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2019年1月15日火曜日

縦乗りと横乗りの違い/同性愛文化からジャズ的フェミニズムへ ─── 縦乗りを克服しようシリーズその6 (oka01-fymhhkeoceixtgwc)


しばしば、日本人は縦乗りだと言われる。縦乗りとは、つまり日本語のリズムのことだ。 ─── そのことを、これまでの縦乗りを克服しようシリーズで見てきた。

では横乗りとはどのようなリズムだろうか。

横乗りとは

縦乗りではない音楽とは何なのだろうか。縦乗りではない音楽は、しばしば横乗りの音楽と呼ばれる。

縦乗りの正体は、日本語のリズムだ。だが実は、横乗りにはほとんどはっきりした実態がない。横乗りとは、縦でなければ横だろうという安易な推論から生まれた名称だからだ。社会一般的に認知された横乗りと呼ばれるリズムが存在するわけではない。

だが僕は、ここで敢えて縦乗りでない音楽のことを横乗りと呼んでみたいと思う。 横乗りと言う言葉は、視点を変えてみると、大陸のポップ音楽文化を特徴をとてもよく捉えた表現なのではないか、と僕は思うからだ。

横乗りとは、一体どのようなリズムなのか。

横乗りの特徴

縦乗りのリズムの正体は、演歌や音頭で使われれる揉み手の手拍子だ。揉み手の手拍子では、手を打つ音は、毎回同じだ。「何を当たり前なことを言うか」と思われるかも知れないが、これが海外の音楽では、毎回同じということはまずない。ここでいう海外とは、欧米だけでなく東南アジアや北アジアも含む。日本以外の大半の音楽では、それぞれの拍の音が毎回異なる。

拍子が毎回同じではないリズム ─── これを、ここで横乗りと呼んでみたい。

日本の揉み手のリズムは、毎回毎回が、同じ音の繰り返しだ。



だが海外のリズムは、各拍が毎回同じという訳ではない。



海外のリズムでは、しばしば2つの音の繰り返しで構成される。このアニメーションでは、右に移動して1回、左に移動して1回指を鳴らしている。海外のリズムは、しばしばこの様に左右・前後・上下・強弱等々、何らかの対になる2つのパターンを交互に行ったり来たりする。

この2パターンを往復するリズムの取り方のことを横乗りと呼ぶことにしよう。

横乗りとはどのようなものか

海外のダンス(欧米だけでなく東南アジアを含む) は、大抵2つのパターンを往復する横乗りのダンス動作が含まれている。ここでは僕が、横乗りの動きが特にわかりやすいと感じたビデオを紹介したいと思う。

例1

次のビデオは70年台のダンス番組「ソウル・トレイン」の様子を見てみる。


同じ動作を前後で交互に行うことでリズムを強調するテクニックが多用されていることがわかる。

これは、日本外の人達で必ず見られる動作だ。それも訓練されたプロダンサーだけではなく、プロアマの境なく誰もがやる。むしろ何故か日本人だけがやらない動作だと言っても過言でない。

例2

このビデオは、面白いビデオを作るということでネット上で有名になったキングベーダーという人が作ったアベンジャーズ/インフィニティ・ウォーのパロディーだ。このビデオには、コスプレをしながら踊る人が多く登場する。彼らは飽くまでもコスプレーヤーであり、プロのダンサーという訳ではない。

このビデオ中で踊っている人は、必ず2パターンのポーズを行ったり来たりしている。


映像を見てみよう。



日本のリズムには、このような2パターンの繰り返しがない。

日本のごくふつうなダンスを見てみよう。次のダンスは、静岡県の高校生のものだ。


日本では、それぞれ異なる単発の動作を4つ並べることで小節を構成することが多く、繰り返しの動作がほとんどでてこない。動きは機敏でテクニカルな動作が多く、先程のソウル・トレインに出てきたダンサーよりもずっと高度に訓練されている。だけど繰り返しを使ってリズムを強調するテクニック(横乗り)は使われていない。

次のビデオは、タイの田舎の人の他愛もない踊りだが、この人の動作は非常にわかりやすい横乗りの動作に基づいている。


メッセージによると、母親に店番を頼まれることに飽き飽きで、暇を持て余して撮った踊りだという。この人は、プロのダンサーという訳ではない。当然、どこかでダンスを専門的に勉強したということはありえない。だが、この人の動きは繰り返しによってリズムが強調されている(横乗り)で、左右・前後を往復する動きが多用されている。

