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2016年9月2日金曜日

エセ関東人の見分け方がおもしろ過ぎる件www (oka01-dhhvqpkdjbmzqbvu)


最近関西弁をしゃべる関東人を揶揄したネタが流行している。関東人が関西弁を喋るのは気持ち悪いというのだ。 僕はこれを見てほとんど憤怒に近い激しい怒りを感じた ─── お前らのヘタクソな関東弁が気持ち悪くないとでも思っているのか?

関西人の残虐性について

この様なウェブサイトがあった。
 

http://vicul.net/archives/15394


2016年現在ネットを検索するとこの様な関西弁をしゃべる関東人をおもしろおかしく揶揄しているブログが無数に見つかる。

僕はこれを見てほとんど激怒に近い感情を持った。これを見て僕が感じた不愉快感は筆舌に尽くしがたいものがある。

だが恐らく関西出身の人間は僕が何故怒っているのかわからないだろう。

関西人はいう・・・「まま、おもろいもんは、おもろいんやし。」

─── それはそうかも知れない。

ところで僕が感じた不愉快感だが、実は関西人でも簡単に理解する方法がある。逆にすればよいのだ。

実際に逆にしたものをコラージュで作ってみたので以下で見てみる。


目も覆わんばかりに残虐な記事が出来上がった。 これは酷い。あまりにも酷すぎる。だがこれと同じことを関西人は言っているのだ。自分が言われて嫌なことは他人にも言ってはいけない。

ちなみに関西人が話す関東弁に強い違和感があるということは事実だ。

だが僕にはそういうことは『いいっこなし』だろう、という感覚がある。それは恐らく僕だけではなく大半の関東人がその感覚を持っているのではないだろうか。何故なら関東には日本中から人が集まっているからだ。皆それなりになまっているのが当然だ。いちいち気にしても仕方がない。関東弁に違和感があるのは関西人に限ったことではない。関東人は関西人の話す違和感の強い関東弁を聞いてそれが気持ち悪いと思っていてもそれを口に出すことはない。

何故関西人が気持ちの悪い関東弁を話しても文句を言われないのに、関東人が少しでも関西弁を話すと「きもちわるい」等々散々に批判を受けるのだろうか。

エセ関東人の発見

僕は関東生まれ関東育ちだ。関東・東北人の極端な排他的な気質を身近な体験として知っている。関東人の執念深く無口で口下手・陰険といった気質に散々傷めつけられていた僕は、関西人におおらかで話上手で仲良くなりやすいという印象を持っていた。僕には関西に対する漠然としたあこがれがあった。

そんな僕はツイッターで次のようなツイートが流行しているのを見てとても残念な気持ちになった。


僕にはどれひとつとして意味がわからない。

これらのツイートを見て僕は非常に残念な気持ちになった。何故残念な気持ちになったのか自分でもよくわからなかったが、とにかく非常に残念な気持ちになった。

残念な気持ちになったがそれは仕方がないことだ。そう思っている人がたくさんいるという事実は受け入れなければいけない。

それはさておき、これはひょっとして全く同じネタを関東に置き換えることができるのではないか?と思い立った。というのも関東ローカル=関東だが全国区ではないという世界は実は沢山あるのだ。 関東ローカルネタは関東が地元の人間にしかわからないので、職場や大学などで話題としてだすのはふさわしくない。

・・・ふさわしくないのだが、そこを敢えて僕はこれらのツイートの『エセ関東人を見分けるネタ』を作ったらどうなるだろうか? と思い立ち、実際に作ってみた。それを以下で見てみたい。


思いつく限りの関東ローカルネタを並べてみた。僕個人的にはなかなか良い出来だと思っている。どれも微妙に懐かしく、昔の色々な古き良き思い出がふつふつと浮かび上がってくる感じがして、面白い。僕個人的にはどれもこれもなかなかのお気に入りだ。(尚それぞれのネタの出展がわからない場合はツイートをクリックしてスレッド表示に変更すると良い。そのネタの出展がツイートのリプライ上で解説されている。)

これは面白い! 『リツイート1000は間違いないぞ!』と僕は思った ─── だが予想に反して反応はほとんど皆無だった。皆無どころか微妙な反感すらも買っていることも感じた。

