嫌な人耐性
2011年01月25日05:03
(昨日の続き)
1. Sun, 23 Jan 2011 16:13:52 +0700
... 取り敢えずバンコクについた。 バンコク北バスターミナル=モーチットに到着して、全ての物の見方が3ヶ月前にバンコクを出た時と比べて別人の様に変わった事を感じた。
僕は、10月中旬にバンコクを出発し、チェンマイ(タイ)・チェンコン(タイ)・ファイサイ(ラオス)・ルアンナムター(ラオス)と来て、ボーテン(モーハン・中国)から中国雲南省は昆明に入国した後、華僑の子息向けの学校「文華学校」という学校で3ヶ月中国語を勉強した。 その後、学校で知り合った北部ラオス人の生徒のウドムサイにある実家に遊びに行って数日間過ごした後、ビエンチャンに入って、ウドンタニーに戻ってきた。 ウドンタニーは僕が5年間過ごした県だ。 ここで数日間過ごした後、今朝バンコクに戻ってきた。
こういうと「上から目線」みたいになってしまうかもしれないが、日本人の「上級者」バックパッカーが体験する様な事とは、まったく格の違う体験をしてきた。 僕はラオス語もタイ語もある程度話せる。 だから、中国でもラオスでも「いきなり最奥地に連行される」という体験を何回かした。 当然日本人はひとりも居ない。 日本人どころか外人がそもそもいない。 外人どころか、地元の人すら近づかない。 そんな場所に延々と滞在してきた。 日本人が絶対に耳にしない超レアな話も大量に耳にしてきた。 今回僕がしてきた体験には、日本人が持っている文脈に比較出来るような要素が全くなく、どうやったら日本語の文章に出来るだろうと悩んでしまう。
取り敢えず、気がついたことを書こうと思う。
・ラオ語・タイ語の各方言が聞き分けられる様になった
今回、ウドムサイには、タイ北部(チェンマイ側)タイ北部(イサーン側)出身の人と一緒に滞在した。 加えて、ウドムサイには華僑の人もたくさん住んでおり、中には元々この地に居た中華系の民族の人も混ざっている。 中国語も方言が入っており、話し方が一様でない。 またチェンマイ語とチェンライ語と比べると、ラオ北部ウドムサイ語は、非常に似ているらしいことを知った。 タイ北部の人に言わせるとウドムサイの言葉とタイ北部の言葉は60%位は同じで、一ヶ月も滞在すれば全部判るようになるぞ、と豪語していた。 彼らの住む地に、必死にラオ語を勉強する日本人である僕が一緒に居るということは、実に大変なことだと思う。
タイ語であれば、タイ語は標準語であり元々タイ語を話さない非ネイティブスピーカーの人たちも大量に話しているため、みな一様にゆっくりとしたタイ語を話す傾向がある。 しかし、僕がウドムサイで見聞き話ししたこれらのラオ語は、みんなネイティブとして話しているので、光の様な超高速スピードで会話が展開する。 加えて、基本的に中央のない言葉で正式な発音というものが存在しない事により、人によって発音が大きく異なる為、聞き取る事も非常に難しい。 僕がこれまで勉強してきたのはラオ南部方言の一種であるラオイサーン語だが、ウドムサイで話しているラオ語は、ラオイサーン語と似ている様でかなり違う。 こういう環境に居ると、誰かに話しかけられた時、非常に混乱してしまって、自分が一体何語で話しかけられたのかすらまったく判らなくなることがある。 しかしネイティブの人たちは、こうした発音の差異を乗り越える事に非常になれており、みんながまったく違う発音を話すなかでも、きちんとコミュニケーションを取ることが出来る。 非ネイティブである僕は、まったく太刀打ち出来ない。 だが何とか全力は尽くしたつもりだ。
そういう環境に居て、結果的に僕のラオ語は劇的に上達した様だ。 (僕はイサーン語研究会を作ってから3年間、ラオ語もイサーン語もひとことも話せなかった。ラオ語には、教則本も教材もまともな物はひとつも無く、全てを耳から覚える以外方法がないので、話せるようになるまで大変な時間がかかった。 ラオ語は、僕が一切を教材や理論に頼ること無く完全に耳から覚える事に成功した初めての言語だ。)
ビエンチャンに戻ってきた時に、ふと、ビエンチャンの話し方が、ウドムサイともウドンタニーとも全然違うということにも気がついた。 僕のラオス語はビエンチャンに居ると結構「は?は?」と何度も聞き返されるのだが、これは僕の発音が悪いということ以上に、僕の発音がウドンタニーを標準にしている事にもよるのだ、ということに気がついた。ビエンチャンの発音は「低子音字+声調記号なし」が、ウドムサイやイサーンとかなり違う。 また「第六声調」の発音は、ウドムサイとビエンチャンは同じ発音なのだけど、イサーンだけ違うということにも気がついた。 イサーン語の声調は、ラオ語のなかでもかなり簡略化されており、大きく端折ると5つの声調に分類出来るということに気がついた。 この5声調区分で話していると、ビエンチャンでは結構通じない事が多い。 僕は飽くまでウドンタニー流の声調で貫き通して行くつもりだったのだけど、ビエンチャンに行ったら、ビエンチャン流の発音に変えて話すのが、礼儀というものなのだろうなぁ、と漠然と思った。
