僕は、タテノリが苦手で、バンドがタテノリだと演奏が全くうまく行かなくなる ─── でも、必ずしもうまくいかない訳ではないのが、面白いところだ。
あちこちのセッションに行って、バンドがすごくタテノリな時でも、僕が入った途端に、雰囲気がガラリと変わってウラノリになる…というパターンを、数度経験した。多分、みんな頭の中でイメージしている音は、ウラノリなのだけど、ウラノリに移行する手順がわからないのではないか…。
※ タテノリとは何たるかについては、次の記事内で述べた。僕は自分のリズムの才能をほとんど信用していないので、『ノリ』というものについて、具体的な手順を決め、機械的に処理する様に心がけている。
縦乗りを克服しようシリーズ
その1…何故、日本人は縦乗りなのか
その2…日本語のリズムを限界を探る
その3…日本語のリズムからの脱却・裏縦乗りとは何か
その4…節目がない言語=日本語
その5…日本人は聴こえないリズム・小節縦乗りとは何か
その6…縦乗りと横乗りの違い・日本の同性愛文化について
ジャズと権力
『東京は大好きだが、東京者は大嫌い』
『縦乗りと横乗りの本質』
『ジャズの武道性』
だが、こうやってウラノリになった時(移行しようとした時)に、喜ぶタイプの人と、怒るタイプの人がいる。喜ぶのはわかるが、怒る理由がわからない。怒るタイプの人は、演奏が終わった後、僕がひとことも言葉を発していないにも関わらず、「失礼なやつだな!」と怒りはじめる。何か本当に怒らせる様な心当たりがあるなら、仕方がないが、僕には心当たりがない。何度も真剣に考えたが、僕は、何故怒られているのかわからない。だがとにかく、僕は怒られる事が非常に多い。
これもしばらく見ていて徐々に思うようになったが、どうやら、怒るタイプの人は、ほとんどの人が『プロ』の人なのだ。
このことについて、僕はこう考えた。
ジャズの『プロ』 ─── 『プロ』と言っても、プロと言ってるだけで、実際に食えている人は、いない。それは『一流』と名が通っている人であればあるほど、そうだ。
もう70年代とは時代が違う。 ─── 日本でプロを目指している人は、僕自身を含めて、70年代の輝かしい音楽の黄金時代の強いイメージが頭の中にある。1970年代は、録音機器が全て高価なアナログだった時代だ。音楽は豪華な娯楽だった。だけど時代は、デジタル成熟期の2018年。1万数千円で4Kビデオ録画・CD超えクオリティの音質で10時間以上録画出来るという、 70年代の人がみたらUFO並みの非現実的な夢の超ハイテクノロジーを、誰もが手にしている時代だ。
現在、日本には、職業としてジャズを演奏している人は、ほとんどいない。何故かといえば、今の音楽には70年代にあったような希少価値がないからだ。70年代の音楽産業のような独占力がないし、70年代のような巨大な利ざやもない。ジャズを聞く人は限られており、しかも国内の大半のジャズマニアは、リズムが単調な傾向がある国産ジャズを聴かない。もはや日本ではジャズが職業として成立していない。
もともと日本のジャズは、日本の駐在米軍の娯楽として始まったものだ。敗戦直後は、米軍のプレゼンスが非常に大きく、米軍が強いドルを背景にした米軍兵士が、地元に莫大なお金を落としていた。こうして彼らをターゲットにしたキャバレーショーが盛んになり、これが地元のジャズミュージシャンが発展する母体となった。
当時のジャズ界は資金が潤沢で、とても華やかだった。当時の和製ジャズミュージシャンは、とてもリッチで、日本人の憧れの的だった ─── だが2018年、時代は米軍撤退寸前だ。『米軍グアム移転』と名を変えた米軍撤退がしきりにささやかれる現在では、米軍基地の中にいる米兵は、ほとんどいない。公式に発表されている数は『名目上の数合わせ』といってよく、実際にはほとんどいない。今では、地元に落ちるお金は、もはや皆無と言ってよい。こうして米軍のプレゼンス低下と共に、和製ジャズミュージシャンのプレゼンスも低下している。
よって社会構造的に見て、現在では、実力がどんなにあっても、ジャズミュージシャンとして大きな経済的成功を得ることは不可能だ。
日本のジャズは、インドネシアの貨物崇拝(カーゴカルト)の様な面がある。貨物崇拝というのは、膨大な物資を持ち込んだ米軍を見て土人が、繁栄を祈って、輸送機に見立てた偶像を作って祈祷する宗教のことだ。
日本ジャズもこれと同じだ。日本でジャズを演奏する人は、しばしばジャズを音楽とは全く違う『繁栄の象徴』として捉えており、純粋な娯楽として音楽を楽しんでいる訳ではない。そこには主体性がない。例えば、その音楽の社会的な評価が低くても、自分の個人的な価値観でそれを選んで楽しむ、ということはなく、人がよいと言うものを受動的に聞く人が多い。これはジャズを演奏する人に特に顕著な特徴だ。ましてや新しい価値観を創造していく、という気骨を持って活動している人は皆無と言ってよい。皮肉なことに世界最大のジャズ消費国といわれる日本だが、日本のジャズ好きから、音楽を取り除いたら、残るものは、土人の『貨物崇拝』と同じ盲目的な欧米信仰であり、それは単なる繁栄への憧れであり、そこには純粋に音楽的な動機が存在しない。
