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2013年8月5日月曜日

ゴリラ系彼女の逆襲 (oka01-rzpjcozrzgiewmpk)

先日ツイッターで『❍❍系彼女』という絵が流行した。その中でゴリラ系彼女が、筆者の心に引っ掛かった ─── これでは、ゴリラ系彼女があまりにも不憫ではないか…! ─── 筆者は、読者に忠告する。決してゴリラ系彼女を侮ってはいけない。男性は決してゴリラ系彼女を無視できない。否、ゴリラ系彼女は、男達の羨望を一身に浴びる。ゴリラ系彼女は、男性から最も激しく愛される。ゴリラ系彼女は世界を支配する。ゴリラ系彼女は世界を羽ばたく───

以下でゴリラ系彼女の重要性を眺めながら、語学とゴリラ系の関連、ゴリラ系との付き合い方、語学を学ぶに当たってあるべき姿勢などを考えてみよう。

❍❍系彼女というのは、ツイッター上で流れているイラストで、次の様なものだ。


















筆者は、この中でゴリラ系彼女が気持ちに引っかかった。この中でギャグとして扱われ、魅力的な女性としての対象外、誰も興味を持たないだろうと考えられているゴリラ系。思えば、ゴリラ系キャラの発祥は、漫画ドラえもんの中の登場人物・ジャイアンの妹・ジャイ子に遡るのではないか。

のび太に隠れた恋愛感情を抱くも決して成就することのない悲劇のヒロイン=ジャイ子。

ジャイ子には希望を持つことすら許されない。何故なら、物語中ジャイ子の恋が幸せな結末を迎えない事が、タイムマシーンによって確認されているからだ。劇中、のび太がタイムマシーンによって未来の世界を訪れ、将来の配偶者・静香ちゃんを目撃するエピソードがしばしば描かれている。つまり劇中、ジャイ子はどんなにのび太に恋焦がれても、絶対にその夢は叶わないと、科学的に証明されているのである。 ジャイ子に残された道は、絶望のみである。

ジャイ子の希望は、未来の世界の科学技術を駆使する事により、絶対に復元しない確実なかたちで打ち砕かれている。ドラえもん1巻によると、のび太の未来の配偶者は、当初ジャイ子だった。つまり当初ジャイ子の夢は、叶うはずだった。だが、このジャイ子の慎ましやかな幸せを破壊すべく、未来から20世紀の小学生=のび太の元へ使者が送られた。それが未来のネコ型ロボット=ドラえもんである。いわばジャイ子にとってドラえもんは、ターミネーターと同じく破滅を招く使者である。

漫画ドラえもんの登場人物ジャイアンは、劇中で言った。「のび太のクセに生意気な!」力の弱いのび太に対して力の強いジャイアンがのび太を見下して、そう言い放つ。のび太の存在を完全否定する名セリフだ。読者は、このセリフからジャイアンの傲慢さを読み取るであろう。

だがしかしである。読者は、ジャイアンの妹・ジャイ子がのび太に恋する様をみて「ジャイ子のクセに生意気な!」と思ったことなど一度もない、と断言できるか。いや、何も決して筆者は、ここで読者の罪を暴き、糾弾し、断罪するものではない。ただ単に、事実を端的に述べているだけである。もしも読者が今迄かつて一度でも「ジャイ子のクセに生意気な」「ジャイ子が恋愛出来無いのは当然」と思ったことがあったならば、残念ながら読者は、少なくともジャイアンと同程度には傲慢と結論づけざるを得ない。

だが、その不公平に対して、疑問を挟む者は居ない。公然と人々の笑い者として蔑まれ、負け組に属するのが当然とされるゴリラ系彼女。ゴリラ系彼女には、幸せな結婚をする権利などないとでもいうのだろうか。



ゴリラ系と言われて筆者が思い出すのは、2005年頃に関西地方で発生したラジオを大音量でならすおばさんの話だ。その個性的で人懐こい表情が人々の気持ちを掴み、テレビ・新聞だけでなくインターネットでも話題になった。

騒音を立てた理由について、ネット上の記事によると、隣の老夫婦が引っ越して来た時、挨拶に来なかった事に腹を立てたことが原因と報じられているらしい。筆者は、当事者でないため、詳しい事情はわからない。だが、筆者が住んでいるタイでは、彼女の様な反応は、ごく至って一般的である。そこから色々な類推が立つ。

もしタイの農村に新しく引っ越して来たのに、挨拶に来なかったらどうなるか。感情的に拗れて嫌がらせを受けてもおかしくない。老夫婦が引っ越した先が日本でなくタイだったら、恐らくもっと激しい嫌がらせがあっただろう。タイ奥地の農村に住んでいた筆者には、そのことが、想像にかたくない。