方言間の子音の入れ替わりにも、たくさんの発見があった。 思うのだが、このラオ語での発音の入れ替わりが判らないと、タイ語も理解できない筈だ。 バンコクに居るほとんどのタイ語話者は、何かしらの子音の入れ替わりを持っている。 この子音の入れ替わりが発生しても、ネイティブはきちんと聞き分ける事が出来る。これはバンコクの人も例外ではないと思う。(「ぎどうおどうざんどおがあざんどがいものにいでだどぅだんあどぅいでどぅだでだ」って書いても、日本人なら意味が判るだろう。それと同じだ。)色々聞いている内に、バンコク語と、タイ標準語も、実はかなり違うのだと思った。 タイ標準語もひとつの人造言語なのだと僕は思う。 だから、タイ語であってもきちんと方言を学ばないと、リスニング力がつかない。
ウドンタニーに帰ってきて、ウドンタニーの人が何を言っているのか、以前よりずっとはっきり聞き分けられる様になっている事に気がついた。 実はウドンタニーのラオ語(イサーン語)にはウドンタニー独特な単語がいっぱいあるのだ、ということも知った。 例えば、「可哀想」をウドンタニーでは「リトン」というということを知った。 これが他の地域でも使われているのかは、まだ僕には判らない。 イサーン語を聞き分けられるようになっただけでなく、かなりイサーン語を話せるようにもなっていた。 前は、イサーン語を話すと「は?は?」となって話が食い違ってしまう事がしばしばあった。 だけど今は「マンヤークワオパーサーハオテーワオボサットルーイ!(こいつはオレ等の言葉を話そうとしてるが、上手に話せねぇでやがる!)」とか言われる。 そういう顔はニコニコ顔だ。 これはバカにされている訳ではなくて通じている証拠だ。 タイ語で話しかけた時とぜんぜんちがう。 ウドンタニーでタイ語を話すと、ノレンを押している様にまったく手応えがなくて、通じてるのか通じてないのかはっきりしなくて、しょっちゅうイライラしていた。 だけど、へたくそながらもラオ語で話しかけると、びっくりするぐらいスコーンと通じる。 どんなにボロボロでも気持ちよくスコーンと通じる。 僕はウドンタニーでラオ語をきちんと話した事がなかったのだけど、今回ラオ語を話したら...しばらく会話をしたのち「アオ! ボダイワオクーカオナンラ!カウチャイガーイーテー(前と話し方が違うじゃねぇか!こりゃわかりやすいや!)」と言われて爆笑された。 すごくうれしかった。
イサーン語には、独特な難しさがある。それは、ふたつの言語を状況に合わせて常に切り替え続けなければいけないところだ。 ラオスに居て、ラオ語を話す時は、ラオ語だけ話せば良い。 バンコクに来てタイ語を話すときは、タイ語だけを話せば良い。 ところが、イサーン語は、普通の話し方の時は100%ラオ語、丁寧な場面ではタイ語、目上の人と話すときはタイ語ラオ語混合、タイ語とラオ語の混合の仕方にも色々な混ぜ方があって、状況に合わせて変えていかなければいけない。 子供の頃から二つの言葉を勉強してきた人でない限り、普通は言語を切り替えるというのは非常に困難な作業だ。 僕自身、一度タイ語を話始めると、ラオ語が話せなくなり、一度タイ語を話始めると、ラオ語が話せなくなる、というジレンマによって非常に長い間苦しんだ。 ましてや二つの言語を状況に合わせて混ぜるというのは、非常に混乱する作業で、話している本人にすらどちらの言語を話しているのか判らなくなってしまう始末である。
イサーンの人たちは、ラオ語が話せない人には、親切心から、タイ語で話そうとする傾向がある。 これは、タイやラオなどの多言語環境に住む人たちがよくやる習慣だ。 慣れない発音の嵐に晒されるのは、誰でも苦しい物だ。 そういう苦しい思いをさせないように、可能な限り相手の言葉で話してあげるのは、コミュニケーションに対する誠実さの現れである。 だけど、発音の嵐に晒されて新しい言葉を学ぼうとしている時、これがネックになる。 イサーンでは、全部ラオ語で話そうとしても、ちょっとでも発音が悪いと言い間違えたとみなされて、すぐにタイ語で言い直してくれるので、どうしても頭がタイ語に切り替わり戻ってしまう。 しかし、イサーンに住んでいると、イサーン人同士は絶対にタイ語では会話しない上、イサーン人は独りで生活することがほとんどないので、結局発音の嵐に晒されることになる。 すると耳から入ってくる言葉と、自分が話している言葉が一致しなくて、非常に苦しい思いをすることになる。 この耳から入ってくる言葉と自分が話す言葉が一致しない苦しみには、独特の耐えがたい苦痛がある。
