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NOTICE

2017年9月5日火曜日

実りの時期 (oka01-qleuiloovynjxvvp)

今日、近所の某楽器屋に行ったら、こういうことがあった。



最近、ノリさんという極めて技巧的なピアニストと出会って、セッションでコテンパンにやられてしまった。強敵トモのノリさんに一撃を加える為には、こちらももう少しテクニカルに行かなければいけない。

だが僕の今のギターのセッティングは、バキバキにビバップ仕様になっており、二番目に太い弦セットが張ってある。これ以上の速弾きはもう無理だ。そこで、もう少し細い弦に変えてやるかな、と思った。

今メインで使っているギターは、非常に低音が厚くでるギターなので、もう少し細い弦に変えたほうがバランスが良さそうな感じもある。という訳で、フラットワウンド弦のなかで一番細い弦セットの048セットを購入しようと楽器屋さんに向かった。

弦はすぐに手に入った。

ふと見回すと楽器屋が模様替えしており、僕が今まで触ったことがない新しい楽器がたくさん展示してあった。

最近のS楽器店は、エフェクター試し弾きしたい放題コーナーがある。こういうのが僕は大好きなのだ。面白そうな音をジャンジャン出しているのが聞こえてきたので、僕も弾こうと思って近づいていったが、彼女連れの男の子が延々とジャンジャンやっており、なかなか替わってくれない。

「うーん...」と思って、ボケーッと歩いていたら、もう一箇所、同じようなコーナーがあった。何か変な機械だったが、自由に弾けるようになっていたので、これでいいや、と思って手にとって弾き始めた。 何か音が変だったので、よく見たら、実はこのマシンは、最新のローランドのギターシンセだった! 僕はギターシンセが大好きなので、たくさんある音色の1番目から順番に試していった。

ピアニストは、シンセサイザーを使うことで色々な音色を楽しむことができるが、ギタリストはギターの音色しか楽しめない。ギタリストは、どうしてもギターの音色に縛られてしまう面がある。ギターシンセはあるが、どうしてもタイムラグの問題があって、ストレスなくシンセを楽しむのは、難しい。ギタリストにとってギターシンセというものは、果たせぬ夢とでもいうか、とても特殊な存在だ ─── 否、だった!

だが時代は、2017年。僕は、12年の海外放浪の後である。いわば僕は、さながら浦島太郎のようにタイムマシンで12年後の未来にタイムスリップしたようなものなのだ。特に2015年以降のCPUの進化は凄まじいものがある。恐らく今のギターシンセは、桁違いに高性能なはずだった  ─── 果たして、弾いてみたら、その通りだった! タイムラグは、桁違いに改善していた!

夢中になって弾いて、実に楽しかった。ピックが置いてなかったので、指弾きだったのが残念だが、実に楽しかった。



しばらく弾いていたら、もう一方のエフェクターコーナーでギターを弾いていた、さっきなかなか替わってくれなかった男の子が、こちらの音量に呼応するように音量をあげたのに気付いたが、あまり気にせずに弾いていた。だが彼の音量が大きくて、僕も自分の音がよく聞こえず、僕も若干、音量を上げて弾く結果となった。

そのまましばらく弾いていたら、彼が弾きやめた。彼が弾き辞めた途端、あたりが急に静かになったので、僕はちょっと驚いた。つまり彼は、かなりの大音量で弾いていたのだ。

しばらくしたら、彼が急に近づいてきた。その時も僕はちょっと驚いた。閉店間際で客の居ないガラガラな店内。他にも通路はたくさんあるのに、わざわざ僕のいる通路を選んで通り過ぎたように感じたからだ。

