近況++
2010年12月26日21:41
また Dico's(德克士)でネットをやっている。 昼間ケンカになった店員がいた。 昼間この店に来て、注文したミルクティーが何か粉が少なくてむちゃくちゃ薄かったので替えてくれって言ったら、ダメだって言われて、粉が足りんって説明したら、何言っているかわからない、って言われた。 最終的にマネージャーみたいな人に話して交換してもらった。 だけど、じゃぁ何て言ったら判るんだよって思って腹が立った。 その店員を捕まえて聞いてみた。 そうしたら、僕が言っている事と大差ない事を言っていたし、実は僕が言っている事が全部分かっているという事が判明した。 何なんだよ、と思った。
今、その店員が居た。 僕が言っている事、今は全部通じてる。 何なんだよ。
でも、タイに居るときもしょっちゅうあるよな。 タイ語話したら「何て言っているかわからん」って言われて。 そう思ってラオ語で話したら更に「はぁ?」って言われて。 向こうが言っている事を100%聞き取って完璧に返答しているのに、しかも、その返答を理解して自分で返事もしているくせに、何言ってるかわからないっていわれて。 頭来て「てめぇタイ語しゃべれんのかよ!」って言ってケンカになる。 でも、翌日話すと、何かいきなり別人の様にスムーズに全部通じるようになっていて。
今日学校の生徒と、僕が最初に来て泊まった村に行った。 僕が生まれて初めて中国に来た日は2010年10月14日だったらしい。 今日は12月26日じゃないか。 中国に来て2ヶ月ちょっと立った。 ちょっとは慣れたような気がする。
それで改めて僕が最初に来て泊まった村を見ると、当たり前だけど中国人ばかりだ、と思った。 何故かというと、僕が居るところは外人が多いからだ。 大学周辺が一番外人が多い。 西洋人や日本人や外地人がいっぱい居る。 僕が居る華僑学校の周辺は、西洋人・日本人はまったく居ないが、ミャンマー人・ベトナム人・タイ人は結構居る。 外地人もいっぱい居る。
だけど、僕が最初に来た村は、内地人しか居ないというか、いや、もちろん外地の人も居るのだけど、訳ありで来た様な人というか、お金持ちではないというか、農家出身的というか、つまるところ、中国では、ごく一般的な人たちなのだと思う。 僕は何でなのかよく分からないが、ここに来ると中国語が通じやすいことを感じる。 どんなに訛っていても頑張って聞き取ってくれるし、向こうが言っている事も聞き取りやすい。 どういう訳なのか僕もよくわからない。
もっとも、こういう場所に居る時は、独特な気の使い方が必要だ。 一言で言うと、自分が接している人がすべてヤクザでも絶対に問題が起こらない様に話をする必要がある。 誰と誰がどういう人間関係なのか全然見抜けないので、いい気になって高飛車に出ると、あとで手痛いしっぺ返しを喰らう。 だから誰に対しても丁寧に接しないといけない。
だけど、僕が一緒に来た生徒は、この場所があまり得意でないらしい事に僕は気がついた。 この子は、中国語がペラペラなのだけど、そういう問題ではない、ということを僕は見た。 この子は、結構店員の扱いが悪い。 都心ではその対応でも全然問題ないのだけど、こういう場末だと絶対まずい。 外人は、風貌が違うので、特に明らかによそ者だとわかってしまう。 そういう中で他人の扱いが悪い、失礼な事ばかり言っていると、後で色々トラブルになる。 そればかりか、絶対にその中の人間関係に入っていけない。 彼はまだ若いのでその感覚をまだ身につけてない。
僕は思ったのだけど、彼らタイ人軍団は、中国語がペラペラなのだけど、100%中国人の地域には入っていくコミュニケーション能力が無いのだ。 タイ人は中国語がかなりうまい。 だけど、中国の複雑な人間関係を見抜くコミュニケーション能力がないので、いつもタイ人と一緒に固まってる。 (僕もその固まっている中に入っていた訳だが。)
だけど、僕は一方で、日本人でもある。 タイ人が上級クラスで必死に勉強している様な漢文・故事成句などを小学生の頃から学んでおり、とうの昔に知っている。
最近ことさらよく思うのだけど、昆明と北京を比べると、日本と北京の方が近い。 僕は思うのだけど、昆明人と北京人を比べたら、絶対に日本人の方が北京人に似ていると思う。 昆明人ってほとんど北京人に似てない。 顔も性格も全然違う。 それくらい昆明人って違う。