あまりにも意外なことで何故だかさっぱり理解できなかった。というのも僕の読者は大半が関東在住なのだ。


上記はツイッターが公式に用意しているフォロワ分析ツールによる分析結果だ。これによると僕のフォロワは大半が関東在住だとわかる。僕のツイートにリプライをくれる常連は大半が近畿四国九州の方々だ。だが実際にそれを読んでいる人たちは関東在住の方々だということがここからわかる。

「関東人なのに何故、関東ネタに反応しないのか。」

僕はここでハッとした。

ここでようやく初めて僕は気付いたのだ。 彼らは関東在住だが関東人ではない ─── ここで初めて僕は自分が『裸の王様』になっていた事に気付いたのだ。僕が関東人だと思っていた方々の大半は実は関東人ではなかったのだ。 彼らは『エセ関東人』だったのだ。

軽い冗談のつもりで作ったネタだったが予期せず大変な嘘を暴いてしまう結果となった。

このことに気付いて僕はひどくがっかりした。関西人は関東人の仲間入りしたいと思っているくせに関東人を関西人の仲間に入れるつもりはさらさらない... という事がはっきりしたからだ。

意外と排他的で冷たい関西人の性悪さを思った。

※ 『エセ関東人』は大抵関西人(≒西日本人)だ。何故かというと関東人と東北人は(勿論人にもよるが)気質的に近く東北人(≒東日本人)が言葉を関東弁に直すと(勿論人にもよるが)比較的関東でもよくいる感じの人になるからだ。また恐らく北陸は地域によって大きく異なり、西日本・東日本と単純に割り切れない面があると思われる。詳細は別紙に改めたい。



『エセ関東人』の存在 ─── この発見は僕の考え方に大きな影響を与えた。

参照:おかあつ日記・何故ネットは炎上するのか───和製アナーキストの限界

大抵、ある人を見た時しばらく観察することでその人が『どこから来たか』を知ることができる。だがこれには大きな『例外』がある。何故『例外』が生まれるのか・・・ 僕は非常に長い間その例外が生まれる理由がわからずに悩んでいた。

例えば、東京地元人は(勿論地域によって大きな違いが存在するものの)微妙な言い回し、通じる常識の違い、関東ローカル弁を話すところや、地元の人しか知らない道を知っていることなどから『東京地元人』と見分けることができる。

また関西弁を直さない=直す気がないというタイプの関西人も多いが、このタイプは当然すぐに関西人とわかる。また東北人もその独特な気質から比較的すぐに東北人とわかる。九州の人は大抵自分の出身を隠さない。

─── だが、どこから来たのかさっぱりわからない、何を考えているかさっぱりわからない人たちが沢山残るのだ ─── 残りの人は一体どこから来たのか?  ─── 関東人のようで関東人でない。関西人のようで関西人でない。明らかに東北人でもない。北陸とも違う。四国とも違う。九州とも違う。彼らは一体何者なのか ─── それは僕の人生の最大の謎でもあった。

その『ダークマター(謎の暗黒物質)』の正体。それが関東人の真似をした関西人=『エセ関東人』だった。

東北人と関西人の違い

この『エセ関東人』について論じる前に、まず日本国内でもあまり知られていない東北と関西の大きな気質の違いの存在について、説明したい。

東北人も関西人も大半の人が気づいていないが、関西人と東北人は(勿論人にもよるが)外人同士なみに気質が違う。だが、この致命的なまでに大きな違いが存在することを何故か東北人と関西人の両方が納得しない。

東北の人らは(勿論人にもよるが)一般的に我慢強く勤勉で作業が非常にきめ細かい。最悪に怠惰な人間でも(勿論人にもよるが)ある程度の勤勉さがあるのが普通だ。恐らく厳しい気候がそういう生真面目さを要求するのではないか。もちろん関西にもきめ細かい人はいる。だが東北の人たちの極端なきめ細かさを見た後では「東北の人ほどではない」と言わざるを得ない。

また、東北の人らの他人に対する執着のレベルは(勿論人にもよるが)関西とは比較にならない程高い。西日本人が「まぁそこまで言ってもしゃあないわ」というレベルを軽々と凌駕した点まで他人に指図したがる。非常にしつこい。

