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2011年1月12日水曜日

よそよそしさのうら (mixi05-u459989-201101121046)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
よそよそしさのうら
2011年01月12日10:46
昨日は学校のラオ人の人たちと散々ビールを飲んで酔っ払って寝た。 昨日は言葉の壁で散々苦しんで頭に来ていた日だった。 しかも寒波か何かが来ていて非常に寒く、近所の豆乳屋のあんちゃんに寄ると、7年ぶりに雪が降ったりした日で、やたら辛い日だった。 昆明という街は春城と呼ばれるくらいで、普段は非常に暖かく、暖房設備がない。 アパートに暖房設備はないのが普通で、給湯設備ががないことも多い。 その様な場所で雪が降るというのはかなり辛いことだ。 二度とここに戻ってくるか、と思わしめるほど辛い日だった。

今目が覚めたが、相変わらず非常に寒い。

昨日の夜、近所の世話になった食堂のおじさんおばさんと、近所のよっぱらいのおじさんにマオタイを持っていった。 食堂のおじさんおばさんは「スースー弁」を話す。話をするのが非常に難しい。 特におじさんは発音に非常にくせがあって、僕的には何言ってるかさっぱりわからない。何言ってるかわからないのだが、僕はあまり不快感を感じないし、むしろ僕はこの食堂のおじさんおばさんが好きだった。

この食堂にはいつも酔っ払いのおじさんが来ている。 このおじさんはあとで知ったのだが食堂の向かいで路上に店を出してヒスイや雑貨を売っているおじさんだ。 このおじさんがまたものすごいいい人で、いつも僕に酒を奢ってくれたり食事を奢ってくれたりする。 このおじさんがまた凄い発音にくせがあって 僕はこのおじさんが何を言っているかさっぱりわからない。(酔っ払って何を言っているのかわからないだけ、という説もあるけど) さっぱりわからないけど、僕がひとことも中国語を話せないときから、親切にしてくれていた。

僕は、言葉が通じないから頭に来ている、と思っているが、それは本質じゃないのかもしれない。 言葉が通じないのは、このおじさんもおばさんも、宿舎のおばさんも、他の人も、みんな同じだ。

ほら、今、部屋の外を生徒が通っていった。 そこにいる宿舎のおばさんと話をして去っていった。 ビィエプスシューと言う言葉が聞こえた。 このプスシューが一体何を指すのか、中国語に500くらいある音素のどれに相当するのかが謎だ。

中国語の音素はかなり限定されている。声調が5つあって、子音と母音の組み合わせが500くらいあって、組み合わせは全部で2500くらいしかない。 すべての単語は必ずこの2500の中に収まっている。 収まる筈なのだ。

そういえば、昨日雪が降ったとき、学校の生徒がシアシューと叫んでいたのを聞いた。この学校には中国語を勉強しにきている生徒ばかりではなく、中国語は喋れるのだけど補習を受けにきている生徒がたくさんいる。 この学校はいわゆる、華僑向けの塾なのだ。 彼らがまた非常に独特な中国語を話す。 彼らはこの学校の宿舎のおばさんとツーカーで話が出来る。

昨日ダイヤイから来た相手がいかに訛っていても一発で何を言っているか理解できる通称「聴力の鬼」(僕がそう勝手に呼んでいる)にヒマトック(雪が降る)って中国語で何て言うの?て聞いたら、シアシュエだ、と教えてくれた。 シアが降雪の降であることに疑問の余地はない。 問題は 雪を何と発音するかが問題だ。 今辞書で見たら正しい発音はシュエ3だった。 明らかに違う。 多分、彼らは ue が u: に変化してしまう方言を話しているんだと思う。

ところでこの辺の人は、第三声調の発音の仕方が根本的に異なる。 後ろが上がらない第三声調だ。 普通後ろに来る声調が第三声調の時以外、半三声調と言って後ろが上がらない第三声調になるのだけど、ラオやタイの人がこれを発音すると、タイ語の第一声調みたいに下がるだけの声調に変化する。

僕は上がる第二声調と下がってから上がる第三声調の区別がつきにくい。 だけど第三声調の本質は下がることで、上がる音はあまり重要でないらしいと、ここから察している。 だけど本当の北京語では第三声調はちゃんと下がったのちに上がらないといけないようだ。


プスシューは何なんだろう。 ひょっとしたら 说 shuo なのかもしれないな。 シュオの uo がこの辺の方言で u: に変化するのかもしれない。 プスシューは この辺の人のそり舌音に相当する発音なのかもしれないな。

食堂のおばさんは、どうもイスラム系の民族が出身みたいだ。 このおばさんは、有気音の子音が、全部 シーという歯擦音に変化する特徴があるらしい。 これと同じように、僕の部屋の上に住んでる華僑の生徒は、そり舌音がプスシューに変化する方言を話しているんだろう。 それに加えて、二重母音が単母音に変化する特徴も持っているんだろう。

方言というのは必ずなくなる方向に変化する。 これには理由があると思う。 標準語というものを考えるときに、必ずすべてを含むように設定するからではないか。

標準語を学ぶ時、あるものがなくなる方向に変化するものを想像する事は可能だけど、無いものが追加される方向に変化するものは、想像出来ない。 だから標準語は必ずすべてを包括する様な形で設定しなければいけないはずだ。

例えば、タイ語の二重巻き舌音を加える単語は、実はタイ語全体の中から見るとバンコク独特な方言で、他のほとんど地域ではそう発音しない。 バンコクのひとですらほとんどこの二重巻き舌音を発音しない。 これはある説によるとクメール語からの影響だと言う。