そしてイサーン語を話すときのテンポが極端に速いということも非常に学習を難しくする。 イサーン語は基本的に方言で、ネイティブの人しか話さない。 ラオ語もタイ語は、標準語・共通語でもあり、ネイティブ以外の人もたくさん話している為、みな話し方がゆっくりではっきりしておりわかりやすいところがある。 しかしイサーン語は、ネイティブ言語だ。 一度イサーン語の会話が始まると、非ネイティブの人にはとてもついていけない様な、凄まじいスピードで会話が進行する。 このスピードについていく事が非常に難しい。
加えて、イサーン語には、地方によって子音の入れ替わりがたくさん発生する。 この子音の入れ換わりの法則を理解していないと、聞き取ることすらおぼつかない。 ネイティブの人はこの変化があっても当然の様に聞き取る事が出来る。 この法則を説明している本はひとつもない。 経験によって補う以外方法がない。 この事もイサーン語の学習を非常に難しくする。
「子音の入れ替わり」と言う物は何も特殊なものではない。 日本人がタイ語・ラオ語を話す時も、この子音の入れ替わりが発生する。 この入れ替わりは、タイ人・ラオ人にとって聞き馴染みのないもので、慣れないと日本人が何を言っているのなかなか判らない。
・語尾の n と ng と 場合によっては m の入れ替わり
・t と th (無気音tと 有気音t)の入れ替わり
・k と kh (無気音kと 有気音k)の入れ替わり
・u(อู) と ue(อื) と 場合によっては ə (เอิอ) の発音の入れ替わり
・o と ɔ の 入れ替わり
・語尾の k/d/b の欠落
・声調の間違い(語尾の声調が第一声調に変わってしまうクセ)
・r の l 化
(何となく結論無く終わる。)
Mon, 24 Jan 2011 18:18:52 +0700
・「嫌な人」耐性
僕は人の好き嫌いが激しい。 好きな人はとことんまで好きになるが、嫌いな人は大嫌いで口も聞きたくない。 だが、僕は大抵の人が好きだ。 僕が嫌いな人のタイプは限られている。 それは「正直でない人」だ。 多くの場合、僕は正直でない人も好きなのだが、背伸びをして自分を等身大以上に見せたがる人が僕はどうしても好きになれない。
今日は、バーンナーというところに来てアパート探しをした。 バーンナーというところは、バンコク郊外にある割と大きな街だ。今回来て知ったのだが、スターバックスもオボンパンもマックカフェもセントラルワールドもビックCも全部揃っている。その割に、アパートの家賃は3000バーツ前後と非常に手頃でとても住みよい街だ。 難点は経った一つだけ、サイアムに出るまでに1時間以上バスに乗っていかなければならないことだ。 非常に時間がかかる。 だけどバーンナーに住んでいるだけなら、非常に住み心地が良い。 しかも郊外なので建物が密集しておらず、部屋に光が差し込んで風通しもよく、非常に居心地がよい。 今日見た部屋に5500バーツの部屋があった。 全家具付き、見晴らし超良好で、トイレも最新の器具がついていた。 バイクタクシーもちょくちょく行き来しており、1分走るとそこには、セントラルワールド・ビックCがあるという超好立地だった。
ただ、何となく思ったのだが、便利さを捨ててのんびり住むなら、いっそのことラオスはルワンパバーンぐらいまで行ってしまえば、いっそのこと住み心地が良くていいような気もした。 ... 今の僕に恐ろしいことなどなにひとつない。 僕は中国に行って、露天式・非水洗便所(屋上からトイレを覗いているおばちゃん付き)の恐怖体験も乗り越えた。 中国独自の壁のついていないニーハオトイレは有名だが、そんななか、友達と共にトイレに行く通称「連れション」ならぬ、「連れフン」の恐怖も乗り越えた。 今の僕の適応力は、超絶的に高いと断言できる。 これと比べれば住めない街などどこにもない。 僕が乗り越えられない生理的な不快感は、もうどこにもない。 慣れというものは恐ろしい物で、今僕はニーハオトイレが好きでもある。 天井も壁もない開放的な空間で、上からはさんさんと太陽が照っているなかで用を足すのは、とても快適な経験だ。 もう僕は、仕事をするに当たって、田畑のど真ん中にある高床式住居でも充分だ。 電源とちゃぶ台(あと出来ればコーヒーか普洱茶)があれば、僕はどこでも仕事が出来る。 ご飯はもち米と魚だけで充分である。 むしろこういう環境の方がノイズが少なく集中できる。
今日アパートを探している時、アパートの管理さんに、僕が何を話しても「は?は?」と聞き返してくる嫌な話し方をする女性がいた。 ビックリするくらいはっきりしたバンコク訛りで、すごく早口だし、僕も結構聞き取り辛くて嫌だった。 爪には何か変な模様が施してあって、服装も何か高飛車な感じで、僕が嫌いな感じだった。 で、僕がタイ語を話すと「は?は?」と何度も聞き返してくる。