何でも真正面から取り組んで問題を解決しようとする東北人に対して、その問題に正面から取り組むことなく、なんとか回避しようとする関西人。何でも言われたことを真に受ける東北人と、基本的に人の話を聞いていない関西人。

他にも沢山の特徴的な違いがある。

これだけ違いが大きいと関西人がいくら東北人/関東人の真似をしても(勿論人にもよるが) 全く似ても似つかない。

僕がこうやって説明しても大半の関西人が「はは!そらさすがにいいすぎやろ!」といって信じない。だが実際に目の当たりにすると例外なく「うわ!ほんまや!」と青ざめる。

大半の関西人は東北人を見たことすらない。同様にして大半の東北人は関西人を見たことすらない。よってお互いがお互いの違いを知らない。

僕は関東育ち関東生まれだが100%関東人ではない。僕の血筋には合計すると30%〜40%程度は西日本の血筋が入っているらしいのだが、詳細ははっきりしない。いずれにせよ子供の頃から身辺で関西人と東北人を同時に見てきた。関西人と東北人の『大きな違い』 を日常的に経験してきた ─── むしろ関西人と東北人の板挟みになって常に二枚舌を使うことを強制されてきた...といっても過言ではない。

よってそこで見聞きしたことを誰でも解るように丁寧に説明しようと思うのだが、しばしば東北人に関西人の気質を説明するのは非常に疲れる作業であり、同等かそれ以上に関西人に東北人の気質を説明するのも非常に疲れる作業だ。

※ 関東人は東北が混ざって東北の気質を受け継いでいる人が多い為、関東人と東北人の基本的な気質は近いところがある。ここで『東北』と言った場合、多分に『関東』も含んでいる。

※ 『勿論人にもよるが、関西人と関東人は似ても似つかない』・・・ 例えば実際に僕の側近に多い『悩みがち』な関西人の話を聞いていると、しばしば「もし彼が関東で生まれ育っていたならまず間違いなくこんなに激しく悩まなかったろう(=関東だったら全然普通)」...という人がよくいる。彼らは関西では少数派で、しばしば虐められている。 ───  「◯◯人は☓☓だ」という話は飽くまでも『頻度』の話であって、究極を言ってしまえば、日本人の先祖は全員それぞれ異なるとしか言いようがない。日本では全ては人による ─── これは日本外の大陸人と比較すると恐ろしく奇妙なことだ。大陸人は皆それぞれがどこから来たか比較的はっきりしている。

キモい粘着質な関東人

僕が見ていて面白いと思うのは、関西人はしばしば関東・東北人を見たときに『粘着質』『キモい』といってバカにすることだ。ひょっとしたら関西人の方は相手を関東人・東北人と意識していないかも知れない。だが客観的に観察していると、関西人が『キモい』という言葉を投げかける相手は(勿論、例外も多いが)しばしば関東人・東北人だ。

関東人・東北人は(勿論、人にもよるが)基本的にしつこくて粘り強いのが普通なので、それに違和感を感じたり、それを批判したりすることはあまりない。よって他人を見て『キモい』『粘着乙』という感想を述べることもない。つまり『キモい』『粘着乙』というようなフレーズを多用する人はしばしば、関西人だ。

この『キモい』という言葉には気持ち悪いという意味合い以上の意味合いが込められている。それを以下で見てみる。


・関西的内向性

僕が関東人の視点から関西人を見ると「ちょっとあきらめが良すぎない?」と思うことは少なくない。『粘着質』『キモい』というのはひとつの才能でもある。これを関東弁では『粘り強い』という。 また『粘着質』でない『キモ』くないことをしばしば関東弁で『堪え性がない』と呼ぶ。

関西人はしばしば何かの問題に粘り強く当たろうとする人を見ると『キモい』と批判する。仕事上の問題である場合は当然のこと、特にそれが人間関係上の問題である場合に顕著にその傾向が表れるのではないだろうか。

関東人と関西人が話し合うと言葉の上の違い以上にその考え方の大きな違いと直面することになる。そんな時(勿論人にもよるが)関東人はしばしば相手に対して一定の執着を見せ、分かり合うまで話しあおうとする傾向がある。ところがここで関西人は(勿論人にもよるが)しばしば「ほんまキモいわぁ」「ほんましっつこいわぁ」という捨て台詞と共に逃亡する。わかりあうまでの『話し合い』という作業に興味がない。わかりあいたくない。わかりあうつもりがない。だがそれを『キモい』という方便を使って正当化した上で、一目散に逃げ出す。