彼が通り過ぎる瞬間、僕はチラッと彼の顔を見た。

彼はまるで、葬式帰りのような顔をしていた。

彼らは、店を出て行った。


僕も店を出た。

しばらくウロウロして考え事をしてから、立ち食いソバ屋で、かけそば大盛を食べた。かけそば大盛りも、今日日は410円もする。高い。

オッサンに「ちわー」と声をかけながらソバ屋に入る。そして食券を買う。そして食券をオッサンに渡すと同時に「そばでオナィシャッス」と言わなければならない。何故ならば同じ券で「うどん」も注文できるからだ。ここには注意が必要だった。

食べ終わったら、きちんと食器を片付けなければならない。食器を返しながら、オッサンに「ゴッソウサマッシャー」 と小声で礼を行って出て行くのが、流儀である。

ふと、オッサンと目があった。咄嗟に、僕がタイで身につけたサバイバルテク『無意識スマイル』が出た。だが、気づくとオッサンも笑顔だった。

何だか、その笑顔がとてもありがたく、腹もいっぱいになり、外に出てゆっくり駅に向かった。

歩いているうちに、気持ちが落ち着いてきた…。

そこで、ふと思ったのだ ─── ふと、さきほどの楽器屋で何が起こっていたのか、急に気付いたのだった。

つまり、ギターを弾いていた彼女連れの彼は、僕のギターに対抗して音量をあげていたのだ。彼は恐らく、彼女の前で格好いいところを見せていたところだったのだ。そこに何も気付かぬ無粋なオッサンである僕が乱入したということだったのだ。そこで彼は、負けまいとして一生懸命に演奏していたのだ。だが、どうやら、玉砕したらしかったのだった。

僕のギターが、彼にそれだけの脅威を与えていたらしかったのだ。

それが僕には想像も付かないことだった。

何故なら、僕の自尊心など、ボロボロだからだ。

僕の自尊心など、ボロボロだ ─── 10代・20代の頃の僕は、貧乏だった。バブル直後の東京だ。みな金を持っていた。その中で孤立無援、金も知識も人脈もないという僕は、悪戦苦闘した。みんなが高級車で移動しているなか、僕は単独で三輪車で移動しているような格差があった。 絶対に勝てないと、わかりきった出来レースを、僕は三輪車で激走していたのだ。血反吐を吐きながら激走する僕を、人々は笑いものにした ─── 僕には、プライドもへったくれも、何もない。

悔しかったので、この12年間、僕は海外で貧乏旅行しながら、生まれた時間を、全て勉強に費やした。

ここで、今までできなかった課題を消化し、浴びるように語学を学んだ。学んだ語学を使って、外国語で書かれた政治とテクノロジーの文献を読みまくった ─── そのままタイに移住しようと思っていたが、結局、親のトラブルに引き戻されて、日本に帰ってきた。

 ─── 僕の人生は全て、親族のトラブルの後片付けだ。 勝手にしろと言いたかったが、あの手この手で僕の人生を妨害し、結局、親の後片付けに駆りだされ、僕は延々、自分のことが出来なかった。親の妨害に屈することなく、社会的に自立し、更に親を支えるという、中国雑技団も真っ青な離れ業をやってのけた。子供が社会的に脱落したら、子は親の面倒を見ることは難しくなる。苦しむのは最終的に親なのだ。だが何故、子を縛るのか ─── 僕の親類の考え方は、僕にはよく理解できない。

例えそれが、最高級の高性能スポーツカー最高出力565hp・最高速度300km/hオーバーというスカイラインR35・GTRであったとしても、それを惜しげもなく田畑に突っ込んで耕うん機として利用する ─── そんな僕の親類。

僕と同期でジャズを演奏していた仲間は、大半が、大企業に就職したか、プロになっている。大手レーベルからデビューして、普通にCD屋さんでポスターがはってあるような感じの者もいる ─── だが僕は、経済苦から、ギターを練習する時間も取れず、思うように活動ができず、結局の所、仲間から取り残された形となった ─── ボロボロになった自尊心だけが、後に残った。

