僕は今、音楽のプロの世界の入り口に立っている様だ ───
...だが時代はデフレ。もう80年代のような華やかなプロミュージシャンの世界は存在しない。全てのプロミュージシャンは、増大する赤字を苦渋の思いで眺めつつ、プロ活動をしている ─── 或いは、自分の音楽の信じがたい低俗化を苦渋の思いで眺めつつ、プロ活動している ─── 或いは、苦渋の思いを知らぬ幸せなプロミュージシャンを、その親類が苦渋の思いで眺めている。
そういう意味で、今の世の中に、本当の意味で「プロ」はいない。
そういう時代に、プロミュージシャンを目指すとは、どういうことなのか ───
実に15年ぶりにジャズの世界に戻ってきて半年経った。生まれて初めて、音楽だけに集中する生活を送った半年 … 今まで音楽をやっていた時は、必ず他の職業を兼業しながらやっていたので、音楽だけをやる生活というのは、実は今まで送ったことがなかった。
※
僕は中卒だが、都内で単位制高校に通う傍ら1991年頃からジャズの演奏を始め、早稲田のジャズ研に所属して修行に励んでいた。以降、演奏活動を続けていたが、1996年からIT系企業で開発に携わり、2002年頃に激務に耐えかねて演奏活動を断念したという苦渋の思い出がある。詳細は 実りの時期を参照。
この半年で、僕のギターの腕前はどうやら爆発的に上達したらしい。自分ではよくわからない。
何故かというと、僕は他人と比べることにあまり興味がないからだ。
そもそも僕は、十代の頃、非常に貧乏だった為、ギターを弾くのでも、勉強をするのでも、何をするのもハンデがあった。他人と競争すれば、必ず負けた。だから僕は、その頃に「他人と比べる」という習慣を捨てた ─── 勝ち負けを考えず、とにかく自分の中にある「これが僕のベストだ」と思える状況を維持することだけに集中するようにしていた。
というか、そんなかっこ良いものですらなく、常に負けているので、負けた時の事しか想定していないだけ...という説もある。
世の中を見回すと、ギターが上手な人など、たくさんいる。
...だが見ていて何かが残念なのだ。 何故『残念』な気持ちになるのか...。それがわからない。
演奏は滅法巧いのに、全く面白くない。
それは、よくある「僻み」ではない。「あいつは、テクニックはあるけど、演奏はおもしろくないよな!」というのは、テクニックがない人が僻んでいる時に言う定番フレーズだ。
僕には、そういう僻みがない。
僕も、少しギターを長く弾きすぎたようだ。多分、今の僕の状況なら、誰が見ても、僕のほうが巧いというだろう。 だがそれは、僕の中では、もうどうでもいい。ずっと負けっぱなしだったし、それでバランスを取ってしまったので、下手くそと言われたままでいいと思っている。
下手くそで上等だ。
だがそんな下手くそな僕に、たったひとつだけ、確実に言えることがある。
それは、僕は誰よりも感動的な演奏をすることができる...ということだ。
感動的... それは巧いとは全く違う次元の話なのだ。
自分の演奏を聴いていると、心底うんざりしてくる。しょっちゅう音を外している。本来は E なのに、毎コーラス間違えて Ebを弾いているとか、そういう音がたくさん出てくる。即興なので、どうしても咄嗟に思いついたことを演奏するなかで、手の瞬発力が追いつかずに、間違えてしまう。それがダサい。
リズムの符割りが間違って、ずれたり、1拍多くなったり少なくなったりする。それがダサい。
僕の演奏はダサく間違っている。
ダサく間違っているが、それは感動的な演奏とは、全く別次元の話だ。
僕は、誰よりも感動的な演奏をすることができる。
そして僕は、誰よりも興味深い演奏をすることができる。
複数の調性を同時に演奏したり、複数の拍子を同時に演奏したりできる。
それもまた、巧いとは全く違う次元の話だ。
それは飽くまでも、ハーモニーやリズムの理解力の問題で、巧さとは全く違う次元の話だ。
僕の演奏は、ダサく間違っているが、それは興味深い演奏とは、全く別次元の話だ。
演奏が面白くないというのは、演奏が下手くそというよりも、遥かに致命的な問題なのだ。
演奏が下手くそなら、練習すればいい。いずれ上手になる ─── 必ず。
だが演奏が面白くないというのは、もうどうにもならない。
演奏が面白くないから、一生懸命に練習すると、よけい耳障りになる。
下手くそな演奏は、なおる。 つまらない演奏は、なおらない。
「面白い」とは一体、何なのか。
その人の「面白さ」というものは、ある種の経験が育てる面があるのではないだろうか。
それはある種、人の内面的な世界の法則を深く理解するような出来事が必要なのではないか。
人の気持ちのからくりを深く理解するに至る様な、長い苦労が必要なのではないだろうか。