つまり関西人は(勿論人にもよるが)よく喋るので一瞬外向的に見えるが、実際には他人にほとんど興味がなく、非常に内向的だといえる。

・関西的ナルシズム

キーワード『関西人あるある』で検索してわかることは大半の関西人は自分にしか興味がなく他者にあまり興味がない…ということだ。この様に自分(関西)を説明したがる人は無数に見つかる。だが他者と自分との違いを考察した記事は滅多に見つからない。

自分の事ばかりを説明したがるのは内向的である証拠だ。本来であれば全く逆に自分のことを解ってもらいたいからこそ、まず相手のことをよく理解しなければいけない。

自分のことを説明する為にはまず相手の事を理解する必要がある。自分自身の事を説明するためにはただ単に思ったことを書くだけでは不十分だ。説明する相手のことをよく理解した上で、自分と相手との文脈の違いをきちんと解き明かしながら、自分の事を丁寧に解き明かしてゆく必要がある。

僕が東北のことや関西のこと、九州のこと、あるいはタイのことやラオスのこと・・・『他者』の考え方に興味を持っている理由は他でもない、他人に対して自分の事をわかりやすく説明したいという点ひとつに尽きる。

この辺が関西と九州で大きく違うところではないかとも思う。 九州人は(勿論人にもよるが)、関西人と比べるともう少し他人に興味がある人間が多いのではないか。

この様に『よく喋るが案外と内向的で他人に興味がない』というのが(勿論人にもよるが)関西人に非常に特徴的な気質ではないか。


・関西的諦観

僕が今滞在しているタイの首都・バンコクには日本企業で働いている関西人が非常に多いのだが、バンコク滞在歴が10年以上ある日本人でも、きちんとタイ語が話せる日本人は極めて稀だ。 僕はバンコクにいて片言の幼稚園児レベルのタイ語を話してドヤ顔になっている日本人を見ると、正直いって日本人としてかなり恥ずかしいと感じる。

日本人にとってタイ語は決して難しい言語ではない。英語のように日本人に馴染みがなく理解が難しい発音や概念がたくさんある訳ではない。ちょっとした気長さがあれば必ず身につけられる言語だ。だが在タイ日本人にはその『ちょっとした』気長さがない。

『石の上にも3年』というが、できるようになるまで数年に渡って粘り強くひとつのことに取り組み続けるというのはひとつの能力だ。だが関西人を見ているとしばしば「あぁこりゃムリ」「日本人にはムリ」と実に潔く諦める。そして粘り強くことに当たる人間に「キモいわぁ」「しっつこいわぁ」という自己正当化の煙幕を投げかけた上で、逃亡する。

おかあつ日記・北京語の3声の真実 に、タイ語の特定の声調を聞き取ることは日本人にはムリとあっさり諦めてしまう人らについて言及がある。実際にはその聞き取りにくさには合理的な理由があるのだが、彼らは何も考えない。3秒以上考えてわからないことは全て無理なのだ。

僕の話は大抵『長い』 ─── 僕がタイ語の文法の話や、タイ語の方言の発音の変化の話などをすると必ず「話が長い(おーまぁーえーのぉーはーなーしーはーなぁーがぁーいぃねーん・と発音)」といわれる。

実際には僕の話は10秒程度しか続いていないのだが、10秒以上話すと話が長いと言われる。そういう気の短い関西人が、1話50分以上ある吉本新喜劇を休みなく観劇できるということが僕には奇跡のように感じられる。

恐らくだが、関西弁で『話が長い』というのは関東弁でいうところの『貴方の話は難しすぎて私には理解できません。また理解するつもりもないのでもうその話は辞めて下さい。』という意味なのではないか、というのが今の僕の推測だが詳細は不明だ。

参照: 空気を読む日本人・空気を読まない日本人(2012年)



