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2011年1月8日土曜日

書くことがない (mixi05-u459989-201101080309)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
書くことがない
2011年01月08日03:09
何か書きたいのだが、書くことがない。 こういう時が一番困る。 僕は別にお金をもらって文章を書いている訳ではない。 だから書くことがないなら書かなければいいではないか。 そう自分でも思う。 しかし、書かないと気が済まないのである。

何を書こうか考えているのだが、思い浮かばないのである。



僕はプログラマだ。 何故僕が自分の事をプログラマだと思うのか。それには理由がある。 プログラムを組むようになって30年近くたったし、その間、結構いいお金も貰ったりした。 この芸のおかげで窮地を切り抜けることも出来た。 僕が作ったプログラムが雑誌に載ったりして有名になって色々な人に使ってもらったりもした。 だから色々な人が僕の事をプログラマだと思っている。

だがしかしである。 確かにそうかもしれないが、色々な人が僕の事をプログラマだと思っているから、僕がプログラマなのだ、ということではない。 僕がもしも仮に、プログラムを誰にも見せることをせず、ひとりで楽しんでいるだけだったら、僕はプログラマじゃないのだろうか。 否。 僕は相変わらずプログラマである筈だ。 プログラマという存在は、他人の見解に基づく存在ではない。

僕は、例えばRSA暗号をJavaScriptを使って自分で実装してプログラム部品としてまとめたりしたこともある。僕が大好きなジャズの即興演奏を、コンピューターのアルゴリズムに変換して自動作曲するプログラムを作ってひとりで遊んでいた事もある。 これはプログラマしか出来ない事だろう。 プログラマは、例え、その人がプログラマとしての社会活動を行っていなくても、プログラマであることに変化はない。

しかし他者から、その人がプログラマである事を知るためには、洞察力が必要だ。 洞察力とは、中身を直接見ることなく、中身が何があるのかを見抜く能力の事である。例えば、ゆで卵と生卵がある。 これを割って食べてみることなく、ユデかナマかを見分けることは可能だ。 コマのように回してみて、よく回る方がゆで卵だ。 生卵はコマの様に回らない。 この様に、物事は、多くの場合、中身を直接見ることなく、観察することで中身を知ることが出来る。 この能力を洞察力と呼ぶ。

卵の場合、洞察力がなくともカチ割ってみれば中身を知ることは出来る。 しかし、大切な事は多くの物事は、直接カチ割ってみるわけにはいかないものが多い。 こういう物は、洞察力がないとわからない。 例えば、ある人と話したとき、あぁこいつ、いったい頭んなかどうなってんのかな、さっぱりわからねぇ、といった場合、彼の頭をノコギリとハンマーを手にかち割ってみたら、理解できるだろうか。

だからこそ、洞察力という物はとても大切だ。



僕はプログラマだ。それは間違いない。 ところが、僕の事をプログラマだと気がつく人はほとんど居ない。 僕はコンピューターに関して一般的な人よりもずっと深い理解を持っているのだが、僕よりもコンピューターに詳しいと思っている人は多いらしい。

その事に最初にイライラしたのは、小学生の時だった。 時は1980年。 ファミコンが発売された直後だった。 ファミコンが発売された時、既に僕はプログラマだった。 当時僕は、若かりしビルゲイツ氏が考案したベーシックと呼ばれる言語を使って自分でゲームを作ったりしていた。 後にはアセンブラ言語も使う様になった。

当時、そんなプログラマである僕に、自分がいかにファミコンに詳しいのかをとくとくと説明する小学生は後をたたなかった。 彼らは、僕を苛立たせるのに充分な人数が居た。

彼らに、僕がプログラマであることを、いかにして納得させるべきであったのだろうか。 小学生は、普通洞察力を持たない。 洞察力を持たない相手に対してに、自分がプログラマであるということを納得させるということは、案外と難しい問題である。 これは、至上命題とも言える。