精神世界の奥深くに落ちているひとつの貝殻を拾ってくるような、深淵な経験が必要なのではないだろうか。
それは決して幸せな経験ではなく、むしろ耐え難いほどに、辛い経験だったりするのではないだろうか。
身を切るような辛さを乗り越えて人を愛した経験を持つものにしか語れない言葉があるのではないだろうか。
耐え難いほどの辛い孤独を経験したものにしか語れない言葉があるのではないだろうか。
そもそも何故、音楽を演りたい、と思うようになったのか。
何故CDを聞いているだけでは、満足できないようになったのか。
大切な誰かに聞かせたい歌があったから、演奏したいと思うようになったのではないのか。
その歌を、ただ単に「巧く」「正確に」弾けば、満足なのか。
下手くそでも、調子外れでも、伝えたい気持ちがあれば、それで充分ではないのか。
「巧さ」「正確さ」を聴きたがる人などいない。
本当に聴きたいものは、「気持ち」ではなかったのか。
本当に歌いたいものは、言葉ではどうしても言い表せない
『何か』ではなかったのか。
ミュージシャンの生活は、破綻している。10年前のようにバブルの残り香を楽しんでいた時代は、完全に終焉を迎えている。そういう中で、生活を維持する為に、音楽的な妥協を余儀なくされるミュージシャン。
低俗化する音楽性。
そういう中でプライドを喪失していくミュージシャン。
僕は思うのだが、しばしばミュージシャンは、そういう失ったプライドを補填する形で巧さを求めるようになるのではないだろうか。
東京は、多民族都市だ。日本全国から人が集まり、海外からも人が集まる。そういう多民族社会のなかでは、必ずしも自分の価値観が受け入れられるわけではない。そういう現実 ─── そういう中でミュージシャンは「確実にこれは受け入れられる」という確かなものを求めて、巧さを求めるようになる。
だが音楽は、サーカスではない。リスナーは、巧さを見に来るわけではない。リスナーは飽くまでも内容を聴きにくる。
そういう巧さと内容の乖離の中で、リスナーはジャズから離れていく。
ミュージシャンが巧さを求めれば求めるほど、リスナーはジャズから離れていく。
リスナーは、飽くまでも、そのミュージシャンの唸り/叫びを聴きにくる。
そこで勝負しなければ、演奏する意味がない。
自分を理解してほしいからこそ、他人をよく理解してゆく。
他人に対する理解を元に、自分を他人に解釈しやすい形に噛み砕いていき、
飽くまでも自分の考えで演りつづける必要がある。
音楽は、もともと言語の様な側面がある。
言語は、自分自身が考え出したものではない。
だから、自分自身で謙虚にひとつひとつ言葉を獲得していかなければいけない。
言語は、自分自身が考え出したものではない。
だが、その他人が作った言語を使って自分の考えを述べることができる。
他人が作った言語を使って、他人とコミュニケーションを取ることができる。
音楽も同じだ。
音楽のパフォーマンスは、スピーチのような側面がある。
スピーチとは、決して大学受験のようであってはいけない。
リスナーは、その文法が正しいかをチェックしているわけではない。
リスナーは、その会話の技術には興味がない。
リスナーは、飽くまでも、話しの内容を聴きにくる。
技術は、内容ではない。
音楽も同じだ。
よいスピーチに、技術は必ずしも必要なわけではない。
内容に必要なものは、飽くまでも理解であって、
内容に必要なものは、最終的に技術ではない。
音楽も同じだ。
よいスピーチに、知識は必ずしも必要なわけではない。
内容に必要なものは、飽くまでも理解であって、
内容に必要なものは、最終的には知識ではない。
音楽も同じだ。
理解のない知識は、人を辟易させてしまう。
理解のない技術は、人を辟易させてしまう。
理解とは、愛情だ。
知識は愛情ではないし、技術も愛情ではない。
だが理解だけは、愛情なのだ。
技術も知識も、理解の上に成り立っている。
音楽も同じだ。
FLAGS
NOTICE
■■■ 現在縦乗りを克服しようシリーズを大規模再構成/加筆訂正中です ■■■
2022年5月29日更新: 末子音がない日本語 ─── 縦乗りを克服しようシリーズその22
2022年5月15日更新: 裏拍が先か表拍が先か ─── 縦乗りを克服しようシリーズその3
2022年5月11日更新: 頭合わせと尻合わせとは何か ─── 縦乗りを克服しようシリーズその2
著者オカアツシについて
小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。
特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々
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