そういう中で活動しているミュージシャンは、『武士は喰わねど高楊枝』的に、みなプライドだけが先行しており、精神的に不安定な状態になっている。本来音楽を第一に考えるなら、よい音楽を演奏する人は、正直に心から賞賛すればよい。だがジャズの実態は、単なる繁栄への憧れでしかなく、実質的な豊かさをもたらさない。ジャズの『プロ』として活動している人は、努力が評価につながらず、精神的に壊れやすくなっている。
よって、僕の様な『ポッと出のシロウト』が、都内に行って目立つ演奏をすると、それだけで怒る人(=自分をプロと認識しているミュージシャン)がいっぱいいるのではないか。
─── ポッと出といっても同じ都内から行くのだが 。できれば手近な地元で演奏したいのに、演奏すると非常に高い確率で拒絶され怒られるというのは、僕にとって強いストレスで、これが心底いやで東京から転出したい真剣に考えているほどだ。
僕が都内で演奏すると怒られる理由は、僕にもよくわからなかった。僕は何故、都内で演奏すると決まって怒られるのか、いろいろな仮説を立てて1年以上、考えてきた。考えてみるのだが、どうしても理解できない。だが徐々に、彼らが怒る理由というのは、実際の所ほとんどが感情論で、合理的な理由がない…というのが、関の山なような気がしてきた。
関東の実力派ミュージシャンは、ほとんど都内に行かない。恐らくだが、都内に行くと怒られるからだ。関東人は感情的な衝突を極力避ける性質があるので、上京したばかりで『プロ』を目指して殺気立った音楽屋が多い都内を避けるようになる。だが関東人はしばしば、関東人と非関東人の区別がつかないので、嫉妬に燃えて怒る人が非関東人だと意識できず、ただ単に衝突を避けて都内を避けるようになる。
僕の様に他府県気質の混ざった関東人だけが、マヌケ面を引っさげてノウノウと都内に出撃するのだろう。 ─── だから僕は怒られるのだ。
実際の所、本当に(関東で)『プロ』として活動を続けている人の生活は悲惨だ。プライドなど、とっくの大昔にボロボロに壊れて、完全放棄して、それを乗り越えてしまった人ばかりだ。だから『本当のプロ』は怒らないし、大抵とても優しい。
僕が見てきたプロとして活動している人らは、職業ジャズマンとして生活を成立させる為に、あらゆる妥協をしている。 それは演奏上の妥協だったり、精神性の妥協だったり、音楽上の妥協だったり、リズムの妥協だったりする。
─── それらを妥協しない為には、金銭的な妥協を余儀なくされる。
関東の実力派のミュージシャンは、僕には『清貧』という印象がある。音楽内容を妥協するくらいなら、金がないままでよい…という潔さをもって活動している人が多い様に思う。
だがしかし、東京で第一線で活動しているミュージシャンを見ていると、『豪快に』金銭的な妥協をしているプロを見かける ─── 赤字覚悟のビジネスに延々と大規模な投資を続ける ─── そこまで豪快に金銭的な妥協をするほどの豪快な財力がどこから来るのか、僕にはよくわからないが、それもまた、あまり両手放しで褒められた話ではないのではないか、とも僕は思う。
しかし『豪快に金銭的な妥協をしているプロ』が、実際のところ、あまり有名でなかったりすると、尚のこと、複雑な心情を吐露せざるを得なくなる。
有名だけど実力的には疑問がある…という人は言わずもがな…。
実際の所、日本のジャズマンを音楽的なレベルという目で見たらもっと残虐な結論が待っている。僕は、タイのバス停でバケツを叩いていた浮浪者ドラマーを超えるミュージシャンを、日本で見たことがない。彼のリズム感は、ひたすら良かった。だが日本は…。
視点を変えると、リズム感が非常に悪い日本という土地柄で、良質なリズムを実現するということは非常に難しいことで、だからこそ、日本では良質なリズムが高い価値を持って取引されているのかも知れない。
更新記録:
タイトルを『よいリズムは人を怒らせる』から『カーゴカルトと日本のジャズ』に変更した。(Thu, 17 Jan 2019 15:44:35 +0900)
タイトルに『ジャズと権力5』を追加した。(Fri, 16 Aug 2019 12:53:23 +0900)
文言『ジャズと権力』をタイトル後に移動した(Fri, 16 Aug 2019 12:51:25 +0900)
関連記事を追加した。(Fri, 16 Aug 2019 13:04:07 +0900)
表題を『カーゴカルトと日本のジャズ 〜 ジャズと権力5』から『ジャズと権力5…カーゴカルトと日本のジャズ』へ変更しました。(Sun, 08 May 2022 02:19:33 +0900)
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NOTICE
■■■ 現在縦乗りを克服しようシリーズを大規模再構成/加筆訂正中です ■■■
2022年5月29日更新: 末子音がない日本語 ─── 縦乗りを克服しようシリーズその22
2022年5月15日更新: 裏拍が先か表拍が先か ─── 縦乗りを克服しようシリーズその3
2022年5月11日更新: 頭合わせと尻合わせとは何か ─── 縦乗りを克服しようシリーズその2
著者オカアツシについて
小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。
特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々
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