一方、タイと昆明を比べると、北京よりもずっと近い。 実際に僕は、昆明の人とラオの人が似ているなぁとしばしば思う。 生活習慣とか、方言に於ける発音の変化とか、性格とかが似ているとしばしば思う。
今日知ったのだけど、宿舎のおばさんは、昆明人じゃなくて大理の人らしい。 僕はこの宿舎のおばさんが言っている事を一言も聞き取れない。 容赦ない早口だし、発音にものすごく癖があって何言ってるかさっぱり聞き取れない。 で、宿舎のタイ人・ラオ人連中とすごくコミュニケーションがいい。 学校の生徒は、このおばさんが何を言っているのか全部聞き取れるらしい。 実際大理はラオ・タイに近いので、ノリが似ているんだと思う。
一方、僕はテレビで何を言っているのかはよく分かる。 それに北京の時代劇なんかを見ても、かなりよく分かる。 いや言葉は分かっていないのだが、何というかノリが分かる。 時代劇には、故事成句がよく出てくるのだが、こういう難しい言葉ほど僕にはわかりやすい。 こういう難しい言葉程、ラオ・タイ・昆明の人にはわかりにくいらしい。
じゃぁ僕は何語を勉強するのか。 僕は普通語を勉強しにきた。 しかしここの普通語は全然「普通」じゃない。
◇
僕が今日行った村で、食事をした。 僕が最初に入ろうとした店を学校の友達はイヤというので、仕方なく違う店に入った。 この店は北味なんとかという店の名前だった。 友達は、この店、ムチャクチャまずい、といって気に入らない様だったが、僕的には結構いけた。 この店は使っている脂が違う事にすぐに気がついた。 使っている脂がごま油じゃなくて、バターなのだ。 友達はこの味に馴染めないようだったが、僕的には日本で食べるチャーハンに近い味で食べやすかった。
外に出たら、店に東北料理がなんとか、という様な事が書いてあることに気がついた。多分だけどこのおばちゃん、昆明の人じゃないのだ。 この店のおばちゃんがまた訛りが強くて何言っているかさっぱりわからなかったのだが、何というか、僕的にはノリが似ていて、話しやすい。
◇
最近、僕は中国の人が案外タイ人が好きでない様なところがあるような気がしている。 ここがはっきり理解出来ないのだが、タイ人と中国人は、視点に決定的な違いがある。 この点だけを比べると、日本人の方がずっと中国人に似ている。 僕はタイに5年居たので、タイはタイでよく分かるのだが、僕が中国に対して「わかるなぁ」と思っている感覚を、タイ人は理解しない。 もちろん僕がタイ人に対して「わかるなぁ」と思う気持ちを中国人は理解しない。
この違いは何なんだろう。
中国人はかなり本音と建前をはっきり分けるところがあるような気がする。 忘れてしまったが「顔で笑って心で泣いて」という言葉が中国語にもあるらしい。 この感情が、ラオ人・タイ人には無い。 タイ人・ラオ人は怒っているのに建前でニコニコしている時は、後でこっそり仕返しをしてすっきりするので、絶対泣かない。 この点、中国人は仕返しをしない。 この点日本人と似てる。
で、どうも宿舎のおばさんが、どうも 「顔で笑って心で泣いて」 状態に落ちている様な気が、最近している。 表面的はタイやラオの学生とうまくやっている様に見えるのだが、実はそうじゃないような気がするのだ。
僕もタイ人の生徒の「大丈夫、大丈夫」の言葉につられて色々宿舎のおばさんに悪いことをしてきたが、これを結構根に持っているっぽいのだ。 この辺の宿舎のおばさんの心情を、どうもタイ人の学生は見抜けないっぽい。
ここから先は、まだ見えない。
◇
僕は、日本人って騙されやすくて、語学がヘタクソで、ダメダメだなぁ、とよく思う。 半面、アジア人の中で一番ポテンシャルが高い民族だとも感じている。 集中力が高いので、訓練次第で何でも出来る様になるところがある。 タイ人やラオ人は、元々持っているコミュニケーション能力が高いので、天性的に騙されにくいけど、集中力が低いので、何か技術的なものを訓練してもあまり伸びないところがある。 日本人は、理論的に見ると、訓練次第でタイ人・ラオ人以上にコミュニケーション能力や語学を伸ばすことが出来る筈だ。
だけどダメダメな日本人がいっぱいいるのは何故か。
... てめぇら、修行が足りねぇんだよ! 気合入れろ、気合!
