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2011年1月6日木曜日

男なら拳で通れ (mixi05-u459989-201101060243)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
男なら拳で通れ
2011年01月06日02:43
僕は文科系な事をしているけど、中身はかなり体育会系だ。 体育会系だと思う。 かつては体育会系が苦手だった。 だけど、19歳の時にS大のジャズ研に入ってから、体育会系になった。 バンド演奏中、アドリブがイモだと、後ろからアンディーフグが大好きな先輩ドラマーの必殺技ネリチャギが飛んでくる。 礼儀正しくないと、後で先輩から呼び出されて、チンチンにキンカンを塗られることもしばしばあった。 いやチンチンにキンカンを塗られないまでも、実力者ぞろいのバックバンドを背負いながら、大勢の観客を前で、見えないように音楽的な嫌がらせをされて、赤っ恥をかくなどということは、日常茶飯事だった。

何か非常に嫌な世界な様な気がするかもしれない。 だけど、実力が上がるにつれ、嫌がらせをし返したりすることもある。 まさに下克上の世界だった。 嫌がらせをする、ということは、ひとつの賭けだ。 自分の実力をみんなの前に出して「かかってこい」とやる。 「かかってこい」と言ってしまった以上、戦うしかない。 多くの場合、強烈な先輩実力者が集結してしまい、音楽的な集団リンチにあう。 しかし、そういう中で揉まれている内に、ある程度互角に戦えるようになってくる。 「なかなかやるなこいつ」というふうになるのである。 こういう風に仲良くなった人は、何十年も付き合える。



僕はどうしても建前というものを守って付き合うことが出来ない。 どうしてもホンネが出てしまう。 人間関係、丸く丸く行きたいと、頭では思っているのだけど、どうしてもホンネが顔に出てしまったり、うっかりイヤミが出てきてしまったりする。 だから僕を好きな人と、僕を嫌う人と非常にはっきり分かれる。

21世紀も深まった今、これじゃいかんと思う。

イカンと思うのだけど、こういう性格だからこそ、やってこれたという局面も少なくない。



関西の人にこの事を話してもなかなかわかってくれないし、関東の人にこのことを話しても、なおのことわかってくれないのだけど、そこを敢えて、書こうと思う。

関東は東北の人が多い。 なぜか。 僕はこう思っている。 四国や岡山の人が「上京しよう」という話になったら、東京に行こうと考える前に、まず間違いなく、まずは大阪に出ることを考えるだろう。 一方、東北の人が「上京しよう」という事になったら、大阪に行こうとする人は、まずいない。東京に出ようとするだろう。 だから、東京の人は東北の人が多い。

僕は思うのだけど、東北人はあまり感情に左右されない。 他人に興味が無い。 空気を読まない。その一方、東北系の人は集中力が高い。 オタッキーな感じだ。 寡黙で、人間関係がものすごく不器用だが、一方で論理力を駆使して非常に高度な芸当を実現するのが得意だ。 地道な努力の積み重ねが必要な局面に非常に威力を発揮するタイプの人が多いと僕は感じる。

一方、関西の人は、大雑把だ。 集中力が低い。 あまり細かい論理力を駆使しようとするタイプが見当たらない。 だけど、人間観察力が非常に優れていて、よくしゃべる。 社交技術の達人であり、 義理人情を大切にするタイプが多いと思う。 多少損なことでも、義理人情を重視して自ら損をとったりすることも多い。

僕は思う。 この二者は仲が悪い。

関西人は、関東に居て関西弁を話している間はいいのだ。「あぁあの人は関西人だからな」という範疇で大目に見てくれるからだ。 ところが、関西人なのだが、関東育ちだったりすると、状況が複雑になる。 中身は関西人のままなのに関西弁が話せないので、外から見ても関西人だとわからないのだ。 こいつは、何だかしつこいとか、何だかうるさいとか、何か泥臭い、とか、何でベタベタするんだとか、そういう風な見方をされる。 関東では、しばしばこれを表して 「うざい」という形容詞が使われる。

