故か日本人にはこの習慣がほとんどない。だが、日本でもある種の人たちは、やっている習慣だ。その見分け方は、いくつかあり、それぞれ、なかなか説明が難しい。どの方法を使っても、百発百中で当てることは絶対に不可能なのだが、例えば、顔の特徴「目の下の出っ張り」というような特徴に関して注目したとき、 出っ張りのある人は8割がた西日本人/ない人は8割がた東日本人・・・というような、確率的な違いがあるので、大まかな傾向を予想することができる。
それで気付いたのだが、関東は西日本人だらけだ。特に都心に行くと、9割方が西日本人と断言してよい。
だがどうやら面白いのだが、その事実に西日本人も気付いていないようなのだ。その理由も単純なようだ。西日本人はほとんど東日本人を見たことがない。何故なら、東京にいる人の大半が西日本人だからだ。東日本人は関東に多いが、住んでいる場所が限られている。特に、都心にはあまりいない。関東ネイティブ人は、もっと場末の土地価格の安い地域に住んでいる。
僕はそんな「東京土人」の多く住む地域で育った。東京土人は(決して全員がそうだとはいわないが)、しばしば、乱暴で、怠惰で 、排他的で、下品で、不真面目で、言葉遣いが荒い。そういう「土人」を身近で見て、散々に呆れている僕から見ると、東京にやってくる西日本人はしばしば、高学歴で物腰が柔らかく真面目だと感じる。
よって関西人がいくら「関東人」のふりをしても、関東人と見間違えることはない。関西人がなんといおうと、そこは変わらない。
それはともかくとして、僕は子供の頃からずっと、東京で生活するなかで、周囲の人たちから、意味不明な漠然とした敵意を感じていた。だが、僕が西日本人と東日本人の区別が出来るようになって以来、ピタリと敵意を感じなくなったのだ。
と同時にいろいろなことを思うようになった。
東日本で育った西日本人
まず最初に言わなければいけないのは、 僕は基本的に西日本気質が強い、ということだ。何故なら僕の家柄は西日本系だからだ。正確には100%西日本ではない。だが50%程度は西日本だ。また、僕の基本的な感性(何事につけオチがないと気がすまない性格・大雑把で細かいことが嫌い・ノリ重視・人間関係重視・等々)は、西日本的な要素と言わざるを得ない。僕は、『無口』『神経質』『我慢強い』『不器用』・・・といった東日本的な気質をあまり持っていない。僕は小さい頃から、「お前は変わっている」と言われ続けてきた。特に僕は非常によくしゃべる人なので、 「よくしゃべる」という特徴だけで「変わっている」という評価を受けてしまう。東日本人の特に男は、あまり喋らない人が多いのだ。
ここでもはっきり言わなければいけないが、関西で「お前は変わっとる」といえば、それは一種のほめ言葉でもある。だが関東で「お前は変わっている」という表現は「お前とつきあう価値がない」という言葉とほぼ同義だ。「お前は変わっている」と宣言されてしまうと、次回話しかけても返事が返ってくる可能性は非常に低い。
僕は生まれてからずっと、関東の人々に違和感があった。「何故、人々は歩行中に全く人を避けないのか」 「何故人は笑わないのか(東日本だと笑いを取ろうとすると不まじめだとして怒られることもしばしば)」等々、等々、自分が生まれた場所なのに、自分と全く違うことにいつもいつも、強い違和感を感じてきた。
僕は、周囲の人達のしぐさ習慣に違和感を感じるだけでなく、そもそも、自分が話す関東弁自体に違和感がある。僕にとって関東弁は母語だ。母語であるにも関わらず、話していて、まるで自分の母語ではないような強い違和感がある。
30も超えてから、あるきっかけで、僕は、四国にある我が家の本家を訪れた。するとそこには、「コテコテ」の関西人(※1)がいた。それを見た時の衝撃は、筆舌に尽くしがたい。
「俺は関西人だったのか!」
その時はじめて、僕は子供の頃からずっと西日本と東日本に挟まれて二枚舌を強制されていた、ということに気付いた。
手を上げれば「手を上げるな」と怒られる、手を下げると「手を下げるな」と怒られる。何をやっても必ず怒られる。それは何故なら、価値観が正反対な西日本人と東日本人が、両方共、僕の生活圏で共存していたからだ。