もういちど日本のビデオを見てみる。


このダンスは、大阪府の高校生のダンスらしい。このダンスは、静岡県の高校生よりも繰り返しの動作が多い。だがこれは横乗りではない。(※ これは僕のリズム理論でいうところのおいっちにージャズおじさんリズムにあたる。詳しくは 日本語のリズムを限界を探る 及び 裏縦乗りとは何か で書いた。)

ここでもう一度タイを見てみよう。次の踊りは、タイの大学生の踊りだ。


恐らくこのビデオは、学園祭の余興などで踊ったものをアップロードしたもので、踊っている人はタイのごく普通の人だ。この人の動作は、縦乗り(1パターンの繰り返し)と横乗り(2パターンの繰り返し)が混在している。

こうしてみて見ると、日本のダンスと日本外のダンスは、いろいろな違いが見つかる。日本では大抵予め準備した振り付けにそって踊られるが、海外のダンスは、ほとんどがその場の思いつきで即興で踊ったものだ。

海外のサイトで音楽や踊りを検索すれば、横乗りの例は無数に見つかる。

横乗りとセックス

横乗りのリズムは、ドラマティックで強いバイタリティーを感じさせる。その理由は、横乗りのリズムはセックスの動作を彷彿するからだ。2パターンを繰り返し往復するリズムは、セックスをする男女の腰の動きを模倣したものだ。横乗りのリズムに合わせて踊る動作も、セックスをする男女の腰の動きを直接模倣したものになる。

日本の音楽は縦乗りだということは、言い換えれば、日本のリズムにはセックスの動作がないということでもある。

次のビデオは、2012年頃に米国で流行したダンスビデオだが、セックスというテーマを全面に打ち出した作品だ。



横乗りのリズムにセックス時の腰の動きのメタファーが含まれていることが観察できる例だ。




これは1990年に流行したスティーヴ・ヴァイのビデオだ。この曲にはアフタービートを極端に強調した横乗りのリフが繰り返しあらわれ、そのリフと同時に男女の喘ぎ声が聴こえてくる仕掛けになっている。横乗りにセックス時の男女の腰の動きのメタファーが露骨に含まれていることがわかる例といえる。


これは1988年のレッド・ホット・チリ・ペッパーズのビデオだ。この曲にも極端にアフタービートが強調された横乗りのリフと同時に女性の喘ぎ声が聴こえてくる仕掛けがある。


これは1987年のガンズ・アンド・ローゼズの有名なビデオだ。これにも同様な仕掛けがあらわれる。

セックスの動作を模して腰を振って踊るのは、欧米だけに限った話ではない。アジア人もだ。それは決して欧米に感化されたという訳ではなく、古くからある伝統的な踊りのなかにも取り入れらている。むしろ日本の文化にだけ、それがない。

次のビデオはタイのビデオだ。


この人はごく普通の人で、踊りを習っている人という訳ではない。だがタイの人はしばしば、誰から教わらなくとも当然のように横乗りのリズムで踊る。

次のビデオは、タイの東北地方(ラオ系タイ人居住地域)の伝統音楽の踊りだ。


笙(しょう)は、大陸起源の楽器で、日本にも伝来しており、雅楽を演奏するときに使われる。だが、歌謡曲などで使われることはまずないだろう。だが、タイでは今でも現役の人気娯楽楽器だ。タイ東北の人は、しばしばこのように激しい横乗りのリズムと共に笙を演奏する。

次のビデオも、ラオ族の音楽=ラムの横乗りがよく分かるビデオだ。


次のビデオは、ビデオ中の会話によると、タイで兵役を務めているこの人が、給料を前借りして買ったキーボードをビデオで披露しているものらしい。

彼らは、ラオ系タイ人でラオ語の方言を話しており、ラオの伝統民族音楽ラムを現代的にアレンジしたモーラムを演奏している。

このビデオに出てくる人達は、決してプロ・ミュージシャンという訳ではない。ラオ系のタイ人は、みな平均して非常にリズム感がよい。

この様に、彼らの伝統音楽は、本質的に横乗りだ。


世界のポップ音楽には、リズムでセックスを表現する横乗りの音楽が無数に存在する。


これは、プリンスの『Le Grind』という曲だ。強いアフタービートのフィーリングがある横乗りの曲。曲中でてくるフレーズ Up and down, up and down, feels so good という歌詞は明らかにセックスを隠喩したものだ。タイトルの grind は、「すりつぶす」という意味がある。 フランス語の冠詞 Le を付けて「ミーのおフランスざます」的なふざけたフランス風を狙っている。