勉強じゃねぇんだ! 修行だ!
今、その店員が居た。 僕が言っている事、今は全部通じてる。 何なんだよ。
でも、タイに居るときもしょっちゅうあるよな。 タイ語話したら「何て言っているかわからん」って言われて。 そう思ってラオ語で話したら更に「はぁ?」って言われて。 向こうが言っている事を100%聞き取って完璧に返答しているのに、しかも、その返答を理解して自分で返事もしているくせに、何言ってるかわからないっていわれて。 頭来て「てめぇタイ語しゃべれんのかよ!」って言ってケンカになる。 でも、翌日話すと、何かいきなり別人の様にスムーズに全部通じるようになっていて。
今日学校の生徒と、僕が最初に来て泊まった村に行った。 僕が生まれて初めて中国に来た日は2010年10月14日だったらしい。 今日は12月26日じゃないか。 中国に来て2ヶ月ちょっと立った。 ちょっとは慣れたような気がする。
それで改めて僕が最初に来て泊まった村を見ると、当たり前だけど中国人ばかりだ、と思った。 何故かというと、僕が居るところは外人が多いからだ。 大学周辺が一番外人が多い。 西洋人や日本人や外地人がいっぱい居る。 僕が居る華僑学校の周辺は、西洋人・日本人はまったく居ないが、ミャンマー人・ベトナム人・タイ人は結構居る。 外地人もいっぱい居る。
だけど、僕が最初に来た村は、内地人しか居ないというか、いや、もちろん外地の人も居るのだけど、訳ありで来た様な人というか、お金持ちではないというか、農家出身的というか、つまるところ、中国では、ごく一般的な人たちなのだと思う。 僕は何でなのかよく分からないが、ここに来ると中国語が通じやすいことを感じる。 どんなに訛っていても頑張って聞き取ってくれるし、向こうが言っている事も聞き取りやすい。 どういう訳なのか僕もよくわからない。
もっとも、こういう場所に居る時は、独特な気の使い方が必要だ。 一言で言うと、自分が接している人がすべてヤクザでも絶対に問題が起こらない様に話をする必要がある。 誰と誰がどういう人間関係なのか全然見抜けないので、いい気になって高飛車に出ると、あとで手痛いしっぺ返しを喰らう。 だから誰に対しても丁寧に接しないといけない。
だけど、僕が一緒に来た生徒は、この場所があまり得意でないらしい事に僕は気がついた。 この子は、中国語がペラペラなのだけど、そういう問題ではない、ということを僕は見た。 この子は、結構店員の扱いが悪い。 都心ではその対応でも全然問題ないのだけど、こういう場末だと絶対まずい。 外人は、風貌が違うので、特に明らかによそ者だとわかってしまう。 そういう中で他人の扱いが悪い、失礼な事ばかり言っていると、後で色々トラブルになる。 そればかりか、絶対にその中の人間関係に入っていけない。 彼はまだ若いのでその感覚をまだ身につけてない。
僕は思ったのだけど、彼らタイ人軍団は、中国語がペラペラなのだけど、100%中国人の地域には入っていくコミュニケーション能力が無いのだ。 タイ人は中国語がかなりうまい。 だけど、中国の複雑な人間関係を見抜くコミュニケーション能力がないので、いつもタイ人と一緒に固まってる。 (僕もその固まっている中に入っていた訳だが。)
だけど、僕は一方で、日本人でもある。 タイ人が上級クラスで必死に勉強している様な漢文・故事成句などを小学生の頃から学んでおり、とうの昔に知っている。
最近ことさらよく思うのだけど、昆明と北京を比べると、日本と北京の方が近い。 僕は思うのだけど、昆明人と北京人を比べたら、絶対に日本人の方が北京人に似ていると思う。 昆明人ってほとんど北京人に似てない。 顔も性格も全然違う。 それくらい昆明人って違う。
一方、タイと昆明を比べると、北京よりもずっと近い。 実際に僕は、昆明の人とラオの人が似ているなぁとしばしば思う。 生活習慣とか、方言に於ける発音の変化とか、性格とかが似ているとしばしば思う。