今は自分でもはっきり認識しているのだが、僕のタイ語はかなり標準語から外れている。 僕がイサーンで拾ったイサーン訛りのタイ語が混ざっていたり、イサーン語その物だったりする言い回しを使っていたりする。 イサーン人がバンコクでこういう話し方をしても「は?」と聞き返される位なのに、明らかに外見が外人である僕がこういう話し方をすると、余計混乱に拍車をかけてしまう。 僕は今そう思っているので、タイ語を話すときも、出来る限りはっきりと、標準的な発音で話すようにしている。 日本人なので、やはりどうしても微妙に発音が日本人っぽくなってしまうのは、ある程度仕方がないことではあるけど。いずれにしても、そう思っているので、こういう風に「は?は?」と聞き返される時は、出来るだけゆっくりと、はっきりと話す様にしている。
しかしこの女性はそれでも「は?は?」と聞き返してくる。 そしてバンコク訛りを辞めない。 感じ悪いなぁと思った。 ...感じ悪いなぁと思ったのだが、この瞬間、何となく「あぁこの人も守っているんだなぁ」と感じた。 この「守っている」という言葉の使い方は、僕独自の使い方だ。 これには説明が必要だと思う。
バンコクの人が全員、バンコク生まれ、バンコク育ちという訳ではない。 恐らくバンコクに居るほとんどの人が、他府県出身でバンコクに来ている。 もちろん自分の国の言葉を持っていて、実は標準タイ語があまり得意ではない。 しかし、バンコク風の話し方が出来ないと、舐められてバカにされてしまうのだろう。 だから、必死にブランド物の衣服で体を固めて、話し方も完璧にバンコク風に変えて、相手の衣服や発音に不備があればすかさずそこを攻撃する事で、自分を守るのだろう。
僕は、他人がどう思おうと構わないと思うのだが、非常に都会的な雰囲気であるらしい。 見かけからは、田舎者など鼻にもかけずバカにしてばかり居る様な人に見えるらしい。 実際は逆である。だから、恐らく、僕を見た時、僕が何をしていなくても、僕が攻撃していると思って、僕に先制攻撃を加える人が、相当数居るのだと思う。
恐らく、これは僕が中国に居る時、発生していた現象の原因でもあると思う。 僕は中国に居る間、僕は何もしていないのに、色々な人からの刺々しい態度を感じていたのだけど、その理由がどうしてもつかみきれないでいた。 特に中国では、僕は(当たり前だが)標準語しか話せなかった。 すこしでも訛っているとまったく聞き取ることが出来ない。 これが「田舎者」の神経を逆撫でしていたのだろう。 恐らくだが、東京でも、これと同じ事が起こっていたのだと思う。
更に思う。 こういう刺々しい態度を、昆明生まれ、昆明育ちの人は、あまり持っていない。 昆明の人は割とざっくばらんで、明るい。 方言も隠さない。 だから、メチャクチャに訛っているにも関わらず、割とコミュニケーションはスムーズだ。 恐らく、刺々しい攻撃的な態度を持っている人は、昆明に出てきた他府県の人なのだ。 これは生まれも育ちも東京の人と似ている。 これは生まれも育ちも東京の人は案外、恰好をつけないし、ざっくばらんだ。 見かけにもさほどこだわらず、あまり等身大以上の事をやろうとしない。 等身大以上の事をやろうとして、他人を攻撃してばかりいるのは、ほとんどの場合、地方から来ている人だ。
僕はこういう刺々しい人が嫌いだった。 ... だけど、中国に行ってから、考え方が変わった。
こうやって刺々しく攻撃された時は、自分も一緒になって彼を攻撃し返してはいけないと思う。 こういう時は、出来るだけ、相手に取ってわかりやすい存在であることを心がけて、自分の生い立ちを明らかにして、自分が相手に好意を持っているということを、はっきりと言葉で伝えるべきだと思う。
高飛車でプライドが高くツンケンして他人を見下してばかりいる人は、実は、自分を守る為に必死に闘っているだけなのだ。
2. Tue, 25 Jan 2011 02:38:39 +0700
1. Sun, 23 Jan 2011 16:13:52 +0700
... 取り敢えずバンコクについた。 バンコク北バスターミナル=モーチットに到着して、全ての物の見方が3ヶ月前にバンコクを出た時と比べて別人の様に変わった事を感じた。
僕は、10月中旬にバンコクを出発し、チェンマイ(タイ)・チェンコン(タイ)・ファイサイ(ラオス)・ルアンナムター(ラオス)と来て、ボーテン(モーハン・中国)から中国雲南省は昆明に入国した後、華僑の子息向けの学校「文華学校」という学校で3ヶ月中国語を勉強した。 その後、学校で知り合った北部ラオス人の生徒のウドムサイにある実家に遊びに行って数日間過ごした後、ビエンチャンに入って、ウドンタニーに戻ってきた。 ウドンタニーは僕が5年間過ごした県だ。 ここで数日間過ごした後、今朝バンコクに戻ってきた。