この至上問題性をうまく言い表した実例を、僕は知人から聞いた事がある。 知人はある日、市役所に居た。 その知人が、ある手続きをしている時の待ち時間、椅子に座って辺りを眺めていると、あるおじさんが受付の人と口論しているのが見えた。 おじさんは、その時身分証明証を忘れたかなにかで持っていなかったらしい。近頃の個人情報保護の機運から、身分証明証を持っていない人は、いかに些細な手続きであっても、受け付けてくれない。 何とも煩わしい事である。 おじさんは市役所から遠いところに住んでいたのか、急いで居たのか、受付の人を相手にごねて頑張っていた。 受付の人は、頑固に受け付けなかった。 おじさんは苛立った。 受付の人も負けていなかった。 おじさんは、終いには激昂してしまった。 そして大声で叫び始めたらしい。「俺は、俺だ...!」 「俺が俺だといっているのに、何で信じないんだ! 俺が俺だと言っているんだから、俺は俺なんだ!」 知人は、僕にこの話をした後で、このおじさんはある意味に於いて「尾崎豊」と本質的に同じ叫びを持っているのだという事を指摘した。



さて、最近僕は、自分が語学学者である様な気がしているのだが、これに関しては、自分でもはっきりとした確信を持っていない。 だが、話せる言語が5ヶ国語にもなったし、その内のひとつは、ラオ語の方言であり、ひとつひとつの文法を自分で研究する中で身につけた物でもあることから、僕はひょっとしたら語学学者と言っても構わないのではないか、という気がしているだけである。

僕は、語学を学習するにあたって、 「上級タイ語講座」というような、噛み砕いて食べやすくして防腐剤と一緒に缶に詰めた様な教材から学習したわけではない。 自分で狩りをして、自らの手で殺した上で、自分でさばいて、自分で料理をして食べている様な物である。 だから少なくとも、ホビーの語学学習者ではなさそうだ。 しかし、僕は日本の語学研究者を見て、自分で文法の解析をするほどまでに本格的に研究している研究者は居ないような気がしている。多くの日本人語学研究者は、他の国の語学研究者が研究した成果を輸入しただけであるように見えるのだ。

僕は、自他ともに認めるプログラマだ。 プログラミングに関してははっきりとした成果を持っているので、他人に対しても何ら恥ずかしがる要素がない。 しかし、僕がプログラマであるという根拠は、決してプログラミングに関するはっきりとした成果を持っているからではない。 成果を持たなくともプログラマはプログラマではないか。僕はそれと同じように、僕が語学研究者であるということに、はっきりとした成果を持っていないにも関わらず、僕は語学研究者なのではないか、と感じる。

プロか、プロでないか。 これに関しては、ある程度はっきりした分け目がある。 依頼に対して、きちんとした完成度を達成できるか。 これは、プロとアマの違いを分けるひとつの視点である。 その点からみると、僕は色々とアマチュアである点が多い。 まだまだたくさん改善すべき点がある。

しかし語学に関して言えば、これは、学問であると同時に、コミュニケーション手段でもある。 本を書いているか、講演をしているかというのは、直接的な「プロ」である存在理由ではない。 本も書いている、講演もたくさんこなしている、有名であるのに、何も理解していない人が非常に多い。

僕は外国語がわかる。 外国語がわかるということは、外国人が何といっているかわかるという意味である。 言っていることがわかるということは、外国の人がどう思っているのかわかるということだ。

僕は、だから、その「外国の人」が、その「プロの語学者」を見て「こいつ、何もわかってない」と思っている事を知っている。「プロの語学者」は、外国の人が思っている事をわかる能力がないので、「こいつ、何もわかってない」と思われていることにすら、気がつかない。 だから彼は、自分が「プロの語学者」だと思っている。

僕はもう小学生ではない。 だから僕が感じている事、僕が理解している事を誰にでもわかる形で文章にして説明する事も出来る。

だけど、卵を割ったことがない人に、ゆで卵はコマの様に回すことが出来るが、生卵はコマの様に回すことは出来ない、という法則を説明することは、果たして可能なのだろうか。 ゆで卵・生卵の法則は、僕も経験的に理解しているだけだ。 恐らくこれを理論的に説明すると流体力学などの理解困難な学問を持ち出す必要があるだろう。 この事を説明するには、卵を割って経験的に説明するのがもっともよい説明方法だろう。 同じように、僕が語学に関して理解している事は、僕が「卵を割った」ことがあるからこそ、経験的に理解しているだけなのだ。 しかし、多くの語学研究者は、卵を割る根気もなく、努力も嫌いで、卵を割ろうともしていない。 彼らにいかにして、ゆで卵の法則を理解して貰えばよいのだろうか。