・関東と関西でよく見られる『系統』の違い

関東で生活していると、仕事でも遊びでも緻密さをもって網羅的に調べ、それが身につくまで練習を欠かさないという『強化系』タイプの人が相当数いる。例えば、たかだがラーメンを食べるだけでも、特定の地域に注目し、そこにあるラーメン屋を網羅的に調べ系統立てて整理し、毎日のノルマを決めた上で連日ラーメン屋を巡り歩き、訪問レポートを書いてそれを個人的にデータベースとしてまとめている… という様な『無意味に緻密』なタイプが関東にはいる。こういうタイプが関西には居ない…全くいないわけではないが、あまり見掛けない。

関東にはこういう『粘り強さ』と『力技』で問題に真正面から取り組んで解決することが得意な『強化系』の人間が相当数いる。こういう人間と真正面から衝突して勝負するのは相当に骨の折れることだ。

関西人は関東人と対決するにあたって少し考えるところがあるようだ。

僕が関西人を観察して気付いたことは彼らはしばしばこういう『強化系』の人間に『しつこい』『キモい』『粘着乙』的な言葉を投げかけ、精神的に揺さぶることでイニシアチブを握ろうとすることだ。 『強化系』の人間はしばしば極端にバカ正直なところがあり、言われたことを真に受けて全て信じてしまうところがある。そこを応用し「いくら能力が高くても、人格が破綻していたら意味がない」というような論理に持ち込むことで相手を精神的に腰砕けにして、イニシアチブを握ろうとする。

関西人はしばしばこの様に、相手とのコミュニケーションの中で、向かい合っている問題に対する認識を変化させて、問題を正面から解決することなく、相手と有利に交渉しようとする『変化系』の人が多い。

『キモい』という言葉にはそういう関西的劣等感を優越感にすり替えるトリックが仕掛けられている。

※ なお、ここの『◯◯系』という用語は漫画『ハンターxハンター』に出てくる能力分類 を参考にしている。この漫画内の世界では能力の系統によって性格が違うという考え方に基づいた 系統別性格占い という物が登場する。これは飽くまでも架空の漫画内の世界観だが、この視点は日本社会の複雑な民族構造を鋭い視点で切り出している...と僕は思う。

 ・漫画キャラがエセ関西弁を話す本当の理由

藤子不二雄F作のパーマンに登場する『パーやん』をはじめ、うる星やつら等々登場キャラクターがエセ関西弁を話す作品は珍しくない。ネット上を見ているとマンガのキャラクターがエセ関西弁を話すことに苛立つ人は多いようで、ネットを検索すると多くの関西人による批判的なコメントを見つかる。

そもそも何故マンガのキャラクターはエセ関西弁を話すのだろうか。

 ─── 答えは簡単だ。ほとんどのマンガが関東製(東北製・北陸製)だからだ。

マンガを描くというのは緻密さと粘り強さの両方を求められる作業ではないだろうか。 これは『キモ』くない人・『粘着質』ではない人には向かない作業だ。 ネトウヨ系やオタク系の人々(関東〜東北に多い)を『キモい』『粘着質』と蔑む人にマンガは描けない。

多くの日本発サブカルは西日本だけでは回ってゆかない。




(勿論、人にもよる。)


関東弁を話す関西人

・関東弁と標準語の違い

関東弁と標準語は違う。標準語は敬語とも呼ばれる。敬語とは日本各地から集まった様々な背景を持った人々がお互いの違いを敬いあうことを目的として話す言葉だ。つまり標準語は相手を敬うためにある。一方関東弁は標準語ではない。標準語と関東弁はしばしば混同されるが、全く違う言葉だ。一口で関東弁といっても地域によって色々あるが、基本的に非常に汚く発音変化が激しい聞き取りにくい方言だ。

ちなみに、僕が馴染みがある方言は「漁師言葉」と言われ、大概は「てめぇ」「このやろう」「こんちくしょう」が連発する非常に荒っぽい方言だ。「あい」と言えず、全て「えい・えぇ」に変わる。(うるさい→うるせい・しらない→しらねぇ)学校や職場などの公の場でこの話し方をすると必ず怒られる。使う機会といえば喧嘩の時ぐらいなものだが、非常に語気が荒く極めて失礼な表現が多いので、喧嘩の時ですらあまり使わない。

関東弁も地域によって大きく違うので色々と異論のあるところかも知れない。だがひとつだけ確実に言えることは、関東弁はテレビの中の芸能人が話すような話し方とは全く違うということだ。