僕の人生は、怨念の人生である。

加えて、ジャズギターを弾けなかった15年間のブランク ───

2017年にようやくジャズの世界に復活した。

最近僕は、あちこちのジャズのジャムセッションに顔を出しているが、どうも、みんな僕と演奏したがらない。だが何故、演奏したがらないのか、誰も言ってくれない。

どうも僕は、気付かぬうちに、かなりギターが上達していたようだ。それも、一緒に演奏する人に恐怖感を与える程に上達していたようだ。

─── さっきの楽器屋で見た、彼女連れの男の子の恐怖で引きつった顔は、僕に前述のようなことを想起させた。



そしてふと、僕は思った。

僕は、「鼓くらべ」という話を思い出した。

─── 私は、その話を聞いたときにこう思いました。すべて芸術は、人の心を楽しませ、清くし、高めるために役立つべきもので、そのためにだれかを負かそうとしたり、人を押しのけて自分だけの欲を満足させたりする道具にすべきではない。鼓を打つにも、絵をかくにも、清浄な温かい心がない限り、なんの値打ちもない。……お嬢様、あなたは優れた鼓の打ち手だと存じます。お城の鼓くらべなどにお上がりなさらずとも、そのお手並みは立派なものでございます。おやめなさいまし。人と優劣を争うことなどはおやめなさいまし。音楽はもっと美しいものでございます。人の世で最も美しいものでございます ─── 山本周五郎『鼓くらべ』より

「鼓くらべ」は、ある老人の教えから学び、鼓くらべで勝負を放棄した鼓打ちの話だ。



実るほど 頭を垂れる 稲穂かな ─── という。

僕は頭を垂れない稲穂だった。


何故なら、僕は、僕にはある能力があることに最初から気付いていたからだ。

だがそれを磨けなかった。

 ─── だが、それを磨こうとすると、親族の妨害が入る。

「勝手なことをやるな。」

「もったいないからやめろ。」

「無駄なことはやめろ。」

悪戦苦闘しているうちに、収穫の時期が来てしまう。

当然、不作である。

実らない稲穂は、頭を垂れない。

僕は、謙虚じゃなかった。

僕の親類 ─── 束縛、束縛、束縛。 我慢、我慢、我慢。

束縛しなければ気がすまない、束縛気質。

我慢しなければ気がすまない、我慢気質。

必要な我慢なら、やろう。

必要な束縛なら、従おう。

だが空気を吸うな、水も飲むな、では死んでしまう。

僕に取って、学びとは生きる為に絶対に必要な事なのだ。

我慢は、きっぱりやめないと、死んでしまう。

だが、やめられない、とまらない、我慢気質。

自分が我慢してるから、他人も束縛しないと、気がすまない。

やめられない、とまらない、束縛気質。

犠牲にならないと気がすまない。

騙されないと気がすまない。

無駄な献身体質。

そんな親族に縛られつづけた僕の人生は、正に悪夢だった。

悪夢である。

だがそんな悪夢も、ようやく過ぎ去った。

 ───

そんな僕も、気付かぬうちに、色々実ったのかな。

収穫までは、まだもう少し時間がかかりそうだが。

当然、解決しなければいけない課題は、まだたくさんある。

だけど、やっと人に優しくなれそうな、気がしてきた。

そう思った日だった。

そうです、私はずいぶん世間を見てきました。なかには万人に一人も経験することのないような、おそろしいことも味わいました。そして、世の中に起こる多くの苦しみや悲しみは、人と人とがにくみ合ったり、ねたみ合ったり、自分の欲に負かされたりするところからくるのだということを知りました。……わたしには今、いろいろなことがはっきりと分かります。命はそう長いものではございません。すべてがまたたくうちに過ぎ去ってしまいます。人はもっともっとゆずり合わなくてはいけません。もっともっと慈悲を持ち合わなくてはいけないのです  ─── 山本周五郎『鼓くらべ』より

(終)


