FLAGS

MENU

NOTICE

2018年9月10日月曜日

ジャズと権力1…東京は大好きだけど東京者は大嫌い(oka01-jfdnkynywxhtrvlj)

東京(特に山手線圏内)でジャズ演奏の活動をしていると、嫌らしい権威主義が鼻につく人を多く見かける ── だが恐らく、日本ジャズの権威主義的な精神性を否定してしまうと、日本のジャズ界は瓦解してしまう。何故なら日本のジャズ界は、本質的に音楽的な魅力によって成り立っている訳ではなく、権威によって成り立っているからだ。



権威に無頓着になって純粋な芸術としての音楽制作をするにせよ、日本で続ける以上、日本ジャズの権威主義の激しい妨害を受けることは避けられない。その音楽が世界レベルに近づくほど、受ける妨害は激しくなる。


日本社会でジャズ演奏活動を続ける上で、この社会矛盾にたいしてどの様な姿勢を維持することが望ましいのか。社会学的な観点から分析してみた。

この文章は、東京都内のジャズ界で生活するなかで常に感じ続ける強い違和感の来る場所がわからない僕が、一種のブレーンストーミングとして書き始めた文章に、加筆訂正して体裁を整えたもので、3つのパートに分かれている。

『ジャズと権力1. 東京は大好きだが、東京者は大嫌い』(当記事)
『ジャズと権力2.縦乗りと横乗りの本質』
『ジャズと権力3.ジャズの武道性』

またこの文章中、繰り返し日本語が持っている特殊なリズムの存在について言及されるが、この特殊なリズムについて次で説明した。

何故、日本人は縦乗りなのか ─── 縦乗りを克服しようシリーズその1
縦乗りの起源・日本語のリズム ─── 縦乗りを克服しようシリーズその2
縦乗りをよく知る・縦乗りと裏縦乗り ─── 縦乗りを克服しようシリーズその3
日本語のイントロ ─── 縦乗りを克服しようシリーズその4

日本語がもつ特殊なリズムと、ジャズとの関係は以下で説明した。

言語と音楽『ジャズと揉み手』

この文章を読み始めるにあたり、これらを前もって読んで知識を持っていることが望ましい。

東京の権威主義

東京(特に山手線県内)でジャズ演奏の活動をしていると、人の心のからくりをよく観察する一介のミュージシャンと して、見ていて非常に気持ち悪いミュージシャンをたくさん見かける。

僕は、100人中100人が、ひと目で東京者とわかるはっきりした風貌と話し方がある ─── 様だ。僕の身辺は関東者ばかりなので、そういう風に思われることなど当然ない。 だが山手線圏内に入ると、僕に対して露骨な嫌悪感を示す人が増える。何故かというと、山手線圏内に住む人は、関東出身の人が少ないからだ。

というのも、この嫌悪感には見覚えがあるのだ。かつて僕が住んでいたバンコクで出会った頑張って標準語を話すタイプの関西人が、しばしば僕に向ける嫌悪感と全く同じタイプのものだ。彼らの前で僕が言葉を発しなければ問題はない。だが僕が一言でも話すと、僕に対して陰湿ないじめ行為を開始、僕を追い出し始める  ─── 思い過ごしと言ってくれて全く構わないが、とにかく僕はタイ〜ラオス〜中国南部で過ごした10年の間に何度も経験した。特にバンコクでは、駐在する日本人の9割以上は、西日本人だった。

バンコクや大阪にいる関西人が、関東者である僕を嫌うのは、自然なことだ。僕としてもできるだけ嫌悪感を与えないように、謙虚に関西の文化をよく学んで、自分の配慮のなさを反省するのみだ。

だが僕が今見ている都内に上京してきた方々は、 それでは済まされない。彼らは、東京に憧れて東京に出てきたのだから、服装だけでなく中身も東京流でやってくれないと困る ─── 僕は端的にそう思う。だが現実は『東京は大好きだが、東京者は大嫌い』という矛盾した感情を持っている人はとても多い。

