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2010年12月28日火曜日

勉強ぎらい (mixi05-u459989-201012281726)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
勉強ぎらい
2010年12月28日17:26
昔、僕は勉強好きだった。 だけど今はあまり好きでなくなった。

僕は今語学を勉強しているけど、語学は勉強すれば勉強する程わからなくなるところがある。 自分が実際に耳にしている言葉と、本に書いてある言葉が一致していないことも多いからだ。 本が間違っていることも多い。

英語や中国語など、公用語として使われている言語は、言語自体のルールが、曖昧さを排除し合理的に整理した上で、非常に厳密に定義されており、ネイティブの人もそのルールを守る努力をしている。 こういう言語は、本で勉強する事がとても大切だ。

しかし、世の中、こういった定義の確実な言語ばかりじゃない。 現実的には、言語自体のルールに、理不尽なパターンが多かったり地域によって差があったりする言語ばかりだ。 世の中、こういう理不尽な言語の方がずっと多い。

こういう言語はどうやって学べばいいのだろうか。 言葉を、耳で聞いて経験から単語を推測して、感覚を総動員して学ぶ以外、方法が無いだろう。 僕はこれこそが、本当の意味で言葉を学ぶという行為なのではないかと思う。 これは公用語として利用されている言葉でも、本来、何ら変わることはない。 そして、頭の中に十分な実例が出来上がった後で、言語のルールブックを読むと、最初から本を読んで学ぶよりもずっと理解が早い。

と同時に、観察した内容を元に、自分でルールブックを作り出す能力が身につく。



そんな感じで、定義の無い言語を、考えてみれば五年も勉強してきた。 思うのだが、ラオ語の難しさに比べたら、中国語など、屁である。 中国語には辞書もあるし、教科書もある。 発音も厳密に定義されている。 教材も無数にある。 迷わない。

一方で、そんなよくまとまった中国語でも、「理屈」に頼ってはいけないな、と再度思う。

中国に来て、中途半端に中国語の勉強を開始し、中途半端に終了するという、中途半端づくしで2ヶ月経った。 僕がその間したことは、個人レッスンでひたすらピンインの訓練を受けたことと、授業に出るふりをした事だけだ。 あと、僕がこの2ヶ月で目一杯やったことといえば、睡眠学習だ。 寝ている間ずっと課題文の録音をかけっぱなしにする。 これだけは、毎日欠かさずやっている。


この2~3日、急激に周囲の人が言っていることが 聞こえる様になってきた。 方言も同時に聞こえる様になってきた。 ある単語の発音がどの発音に変化しているのか、急激に耳に入ってくる様になった。 もちろん完璧じゃない。

僕がこの学校の宿舎に来たとき、宿舎の管理人のおばさんが言っている事は、ひとことのこらず、ひとことも理解出来なかった。 それが急に何を言っているのかわかるようになった。 わかるようになったら、おばさんが結構、僕の悪口を言っている事に気がついた。

僕はラオでラオ人の遠回しなイヤミと五年も付き合ってきた。 鍛え方が違う。 だから僕は、宿舎の管理人のおばさんがどういうイヤミを言っているか、言葉を越えて頭に飛び込んでくるのだ。 この感覚は何とも説明しがたい。 文脈から言って、絶対こういう意味だ、という気がするのだ。 この勘は、結構外れない。 頭が動き始める時の感情って、僕にとっては何か怒りに近い。 怒ると突然頭が動き始める。 そういうもんなんだろうか。 おばさんの、イヤミに気がついたら、俄然頭がまわりはじめて、おばさんに文句を言い返した。 すると、何か突然中国語が口から飛び出してくるのだ。 今日も気がついたのだが、実は、ある、宿舎の管理人のおばさんが、実は、僕が聞こえていないと思ってか、僕にシモネタを言ってる事に気がついた。 これは一体どういう意味なんだろうか。



昨日、ひさしぶりに師範大学のそばにあるタイダイルー族料理屋さんに行った。 ここは看板もない超穴場なのだが、クチコミで評判が広がっているらしく、この辺のタイ族・ラオ族の人の間で超有名である。

タイ語で「出来ない」ことを「マイダイ」という。 ラオ語だと「ボダイ」だ。 チェンマイ語だと...忘れた。 ダイヤイ語だと「アムラート」だったか。 で、昨日ルー料理屋のおばさんに聞いたら、タイダイルー語だと「マーライ」らしい。

このマーライが結構ショックだった。

ラオ語の田舎方言にはラ行とダ行の入れ替わりが頻繁に見られる。 僕がよく覚えている例は、タイ語で「ルークチン(魚団子)」がラオ語で「ルークスィン」に変わり、ラオ語の田舎言葉で「ドゥークティン」に変わる事だ。 ここから、ラ行とダ行の入れ替わりと、サ行とタ行の入れ替わりが、あるのではないか、と思った。 この入れ替わりは、ラオ語の方言のあちこちで散見する。