こういうと「上から目線」みたいになってしまうかもしれないが、日本人の「上級者」バックパッカーが体験する様な事とは、まったく格の違う体験をしてきた。 僕はラオス語もタイ語もある程度話せる。 だから、中国でもラオスでも「いきなり最奥地に連行される」という体験を何回かした。 当然日本人はひとりも居ない。 日本人どころか外人がそもそもいない。 外人どころか、地元の人すら近づかない。 そんな場所に延々と滞在してきた。 日本人が絶対に耳にしない超レアな話も大量に耳にしてきた。 今回僕がしてきた体験には、日本人が持っている文脈に比較出来るような要素が全くなく、どうやったら日本語の文章に出来るだろうと悩んでしまう。
取り敢えず、気がついたことを書こうと思う。
・ラオ語・タイ語の各方言が聞き分けられる様になった
今回、ウドムサイには、タイ北部(チェンマイ側)タイ北部(イサーン側)出身の人と一緒に滞在した。 加えて、ウドムサイには華僑の人もたくさん住んでおり、中には元々この地に居た中華系の民族の人も混ざっている。 中国語も方言が入っており、話し方が一様でない。 またチェンマイ語とチェンライ語と比べると、ラオ北部ウドムサイ語は、非常に似ているらしいことを知った。 タイ北部の人に言わせるとウドムサイの言葉とタイ北部の言葉は60%位は同じで、一ヶ月も滞在すれば全部判るようになるぞ、と豪語していた。 彼らの住む地に、必死にラオ語を勉強する日本人である僕が一緒に居るということは、実に大変なことだと思う。
タイ語であれば、タイ語は標準語であり元々タイ語を話さない非ネイティブスピーカーの人たちも大量に話しているため、みな一様にゆっくりとしたタイ語を話す傾向がある。 しかし、僕がウドムサイで見聞き話ししたこれらのラオ語は、みんなネイティブとして話しているので、光の様な超高速スピードで会話が展開する。 加えて、基本的に中央のない言葉で正式な発音というものが存在しない事により、人によって発音が大きく異なる為、聞き取る事も非常に難しい。 僕がこれまで勉強してきたのはラオ南部方言の一種であるラオイサーン語だが、ウドムサイで話しているラオ語は、ラオイサーン語と似ている様でかなり違う。 こういう環境に居ると、誰かに話しかけられた時、非常に混乱してしまって、自分が一体何語で話しかけられたのかすらまったく判らなくなることがある。 しかしネイティブの人たちは、こうした発音の差異を乗り越える事に非常になれており、みんながまったく違う発音を話すなかでも、きちんとコミュニケーションを取ることが出来る。 非ネイティブである僕は、まったく太刀打ち出来ない。 だが何とか全力は尽くしたつもりだ。
そういう環境に居て、結果的に僕のラオ語は劇的に上達した様だ。 (僕はイサーン語研究会を作ってから3年間、ラオ語もイサーン語もひとことも話せなかった。ラオ語には、教則本も教材もまともな物はひとつも無く、全てを耳から覚える以外方法がないので、話せるようになるまで大変な時間がかかった。 ラオ語は、僕が一切を教材や理論に頼ること無く完全に耳から覚える事に成功した初めての言語だ。)
ビエンチャンに戻ってきた時に、ふと、ビエンチャンの話し方が、ウドムサイともウドンタニーとも全然違うということにも気がついた。 僕のラオス語はビエンチャンに居ると結構「は?は?」と何度も聞き返されるのだが、これは僕の発音が悪いということ以上に、僕の発音がウドンタニーを標準にしている事にもよるのだ、ということに気がついた。ビエンチャンの発音は「低子音字+声調記号なし」が、ウドムサイやイサーンとかなり違う。 また「第六声調」の発音は、ウドムサイとビエンチャンは同じ発音なのだけど、イサーンだけ違うということにも気がついた。 イサーン語の声調は、ラオ語のなかでもかなり簡略化されており、大きく端折ると5つの声調に分類出来るということに気がついた。 この5声調区分で話していると、ビエンチャンでは結構通じない事が多い。 僕は飽くまでウドンタニー流の声調で貫き通して行くつもりだったのだけど、ビエンチャンに行ったら、ビエンチャン流の発音に変えて話すのが、礼儀というものなのだろうなぁ、と漠然と思った。
方言間の子音の入れ替わりにも、たくさんの発見があった。 思うのだが、このラオ語での発音の入れ替わりが判らないと、タイ語も理解できない筈だ。 バンコクに居るほとんどのタイ語話者は、何かしらの子音の入れ替わりを持っている。 この子音の入れ替わりが発生しても、ネイティブはきちんと聞き分ける事が出来る。これはバンコクの人も例外ではないと思う。(「ぎどうおどうざんどおがあざんどがいものにいでだどぅだんあどぅいでどぅだでだ」って書いても、日本人なら意味が判るだろう。それと同じだ。)色々聞いている内に、バンコク語と、タイ標準語も、実はかなり違うのだと思った。 タイ標準語もひとつの人造言語なのだと僕は思う。 だから、タイ語であってもきちんと方言を学ばないと、リスニング力がつかない。