 
鼓くらべ          山本周五郎

庭先に暖かい小春日の光があふれていた。おおかたは枯れた篱の菊の中に、もう小さくしか咲けなくなった花が一輪だけ、茶色に縮れた枯れ葉の間から、あざやかに白い花びらをつつましくのぞかせていた。

お留伊は小鼓を打っていた。加賀国森本で一番の絹問屋の娘で、年は十五になる。目鼻だちは優れて美しいが、その美しさはすみ通ったギヤマンのつぼのように冷たく、勝気な、おごった心をそのままえがいたように见える。ひとみは激しい光を帯び、朱いくちびるを引き結んでけんめいに小鼓を打っている姿は、美しいというよりはすさまじいものを感じさせる。

ここは、広い庭の外れにある离れ屋で、后ろを松林に囲まれていた。鼓の音はとうとうと松林に反响した。みじんのゆるみもなく張りきった音色である。

やがて、打ち终わったお留伊は、篱の方を静かに見やって、「そこにいるのはだれです。」と呼びかけた。一輪だけ咲き残った菊の阴から、一人の老人がおずおずと身を起こした。ひどくやせた体つきで、身なりも貧しく、前かがみになって、不精らしく左手だけをふところ手にしている。鼓の音があまりに見事なので、ついさそわれてきたのだ、と老人は言った。

「おまえは、津幡の能登屋から何かたのまれてきたのでしょう。」というお留伊の冷ややかないに、「私は旅の者でございます。」と老人は答えた。

長い間他国を流れ歩いていたが、せめて先祖の地で死にたいと、生まれ故郷の福井へ帰る途中、持病が出て、宿外れの宿に半月ほども泊まっているのだという。そして、五日前、外を通りかかって「男舞」の曲をきいて以来、ずっと来ているのだ、と老人は言った。

「庭の外ならかまわないから、いつでもききにおいで。」とお留伊は疑いの解けた様子で言った。老人は丁重に礼を述べ、やはり左手をふところ手にしたまま、静かに立ち去った。

明くる日も、老人は来た。それからその翌日も……。お留伊は、次第にその老人に親しさを感じ始めた。そして、いろいろと話し合うようになった。老人は口数の少ない、どちらかというと話し下手であったが、それでも少しずつは身の上が分かった。

老人は、名もない絵師だと言った。そして、わずかな絵の具と筆を持って、旅から旅を渡り歩く困難な生活を過ごしてきたという。苦しかったこと、かなしくつらかったこと、お留伊には縁の遠い世間の、涙とため息に満ちた数々の話をしながら、けれど老人の声音にはいつも温雅な感じがあふれていた。……そして、いつでも話の結びにはこう言った。

「そうです、私はずいぶん世間を見てきました。なかには万人に一人も経験することのないような、おそろしいことも味わいました。そして、世の中に起こる多くの苦しみや悲しみは、人と人とがにくみ合ったり、ねたみ合ったり、自分の欲に負かされたりするところからくるのだということを知りました。……わたしには今、いろいろなことがはっきりと分かります。命はそう長いものではございません。すべてがまたたくうちに過ぎ去ってしまいます。人はもっともっとゆずり合わなくてはいけません。もっともっと慈悲を持ち合わなくてはいけないのです。」老人の言葉は静かで、少しも押しつけがましい響きを持っていなかった。それで、こういうふうな話を聞いた後では、不思議にお留伊は心が温かく和やかになるのを感じた。

「いつか、能登屋がどうしたとかおっしゃっていましたが。」ある日、老人がきた。「……津幡の能登屋といえば名高い海産物問屋だと存じますが、こちら様と何かわけがあるのでございますか。」

「別に難しいわけではないのだけれど、お正月に金沢のお城で鼓くらべがあるの。それでこの近郊からは、能登屋のお宇多という人とあたしと、二人がお城へ上がることになったんです。」