同様にして、関東人が関西に居て関東弁を話していると明らかに浮くだろう。 しかも関東人が関西で育って関西弁を話していたりすると、更に浮くだろう。 空気が読めないとか、邪魔くさいとか、理屈っぽいとか、ノリが悪いとか言われるのではないか、と思う。



僕の親父は、関西・関東ハーフだった。 僕は親父を見ていて思うのだが、明らかに、関西と関東の両方の性質を兼ね備えている。 僕の親父は関西人でも関東人でもない。 関東弁なのに、マシンガンのごとく話しまくる。 関西系なのに妙に理屈っぽく頭が回る。 頭が回るクセに人間関係はベタベタが好みなのだ。 僕の親父の様な人間が、地を出していると、あちこちに角が立つ。 関西に居てもウザがられるし、関東に居ても同じくウザがられる。 僕の親父は関東育ちだが、その本質はソース顔の関西人だった。 僕の親父の様な人間は、関東に住むにあたり、人間関係はサラッと頭を低くして通り過ぎるべきだった。 ところがそこはどうしても関西人で、どうしてもベタベタな人間関係が恋しくなってしまう。 そこが僕の親父の不幸なところだった。 ウキまくりになってしまうのだ。 恐らく、親父は関西に住んでいたらまず間違いなく何の問題もなかったと思う。 だけどそのベタベタさは関東では受け入れられない。 実際、受け入れられなかった。



青森新潟ハーフと四国千葉ハーフの息子が僕だ。 だから僕はもっとメチャクチャだ。 僕が地を出すと、誰もついてこれない。 「性格が合う人」というものがそもそもこの世に存在しない。

存在しない筈なのだが、何となく、この人合うなぁと思う人が居る。 そういう人としばらく話していると、実は僕と同じような「出身バラバラ人」であることが判明するという場合が非常に多い。

例えばこういう人が居る。 僕がもう10年ちかく髪を切ってもらっている人が居る。 この人はある日飛び込みの美容院で切ってもらって、惚れ込んでそれからずっと切ってもらっている人だ。 黙っていても、僕が思っている様に切ってくれる。 僕が思っている以上の出来栄えで髪を切ってくれるのだ。 この人に5年ぐらい散髪を頼んでいたのだが、ある日、この人が、実は、九州新潟ハーフだという事を聞いて、愕然とした。 この人はかなりコテコテな部分もあるのだが、それを自分の中で非常にクールに見つめているところがある人で、不思議な感じだ。 人間関係がベタベタしないのは、新潟っぽい。 それでいてちょっと情熱的なところがある。そこは非常に新潟っぽくない。 僕の祖父が典型的な新潟人だったと僕は思っている。 理屈っぽくて他人にまったく興味が無い。 無表情な人で、ひたすらコツコツと地道な作業を続けるのが好きなタイプだった。 この美容師さんも、そういうところがある。 だけどこの美容師さんは、そこに、プラスアルファ加えてちょっと情熱的な主張があるのだ。

僕が20年来付き合っているギター弾きがいる。 この人はどういう訳か非常に話があう人で、何年も付き合っているのだ。 つい先日、この人にやはり僕と同様、四国の親戚が居るという話を聞いたときは、驚愕した。

今の時代、マルチ県民ハーフなんてそこら中にいるよ、と言う人も居るかもしれない。 だけど、マルチ県民ハーフは、明らかに地元を出ていない地元人と違う。マルチ県民ハーフは、どの県に行っても、性格が一致するということがない。 ヘタをするとどこにいっても「お前は違う」とか「お前は変だ」と言われていじめ続けられる。

僕は思う。「みんな同じ」なんてウソだ。

僕は前述のとおり「拳骨で通れ」的なところがあるので、どうしても角がたってあちこちの人とケンカを起こしてしまう。 起こしてしまうのだが、ケンカの後で腹を割って話し合って見ると、仲良くなる人が多い。 仲良くなってから、実は僕と同じマルチ県民ハーフである事を知ったりすることが、しばしばある。