一方でこういうタイプのおばさんは、菓子折りのひとつでも持って挨拶に行けば、快く受け入れてくれる気の良いタイプでもある。それも、セブンイレブンで菓子折りを買って持っていけば、それで充分だ。2〜3分の「作業」である。であれば、やればよいではないか。

たかが「2〜3分の作業」で丸く収まる近所付き合い。だが筆者がバンコクやラオスに居住する日本人を見ていると感じることは、この「2〜3分の作業」が出来無い人が、日本人には多いということだ。何故気遣いが出来無いのか尋ねると「何故挨拶しなければいけないのかわからない」「挨拶が無いだけで激怒する方がおかしい」などと考えていることがわかる。悪意のあるなしとは無関係に、この様な日本人は、現地人との間で激しい人間関係上の摩擦を起こすことになる。

もしも彼女の隣人老夫婦が、この様な挨拶しない派だったとしたら、挨拶派であろう彼女との衝突が起こるだろう。この様な、人間関係上の文化の違いが元で、問題が先鋭化していったのではないか。などと筆者は想像を逞しくした。



日本からタイにやってきた筆者から見ると、感じることがいくつかある。
  • 日本では「挨拶しない派」が一般的。
  • タイでは、大半が「挨拶派」。
  • 彼女と同じ感性を持つ人は、 タイではむしろ多数派。もし彼女がタイに居たら、恐らく何の問題もなく快適に過ごせただろう。
  • タイ人の大多数の人は、❍❍系という視点から見ると、ゴリラ系だ。
  • タイに居るゴリラ系の大半は「挨拶派」だ。
彼女は、タイのおばさん達と性格が似ているだけでなく、顔もかなり似ている。次の写真を見て頂きたい。

タイの東北地方のお母さん方

参照元

参照元

タイ東北地方・シーサケット県の方々

参照元

タイ東部・ラチャブリ県の方々
参照元

見てわかるように、タイでは住民全員が「騒音おばさん」である。タイは「騒音おばさん」の故郷である。タイの文化は「騒音おばさん」の文化である。タイだったら「騒音おばさん」は、犯罪者ではなく、ごく在り来たりな、目立たないおばさんだったろう。筆者から見ると、騒音おばさんが日本社会で問題を起こしたのではなく、むしろ日本社会が騒音おばさんを作りだしたのではないか、と感じる。



ゴリラ系はブスか

日本ではゴリラ系と言えば、デブ・ブス・非モテ系と捉えられている。だがこれは事実ではない。往々にしてゴリラ系はセクシー系である。その事をこの節で見てゆく。




上記は、フェースブックのタイ東北地方出身女性のプロフィール写真の数々である。つまり上記美女の数々は、本質的にゴリラ系彼女である。つまり、先にタイの東北地方のお母さん方を見て頂いたが、この美女軍団もいずれタイの東北地方のお母さん方と同じようなゴリラ系お母さんになる。つまり、上記の美女軍団の性格は、言わずもがな、ゴリラ系である。見かけが如何に猫系彼女であろうが、それは見誤りである。美女の本質はゴリラ系である。つまり彼女たちの本質は、飽くまでもジャイアンであり、ジャイアンのお母さんであり、ジャイ子であって、決して静香ちゃんではない。この節に、多くの説明は必要あるまい。

バンコクにやってきた日本人男性は、しばしばこの様なゴリラ系彼女に、コトリ系やコネコ系の幻想を抱き、バンコクに沈没してゆく。



世界のゴリラ系

実は筆者は、タイだけではなく、アメリカやドイツにも滞在した事があるが、その辺のゴリラ系事情は、案外とタイと同じではないだろうか。世界のトップモデル/トップアイドルの殆どはゴリラ系である。その事をこの節で見てゆく。


上記は、スヌーキよ呼ばれるアメリカのアイドルだ。 スヌーキに関しては、YouTube上で無数に動画が出回っているので、手軽に見ることが出来るだろう。筆者は、ゴリラ系彼女のイラストを見て、まずスヌーキを思い出した。

ゴリラ系彼女


以下筆者がゴリラ系彼女として彷彿するスヌーキの写真だ。

スヌーキ・イケメンでハーレムを作る
 
スヌーキ・投げる
スヌーキ・へし折る
スヌーキ・セクシー踊る
スヌーキ・イケメンを喰う

スヌーキのビデオは、ネット上に無数のコピーが存在する。

スヌーキ・インタビュー
https://www.youtube.com/watch?v=9meCWs8LsSw

スヌーキ・ドルチェのコマーシャル撮影会?
http://www.youtube.com/watch?v=7Wj1Onv6GoU



ゴリラ系の逆襲

ゴリラ系は、不人気だろうか。否、そんなことはない。むしろゴリラ系の方が人気が高い。むしろ犬系・猫系・小鳥系・ ウサギ系は、マイノリティーではないか。この事を以下2つの音楽ビデオから見てみる。

