僕は、日本は近代化によって旧来の気持ちの文化は全て失われてしまったのだと考えていた。 でも、それは実は事実と異なるのかもしれない。 何故かというと「関東同化政策とその一環としてのプロパガンダ」によって、気持ちの文化を他人に見せるのはタブーとされてしまったのかも知れないからだ。 実は気持ちの文化はまったく失われていないのだけど、タブーがあるので、正直な気持ちを見せることが出来ないのかもしれない。 これはバンコクでははっきりと起こっている事を指摘できる。 バンコクでは、地方人は話す言語もまったく違う等、地方人と中央人は外人ほどの違いがあるので、その問題をはっきりと指摘出来るが、日本ではそこまでは違わないので、指摘するのは難しい。 その点アメリカも肌の色による住み分けがあるので日本の様な困難さはない。
地方人は関東に来るときに、関東人に「負けない」事を主眼に置いている。 一方で、リアルの関東人は案外貧しい。 だが、その事を劣等感として感じていないので、虚勢をはらない。 言われてみれば、僕の友達には数人の超都心を地元とする人がいる。 青山に実家ありとか、麹町に実家ありとか、アキバに実家ありとかいう調子である。 彼らは都心に住んでいるが決して大金持ちではない。虚勢もはらない。 自分より貧乏な人と付き合うこともやぶさかでない。「負けない」という事に主眼を置いていない。