以前、僕がツイッター上で懇意にしている友人に「日本人は権威は大好きだが、権力は大嫌いなのだ」とアドバイスを頂いたことがあったが、僕はこの『東京は大好きだが、東京者は大嫌い』というトートロジーが、『権威は大好きだが、権力は大嫌い』というトートロジーと本質的に同じものなのではないか、と思い始めた。

権威主義とは

広辞苑によると権威とは次の様に定義される ─── 『他人を強制し服従させる威力。人に承認と服従の義務を要求する精神的・道徳的・社会的または法的威力。』 また権威主義は次のように定義されている ─── 『もっぱら権威に価値を認める主義。権威に対する自己卑下や盲目的服従、また、権威をもって他を圧迫する態度や行動としてあらわれる。』

またある定義では、権威とは、威嚇や武力によって強制的に同意・服従させる(権力を行使する)ことなく、自発的に同意・服従を促すような能力のこと。 権威主義とは、権威を無批判に受け入れ、それを受け入れない少数派を憎むパーソナリティのことを指す。

また僕は、権威主義の人の心理を分析し、次のような説明を考えてみた。 ─── 【権威】とは、提示された光り輝く素晴らしい物に対して自分を一体化していく作業、あるいはそれが生じる幻覚によって全能感を獲得していく過程である。

権威主義とは、弱い人間が嗜む阿片の様なものではないか、と僕は思う。

ドイツの社会学者 テオドール・アドルノ (悪名高い Fスケールテストの考案者)によると、次のような人はいわゆる「権威主義」が強いという。
  • 一般常識としての善悪の概念に無条件に従う
  • 一般的に認知された権威のみを尊敬する
  • 一般常識的に沿わない人に対して攻撃的
  •  一般的な人に対して「みな嘘をついている」「みな騙している」「みな隠れて盗んでいる」というようなネガティブな見解を持っている
  • 絶対に妥協しない強力な指導者を望んでいる
  • 単純明快な答えと激しい口撃を好む。例として「メディアが我々を操っている」「現代社会の問題はすべてモラルの崩壊から始まっている」等々
  • 創造的な考え・リスクの高い考えに抵抗がある。
  • 白黒はっきりした単純化された世界観。
  • 自分が持っている不満・怒り・恐れといった感情の原因を、特定の非差別グループに求める。 
具体的な調査をしたわけではない。だが個人的には、これを読むと「あのセッションで会った◯◯さん」「このセッションで文句を言ってた□□さん」の顔が思い浮かんでくるのだが、この文章を読んでいる方はどう思われるだろうか。

日本のジャズの権威主義

飽くまでも個人的な印象ではあるが、日本のジャズマンを見ていると、露骨な権威主義が見え隠れする人々がとても多い。むろん全員ではないが、山手線圏内で活動をしている人にはとても多い…と僕には思えて仕方がない。外人がやれば「凄い」というが、全く同じことを日本人がやると恨めしい。  ─── そこから派生してあらゆるマイナスの感情が噴き出してくる。

僕は、自分が権威を振りかざすことが大嫌いだ。だから色々な人との会話のなかでは、「◯◯がこういった」「僕は◯◯に何年在住した」という権威の存在を頼らずに、誰の目にも正しいと明らかな事柄だけをつなぎあわせて、考えを説明するようにしている。

だが都内の権威主義的な地方出身者は、それでは絶対に納得しないのだ。

僕は基本的に、この10年間、外国に住んで外国語を勉強してきた。異国の世界で外国語を学ぶというのは、日本の基準で考えれば、とても厳しい行為だ。外国で外国語を勉強すると、全ては「まったなし」の世界に突入する。すべては何の容赦もない「まったなし」であり、できなければ追い出される。場合によっては殺されることもある。