ドアのパトゥーをプラトゥー・魚のパーを プラーと発音する人は、バンコクでも稀だ。 稀だけど標準語では必ずそういうことになっている。 テレビの中のスターはみんなそういう話し方をする。 だけどテレビの外でそういう話し方をするひとを、僕はいちどもみたことがない。 イサーン喜劇に至ってはギャグとしてそういう話し方をするくらいなもので、ほとんどの人はそういう話し方をしない。

中国語もこれと同じ事をやっているのではないか。 標準語は必ずすべての方言を包括するような存在になっているんだと思う。 方言を説明するとき、必ず変化と省略ですべてを説明出来るように工夫されているのではないか。 追加の変化は、経験で補えない。



言葉が通じないのはしかたがないが、あの漠然とした敵意は一体どこから来るんだろうか。 言葉が通じるから理解できるかといえば、それは恐らくそうではないのだと思う。 原にこうして言葉が通じないのにコミュニケーションが出来る人はたくさんいる。

そういう他人の考えの「謎」っぽさは、どこかで覚えがある。 東京だ。

東京みたいな街はその国のいろいろな地方から来た人の集まりだ。日本は顔を見て出身を当てるのはかなり難しい。 不可能ではないけどタイでやった時ほどに精度が高くない。タイ人みたいに顔を見ればどこから来たのか非常にわかりやすい。中国も顔を見て出身を当てる事は可能だけど、民族の数が多すぎる。 人はみな、自分の出身を言いたがらないものだ。 言うと何かしらの差別のネタに使われることが多いからだ。 人はみな、差別している対象が違う。 東京みたいな不特定多数の地域から来た人のあつまりだと、自分の出身を言うと誰がどう差別してくるか想像がつかない。

僕は絶対に人を差別しない。これは僕がアメリカから持ってきた習慣だ。 相手がどんなにワケワカメな事を言っていても絶対に「こいつはアホか」という対応をしない。 時々これが原因で非常に滑稽な事件が起きたりすることもあるが、それも味だ。

だけど、これも皮肉なことだが地方から出てきた人ほど、人を差別したがるものだ。 東京みたいな街だと、そういう人とも仲良くしていかないといけない。 そういう視点にたつと、自分の出身を言わない方が無難だ。

僕は割と誰とでもコミュニケーションがいい方だ。 僕は本当のことを言ってもらって結構で、全部受け入れる準備が24時間整っている。 だけど僕がコミュニケーションがいいということを見抜けずに、僕に色々ウソをいう人がいる。 これが僕は非常に面倒くさい。

自分がどこから来たのかを説明する事が、コミュニケーションの一番大切なことだ。 だけど。東京にいる人の誰もこれをやらないので、みんながみんな、謎の存在になってしまう。心を閉ざしてコミュニケーションする。 本音を他人に受け入れられる形に昇華してコミュニケーションを取る方法になれてない。

これと同じ事が昆明にも起こっている様な気がする。

昆明に居て昆明の人がわかりやすいのは、これと同じ理由なのかもしれない。


言葉の問題もある。 これは大きい。 だけど、気持ちの問題もある。

よくわからん。


コメント一覧
ちえぞう   2011年01月12日 12:04
ここ最近の中国での生活での日記はドキュメンタリーな本を読んでいるようで面白く、小さな自分の世界でも何かと考えたりできて楽しいです。
実際に生活をしているおかあつさんには大変なことだと思うけど
コミュニケーションは誠意というか、伝えたいという気持ちがないと成立しないですね。
日本人同士でも。
嘘をつく人や適当にあしらう人にはそれ相応の背景もあるのだろうけど、人と関わるなら気分良く関わりたいものです。
うう   2011年01月12日 12:46
>言葉の問題もある。 これは大きい。 だけど、気持ちの問題もある。

私は「こりゃ、どうもいかん」と思ったら、
「なんで居心地悪いんだろう?」って考えてはみるけど、
しばらく考えてみて、こんがらがってきたら、
「ま、理由はいいや。避難、避難」と思ってまずは距離を置く方法を考えます。
理由を考えれば考えるほど気分が悪くなるんだよ…。
ま、自分で解決できる部分が少ないことも多いしね。

おかあつさんのように、理由を突き詰めてみると、
それはそれで、けっこういろいろあるんだなーと思いつつ、
最近の日記を拝見しております。

ま、何にしろ、
気持良くやっていけたらいいね。
場所を変えるのもあり、気持を切り換えるのもありだと思う。
ムダな辛抱しているほど、人生長くないしね。
おかあつ   2011年01月12日 13:05
ちえぞう様、
> ここ最近の中国での生活での日記はドキュメンタリーな本を読んでいるようで面白く、小さな自分の世界でも何かと考えたりできて楽しいです。実際に生活をしているおかあつさんには大変なことだと思うけど

もう正にいっぱいいっぱいです。 でも限界まで来てビールを飲んで寝る度に、いつも何か思いつく。 これじゃ、アルコール依存だ。 でも結構精神的にきつい...。
おかあつ   2011年01月12日 13:09
ううさん、
> おかあつさんのように、理由を突き詰めてみると、それはそれで、けっこういろいろあるんだなーと思いつつ、最近の日記を拝見しております。

昨日は例の宿舎のおばさん(三人いる、内一人は結構嫌なオバチャン)に、チョコレートを送ってきた。 結構苦労したけどね。 でも、こちらからこうやってやるとね。 やっぱね、何か、顔が明らかに違うんだよね。 気持ちが閉じてないかんじがすごくするのね。 言葉の意味がわからないのは相変わらずなんだけど、何か言葉越えてる。

ナム   2011年01月12日 13:29
冬にクンミンのホテルに泊まったとき、けっこう立派な構えのホテルなのに部屋に暖房設備が一切なくて夜寒くて眠れなかったのを思い出しました。

発音についての考察、おもしろく拝読しました。

 
出展 2011年01月12日10:46 『よそよそしさのうら』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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