僕がこの文章で何を言おうとしているのか、僕自身にも漠然としかわからない。 だけどはっきりした何かを感じながら書いた。 この文章は、もっとまとめて、わかりやすい形にすべきだけど、今は敢えて、このままにしてみようかと思う。

コメント一覧
風我   2011年01月08日 03:27
プログラマであるということはコンピュータ言語の専門家だから
結局広い意味で「語学学者」なんですヨ!(^。^)
ナム   2011年01月08日 07:46
自分の知人の高校の英語教師のことを思い出しました。
その知人はいつも自分のことを(キリスト教の)教義学者だと自称していたんですよ。
客観的には高校英語教師以外の何ものでもありませんでした。
だから自分は、その当時、「はぁ? なんでお前が教義学者なん? ただの神学好きの英語教師だろが。」と心中冷笑していたのです。
ところが、その数年後、その男、いつの間にかほんものの組織神学の大学教授になっていたんです。
へぇ~、人間って自分が自分はそうだと思っているものに実際になるものなんだなぁ、と、いたく感心したものでした。

おかあつ   2011年01月08日 11:53
> へぇ~、人間って自分が自分はそうだと思っているものに実際になるものなんだなぁ、と、いたく感心したものでした。

何となく思ったんですが、人って、思ったよりあまり変化しない物じゃないか、という気がします。 これも何となく思ったのですが、その人は多分本当に最初から神学者だったんじゃないでしょうか。 その事をその人は最初から知っていたのではないでしょうか。

タイとかラオスとかが恐ろしいのは、彼らは相手の自己愛を保護する習慣があるので、日本人の自己認識を狂わせてしまう能力を持っているところじゃないかと思うのです。西洋人はあまり自己愛を持っていないのでそれでもいいのですが、日本人は元々かなり強い自己愛を持っているので、これを破壊しないと物事に対して客観的になれないところがあるような気がします。 タイやラオの人はリアリティーの強い世界に居るので、自己愛が強くても自然にそれが壊れて物事に対して客観的になれるところありますが、日本はリアリティーがとても低い世界なので、自己愛がどんどん肥大化しがちな気がします。これが学者とかにはすごく毒な気がします。

タイラオをうろうろしている「先生方」は、もう人生後半を生きてらっしゃる人ですが、僕はしばしば感じるのですが、ラオの田舎の16歳の男の子の方がずうっと大人だとかんじます。 ラオの田舎の16歳の男の子は、自己愛が壊れていてすごく他人に対して客観的です。 そういうラオ人を「観察」している日本人は、自己愛のカタマリで、客観性が低くて丸で三才児です。

日本の語学学者も、S大のジャズ研みたいに強制的にチンチンにキンカンを塗られたりする経験をしてちょっとリアリティーを目覚めさせないとダメだと思います。
ナム   2011年01月08日 12:32
死人に鞭打つのもなんですが、京大の矢野暢とか、アジアのことまるでわかってなくてお笑いでした。
若いときにタイに数年暮らした経験だけで、その後の30年をまかなっていました。

おかあつ   2011年01月08日 12:42
> 死人に鞭打つのもなんですが、京大の矢野暢とか、アジアのことまるでわかってなくてお笑いでした。

そこまで行くと、僕のなかでは「よくわかっていない人」から出てしまいます。 むしろ、これは日本の語学が、実はプロパガンダなんだというよい例なんじゃないかと思います。 日本のプロパガンダ方針(アメリカやイギリスの軍事方針を正当化する為の道具)を着実に論文等の形で実現することができる本物の「プロ語学教授」だったんだと思います。 そこまでいくと、むしろ国際政治をよくわかっていないのは、僕等であって、彼はその点非常によく理解していたんだと思います。 ここまで露骨になると、はっきりとそれが指摘できるので、僕は結構好きです。