これは90年代のヒップホップの古典的な曲だ。強烈な横乗りのリズムに乗って 曲中 All I wanna do is zum, zum zum. というフレーズがでてくる。これはセックスに対する欲望をストレートに表現する歌詞だ。


縦乗りと同性愛セックス

日本の音楽には横乗りのリズムがない。前章では、横乗りのリズムは男女のセックスの腰の動きを模倣したものだ、ということを述べた。だが日本の音楽には、このセックスのメタファーがない。そもそも日本の芸能にひとつでも男女が一緒になって踊りを踊るものがあっただろうか

日本の踊りは、どれも男女が分かれて踊るものばかりだ。これは実は世界的に見るととても奇特なことだ。

世界を見渡してみれば、世界の踊りはみな男女混合で踊るものばかりだ。タンゴ・ランバダ・ルンバ・ロカビリーに始まり、ヒップホップ・シャッフル・レイブ・トランスなどのクラブミュージック等々、そして、僕が研究しているラオ文化のラムもそうであるように、ほとんど全ての踊りで男女混合だ。日本のように男女が分かれて踊るというスタイルは、実はほとんどない。

次のビデオはロカビリーのダンスだ。


海外の踊りはしばしば、この様に男女混合で踊る。だがこの点で日本は異色だ。

これは女ばかり

これは男ばかり


日本の舞踊文化は、祭りなどの神事に根ざしているものが多く、踊りは大抵、男踊り女踊りと男女が分かれて踊る。その背景には日本の伝統文化にある女性は不浄という思想の存在がある。日本文化ではしばしば、厳しい女人禁制が敷かれる ─── 相撲の土俵に女は登れない。歌舞伎では女は舞台に上がれない。神輿を担ぐのは男性のみ。祭りの踊りは男によって取り仕切られ、女性は排除される。

日本の文化芸能は、極めてストイックな印象を受けるが、その反動なのか、日本は同性愛の芸能を発展させた。森鷗外のウィタ・セクスアリスを引き合いに出すまでもなく、日本の軍属の衆道は有名だったし、江戸時代に女犯を厳しく禁じられた僧侶が発展させた男色文化も有名だ。戦国時代には、男性同士の関係は男女の関係より「上」と考えられており、武家における男色は「出世の近道」ですらもあったと言われている。

同性愛文化は、男性だけに留まらない。現代では女性も宝塚やBLコミックなど、日本は世界最大の同性愛文化発信国ですらある。日本は世界最大の同性愛漫画の生産国であり、今や世界的に有名だ。恐らくは記録が残っていないだけで、歴史的に女性の同性愛文化は密かに続いていたのではないか。

踊る人が男女で分かれていれば、それを見る方も男女が分かれるのは当然だ。

次のビデオには、会場に一面びっしりと立ち並ぶ男性のファンが熱気が映しだされている。


観客は男性ばかり。このコンサートに女性を連れて行くのは得策ではないだろう。

次のビデオには、女性ばかり5万人以上が集まっている様子が映しだされている。


女性のみ5万人も会場に集まり一面に極まった様に立ち並ぶ様子はもはや壮観だ。

日本では、学校の名簿は男子・女子と分かれているのが普通だ(った)し、学校行事もしばしば男子・女子に分かれて行動する。海外ではどうだろうか。欧米では男子女子を同じ名簿に入れて管理すると伝え聞いているが、僕は寡聞にして知らない。少なくとも僕が住んでいた地域(タイ〜ラオス〜中国南部雲南省の国境周辺)では日本の様に学校行事で男子・女子とはっきり分かれて行動しているところは見たことがない。

男と女が分かれて踊る ───結果的に観客も男と女が分かれている。

よって日本の芸能は「男向け」「女向け」とはっきり分別されたものが多い。僕が知る限り、海外の芸能は男女共に楽しめる内容になっている。

次のビデオはタイ東北の民謡歌手だ。露骨なパフォーマンスだが、男性専科ということは決してなく、ダンスフロアにはむしろ女性客も多い。


タイ東北のラオ系タイ人の伝統芸能であるラムの歌手2人組だ。女性はブアバン・トンソーというタイ東北〜ラオスで絶大な人気を誇る歌手だ。男性はシーチャンという。どちらも男性女性の区別なく、非常に高い人気がある。