よって関西人がいくら流暢に関東弁を話しても、関東人と見分けが付かなくなることは絶対にない。その間違いに気が付かないのは、話している相手も同様に非関東人(≒非東北人=関西・九州・四国)だからだ。



非常に良い着目点であるにも関わらずRTが1しかない。差し詰め、関西人が認めたがらない『見苦しい現実』のひとつ...ということだろうか。

・敬語を喋っても関東弁を喋るべきでない

僕は関西人が敬語を話すことに関しては何も思わない。敬語は標準語だからだ。だが関西人が関東弁を話すのは明らかに違う。 聞いていて非常に気持ちが悪い。「おまえ、関東人ちゃうやろ!関西弁しゃべりぃや!」と叱責したくて仕方がなくなる。関東っぽく話していても絶対に関東人ではないと即座に解る。絶対に関東人ではないのに、延々とぎこちなく関東っぽく話そうとする関西人 ─── これを目撃した時の強烈な違和感は筆舌に尽くしがたい。

関東弁を話す関西人はしばしば、それを格好の良いこととして認識しながら話しているところが散見される。これが非常に気持ちが悪い。当然だが関東弁を格好良いものとして認識しながら話している関東人など、いない。

僕が住んでいるバンコクには日本人が多いがその日本人の95%程度は関西人だ。つまり普段関東弁を話していたとしても、関東弁を話す方も、その関東弁を聞く方も、どちらも関西人というケースがほとんどであり、しかもそれを周囲で聞いている人らは日本語がわからないタイ人ばかりだ ─── であるならば、関西弁を話せば良いではないか。あるいは標準語でもよい。だがそこで、関東弁を話すというのは間違っている。

そもそも大半の関西弁は殆どの場合関東人でも理解できる。無理に関東弁に修正する必要はない。関西弁まじりの敬語であれば、尚の事そうだろう ─── 無理して関東弁を話す理由は何もない。

関西人同士で関東弁を話す違和感だらけの謎の集団 ─── この不条理感を見たあとで、明らかに日本語が上手でないタイ人の通訳に向かって、大きな声で関西弁をまくし立てている関西人を目撃すると、更に輪をかけて強烈な違和感が巻き起こる ・・・ 日本語がネイティブではないタイ人の通訳にそんな早口で関西弁をまくし立てても、理解できる訳がないではないか。 てか、何故そこだけ関西弁になる。



※(参考) 間六口氏のバナナのたたき売り(高知放送)


─── 見事な売り口上でとてもおもしろい。リズミカルな売り口上は大変に素晴らしく、僕もしばし笑いながら聞き惚れさせて頂いた。

彼のリズム感のある江戸弁だが、関東人が彼の話し方を聞けば彼が少なくとも関東人ではないこと程度はわかる。アクセントが微妙に異なるからだ。白いハンドバッグの「白い」を、彼は「し ̄ろ_い_」と発音している。関東人は「し─ろ ̄い_」と発音する。また「先生」を彼は「せ ̄ん_せ_い_」と発音している。関東人は「せ ̄ん ̄せ ̄い_」と発音する。

これは関東弁ネイティブにとって訛っているという程の強い違和感ではない。だが少なくとも彼が関東人ではないこと程度はわかる。

勿論、日常生活上いちいちこの様なアクセントの違いを指摘するのは無意味かつ失礼なことである以上、大抵の関東人はこれくらいのアクセント差を言葉として出して批判することはない。

だが『どんなに関東アクセントに直したつもりでいても、しばしば関東人には関東人でないということがわかってしまう』...ということは心に留めておいた方が良い。関東人のふりをして延々、演技を続ける人を見るのは痛々しいものだ。



エセ関東人が蔓延する理由

「そんなことないわ、関東弁しゃべっても、みなきづかへんわ」という向きも多いだろう。それは相手もエセ関東人だからではないか。

これは飽くまでも僕の予想だが、多くのエセ関東人は相手が関西人であると気付くと尚の事、自分が関西人であるということを隠したがるのではないだろうか。

相手が関西人であれば尚の事、関東人のふりをして関西人に意地悪をしたくなるエセ関東人。 だが案外と内向的で人間観察力が低く、相手がエセ関東人であることを見抜けないエセ関東人。