新年の嘉例として、領主在国のときには、金沢の城中で観能がある。その後で、民間から鼓の上手を集め、御前でくらべ打ちをもよおして、抜きん出た者には賞があたえられる。……今年もまたそれが間近にせまっているので、賞を得ようとする人々はけんめいに技をみがいていた。

お留伊は幼いころから優れた腕を持っていたので、教えに通ってくる師匠の観世仁右衛門は、これまでに幾度もお城へ上がることを勧めていた。けれど、勝ち気なお留伊は、御前へ出て失敗したときのことを考え、もう少しもう少し延ばしてきたのである。……能登屋のお宇多という娘は十六歳で、もう二度もお城へ上がっているが、まだ賞を与えられたことは一度もなかった。そのうえ今度はいよいよお留伊が上がるというので、それとなく人をよこしてはこちらの様子を探るのであった。

「そうでございますか。」老人は納得がいったようにうなずいた。

「……それで私を、能登屋から探りに来た者とおぼしめしたのでございますな。」

「でも、同じようなことが何度もあったのだもの。」

「私はすっかり忘れておりました。」老人は遠くを見るように言った。

「……鼓くらべはもう取りやめになったかと思っていたのです。」

「どうしてそう思ったの。」

老人は答えなかった。……そして、どこか遠くを見るような目つきをしながら、ふところ手をしている左の肩を、そっとゆり上げた。

それから二日ほどすると、急にお留伊は金沢へ行くことになった。師匠の勧めで、城下の観世家から手直しをしてもらうためである。そのけいこは二十日ほどかかった。観世家でもお留伊の腕は抜群だといわれ、大師匠が自分で熱心にけいこをつけてくれた。……もう鼓くらべで一番の賞を得ることは確実だった。大師匠もそうほのめかしていたし、それ以上にお留伊は強い自信を持っていた。

森本へ帰ったのは十二月の押しせまったころであった。

あの老絵師はどうしているだろう。家へ帰って、何よりも先に考えたのはそのことだった。……まだこの町にいるだろうか。それも故郷の福井へもう立っていったか。もしまだいるとすれば、自分の鼓をききに来るにちがいない。

お留伊はそう思いながら、残っているわずかの日を、一日もおこたらず離れ屋で鼓のけいこに暮らしていた。けれど、老人の姿は見えなかった。

すでに雪の季節に入っていた。重たく空に広がった雲は今や全て動かなくなり、毎日細かい雪がちらちらと絶えず降ったりやんだりした。……初めのうちはたまたまさしかける日のぬくみにも解けた雪が、家の陰に残り、垣の根に残りして次第にその翼を広げ、やがて堅く凍てて今年の根雪となった。

おおつごもりの明日にせまった日である。お留伊が鼓を打っていると、庭の小柴垣の所へ、雪蓑に笠をつけた人影が近寄ってきた。――――まあ、やっぱりまだいたのね。

お留伊は、あの老人だと思って、鼓をやめて縁先まで立っていった。……けれどそれは、あの老人ではなく、まだ十二、三の見慣れぬ少女であった。

「あの、お願いがあってまいりました。」

少女は、お留伊を見ると、笠をとりながら小腰をかがめた。

「おまえ、だれなの。」

「私、宿外れの松葉屋と申す宿屋の娘でございますが、うちに泊まっておいでの老人のお客様から、お嬢様に来ていただけますようにって、たのまれてまいりました。」

「あたしに来てくれって?」

「はい、病気がたいへんお悪いのです。それで、もう一度お嬢様のお鼓をきかせていただいてから死にたいと、そう申しているのです。」

あの老絵師だということはすぐに分かった。

ふつうの場合なら、いくら相手があの老人であっても、そんな所へ出かけていくお留伊ではなかった。けれど……老人は今重い病床にあるという、そして死ぬ前に一度自分の鼓をききたいという、その二つのことがお留伊の心を動かした。

