─── ここで仮に、日本語で『チンコマンコブー』と書いてあったとする。
そしてそれをとある第三国アジア人が見たとする。
ちなみにその国では日本語のことをジャズと呼んでいる。
その国の人達はジャズが大好きだ。
だが、その内容はあまり理解していないようだった。
「チンコマンコブー!」
「意味がわからん…」
「やはりジャズは難解だ…」
「高度な知識を求められる音楽は人気がない…」
「難解なジャズは面白くない…」
「僕は面白さがわかるけどね〜」
「演奏が長すぎる…」
「多少聴き応えがあった方がいいんじゃないの?」
「ジャズは難解でなければいけないという発想自体がおかしい」
「ジャズが簡単ではいけないんですか!?」
「なんでお前はそうやって知識をひけらかすのだ」
等々・・・諸説紛々。
終いには「アエアイアフェッサガセガスシソ」などという、全く日本語として判別できないようなデタラメな日本語を言い始める現地人が現れ、それをべらぼうな値段で売り始める詐欺師が現れる。(※ 『おかしな日本語』を参照)
「アエアイアフェッサガセガスシソ!」
「なんだそのフレーズは!」
「ジャズは多少知識がないと理解できませんよ?」とドヤ顔。
「理解できないのは知識がないからなのです!」
「お前はすぐそうやって知識をひけらかす!」
「そうやって高度になればなるほど、理解できる人が少なくなる。シンプルが一番だ。」
…等々、巻き起こる論争。するとそのうち現地語を喋ってそれを日本語と称する人があらわれる。
「ニーハオ!」
「おぉ!わかりやすい!」
「やっぱりジャズはすばらしい!!」
「そんなものはジャズじゃない!」
「いやこれこそがジャズなんだ!」
「人に伝わらなかったら音楽じゃないだろ!」
「だがニーハオはそもそも日本語じゃないだろ!お前は違いがわかってるのか!」
「お前はすぐそうやって知識をひけらかす!」
─── その論争に加わっている全員誰ひとりとして「チンコマンコブー」という言葉の真の意味に到達しない。
これを奇妙だと思うだろうか。
「みんな聞いてくれ! これの本当の意味は『チンコ・マンコ・ブー』だよ!日本語のスラングなんだよ!」
「日本語がそんな下品な筈がないだろ!」
「誰もお前の自分勝手な意見なんか聞いてないわ!」
「そんなものはお前の思い込みだ!」
「妄想乙www」
そのうち本物の日本人がやってくる。
「本場日本のジャズです!ライブやります!」
・・・日本人はライブで絶叫する。
『オマーラ!ゼーインバカッタレ!クソッタレ!』
「やっぱり本物のジャズは違うわ!」
「チケット代1万円払った価値あった!」
「さすが本場!内容のクオリティが高すぎる!」
現地人は、それを模倣して歌い始める。
『オマーラ!ゼーインバカッタレ!クソッタレ!』
『オマヘラ!ゼヘインカッタレ!ソッタレ!』
『ホハヘラ!ゼヘインカッタレ!ソッタレ!』
「これはカッタレに聴こえますが、本来『バカッタレ』と言わねばなりません!』
『ホハヘラ!ゼヘインカッタレ!ソッタレ!』
「違います!」
「そもそもですが、これの本当の意味は『馬鹿たれ、糞たれ』で、汚い言葉なんですよ!」
「凄いねー頭いいね−!」
「また妄想乙www」
「彼は承認欲求が強すぎるから嫌われるんだな。」
そのうち、現地人が日本に来て演奏しにやってくる。
故郷に帰った彼は鼻高々にこういった。
「私は本場で『ゼーイン!バカッタレ!クソッタレ!』を演奏してきたんですよ?」
「さすが一流!」
「やっぱり一流は違うな!」
「あんなのは一流じゃない!」
「何か発音が違う!」
「あんなのはジャズじゃない!」
「どうせ日本にいたのなんか1週間程度じゃないか!」
「あんなやつ大したことない!」
更に日本人を巻き込んでいく。
「私はあの日本の一流ピアニスト『コリアチンコ』とお友達なんですが、このあいだ2台ピアノ並べて一緒に演奏してアルバムまで作ったんですよ!?」
『(怖ろしいスピードで連呼)ゼーイン、バカッタレ、クソッタレ、ゼーイン、バカッタレ、クソッタレ、ゼーイン、バカッタレ、クソッタレ、ゼーイン、バカッタレ、クソッタレ、ゼーイン、バカッタレ、クソッタレ、ゼーイン、バカッタレ、クソッタレ、ゼーイン、バカッタレ、クソッタレ 』
「すげー! さすが一流のテクニック! 本場で鍛えただけあるわ!」
怖ろしい超絶技巧で「バカッタレ」を連呼する。
…果たして、言っている内容がわかってなくても、テクニカルなら許されるのだろうか。
果たしてこの国では他愛もない『チンコマンコブー』という一言をいうだけのことで、どれくらいの苦労をさせられるのだろうか。
───日本のジャズは、これと同じだ。
『チンコマンコブー』という言葉の意味に直行しても、誰もそこに到達できない。
よってコミュニケーションが成立しない。
人々は『チンコマンコブー』を目の前で見ている。
目の前で見ているのに意味に到達できない。
そして『チンコマンコブー』の周辺に巻き起こる幻想と延々と戯れている。
決してその『チンコマンコブー』の真意を知ろうとはしない。
これを不毛と呼ばずして。
不毛だが、これが世界最大の『ジャズ消費国』の正体で…。
音楽に難解もへったくれもない
音楽に難解もへったくれもない。そこにあるのは言語だけだ。国が違えば理解できない。難解に見えるのは、単にそれが外国語だからだ。それは内容の高度さとは何の関係もない。
だが日本人にはどうも、意味がわからなければありがたがるという妙な習性があり、 かつ同時に真逆の習性も持っている ─── 意味がわからないと最終的に自分が馬鹿にされたと錯覚し疎外感を募らせて怒り始める。そういう愛憎入り混じった矛盾した感情を同時に持つ。
音楽の特殊性
─── だがここまでの話は音楽を弾く人の話だ。音楽を聴く人にとっては、全く真逆の世界がそこにある。
確かに、音楽には言語と非常に近い性質がある。
だが音楽にしかない特徴がひとつだけある。
言語は、国が違えば伝わらなくなる。
だが音楽は、国の違いを超えて伝わることがある。
いくら正しい語法で述べられた言語でも、国が違えば伝わらない。
だが正しい語法で述べられた音楽は、国を超えて伝わる。
音楽が伝わらないのは、それが難解だからでは決してない。
更新記録:
『ジャズと権力6』をタイトルに追加した。(Fri, 16 Aug 2019 13:10:59 +0900)
関連記事を追加した。(Fri, 16 Aug 2019 13:11:54 +0900) 表題を『難解なジャズとは 〜 ジャズと権力6』から『ジャズと権力6…難解なジャズとは 』へ変更しました。(Sun, 08 May 2022 02:20:37 +0900)