「日本の基準」というものは、とても甘い。できていなくても、まるで幼稚園の先生のように「よくできたねぇ!」「ほんとうにすごいねぇ!」「ほんとうによくがんばった!」と褒めてくれる。それは僕が今携わっているジャズの世界だけではなく、IT業界でも同じだった。日本全体の風習として、「ぬるさ」が寛容に許されている。

だが『ぬるい』社会は、長期的に見ると、人を不幸にする。僕もそういう『ぬるい』会社/『ぬるい』社会で10年以上務めたが、その経験からこう思っている ───  ぬるい会社には必ず、『ぬるい』社員の尻拭いするために奴隷のような働きを強いられている『ぬるくない』社員がおり、人知れず涙を流している。 『ぬるさ』は、本質的に不公平で、非効率だ ─── 大抵は害悪だ。

本来アジアのトップである日本は、当然のように非常に高いクオリティーが求められている国なのだが、低いクオリティーで結託して高いクオリティーの人を排除してく世界が、部分的に残っている。 

加速する日本社会の競争社会化

だが20年前を思うと、状況は今よりずっと悪かった。競争が働かず、日本村社会で、みんなで足の引っ張り合いをやらかす、非常に効率の悪い世界だった。それと比べると今は、桁違いに公平なかたちで競争が働くようになった。

当時は、ジャムセッションなどにでかけていくと、そこは嫉妬が渦巻く凄まじい暴力社会で、暴言や陰険な嫌がらせなど、当たり前の様にあった。20年ぶりにセッションに顔を出すようになって驚いたのは、人々の礼儀正しさだった。

─── とはいえ、深く踏み込んでいけばいくほど、やはり陰湿な世界は残っている。

ひょっとしたら都内セッション社会の村人社会も風前の灯ということなのかも知れない。つまり「果報は寝て待て」なのかも知れない。時代はどんどん厳しくなっていく。あまり深入りせず静観していれば、時代がそれを洗い流してくれるだろう。 ─── かつての悪習慣を時代が洗い流してくれたように。

日本ジャズの言語としての問題

日本でジャズ演奏の活動を行うとき、『ジャズ』という音楽が持っているリズムをリアルに模倣すればするほど、権威主義的な人々との衝突が顕著になり、活動に著しい支障をきたすようになる。

何故この様な現象が起こるのだろうか。

音楽のリズムは、その人の言語と深い関連がある。ジャズが持っているリズムは、決して英語に特有というものではないが、世界中の言語が持っているリズムと比べると、日本語のリズムは非常に特徴的で、特にジャズが持っているリズムとは相容れない要素がある。日本人は、完全なジャズのリズムの上でアドリブが取れない。これは簡単なトレーニングで克服できる。だが自らジャズの一人者を名乗る日本のジャズマンは、その事実が直視できず、トレーニングを続ける根気もない為、逆恨み的にジャズのリズムを恨むようになる。

言語の持つリズムの違いや精神構造について、次の節で述べる。


『縦乗りと横乗りの本質 〜 ジャズと権力2』ヘ続く




更新記録:
文言『ジャズと権力』をタイトル後に移動した(Fri, 16 Aug 2019 12:51:25 +0900)
タイトルを『東京は大好きだが、東京者は大嫌いという人々』から『東京は大好きだけど東京者は大嫌い』に変更した。(Fri, 16 Aug 2019 13:01:27 +0900)
関連記事を追加した。(Fri, 16 Aug 2019 13:04:07 +0900)
表題を『東京は大好きだけど東京者は大嫌い 〜 ジャズと権力1』から 『ジャズと権力1 … 東京は大好きだけど東京者は大嫌い』に変更した。(Sun, 08 May 2022 02:13:21 +0900)
公開時間を Sep 10,2018 9:06PM からSep 10,2018 9:04PM へ変更した。 (Sun, 08 May 2022 03:11:35 +0900)

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




おかあつ日記メニューバーをリセット


©2022 オカアツシ ALL RIGHT RESERVED