「いいわ、行ってあげましょう。」彼女は冷ややかに言った。

「……おまえ、あたしの鼓を持っておいで。それから、家の者に知れてはいけないから、静かにしておくれ。」

手早く身支度をしたお留伊は、その娘に鼓を持たせて家を出た。松葉屋というのは、宿外れにある、きたない木賃宿であった。老人は、ひと間だけ離れている裏の、せまいすすけた部屋にねていた。

「ようおいでくださいました。」老人は、おとろえた双眸に感動の色を表しながら、じっとお留伊の目をみつめた。

「……御城下へおいでになったとうかがいましたので、もう二度とお嬢様のお鼓はきけないものとあきらめておりました。……ありがとうございます。ようおいでくださいました。」

お留伊はただ微笑で答えた。……自分の打つ鼓に、この老人がそんなにも大きな喜びを感じている。そう思うと不思議に、金沢で大師匠にほめられたよりも強い自信と、ほこらしい気持ちがわき上がってきた。

「いや、お待ちくださいまし。」お留伊が鼓を取り出そうとすると、老人は静かにそれを制しながら言った。

「……今思い出したことがございますから、それを先にお話申し上げるとしましょう。」

「あたし、家へ断りなしで来たのだから……」

「短いお話でございます。すぐに済みます。」老人はそう言って、苦しそうにちょっと息を入れながら続けた。

「……お嬢様は正月の鼓くらべに、お城へお上がりなさるのでございましょう?」

「あがります。」

「私のお話も、その鼓くらべにかかわりがございます。お嬢様はご存じないかもしれませんが、昔……もうずいぶん前に、観世の囃子方で市之丞という者と六郎兵衛という者が、御前で鼓くらべをしたことがございました。」

「知っています、『友割りの鼓』のことでしょう。」

「ご存じでございますか。」

十余年前に、観世市之丞と六郎兵衛という二人の囃子方があって、小鼓を打たせては龍虎と呼ばれていたが、二人とも負けぎらいな激しい性質で、常々互いに相手をしのごうとせり合っていた。……それが、ある年の正月、領主前田候の御前で鼓くらべをした。どちらにとっても一代の名を争う勝負だったが、ことに市之丞の意気はすさまじく、曲半ばにいたるや、精根を尽くして打ちこむ気合いで、ついに相手の六郎兵衛の鼓を割らせてしまった。打ちこむ気合いだけで、相手の打っている鼓の皮を割ったのである。一座はその神技に驚嘆して、「友割りの鼓」と今に語り伝えている。

「私は福井の者ですが、」と、老人は話を続けた。「……あのときのさわぎはよく知っております。市之丞の評判はたいそうなものでございました。……けれど、それほどの面目をほどこした市之丞が、それから間もなくどこかへ去って、行方知れずになったということを存じでございますか。」

「それも知っています。あまり技が神に入ってしまったので、神がくしにあったのだと聞いています。」

「そうかもしれません。本当にそうかもしれません。」老人は息を休めてから言った。 「……市之丞は、ある夜自分で、鼓を持つほうの腕を折り、生きている限り鼓は持たぬとちかって、どこともなく去ったと申します。……私は、その話を聞いたときにこう思いました。すべて芸術は、人の心を楽しませ、清くし、高めるために役立つべきもので、そのためにだれかを負かそうとしたり、人を押しのけて自分だけの欲を満足させたりする道具にすべきではない。鼓を打つにも、絵をかくにも、清浄な温かい心がない限り、なんの値打ちもない。……お嬢様、あなたは優れた鼓の打ち手だと存じます。お城の鼓くらべなどにお上がりなさらずとも、そのお手並みは立派なものでございます。おやめなさいまし。人と優劣を争うことなどはおやめなさいまし。音楽はもっと美しいものでございます。人の世で最も美しいものでございます。」