1つめのビデオ

ビーバスアンドバットヘッドというアニメシリーズをご存知だろうか(詳細はこちらを参照)。このシリーズの中で主人公が音楽ビデオを見ながら批評を加えるという物がある。以下はそのシリーズの中の一篇ソニックユースというバンドのミュージックビデオだ。

ビデオ中に登場する子供っぽいダンサーが、ビービス・アンド・バットヘッドから、タップリと皮肉がこもった批評を浴びる。


「あの周りで踊り続ける5歳児は一体誰なんだ。」と罵られる犬系彼女


「俺のチンコから離れろ!あっち行け!」とビービスに揶揄される犬系彼女

ビデオを見る



2つ目のビデオ

次のビデオも同じようにビービス・アンド・バットヘッドのものだ。筆者の勉強不足により、歌手名が不明だが、最初のAOR風の曲を聞いてみる。

ゴリラ系のあまりのセクシーさに呆然とするビービスとバットヘッド

私の望み … それはズンズンズン

※ All I wanna do is zum, zum, zum! というのは、当時流行した歌の歌詞らしい。(参照

ビデオを見る



ゴリラ系価値観とコネコ系価値観の違い

日本ではしばしばロリ系・コネコ系・コイヌ系など未成熟で子供っぽいことにポシティブなイメージが持たれるが、海外では往々にして子供っぽいことにネガティブな印象を持たれる場合が多い。 上記の2つのミュージックビデオから、そんな日本と海外での成熟度に対する価値観の違いを垣間見ることが出来るのではないだろうか。

日本では、しばしば髭を伸ばす男性を「勘違い野郎」「キモ男」などと揶揄することが多い。だが日本の外では、往々にして髭は「成熟した男性のシンボル」とされる。髭は、性行為を行うことが出来て、家族を養う事が出来る、成熟した男性のシンボルだ。だから若者は背伸びをして髭を伸ばしたがる。だが日本には、未成熟な性に対する幻想がある。 日本には、髭を生やした様な成熟した男性を気持ち悪いものと感じる感性がある。




ゴリラ系彼女の台頭

日本では、イヌ系彼女・ネコ系彼女がマジョリティーを占めているが、これは実は、世界的に見ると珍しいことである。世界的に見るとゴリラ系の方が圧倒的に多い。

ゴリラ系は世界中に居る。否、ほとんどの人がゴリラ系ではなかろうか。欧州もゴリラ系が基本だと筆者には思える。確かに欧米の白人にはイヌ系彼女・ネコ系彼女が居るかも知れない。だが日本のイヌ系彼女・ネコ系彼女と性格がかなり違う。もっとゴリラ系に近いイヌ系・ネコ系だ。

日本人は、どうもゴリラ系人が苦手な人が多いようだ。ゴリラ耐性が低いウサギ系人が多い。だからこそ、ゴリラ系の人たちを蔑み差別化し、距離を取ろうとするところがあるのではないか。

だがそんな人間ガラパゴスの日本に住むウサギ系の日本人も、海外に出たらそこはゴリラ系の巣窟だ。 ジャイ子の様に蔑まして笑い者にして距離を取るだけでは、済まされない。ジャイ子に対しても静香ちゃんと同じ程度の愛情あふれる対応が求められる。ジャイアンとも対等に付き合っていく事が求められる。

どうすればよいのだろうか。



ゴリラ系彼女と付き合うためには

ゴリラ系と対等に渡り合う為に、いくつか大切な武器があるので、ここで紹介する。

アイコンタクト

目を見ることは、コミュニケーションの基本だ。自分が目を見て、相手が目を見る。そこからコミュニケーションが始まる。目を見なければ相手が何をしようとしており、何に興味を持っているのかわからない。目を見てその人の思いを察知する事が、コミュニケーションの第一歩と言える。

近視の人が多いネコ系やイヌ系と違って、ゴリラ系は遠視の人が多い。よって遠くの人ともよく目が合う。これを見逃すと、コミュニケーションをするタイミングを失ってしまう。いかに遠くの人であっても目を見る事を忘れない。

