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2026年1月29日木曜日

本当の知能とは何か ─── 縦乗りを克服しようシリーズその71 (oka01-odudgnucgfcjdzgc)

『本当の知能は何か』という話題で色々な人が話しているのを見て、私は強い違和感を感じた。私は、それが何なのか数日間にわたって考えた。私の結論はこうだ ───

─── 『知能』とは『正しさを決めるポリシー自体を自分自身の責任で決める能力』だ。人々が『知能』と呼んでいる者は全て知能ではなく『最適化』だ。

最適化とは、既に正しさが定義されており正しくない物を消していくだけの単純作業のことだ。これはコンピューターが最も得意とする作業だ。但しコンピューターは1980年代からずっと『パターン認識』が苦手だった。パターン認識という理論自体は1980年代からずっとあったけども、メモリもCPUも非力だったので実現出来なかった。

それが2025年になってGPUが発達したことで一気にパターン認識が出来る様になった。パターン認識を言語に応用したものがが今のAI(LLM)だ。 これによって、文章とか数式とか、機械的な作業でもそのなかに『文字を読む』『文章を読む』などのパターン認識作業が必要なものの自動最適化が一気に実現した。

だけどコンピュータがやっていることは所詮『最適化』だ。既にそこに正しさの定義があって、その範囲内で理論を最適化するだけの作業だ。

コンピューターは正しさ自体を発明出来ない

コンピューターは既に存在する正しさに従うだけだ。

この世の全ての難問は、コンピューターが考えたものではない。天才的な人間が自分の責任(それはしばしば、その人の余暇の遊びだったり、道楽だったり、学問とは違う形を取っている)が、興味本位で作り出した『正しさの定義』だ。本当の意味で頭が良くないと、面白い現象がたくさん起こる『正しさの定義』を考え出すことは出来ない。

コンピューターが作り出す新しい概念は、必ず既にある概念と既にある概念の中間地点を補完する形で生まれる。これは本当の意味で『知能』ではない。

Ableton Live という音楽ソフトがある。Ableton Live は内部に Pure Data と呼ばれる古くからある視覚プログラミング言語の亜種(Max4Live)を搭載するなどしており、流行的な存在でありながら、その操作には高度に数学的なセンスが求められる。

私は気付いたのだけど AIは のプログラミングがほとんど出来ない。学習データーに Pure Data のプログラムが少ないこともあるかも知れないが、私はそれが問題の本質ではないと感じる。

Ableton Live の目的は音楽なので単一の最適解が存在しない。

そのソフトで実現する『正しさ』は何なのか ─── この疑問にはっきりとした解答を持たない限り、Abletonで何をすべきなのかが決定しない。何故ならばAbleton Live(音楽)では、『正しさ』は何なのかを決めること自体が目的だからだ。

正しさを決めた結果には必ず、利益と不利益がある。 その利益を取る為に、その不利益を肯んじることが出来るのか。 それは自分で決めるしかない。

ここでの不利益は、如何にして不利益になるのか。それも自分で考えて決める。何故ならば、その考えて決めること自体が『正しさの定義』そのものだからだ。

こうやって腹をくくって決めた『正しさの定義』に沿って現実の実例に適用して、実際に理論に沿って最適化してみる。巧くいくかも知れない。巧く行かないかも知れない。そこで正しさの定義を変えるのか、それともそのままの定義で進むのか。それも自分で決めるしかない。

音楽に答えはない。Ableton Live で音楽を作るということは、自分が自分自身の手で正しさを定義していく作業に他ならない。

『正しさの定義』は毎回このようにして生まれてくる。 ─── コンピューターはこうやって人々が血と汗と涙で決断した『正しさの定義』をただ機械的に最適化するだけだ。

AIの登場は『最適化』を完全に自動化出来るようにした。

人間に残された作業は『自分で正しさを決める』作業しかない。理論を自分で決める。誰も代わりにその理論を定義してくれるわけではない。定義された理論はAIが一瞬で最適化を終わらせてしまう。いつまでも既に定義された理論と戯れているだけで『仕事をしている』と見做された時代は終わったのだ。

AIの登場により世界は、誰も理論を自分の代わりに定義してくれない時代に突入したのである。

考えるという行為の本質は、正しさについての決断の責任を負うことだ。既に決断された正しさの定義は、AIが完璧に最適化してくれる。正しさの定義は、そこに存在する段階で、もはや貴方を必要としていない。ここでの論点は『AIは人より優れているか』ではない。AIは原理的に全てのことが出来る。つまりAIが何をしないのかを人間が決める必要がある。AIは責任を持たない。AIを自律的に動作させると、永遠に無意味な結論を作り出していく。AIは正しさを決断する責任を持たないからだ。AIは自分が動くことが出来る無限の空間を、全て埋め尽くそうとする。どの地点に向かって進むべきなのかを決めるのは人間の仕事だ。 AIは彫刻の原石であり、その原石を削り取ってどのような形を作るのかを決断するのは人間の仕事なのである。

『AIは不要』という議論は既に終わった。『AIは人を超えられない』という議論も同時に終わったのである。AIは人間に、考えるという行為の本質の一番奥底にある基底にある『知的責任』に直行することを強制するのである。

考えるという行為の本質は、正しさについての決断の責任を負うことなのだ。

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著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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