お留伊を迎えに来た少女が、薬湯を飲む時だと言って入ってきた。……老人は苦しげに身を起こして薬湯をすすると、話しつかれたものか、しばらくじっと目をつむっていた。

「では、きかせていただきましょうか。」老人は、長い沈黙の後で言った。

「……もうこれがきき納めになるかもしれません。失礼ですが、ねたままでごめんをこうむります。」

金沢城二の曲輪に設けられた新しい楽殿では、城主前田候をはじめ重臣たち臨席のもとに、嘉例の演能を終わって、すでに、鼓くらべが数番も進んでいた。

これにはいろいろな身分の者が加わるので、城主の席には御簾が下ろされている。お留伊は、ひかえの座からその御簾の奥をすかし見しながら、幾度も総身のふるえるような感動を覚えた。……しかし、それは気後れがしたのではない。楽殿の舞台で次々に披露される鼓くらべは、まだどの一つも彼女をそれさせるほどのものがなかった。彼女の勝ちは確実である。そして、あの御簾の前に進んで賞を受けるのだ。遠くから姿を拝んだこともない大守の手で、一番の賞を受けるときの自分を考えると、そのほこらしさと名誉のかがやかしさに身がふるえるのであった。

やがて、ずいぶん長い時がたってから、ついにお留伊の番がやってきた。

「落ち着いてやるのですよ。」師匠の仁右衛門は、自分のほうでおろおろしながらくり返して言った。

「……御簾の方を見ないで、いつもけいこするときと同じ気持ちでおやりなさい。大丈夫、大丈夫きっと勝ちますから。」

お留伊は、静かに微笑しながらうなずいた。

相手はやはり、能登屋のお宇多であった。曲は「真ノ序」である。……拝礼を済ませて、お留伊は左に、お宇多は右に、互いの座をしめて鼓をとった。

そして、曲が始まった。お留伊は自信をもって打った。鼓はその自信によくこたえてくれた。使い慣れた道具ではあったが、かつてそのときほど快く鳴り響いたことはなかった。

……三ノ地へかかったとき、早くも十分の余裕をもったお留伊は、ちらと相手の顔をみやった。

お宇多の顔はあおざめ、そのくちびるは引きつるように片方へゆがんでいた。それは、どうかして勝とうとする心をそのまま絵にしたような、激しい執念の相であった。

そのときである、お留伊の脳裏にあの旅絵師の姿がうかび上がってきた、ことに、いつもふところから出したことのない左の腕が!――あの人は観世市之丞様だった。

お留伊は愕然として、夢から覚めたように思った。

老人は、市之丞が鼓くらべに勝った後で自分の腕を折り、それも鼓を持つほうの腕を、自ら折って行方をくらましたと言ったではないか。……いつもふところへかくしている腕が、それだ。―――市之丞様だ。それにちがいない。

そう思う後から、目の前に老人の顔があざやかなまぼろしとなってえがき出された。それから、あの温雅な声が、耳ともではっきりこうささやくのを聞いた。……音楽はもっと美しいものでございます。

お留伊はふり返った。そしてそこに、お宇多のけんめいな顔を見つけた。ひとみのうわずった、すでに血の気を失ったくちびるを片方へ引きゆがめている顔を。

―――音楽はもっと美しいものでございます。人と優劣を争うことなどおやめなさいまし。音楽は人の世で最も美しいものでございます。老人の声が再び耳によみがえってきた。……お留伊の右手がはたと止まった。

お宇多の鼓だけが鳴り続けた。お留伊はその音色と、意外な出来事に驚いている客たちの動揺を聞きながら、鼓を下ろしてじっと目をつむった。老人の顔が笑いかけてくれるように思え、今まで感じたことのない、新しい喜びが胸へあふれてきた。そして、自分の体が目に見えぬいましめを解かれて、やわらかい青草の茂っている広い広い野原へでも解放されたような、軽い生き生きとした気持ちでいっぱいになった。