日本の縦乗りの根源

日本の音楽は縦乗りなのは何故か。

それは横乗りの本質がセックスにあるからだ。

横乗りの不在が縦乗りの本質であり、

縦乗りとは、つまりセックスの不在だ。

日本の音楽にセックスが不在な理由は、

日本の音楽は女性を穢れとみなした神事に根ざした文化だからだ。

神事から更に発展した日本の音楽は穢れのない同性愛セックスとして発展した。

日本人は、そういう同性愛文化の状態で千年以上過ごしてきた。

海外の『穢れた』異性愛セックス文化が入ってきたのは、

ごく新しい時代 ─── 明治維新以降になってからだ。

こうして日本も、異性愛セックス音楽の文化を取り込んだ。

その結果として生まれた歪みが、縦乗りだ。

日本のジャズ/ロック/ポップスが面白くないのは、

異性愛セックスを拒否しつつ、異性愛を歌うという、

歯切れの悪さが根源にあるからではないか。


日本人の抑圧はどこからくるのか

横乗りのリズムを訓練によって身につけるということには、民俗文化的・かつ内面的な問いが含まれれる ───

日本人は、大きな精神的な抑圧を持っている。

この抑圧から開放する為には、どうすればよいか。

否、そもそも抑圧から解放すべきなのか。

日本人は、何故、自ら抑圧を選んできたのか。

強い抑圧の一方で、夜這い・一夫多妻・一妻多夫・集団婚・強姦婚・男根崇拝など特殊な性風習を社会制度化した極めて珍しい民俗文化をかつて持っていた日本。

この記事の信ぴょう性は確認しようがないが、だが僕が知り合った奥地に住む友達から教えてもらった地元の風習も、実際の所この話と大差ない。

横乗りには、このような男尊女卑社会からの女性の解放と自立という思想が含まれている。

横乗りとフェミニズム

これまで横乗りについて説明し、男尊女卑と縦乗りには、深い関係があることに触れた。

もし横乗りの音楽であるジャズを演奏しようとするならば、ジャズが男尊女卑社会からの女性解放という概念を含んでいることを知らなければいけない。そこでフラッパーについて触れてみたいと思う。

フラッパーというのは、ミニスカートにキャミソール・ボブカットと丸帽子という出で立ちで歩き回る女性のことを指す。これは1920年頃に米国で起こった女性解放運動のひとつで、ジャズという音楽と非常に深く結びついたムーブメントだった。


今見ると全く違和感がないが、それまでの女性がゾロっとしたヴィクトリア王朝風の長いドレスを着ていたことを考えると、極めて衝撃的なファッションだった。当時フラッパーは不謹慎だといわれ、声高に批判する人も多かったという。

フラッパーはそれまでの女性では全くありえないほどに性的にあけっぴろげで、家を飛び出し街を自由に遊びまわる新しい女性の象徴だった。スカートが短くなってヒザ下の自由を得た女性『フラッパー』は、自転車をこいで走り回り、自動車を運転し、(足を広げて踊るダンス)チャールストンを踊る ─── それもセックスを象徴する音楽『ジャズ』に合わせて。


ジャズは、それまで女性に求められてきた性的規範からの解放の象徴だった。

恐らく日本の女性解放は、この流れを汲んでいる。当時の日本は(恐らく地域によって大きな違いはあるだろうが) 夜這い・一夫多妻・集団婚などが当たり前で、男性に逆らった女性は公然と処刑される。そんな超男尊女卑社会だった日本がアメリカと戦争をして敗戦し、それまでの日本と全く真逆の文化であるフラッパーの女性解放運動が日本に入ってきた。

社会が貧しく厳しい自然と闘う男性が全てを取り仕切り、女性は男性の資産だと考えられていた男尊女卑の時代が、産業の発展と社会制度の進歩と共に終わり、女性が解放が始まる。その女性解放のアイコンとして使われていたのがジャズという音楽だった。

日本の超男尊女卑社会で、女性が尻を振って踊るというのは、恐らく女性にとって自滅行為ですらあった筈だ。日本には、そういう抑圧が今でも男にも女にも残っているのではないか。