ウドンタニーに帰ってきて、ウドンタニーの人が何を言っているのか、以前よりずっとはっきり聞き分けられる様になっている事に気がついた。 実はウドンタニーのラオ語(イサーン語)にはウドンタニー独特な単語がいっぱいあるのだ、ということも知った。 例えば、「可哀想」をウドンタニーでは「リトン」というということを知った。 これが他の地域でも使われているのかは、まだ僕には判らない。 イサーン語を聞き分けられるようになっただけでなく、かなりイサーン語を話せるようにもなっていた。 前は、イサーン語を話すと「は?は?」となって話が食い違ってしまう事がしばしばあった。 だけど今は「マンヤークワオパーサーハオテーワオボサットルーイ!(こいつはオレ等の言葉を話そうとしてるが、上手に話せねぇでやがる!)」とか言われる。 そういう顔はニコニコ顔だ。 これはバカにされている訳ではなくて通じている証拠だ。 タイ語で話しかけた時とぜんぜんちがう。 ウドンタニーでタイ語を話すと、ノレンを押している様にまったく手応えがなくて、通じてるのか通じてないのかはっきりしなくて、しょっちゅうイライラしていた。 だけど、へたくそながらもラオ語で話しかけると、びっくりするぐらいスコーンと通じる。 どんなにボロボロでも気持ちよくスコーンと通じる。 僕はウドンタニーでラオ語をきちんと話した事がなかったのだけど、今回ラオ語を話したら...しばらく会話をしたのち「アオ! ボダイワオクーカオナンラ!カウチャイガーイーテー(前と話し方が違うじゃねぇか!こりゃわかりやすいや!)」と言われて爆笑された。 すごくうれしかった。
イサーン語には、独特な難しさがある。それは、ふたつの言語を状況に合わせて常に切り替え続けなければいけないところだ。 ラオスに居て、ラオ語を話す時は、ラオ語だけ話せば良い。 バンコクに来てタイ語を話すときは、タイ語だけを話せば良い。 ところが、イサーン語は、普通の話し方の時は100%ラオ語、丁寧な場面ではタイ語、目上の人と話すときはタイ語ラオ語混合、タイ語とラオ語の混合の仕方にも色々な混ぜ方があって、状況に合わせて変えていかなければいけない。 子供の頃から二つの言葉を勉強してきた人でない限り、普通は言語を切り替えるというのは非常に困難な作業だ。 僕自身、一度タイ語を話始めると、ラオ語が話せなくなり、一度タイ語を話始めると、ラオ語が話せなくなる、というジレンマによって非常に長い間苦しんだ。 ましてや二つの言語を状況に合わせて混ぜるというのは、非常に混乱する作業で、話している本人にすらどちらの言語を話しているのか判らなくなってしまう始末である。
イサーンの人たちは、ラオ語が話せない人には、親切心から、タイ語で話そうとする傾向がある。 これは、タイやラオなどの多言語環境に住む人たちがよくやる習慣だ。 慣れない発音の嵐に晒されるのは、誰でも苦しい物だ。 そういう苦しい思いをさせないように、可能な限り相手の言葉で話してあげるのは、コミュニケーションに対する誠実さの現れである。 だけど、発音の嵐に晒されて新しい言葉を学ぼうとしている時、これがネックになる。 イサーンでは、全部ラオ語で話そうとしても、ちょっとでも発音が悪いと言い間違えたとみなされて、すぐにタイ語で言い直してくれるので、どうしても頭がタイ語に切り替わり戻ってしまう。 しかし、イサーンに住んでいると、イサーン人同士は絶対にタイ語では会話しない上、イサーン人は独りで生活することがほとんどないので、結局発音の嵐に晒されることになる。 すると耳から入ってくる言葉と、自分が話している言葉が一致しなくて、非常に苦しい思いをすることになる。 この耳から入ってくる言葉と自分が話す言葉が一致しない苦しみには、独特の耐えがたい苦痛がある。
そしてイサーン語を話すときのテンポが極端に速いということも非常に学習を難しくする。 イサーン語は基本的に方言で、ネイティブの人しか話さない。 ラオ語もタイ語は、標準語・共通語でもあり、ネイティブ以外の人もたくさん話している為、みな話し方がゆっくりではっきりしておりわかりやすいところがある。 しかしイサーン語は、ネイティブ言語だ。 一度イサーン語の会話が始まると、非ネイティブの人にはとてもついていけない様な、凄まじいスピードで会話が進行する。 このスピードについていく事が非常に難しい。
加えて、イサーン語には、地方によって子音の入れ替わりがたくさん発生する。 この子音の入れ換わりの法則を理解していないと、聞き取ることすらおぼつかない。 ネイティブの人はこの変化があっても当然の様に聞き取る事が出来る。 この法則を説明している本はひとつもない。 経験によって補う以外方法がない。 この事もイサーン語の学習を非常に難しくする。
「子音の入れ替わり」と言う物は何も特殊なものではない。 日本人がタイ語・ラオ語を話す時も、この子音の入れ替わりが発生する。 この入れ替わりは、タイ人・ラオ人にとって聞き馴染みのないもので、慣れないと日本人が何を言っているのなかなか判らない。
・語尾の n と ng と 場合によっては m の入れ替わり
・t と th (無気音tと 有気音t)の入れ替わり
・k と kh (無気音kと 有気音k)の入れ替わり