―――早く帰って、あの方に鼓を打ってあげよう。この気持ちを話したら、きっとあの方は喜んでくださるにちがいないわ。お留伊はそのことだけしか考えなかった。

「どうしたのです。」舞台から下りてひかえの座へもどると、師匠はすっかり取り乱した様子でなじった。

「……あんなにうまくいったのに、なぜやめたのです。」

「打ち違えたのです。」

「そんなばかなことはない。いや、そんなばかなことは断じてありません。あなたはかつてないほどお上手に打った。私は知っています、あなたは打ち違えたりはしなかった。」

「私、打ち違えましたの。」お留伊は微笑しながら言った。

「……ですから、やめましたの。すみませんでした。」

「あなたは打ち違えはしなかった、あなたは。」

仁右衛門はやっきとなって、同じことを何十回となくうり返した。

「……あなたは打ち違えなかった。そんなばかなことはない。」と。

父や母や、集まっていた親族や知人たちにも、お留伊はただ、自分が失敗したと告げるだけであった。だれが賞をもらったかということも、もう興味がなかった。ただ少しも早く帰って老人に会いたかった。森本へ帰ったのは正月七日の暮れ方であった。つかれてもいたし、粉雪(こなゆき)がちらちらと降っていたが、お留伊はだれにも知れぬように裏口から家を出ていった。

「まあ、お嬢様!」

松葉屋の少女は、不意に訪ねてきたお留伊を見て、驚きの目をみはった。

……そしてすぐ、きかれることは分かっているというふうに、「あのお客様は亡くなりました。」と。当たり前すぎる口調で言った。

「……あれからだんだんと病気が悪くなるばかりで、とうとうゆうべお亡くなりになりました。おとむらいは明日だそうでございます。」

お留伊は裏の部屋へ通された。老人は、貧しい樒のつぼと、細い線香の煙に守られていた。……お留伊は顔の布をとってみた。おとろえきった顔であった。つぶさになめてきた世の辛酸が、刻まれているしわの一つ一つにしみこんでいるのであろう。けれど、今すべては終わった。もうどんな苦しみもない。困難な長い旅が終わって、老人は今安らかな、目覚めることのない眠りの床についているのだ。

―――ようなさいました。

お留伊には老人の死に顔が、そう言って微笑するように思えた。

―――さあ、私にあなたのお手並みをきかせてくださいまし。

「私、お教えで目があきましたの。」お留伊はささやくように言った。

「……それで、いろいろなことが分かりましたわ。今日まで自分がどんなにみにくい心を持っていたか、どんなに思い上がった、たしなみのない娘っであったか、ようやくそれが分かりましたわ。それで、急いで帰ってきましたの。お目にかかってほめていただきたかったものですから。」

お留伊のほおに、初めて温かいものがしたたった。それから長い間、袂で顔をおおいながら声をしのばせて泣いた。……長い間泣いた。

「今日こそ、本当にきいていただきます。」やがて涙を押しぬぐって、お留伊は袱紗を解きながらささやいた。

「……今日までのようにではなく、生まれ変わった気持ちで打ちます。どうぞおききくださいまし、お師匠様。」

今はもう、老人が観世市之丞であるかどうか確かめるすべはない。けれど、お留伊は固くそう信じているし、またよしそうでないにしても、老人の枕辺に端座して、こころを静めるようにしばらく目を閉じていた。……南側のすすけた障子にほのかなたそがれの光が残っていて、それが彼女の美しい横顔の線を、暗い部屋の中にまぼろしのごとくえがき出した。

「いイやあ――。」

こうとして、鼓は、よくすんだ、荘厳でさえある音色を部屋いっぱいに反響させた。

……お留伊は「男舞」の曲を打ち始めた。
※お断り: 文中、青空文庫版『鼓くらべ』へのリンクを紹介したかったのだが、青空文庫版『鼓くらべ』は、現在入力中とのことで、2017年9月現在まだ存在しないので、ネット上を検索して見つかった 中国の掲示板 に投稿されていた、中国の方が入力した版をここに転載した。この版は、入力間違いが多く含まれ、参照資料として使うことには向かない。

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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