タイダイルー族の言葉は、このラ行とダ行の入れ替わりが、言葉自体に備わっているらしいのだ。 これを聞いて、ダイヤイ・ダイノイ・ダイルー・ダイマオで、基本単語の対応表を作ったら面白いだろうな、と思った。

このおばさんに、何でタイダイルー族はタイダイヤイ族の話す言葉がわかるんですか?って聞いたら、タイダイルー語と中国語で説明してくれたが、よく聞き取れなかった。 むかし、タイダイヤイ族の国で標準語としてタイダイヤイ語を話していた、というようなことに聞こえたけど、聞き違いかもしれない。

このおばさんも、「泰族」 と 「傣族」 は違うんだ、という話をしていた。 僕は 泰 と 傣の意味が違うことに自分で気がついたのだが、このおばさんがそういっていた事を聞いて、確信を強めた。



ミャンマーとラオとタイの国境が混ざる地域から中国の国境の間で、一般的に言われている歴史には明らかなウソがある。 恐らくだけど、カムムアン・ダイヤイ・ダイノイ・ダイルー・ダイマオ・ラオ・タイの主要単語対応表を作ると、ものすごい事がわかるような気がする。

そういえば、昨日チェンライの北だったか... の言葉で、タイ語で「チャイマイ=そうですか?」というべきところを「チャイコー」という言葉があるんだそうだ。 タイノイ語だと「メンコー」と言う。 ラオ語だと「メンボー」だ。 単語が、まるでグラデーションの様に見事に変化していることが観察できる。

・チャイマイ → チャイコー → メンコー → メンボー ...と。

・マイダイ → アムラート → マーライ ...の線も浮かび上がる。

僕は今までこうやって方言を観察するなかで、イギリスが情報工作しているとしか考えられない様な話を何度も耳にした。 この方言を話す人たちが考えている事は、僕等が勉強して知ったことと真っ向から矛盾する様な事ばかりだ。 イギリスは、この地域の方言を研究しているらしい。 恐らくだが僕と同じ事を国を挙げてやっている訳である。 しかもそれを悪用して、情報工作をしているんだろう。

だから、この周辺の言葉の変化を表にして全て明かにすると、何かトンでもない事実に当たりそうな気がして止まない。 (と同時に、色々な人から「お前の見解はケシカラン」と怒られるんだろうが。)

イギリスは善悪感の操作がうまい。 単純な善悪論をつかって物事を考えると、簡単にイリギスの思った通りに操作されてしまう。

僕はあまり正義感とか無いので、イギリスが良い国か、悪い国かは、どちらでもいいや。 イギリス人、好きだし。 イギリス文化も好きだし。 それよりも、どうやって情報操作しているのかとか、どういう風にそれぞれの民族の善悪感をコントロールしているのだろうか、とかそういう事の方がずっと面白そうに見える。 そういう風に見ると、結果的に、情報操作に弱い日本が浮かび上がってきて悲しくなる、ということはあるけど。



4時間もひたすら文章を書いている。
4時間も何やってたんだろう。

何か頭の中がだんだん整理されてきた感じがする。
もっと複雑な問題を入れても大丈夫なような気がしてきた。


そういえば、昨日中国語の電子辞書が壊れた。カシオの電子辞書はダメダメだ。ボディーの構造が悪くてボディーが5回近く割れた。割れる度にアロンアルファで接着して、その場をしのいできた。 だけどついに昨日、中の線まで断線してしまって、スイッチを入れてもつかなくなった。こんな田舎で、日中辞書なんか、売ってない。

いいや。もう辞書なんかいらない。
辞書もいいけど、辞書に頼りすぎるのもよくないし。

コメント一覧
おかあつ   2010年12月28日 17:58
> ここから、ラ行とダ行の入れ替わりと、サ行とタ行の入れ替わりが、あるのではないか、と思った。 この入れ替わりは、ラオ語の方言のあちこちで散見する。

そういえば、没关系 mei guan xi (大丈夫ですよ!) を、ラオ人がニコニコしながらデカイ声で「メイクワンティーン!」って言うのがなんともいえず、面白い。 これが何で面白いのかっていうのが、タイ語の方言と、ラオ語の亜型を知らないとわからない。 (間違ってるんだけど、そう言いたくなる気持ち、わかるわーみたいな)

わかるかな? わかんねぇだろうなぁ...。
 
出展 2010年12月28日17:26 『勉強ぎらい』