・u(อู) と ue(อื) と 場合によっては ə (เอิอ) の発音の入れ替わり
・o と ɔ の 入れ替わり
・語尾の k/d/b の欠落
・声調の間違い(語尾の声調が第一声調に変わってしまうクセ)
・r の l 化
(何となく結論無く終わる。)
Mon, 24 Jan 2011 18:18:52 +0700
・「嫌な人」耐性
僕は人の好き嫌いが激しい。 好きな人はとことんまで好きになるが、嫌いな人は大嫌いで口も聞きたくない。 だが、僕は大抵の人が好きだ。 僕が嫌いな人のタイプは限られている。 それは「正直でない人」だ。 多くの場合、僕は正直でない人も好きなのだが、背伸びをして自分を等身大以上に見せたがる人が僕はどうしても好きになれない。
今日は、バーンナーというところに来てアパート探しをした。 バーンナーというところは、バンコク郊外にある割と大きな街だ。今回来て知ったのだが、スターバックスもオボンパンもマックカフェもセントラルワールドもビックCも全部揃っている。その割に、アパートの家賃は3000バーツ前後と非常に手頃でとても住みよい街だ。 難点は経った一つだけ、サイアムに出るまでに1時間以上バスに乗っていかなければならないことだ。 非常に時間がかかる。 だけどバーンナーに住んでいるだけなら、非常に住み心地が良い。 しかも郊外なので建物が密集しておらず、部屋に光が差し込んで風通しもよく、非常に居心地がよい。 今日見た部屋に5500バーツの部屋があった。 全家具付き、見晴らし超良好で、トイレも最新の器具がついていた。 バイクタクシーもちょくちょく行き来しており、1分走るとそこには、セントラルワールド・ビックCがあるという超好立地だった。
ただ、何となく思ったのだが、便利さを捨ててのんびり住むなら、いっそのことラオスはルワンパバーンぐらいまで行ってしまえば、いっそのこと住み心地が良くていいような気もした。 ... 今の僕に恐ろしいことなどなにひとつない。 僕は中国に行って、露天式・非水洗便所(屋上からトイレを覗いているおばちゃん付き)の恐怖体験も乗り越えた。 中国独自の壁のついていないニーハオトイレは有名だが、そんななか、友達と共にトイレに行く通称「連れション」ならぬ、「連れフン」の恐怖も乗り越えた。 今の僕の適応力は、超絶的に高いと断言できる。 これと比べれば住めない街などどこにもない。 僕が乗り越えられない生理的な不快感は、もうどこにもない。 慣れというものは恐ろしい物で、今僕はニーハオトイレが好きでもある。 天井も壁もない開放的な空間で、上からはさんさんと太陽が照っているなかで用を足すのは、とても快適な経験だ。 もう僕は、仕事をするに当たって、田畑のど真ん中にある高床式住居でも充分だ。 電源とちゃぶ台(あと出来ればコーヒーか普洱茶)があれば、僕はどこでも仕事が出来る。 ご飯はもち米と魚だけで充分である。 むしろこういう環境の方がノイズが少なく集中できる。
今日アパートを探している時、アパートの管理さんに、僕が何を話しても「は?は?」と聞き返してくる嫌な話し方をする女性がいた。 ビックリするくらいはっきりしたバンコク訛りで、すごく早口だし、僕も結構聞き取り辛くて嫌だった。 爪には何か変な模様が施してあって、服装も何か高飛車な感じで、僕が嫌いな感じだった。 で、僕がタイ語を話すと「は?は?」と何度も聞き返してくる。
今は自分でもはっきり認識しているのだが、僕のタイ語はかなり標準語から外れている。 僕がイサーンで拾ったイサーン訛りのタイ語が混ざっていたり、イサーン語その物だったりする言い回しを使っていたりする。 イサーン人がバンコクでこういう話し方をしても「は?」と聞き返される位なのに、明らかに外見が外人である僕がこういう話し方をすると、余計混乱に拍車をかけてしまう。 僕は今そう思っているので、タイ語を話すときも、出来る限りはっきりと、標準的な発音で話すようにしている。 日本人なので、やはりどうしても微妙に発音が日本人っぽくなってしまうのは、ある程度仕方がないことではあるけど。いずれにしても、そう思っているので、こういう風に「は?は?」と聞き返される時は、出来るだけゆっくりと、はっきりと話す様にしている。
しかしこの女性はそれでも「は?は?」と聞き返してくる。 そしてバンコク訛りを辞めない。 感じ悪いなぁと思った。 ...感じ悪いなぁと思ったのだが、この瞬間、何となく「あぁこの人も守っているんだなぁ」と感じた。 この「守っている」という言葉の使い方は、僕独自の使い方だ。 これには説明が必要だと思う。
バンコクの人が全員、バンコク生まれ、バンコク育ちという訳ではない。 恐らくバンコクに居るほとんどの人が、他府県出身でバンコクに来ている。 もちろん自分の国の言葉を持っていて、実は標準タイ語があまり得意ではない。 しかし、バンコク風の話し方が出来ないと、舐められてバカにされてしまうのだろう。 だから、必死にブランド物の衣服で体を固めて、話し方も完璧にバンコク風に変えて、相手の衣服や発音に不備があればすかさずそこを攻撃する事で、自分を守るのだろう。