マルチ県民ハーフは、どこにいっても合う人というものがみつからないので、どうしても「頭を低くして通り過ぎる」「本音を隠して付き合う」という風になりがちだ。 それだと、どこをどうやっても「親友」という物が見つからないと僕は思う。 僕は人間関係がかなりベタベタな方なので、それだと寂しいのだ。



先日、昆明で、僕と大喧嘩した人の話を、周囲の人から色々と聞いた。 実はこの人が僕の中でピンとくる特徴を持っているということに、僕は漠然と気がついた。「関西出身」「川崎育ち」「女子校出身」という。 僕は、四国ハーフの川崎育ちだ。川崎というのは、非常に東北色の強い街だと僕は感じている。 その中に関東育ちの関西ハーフがいるとどうなるか。 ジクジクと陰湿にいじめられるのだ。 それを僕は経験的によく知っている。

(もっとも、後になって、戦後に船で四国から川崎横浜に渡って来た人がかなり居るらしいということを聞いた。 川崎に住んでいた小学生の頃、僕が何か性格が合うなぁと思っていた人が少ないながらもいたのだが、彼らは実はかなりの確率でこういう人だったのではないか、と僕は考えている。 それには理由がある。 僕が小学生のときに非常に仲の良かった友達の名字が、四国にある僕の祖父の出身地と同じだったのだ。 この名字は、けっしてよくある名字ではないので、恐らく何か関係があるのだと思う。 彼がまた、関東人離れした非常によく喋る人間だった事をよく覚えている。 いつか訊ねてみたいのだが、行方不明なのだ。)

恐らくだが、僕と大喧嘩したその人は、僕と同様、散々いじめられた筈だ。 しかもその人は女子校出身だという。 特異なバックグラウンドを持つのにまた、彼女は女子校などという閉鎖した人間関係に放り込まれて、不幸な事だったと僕は思う。 自分の地を出しても普通に受け入れてくれる人はたくさん居るはずなのに、川崎という東北色が強い街に放り込まれ、自然なままの自分を受け入れてもらえずに、散々苦労したに違いない。 すべては憶測の域を出ない。だが、恐らく僕の勘は外れていないと思う。 経験的に、そういうケースをたくさん見てきたからだ。

僕は小さいころ散々いじめられたし、経験的に自分を自然に表出させる事が苦手だと感じていたが、多くの場所を転々とする中で、自分を自然に出してもまったくいじめない人もたくさんいる、ということもたくさん経験している。

僕は色々な人間関係を渡り歩くことにより、自分の中の問題とひとつひとつ向き合ってきた。 だけど、多くの人は、そこまで馬鹿正直に自分の中の問題と向き合おうとしないだろう。 僕だってそこまで馬鹿正直に対応したくはなかった。 だけど僕にはそれしか方法が残されていなかった。

多くの僕と同じ状況の人は、僕と同じ対応はとらないだろう。 頭を低くして問題を通りすぎようとする筈だ。 それで引きこもりがちになったり、逆に、海外に逃亡したりするんだろう。



僕は何がいいたいのか。

忘れた。

それだけだ。

この中国の地の果て昆明にて...師範大学周辺の人と遊びに行ってビールを飲んで帰ってきたら、この華僑学校の宿舎の門限をはるかにオーバーしたタイムを叩き出した。このタイムは、明らかに寝込みの宿舎のおばさん、通称「阿姨(アーイー)」の逆鱗に触れる。 寝込みを大声で叩き起こす必要があるからだ。 今日僕はあまりにも悪いと思ったので、お菓子の差し入れと共に宿舎に戻った。 喜ばれたかどうかわからないが、多少、心が晴れた。

もう、寝る。
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出展 2011年01月06日02:43 『男なら拳で通れ』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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