一方、日本以外のアジア(東南アジア・中国など)は、しばしば日本とは全く逆の『女尊男卑社会』だ。家督制度のなかで女性が最も強く男性は労働力でしかない。女性に逆らう男性・働かない男性は、暴力的に家から追放される。

タイの人(jod8riew氏)が書いた漫画。
タイには暴力に屈するタイプの女性はあまりいない。(リンク

女尊男卑社会で男性が痴漢を働こうものなら、暴力的によって制止されるか、暴力的に逆強姦されるかのいずれかの結末で終わる。男性が女性に手を出すというのは、男性にとって極めてリスクの高い行為だ。逆に言うと、そういう女性上位の社会では、男性にとって女性は脅威であり、女性が尻を振ってセックスアピールを行わない限り、 男性は決して近づいてこない。

この点に関しては、南米系やアフリカ系の人らでも共通ではないだろうか。

参考:ゴリラ系彼女の復讐

縦乗りの日本人にとっての横乗りとは、男性と女性がどうやって関わるかについての根本的な考え方の違いを受け入れるという大きなシフトが求められるものなのではないか。
 
男尊女卑思想を究極まで突き進むと、女性は低劣なので男性の方が良いというホモセクシャルの世界に突入する。男性の男性とのセックスは、女性とのセックスよりも上であり、女性とのセックスは飽くまでも子孫を残すための止むを得ない行為に成り下がる。男性が暴力的に女性を縛り付ける男尊女卑に、女性の同意など不要だ。

だが女性が解放されれば。男性も異性の気を引く努力をしなければいけない。暴力で女性を縛るだけ済んだ男尊女卑では考えられなかった男性ファッションの必然性が生まれる。男尊女卑では許された一方的で自己満足的なセックスは、性的に女性が解放された世界では許されなくなる。 ─── 縦乗りから横乗りへシフトする為には、このようなセックスに対する発想のシフトが同時に求められる。

日本人にとっての横乗りには、そんな女性の解放・女性の自立・そして女性が自由になった新しい社会での男性の自立という概念を含む。


終わりに

実はこの文章は、僕が書き始めに想定していたよりも、はるかに『下品』になった。だけど、本質的に「上品な方がいい」という考え方そのものが、日本のジャズが全く面白くない理由ではないだろうか。

本質的に下品なものを上品にやろうとする ─── その矛盾が縦乗りの本質そのものなのではないだろうか。

更に踏み込んで言うと、日本人(特に男性)は下品に品がない

日本人(特に男性)は、下品になるというとどうしても男尊女卑になってしまう傾向がある。日本人男性はどうしても『女尊男卑』のセンスが理解できない人が多い。『下品になってもいい』といわれた時に、どうしても男性本位的視点から脱出できず、女性が聞いても楽しめる相手の立場に立ったシモネタを出せない人が多い ─── そういうデリカシーのなさが縦乗りの根底に横たわっているのではないか。

女性の縦乗りにも同じことがいえるのではないか。女性が性的に解放されたときに、それを冷静に受けとめることができる男性の度量がない ─── 男性の報復を恐れて女性が自由になれない。そういう無意識の内の軛(くびき)が深層心理に打ち込まれ、自由になれない足かせが縦乗りの根底にあるのではないか。

(つづく)

関連記事:65536

更新記録:
(Thu, 31 Jan 2019 20:35:27 +0900) jod8riew氏の素晴らしい漫画を追加した。

(Tue, 21 Jan 2020 12:28:48 +0900) Steve Vai / Gun's and Roses / Red Hot Chili Peppers のビデオを追加した。

(Tue, 21 Jan 2020 12:49:11 +0900) 横乗りのダンスアニメーションを変更した。旧バージョンでは表拍で頭が下がる動作だった。これは実は縦乗りの動作だった。横乗りのリズムでは表拍で頭が上がる動作になる。このことを示すために新しいアニメーションを作成したので、この新バージョンと旧バージョンを入れ替えた。 

新バージョン

旧バージョン


(Sun, 12 Dec 2021 22:20:55 +0900) ビデオリンク切れを修正した。
(Sun, 22 May 2022 20:35:32 +0900) 表題を『縦乗りと横乗りの違い・同性愛文化からジャズ的フェミニズムへ』から『縦乗りと横乗りの違い/同性愛文化からジャズ的フェミニズムへ』へ変更しました。

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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