なお、目を見る時、真っ直ぐ見つめると、相手に仕事を頼みたい等、相手に対して用事があるという意思表示になる。用はなくても、相手の様子を観察して、相手の出方を探りたい場合は多い。その様な場合は横目を使って見る。横目で見ると、相手に用事はないが、相手に興味はある、という意思表示になる。 横目で目があったら、お互いが興味を持っているという意味だ。


スマイル
スマイルは、相手に敵意を持っていない事を示す、最も大切な表現だ。日本人同士の場合、無闇に他人に微笑みかけると「何ニヤニヤ笑ってみてるんだよ」等々と怒り始める人が居るので、スマイルはコミュニケーション上、リスクのある表現だ。だがこれは、日本独特ルールだ。日本の外では通用しない。日本の外では笑顔は和平のサインだ。目があったら即スマイル。これが基本だ。スマイルしないとケンカを売っていると思われてもおかしくない。殺るか殺られるか。そんな緊張感。

スマイルのない人も居る。だがこれはより高度なテクであるという認識が大切だ。怒った顔の怖い印象をいつでも覆すことが出来る、面白いギャグをどんな状況に於いても即座に繰り出すことが可能な高度な実力の裏付けが必要となる。

スマイルは時として眉毛スマイル(後述)でも代用可能だ。


眉毛コミュニケーション

ゴリラ系は、眉毛をよく動かす。眉毛だけで、怒っている、不愉快である、怪訝に思う、快適である、好意があるなどの、様々な印象を相手に伝える事が可能だ。


眉毛スマイルは大切だ。両眉毛を同時に上げる表情は「やぁこんにちは」の意味を持つ。遠くにいる知人と目があった時、騒音が激しいなかで知人と出会った時、この表現は大切な意味を持ってくる。日常のほとんどの挨拶は、これだけで充分だ。

会釈

海外のゴリラ系と日本のイヌネコ系を比べると、会釈する時の頭を動かす方向が違う。日本では会釈をする時に頭を下げるが、ゴリラ系の方々は会釈をする時に頭を上げる。


挨拶・世間話

語学を習うと、挨拶として「ハロー」「サワッディー」「ニイハオ」等々と習うであろう。だがネイティブは、殆どこれを言わない。 大抵のゴリラ系の人は、挨拶の代わりに「どこに行くのか」「飯は食ったか」「最近調子はどうか」「この間の話はどうなったか」などの近況を話す。これをすれ違いざまの1〜2秒という瞬間で完了させる。これを的確に遂行することは大切だ。

この短い一言挨拶は、相手に自分の近況を伝え、自分が相手の近況を知る大切な手がかりになる。これは、次のゲームを行う上で大切な情報源となる。

ゲーム

ゴリラ系の人たちは、ゲームが好きだ。

ゴリラ系の人が好むゲームは、ネコ系イヌ系日本人が想像する様なものではなく、人を騙して何かを奪い取るポーカーの様な騙し合いの要素が強いものだ。日本でゲームといえば、ドラクエやモンハンなどを想像するだろう。だがゴリラ系が言うところのゲームは、日本語で言うところの「遊び」という意味ではなく、むしろ「駆け引き」「勝負」という意味合いが強い。 ゴリラ系は、屋台で食事する際や市場での買い物などで、常に知人・友達と「駆け引き」「勝負」=ゲームをして楽しんでいる。

毎日ゲームを楽しんでいる人が一般的なので、勝負強い人が非常に多い。 そこに我が日本のイヌ系ネコ系が来ると、当然勝負の世界に慣れておらず、実力差があまりにもかけ離れすぎているため、好きなようにカモられ詐欺られる結果となる。

その様な中でどうするべきだろうか。アイコンタクト・眉毛・世間話をフル動員して敵に関する情報を収集し、できるだけ有利なゲーム展開を目指そう。相手に対して有利な状況に持ち込んで対等な駆け引きが出来る様になると、相手からも一目置かれて、更に仲良くなることが出来る。



終わりに、寛容さについて

さて語り残したことは多いが、ここでひとまず筆を置くこととする。如何だったろうか。

筆者がこれまで外国語を勉強した中で常に感じてきたことは、日本の特殊性だ。外国について知れば知るほど、外国では共通なのに何故かどうして日本だけ違う点がつぎつぎに見つかる。挨拶の仕方、住んでいる人の顔つき、生活環境、言語、方言の起こり方、等々…日本だけが異なる点は、多い。

タイ語で覚えた常識は、往々にして英語でも使える。英語で覚えた事は、往々にして中国語でも使える。このように、これらの言語には、色々な点で共通している事が多い。むしろ日本語だけが特殊と見たほうが的確だ。そんな世界の特殊言語=日本語を話す日本人にしてみれば、どれかひとつ外国語を学んだら、後は同じようなものだ。