ナム   2011年01月08日 13:40
なるほどぉ。

おかあつさんの視点はおもしろいです。

おかあつ   2011年01月08日 17:03
例えばです。 思うんですが、まともな言語学者だったら、タイの人口の半分以上が実はタイ語話者じゃないということくらい、すぐ見抜くと思います。 偏差値が40程度ある人間の知能を持つ学者だったら、それに気がつくはずだと僕は思います。 彼らがそれに気がついていないと考えるのは不自然です。

だけどタイは一応西側諸国の中に居て、アメリカやイギリスが発するプロパガンダに乗っかっています。 そのプロパガンダ方針に反する様な結果は制限されているんだと思います。

・イサーンはタイじゃない。 ラオからもぎ取った占領地だ。
とか
・ヌアは、ヌアなんかじゃなく、ランサーン王国という国家だ。
とか
・タイダイはビルマじゃなくて、実はタイの土地だ。
とか
・シーサンバンナーは実はタイだった。
とか
・ビルマは実はイギリスの傀儡国家だ。
とか

そういう都合の悪い事実は、お互い内緒にしておきましょう、という暗黙の了解なんじゃないでしょうか。

「てめぇいい加減にしねぇと、例の浮気話、町内会にバラすぞ」
「... おめぇその話バラしたら、田中さんとの話、洋子の耳に届くことになるぜぇ」

みたいな感じで、チンコ握り合ってるんでしょう。



タイがもしもシャン州の秘密をばらしはじめたら、恐らくですが、イギリスはイサーンの内緒をばらし始めるでしょう。 その辺は利害関係があるので、みんな本当のことを言えないんだと思います。 日本に「イサーン語」の解説本がないのも同じ理由でしょう。 ... もし日本の語学学者が本気で気がついてないとしたら、偏差値40以下っていうことでしょう。 頭蓋骨の中身は間違いなくヌカミソです。

でも、日本にもそういうウソっていっぱい転がっています。 北方領土だって、解決しようと本気で思っていたら、とっくに解決している筈です。 解決すれば、ちゃっかりロシアから日本にパイプラインなんか建造しちゃったりして、日本もロシアもウハウハになってる筈です。

中国・北朝鮮・韓国・日本・貫通海底トンネルとか作るのだって夢ではないでしょう。 もしそんなことをしたら、中国・北朝鮮・韓国・日本、みんなそろってウハウハです。 シリアスにヨーロッパとの対抗勢力として非常に強力な地域になっているはずでしょう。 この地球のどこかの「そうさせたくない人」が、一生懸命ネットワークを使って「チョンコロはバカ」とか「日本人は侵略者」とか「キムはアホ」とかいっしょうけんめい対立を煽っている訳ですよね。

誰がそれを劇的な発展をストップしているんでしょうか。

でも僕等は、お金がないと生きていけませんし、上のドラムスコもボツボツ大学に上がって金もかかるとか、ヨメが海外旅行に行かないと実家に帰るってごねてるとか、娑婆を喰って生きていますから ... 言語学者が本当に賢かったら、素直に「シャン州はビルマです。」とか「ビルマは軍事政権だから悪い政権です」とか「タイは伝統ある王国です」とか「ラオスは貧困国です」とかいう論文書いて研究費ごっそり貰った方が得だと気がつくでしょう。

アジア人はそうやってみんなで足を引っ張りあって暮らしている訳ですよね。
おかあつ   2011年01月08日 17:04
学者ならまだしも、何の利害関係もない、プータロー民俗学者まで、そんな見え透いたウソ信じなくたっていいじゃないか、とは思いますけど。
ナム   2011年01月08日 17:38
おもしろく拝読しました。チベット語などをやっている人は政治をさすがに無視できないようですが、たいていの語学者(屋?)はあまり政治的な視点を持っていないような気がします。
案外、実際、偏差値40くらいの人が多そうな気がします。

 
出展 2011年01月08日03:09 『書くことがない』