今日知ったのだけど、宿舎のおばさんは、昆明人じゃなくて大理の人らしい。 僕はこの宿舎のおばさんが言っている事を一言も聞き取れない。 容赦ない早口だし、発音にものすごく癖があって何言ってるかさっぱり聞き取れない。 で、宿舎のタイ人・ラオ人連中とすごくコミュニケーションがいい。 学校の生徒は、このおばさんが何を言っているのか全部聞き取れるらしい。 実際大理はラオ・タイに近いので、ノリが似ているんだと思う。
一方、僕はテレビで何を言っているのかはよく分かる。 それに北京の時代劇なんかを見ても、かなりよく分かる。 いや言葉は分かっていないのだが、何というかノリが分かる。 時代劇には、故事成句がよく出てくるのだが、こういう難しい言葉ほど僕にはわかりやすい。 こういう難しい言葉程、ラオ・タイ・昆明の人にはわかりにくいらしい。
じゃぁ僕は何語を勉強するのか。 僕は普通語を勉強しにきた。 しかしここの普通語は全然「普通」じゃない。
◇
僕が今日行った村で、食事をした。 僕が最初に入ろうとした店を学校の友達はイヤというので、仕方なく違う店に入った。 この店は北味なんとかという店の名前だった。 友達は、この店、ムチャクチャまずい、といって気に入らない様だったが、僕的には結構いけた。 この店は使っている脂が違う事にすぐに気がついた。 使っている脂がごま油じゃなくて、バターなのだ。 友達はこの味に馴染めないようだったが、僕的には日本で食べるチャーハンに近い味で食べやすかった。
外に出たら、店に東北料理がなんとか、という様な事が書いてあることに気がついた。多分だけどこのおばちゃん、昆明の人じゃないのだ。 この店のおばちゃんがまた訛りが強くて何言っているかさっぱりわからなかったのだが、何というか、僕的にはノリが似ていて、話しやすい。
◇
最近、僕は中国の人が案外タイ人が好きでない様なところがあるような気がしている。 ここがはっきり理解出来ないのだが、タイ人と中国人は、視点に決定的な違いがある。 この点だけを比べると、日本人の方がずっと中国人に似ている。 僕はタイに5年居たので、タイはタイでよく分かるのだが、僕が中国に対して「わかるなぁ」と思っている感覚を、タイ人は理解しない。 もちろん僕がタイ人に対して「わかるなぁ」と思う気持ちを中国人は理解しない。
この違いは何なんだろう。
中国人はかなり本音と建前をはっきり分けるところがあるような気がする。 忘れてしまったが「顔で笑って心で泣いて」という言葉が中国語にもあるらしい。 この感情が、ラオ人・タイ人には無い。 タイ人・ラオ人は怒っているのに建前でニコニコしている時は、後でこっそり仕返しをしてすっきりするので、絶対泣かない。 この点、中国人は仕返しをしない。 この点日本人と似てる。
で、どうも宿舎のおばさんが、どうも 「顔で笑って心で泣いて」 状態に落ちている様な気が、最近している。 表面的はタイやラオの学生とうまくやっている様に見えるのだが、実はそうじゃないような気がするのだ。
僕もタイ人の生徒の「大丈夫、大丈夫」の言葉につられて色々宿舎のおばさんに悪いことをしてきたが、これを結構根に持っているっぽいのだ。 この辺の宿舎のおばさんの心情を、どうもタイ人の学生は見抜けないっぽい。
ここから先は、まだ見えない。
◇
僕は、日本人って騙されやすくて、語学がヘタクソで、ダメダメだなぁ、とよく思う。 半面、アジア人の中で一番ポテンシャルが高い民族だとも感じている。 集中力が高いので、訓練次第で何でも出来る様になるところがある。 タイ人やラオ人は、元々持っているコミュニケーション能力が高いので、天性的に騙されにくいけど、集中力が低いので、何か技術的なものを訓練してもあまり伸びないところがある。 日本人は、理論的に見ると、訓練次第でタイ人・ラオ人以上にコミュニケーション能力や語学を伸ばすことが出来る筈だ。
だけどダメダメな日本人がいっぱいいるのは何故か。
... てめぇら、修行が足りねぇんだよ! 気合入れろ、気合!
勉強じゃねぇんだ! 修行だ!
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