日本人は、語学を志すとしばしば中国・朝鮮・タイ・ベトナム・ロシアを飛び越して、一足飛びに英語・フランス語・イタリア語・ドイツ語を志す。そしてみな一様に、語学に対する苦手感や、現地の人間関係に溶け込めないコミュニケーション障害を起こす。

だが、これらはそもそも、フランス語・イタリア語・ドイツ語だけが持っている難しさではなく、タイ語だって中国語だって持っている難しさでもある。

中国文化・タイ文化・朝鮮文化などの隣国の文化に対して寛容にならずして、何故フランス文化・イタリア文化・ドイツ文化などの遠い国の文化に対して寛容になることができようか。

否、日本人は、日本人同士の隣人の文化の違いにすら寛容になることが出来無い。

「髭はキモい」「ツルツルはキモい」「デブはキモい」「ガリはキモい」「丸顔はキモい」「四角顔はキモい」「足がキモい」「毛がキモい」「ファッションがキモい」「好みがキモい」「キモい」 「キモい」…日本人は他人の様々な志向について「キモイ」等の批判を加える。

だが残念ながら、人の性質は人それぞれである。それは誰にも変えることが出来無いものだ。もし自分が「キモイ」と思う志向が、この世の中に存在してはならない、というならば、自分が「カッコイイ」と思う志向を、誰かが「キモイ」と思う事も充分あり得ることである以上、自分の志向もこの世の中に存在してはいけないことになる。

これでは日本社会は、日本人全員の最大公約数をとった無難な共通点だけが許される、日本人全員が息苦しい「誰得社会」になってしまうではないか。

日本人は、外人よりも前に、もっと日本人同士=個人差に対して寛容になるべきだ。

「キモイ」「いやお前こそキモい」 この様なコミュニケーション破綻は、必ずそこにいる両者の共同責任だ。どちらか片方の責任ではありえない。コミュニケーションとは、両者お互い譲り合い、歩み寄り、相手を受け入れ合って初めて成立する、協力作業だ。コミュニケーションに対する前向きな姿勢をどちらかが放棄してしまったら、その時点でコミュニケーションは破綻する。

だが一方で、相手が常に自分を受け入れてくれるとは限らないところが難しい。 自分は、常に他人を受けれる事が出来る。受け入れられなかったとしても、それは自分の問題であり、自分の心がけ次第で変えられる。 だが他人が、常に自分を受け入れるとは限らない。受け入れられなかったとしても、それは他人の問題であり、自分の心がけだけでは変えることが出来無い。

そういう状況下では、まず自分が相手を受け入れる事が重要だ。 コントロール出来無いもの=相手に破綻の原因を求めても問題は解決しない。 だが往々にして不誠実な人は、しばしばコミュニケーション破綻の原因を、まず他人に求める。出来る限り似た者同士で結託し、特定の個人を 「何で❍❍ちゃんって空気読めないの?」「何でそうやって性格がズレてるの?」と糾弾する。するとコミュニケーションに対して誠実な人は、絶対に解決しない一方通行コミュニケーション破綻の原因を自分に求めて、他人のコミュニケーションに対する不誠実さを自分自信の責任と考え、延々と自分を責め続ける不幸な状況に陥る。

日本人は非常にバラツキが大きい。よって日本人の全員が他人を糾弾し、日本人の全員が自分の「コミュニケーション障害」に悩むという、非常に不幸な状況になってやしないか。他人を「空気読め」と罵る不誠実な人間の側に、必ず自分を「コミュ障」と思い込む、優しく誠実な人が居る。
 

隣人に対して寛容になること。

実はこれこそが、外国の文化を理解する為の大切な第一歩だ。




関連記事

※ ❍❍系という言い方は、日本独特なものだ。外国では、この様な分類が出来無い。何故かというと、海外では、系の違いは、そのまま民族の違いとして認識されるからだ。日本だけが民族の違いを無視してゴチャゴチャに混ざって生活している。日本人は、日本人がみな共通であるという認識を持っており、民族の違いはないと考えている。が、皆漠然と日本人にも色々なタイプの違いがある事を感じており、それを表現すべく「血液型」「動物型」「ソース顔・ショウユ顔」「猫系・系」などと分類する方法を発明したのではないか。そんな「個人差以上・民族未満」を表す言葉日本語はたくさん持っている。

 この日本の多民族性について、筆者は今迄何本か記事を書いた。

空気を読む日本人・空気を読まない日本人
ぶつかる人々
気持ちと論理の交差点
寛容さ
空気が読めない人とは



更新記録
「会釈の仕方について」を加えた (Mon, 26 Aug 2013 00:27:33 +0900)