笑いを取れば「不真面目だ」と怒られる。笑いを取らなければ「固すぎる」と怒られる。 愛想笑いをすれば「媚びへつらうな」と怒られる。愛想笑いをしなければ「気遣いがなさすぎる」と怒られる。 喋れば「喋り過ぎだ」と怒られる。喋らなければ「黙りすぎだ」と怒られる。
そういう混乱のなかで、僕は育った。そういう混乱が僕の日常だった。
※1・・・もちろん四国は関西ではないが、その親戚は、関西に住んでいた時期が長く、四国人だがコテコテの関西弁だった。また僕はしばしば西日本全体を関西と呼ぶことがある。これが西日本人に違和感を与えることはよく知っている。だが、ここでいう「関西」とは、関東から見ると、異なる文化圏の西日本にあって、飽くまでも関東とは全く違う文化を持っている... というような広い意味での「関西」だ。
関西人の混乱
僕が、西日本人と東日本人の区別がつくようになった最近、ようやく気づくようになったのだが、東京にいる西日本人は、例外なく、東日本的な気質に嫌悪感を持っている。そして、その嫌悪感にどう対処すればよいのかわからずに、とまどっている。そういうことが、ようやく見えるようになってきた。僕が東京生まれで、東京育ちで、 東京で大人になり、東京で仕事をした・・・にも関わらず、僕が常に感じていた、東京の人に対する違和感。これと同じものを関西人が感じているらしい、ということにようやく気付いたのだ。
生まれてからずっと、1日24時間毎日闘い続けてきた『関東に対する違和感』。関東歴40年を超えてもこの違和感は消えない。この強烈な違和感は、西日本から東京に上京して2〜3年で慣れるような生半可なものではない。
内なる関西と関東の和解
ではどうすればいいのだろうか。関東への違和感。これは外国に住んで感じる違和感と同じで、寛容に許して受け入れる以外にない。僕の場合、僕にとって自分の出身である東京の人と話すよりも、僕にとって外国であるタイ奥地の農村に住んでいる人の方が、むしろ違和感が少ない。大陸人の感受性のほうがはるかに、僕に近い。同じタイミングで、同じことを思うので、わかりやすい。だが関東人は、完全に僕の理解を超えている。関東人は、僕から見ると、全く違うタイミングで、全く違うことを考える。話し合っても全く話が噛み合わない ─── だがそれういう違和感を許して、受け入れるしかない。
全く異種の人間同士、お互いが感じる違和感を、お互いに許し合って、お互いの苦手要素を補完しあう。同類の集合では絶対にできない、大きなプロジェクトを実現していく。 それが首都に住む醍醐味ではないだろうか。
僕がタイの奥地で10年間、武者修行して気付いたこと… それは、僕には関西と関東を橋渡しする能力がある、ということだ。これは、(両方の感性を同時に持っている僕には全く想像もつかないことだったのだが)稀にみる特異(レア)技能なのだ。
余談
普段は、何度も読みなおして推敲してから公開するのだが、今日はビールを飲んで酔っ払っているので、そのまま公開しようかなと思う。完璧にしてから公開しようとすると、どうしても書き上げるまでに2〜3日の時間が掛かる。すると公開する頻度が下がって、ネタの鮮度がどうしても下がってしまう。これはこれで、問題だ。さて… 東京は、パッと見、景気がいいように見えるが、実際には、みんなあまり仕事がうまく行っていないようだ。東京をブラブラしていると、人々が理由なく怒りっぽかったりするし、意味不明な理由で怒られたりする。そういう機会が増えた。
だが、こんな時だからこそ、僕はタイでやっていたように、とにかく笑顔で全てを許そうと思う。
東京で、どこまで「タイ風」で貫き通せるのか。それが恐らく、僕の今後のチャレンジになるのだろう。
そしてそれは、僕が今後、東京で再度仕事をするに当たっての最重要課題になるだろう。
更新記録:
(Tue, 11 Jul 2017 02:31:24 +0900) 関連記事表示の自動化を行った
(Tue, 11 Jul 2017 16:08:06 +0900) 文法間違い等々の訂正を行った。
(Wed, 12 Jul 2017 16:56:31 +0900) 文法間違い等々の訂正を行った。