僕は、他人がどう思おうと構わないと思うのだが、非常に都会的な雰囲気であるらしい。 見かけからは、田舎者など鼻にもかけずバカにしてばかり居る様な人に見えるらしい。 実際は逆である。だから、恐らく、僕を見た時、僕が何をしていなくても、僕が攻撃していると思って、僕に先制攻撃を加える人が、相当数居るのだと思う。
恐らく、これは僕が中国に居る時、発生していた現象の原因でもあると思う。 僕は中国に居る間、僕は何もしていないのに、色々な人からの刺々しい態度を感じていたのだけど、その理由がどうしてもつかみきれないでいた。 特に中国では、僕は(当たり前だが)標準語しか話せなかった。 すこしでも訛っているとまったく聞き取ることが出来ない。 これが「田舎者」の神経を逆撫でしていたのだろう。 恐らくだが、東京でも、これと同じ事が起こっていたのだと思う。
更に思う。 こういう刺々しい態度を、昆明生まれ、昆明育ちの人は、あまり持っていない。 昆明の人は割とざっくばらんで、明るい。 方言も隠さない。 だから、メチャクチャに訛っているにも関わらず、割とコミュニケーションはスムーズだ。 恐らく、刺々しい攻撃的な態度を持っている人は、昆明に出てきた他府県の人なのだ。 これは生まれも育ちも東京の人と似ている。 これは生まれも育ちも東京の人は案外、恰好をつけないし、ざっくばらんだ。 見かけにもさほどこだわらず、あまり等身大以上の事をやろうとしない。 等身大以上の事をやろうとして、他人を攻撃してばかりいるのは、ほとんどの場合、地方から来ている人だ。
僕はこういう刺々しい人が嫌いだった。 ... だけど、中国に行ってから、考え方が変わった。
こうやって刺々しく攻撃された時は、自分も一緒になって彼を攻撃し返してはいけないと思う。 こういう時は、出来るだけ、相手に取ってわかりやすい存在であることを心がけて、自分の生い立ちを明らかにして、自分が相手に好意を持っているということを、はっきりと言葉で伝えるべきだと思う。
高飛車でプライドが高くツンケンして他人を見下してばかりいる人は、実は、自分を守る為に必死に闘っているだけなのだ。
2. Tue, 25 Jan 2011 02:38:39 +0700
コメント一覧
ろんたりんくo(^-^)o 2011年01月25日 06:15
>この瞬間、何となく「あぁこの人も守っているんだなぁ」と感じた。
>この「守っている」という言葉の使い方は、僕独自の使い方だ。
守っている=守りに入る、あたりのニュアンスでしょうか?
何となくそんな風に解釈できましたが。。。
>この「守っている」という言葉の使い方は、僕独自の使い方だ。
守っている=守りに入る、あたりのニュアンスでしょうか?
何となくそんな風に解釈できましたが。。。
おかあつ 2011年01月25日 11:29
あ、そうです。 ありがとうございます。 その言い方頂こうと思います。
うう 2011年01月25日 18:38
バンコクでお部屋探しですかー。
バーンナーかー。オンヌットのさらに向こうかな?
BTS使えないところとなると、
まったく交通手段が思い描けなくて不安になるけど、
けっこう、便利なんだねぇ。
あたしもいろいろ探した結果、
どうやら1カ月単位でも借りられる家具付き物件が、
思っていたより安くあることを発見。
なので、1カ月単位で
バンコクやら、チェンマイやら、パタヤやら、
ヴィエンチャンやら、ルアンババーンやら、
あちころ、うろついてみようかと思います。
半年契約って言われても、
半年も先のこと、わからないので、
決められないです(汗)
で、ツンとすましている人。
そういう人って腹が立つというより、
その繊細なプライドを傷つけないように気を使わないと、
壊れてしまいそうなので疲れます…。
当方は土足の大阪人なので(笑)
アホ、ボケ、カスと笑って言い合える人って楽。
バーンナーかー。オンヌットのさらに向こうかな?
BTS使えないところとなると、
まったく交通手段が思い描けなくて不安になるけど、
けっこう、便利なんだねぇ。
あたしもいろいろ探した結果、
どうやら1カ月単位でも借りられる家具付き物件が、
思っていたより安くあることを発見。
なので、1カ月単位で
バンコクやら、チェンマイやら、パタヤやら、
ヴィエンチャンやら、ルアンババーンやら、
あちころ、うろついてみようかと思います。
半年契約って言われても、
半年も先のこと、わからないので、
決められないです(汗)
で、ツンとすましている人。
そういう人って腹が立つというより、
その繊細なプライドを傷つけないように気を使わないと、
壊れてしまいそうなので疲れます…。
当方は土足の大阪人なので(笑)
アホ、ボケ、カスと笑って言い合える人って楽。