関東とはそういう『エセ関東人』=隠れ関西人の住む地なのではないか...と。

結果的に無実のネイティブ関東人がその虐めの罪を全て引き受ける ─── 「あぁあぁあぁ東京者(とうきょうもん)はありえへんわ、ほんま。」「あぁあぁあぁ東京者(とうきょうもん)はえぇなぁ、おいしもんばっかたべて、えぇなぁ。」  ─── こうして「とうきょうもんはつめたい」という都市伝説が独り歩きしてゆく。

本物の東京地元人は(勿論人にもよるだろうが、僕が知る限り)相手の方言に頓着がない。関東はしばしば、そこにいるみんな癖が強く、そこにいるみんな喋り方が違うという『多方言環境』で育っているので相手の違いをいちいち取り沙汰しない傾向がある。相手によって柔軟に話し方を変える人も多い。

また東京地元人は都内でも少数民族で、その引きこもりがちな性質から職場などで出会う可能性も低く、関西人が関東に来ても恐らく出会う機会は少ない筈だ。

 ─── つまり飽くまでも可能性としてだが、関西人に意地悪ばかりする『関東人』は実際にはほとんどのケースでエセ関東人=隠れ関西人 ...ということも、充分ありえるのではないだろうか。

・・・ 更に踏み込むと、

僕は関東生まれ関東育ちだ。関東・東北人の極端な排他的な気質を、身近な体験として知っている。関東人の執念深く無口で口下手・陰険といった気質に散々傷めつけられていた僕は、関西人におおらかで話上手で仲良くなりやすいという印象を持っていた。僕には関西に対する漠然としたあこがれがあった。

前述した僕が幼少時より見てきた関東人(東北人)・・・ これが既に、エセ関東人だった可能性はないのか。


教えてgoo : なぜ関西人は関西を離れれば関西弁がわざとらしくなる? を読む限り、僕の予想は概ねあたっていたのでは... という手応えを感じている。これは、関西人の複雑な本音が垣間見られるQ&Aではないか。

関東人の真似をする関西人に反感を持ったり、真似をしない関西人に反感を持ったり。 いざ関西弁をしゃべろうとすると、いつの間にかぎこちなくなっているイントネーション。 慌てて関西人としてのアイデンティティに固執したり、しなかったり。とはいえ、関東弁もまともに話せず、途方に暮れる。そして、そんな弱っている関西人を見ると、鬼の首をとったかのようにサディスティックな追撃を加える陰湿な関西人。

 ─── 関西というアイデンティティ崩壊の危機に晒されている関西人の苦しい本音がここに露呈しているのではないか。

そんな言葉にできない見えない苦しみが、関西弁をしゃべろうとする関東人(東北人)に対するほとんど虐めと言ってもいいような『エセ関西人の見分け方』の流行として噴出しているのではないか。


終わりに

関東人が関西弁をしゃべると「気持ちが悪い」とさんざんに怒られるのに、関西人は気持ち悪い関東弁をしゃべりたい放題。そういう荒唐無稽の不条理マンガの一幕のようなこの状況に一石を投じたいと思い、この記事を書いた。

人は誰でもなまっているものだ。 人は誰でも自分の言葉を持っている。人は成長し行動範囲が広がってゆく。そして自分の言葉以外の言葉も身に着けていく必要に迫られる。そういう中で、誰もが、むをえず『気持ち悪い』言葉を話してしまうものではないか。

関西弁を話すキモい関東人 ───


それくらい、ゆるしてやったらどうや。

更新記録:
(Tue, 13 Sep 2016 01:28:50 +0700) ビデオを追加した。
(Thu, 10 Nov 2016 01:21:17 +0900) タイトルを『エセ関東人の見分け方がおもしろ過ぎる件www』から『エセ関西弁とは?』へ変更した。
(Fri, 12 May 2017 02:33:22 +0900) タイトルを『エセ関東人の見分け方がおもしろ過ぎる件www』に戻した。
(Mon, 22 May 2017 17:07:59 +0900) 参考リンク「おかあつ日記・東京者は東京をしらない」「おかあつ日記・ バカなタイ人」 を追加した。
(Tue, 11 Jul 2017 02:31:24 +0900) 関連記事表示の自動化を行った
(Sun, 26 Jan 2020 17:20:50 +0900) 画像の整理を行った。
(Tue, 23 Jun 2020 09:02:22 +0900)句読点を整理した。

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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