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2010年6月24日木曜日

戦争反対の欺瞞 (mixi05-u459989-201006240038)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
戦争反対の欺瞞
2010年06月24日00:38
こういうのがあった。

─── 「戦争は人間が人間でなくなる。二度と起こしてはならない」。戦争反対を心に決めた。 ( 沖縄「慰霊の日」「なぜ生き延びた」 元ひめゆり学徒、今も自問
6月23日15時26分配信 産経新聞 より引用)


僕のポリシーは飽くまでも戦争反対だ。 だけど、上記の言葉って複雑だと思う。

戦争って夫婦喧嘩と同じで片方だけが攻撃しているだけでは戦争にならない。 片方が攻撃してそれに対して応酬することによって、初めて戦争になるわけで、もし片方が相手にしなければ、夫婦喧嘩と同じで戦争にはならない。 本質的に、お互いの同意があるからこそ戦争が起こると言える。

上の文では「起こしてはならない」と自動詞で書いてある。 これは「戦争っていう物は自然発生的に起きる物だから、起こさせてはいけない」とも読めるが、ここではそういう意味ではないのだろうと思う。 これは背景として日本が戦争を起こしたという話が前提にあるからこそ「起こしてはいけない」と自動詞で書かれているのだろう。

戦争は独りでは出来ない。例え日本だけが戦争を起こそうとしても相手国の同意がなければ決して戦争にはならない。 戦争が起こる起こらないという問題が確定する為には、必ず複数の意志決定が必要だ。 だから、日本だけが戦争を起こしたり、日本だけが戦争を防いだりする事は、不可能だ。 なのに「日本は絶対に戦争を起こしてはいけない」と断言してしまうのは、何か根本的な矛盾をはらんでいる様に感じる。

世の中理屈だけで割りきれることばかりではない。

そもそも、夫婦喧嘩がそうであるように、戦争も自分から開始するのは決して得策ではない。 喧嘩などで誰かが誰かを殴ったという時「相手が先に手を出した」ということを証明出来れば、世間体上、しばしば非常に有利に事を進められる物だ。 だからこそ、往々にして相手を挑発したり、相手がこちらを攻撃せざるを得ない様な状況に追い込んだりして、相手に自分を攻撃させようとする。 相手が攻撃を開始すればしめた物で、それに対して自己防衛とかそういう名目をつけて「倍返し」した上で「相手が先に手を出した」ということにすれば、世間体もよい。

( 「...あなたの稼ぎが悪いからこういうことになるのよ! ったく情けない。 ○丁目の旦那さんなんて三カ月でもうあんなに出生しているのに、あなた何やってるの? バカじゃないの?!ドジ!マヌケ!」 「うるせー ビシ!バシ!」...「(数ヶ月後・裁判所で) 判決・ドメスティック暴力により離婚の意義を認める。夫は今後30年に渡り月30万円の養育費を負担する事。 なお、子の養育権は妻にあり。」)

だから、誰かが「相手が先に手を出した」という話を持ち出す場合、ましてや政治駆け引きに長けた国際政治の舞台に出てくる政治家などがそういう話を出してきた場合は、言い分を鵜呑みにする事などまったく出来ないものではないか。



日本では、日本は戦争に負けて、日本が戦争を起こしたという話ですっかり決まってしまっている。

でも、本当にそうだろうか。 アジアをブラブラするとすぐに思うのは、アジアで戦争をしなかった国はすべてヨーロッパのいずれかの国に蹂躙されているという事だ。 蹂躙されなかったのはタイと日本だけだ。

日本が戦争を始めたのかそうでないのかは、はっきりわからない。 それらは嘘と欺瞞で満ち溢れていて本当の事など知るよしもない。 だけど、日本が戦争をしていなかったら、ヨーロッパが蹂躙してきたアジアの国々と同じように、日本も蹂躙されていただろう。 そのことは、少なくとも間違いがない。


こうやって「日本が悪いのか」「日本は悪くないのか」と喧々囂々の討論を繰り広げているそばで「思ったとおりだ」とほくそ笑む西欧の人たちがいる。 こういう話も、年がら年中「キツネとタヌキのばかしあい」を繰り広げている西欧の人からすれば、「まだそんなウソ信じてたの?」と言われそうだ。



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100623-00000070-san-soci

沖縄「慰霊の日」 「なぜ生き延びた」 元ひめゆり学徒、今も自問
6月23日15時26分配信 産経新聞

「なぜ私は生き延びたのか」。沖縄戦にひめゆり学徒として従軍した宮城清子さん(84)。悲惨な地上戦に巻き込まれ、多くの仲間が命を落とす中で生き残ったことに、戦後65年となる今も自問自答する。

  [フォト]沖縄戦65年、菅首相「基地負担おわび」 追悼式に初出席

 教員を夢見て師範学校に通っていた宮城さんがひめゆり学徒として配属されたのは、沖縄県南風原町の病院壕(ごう)。ある日、用があり壕を出た直後、「ドォー」と爆発音が鳴り響いた。すぐ引き返したが、壕の入り口は砲弾にやられ、中では負傷兵や看護師らが血まみれで壁に張り付いていた。全員即死だった。

 「戦争は人間が人間でなくなる。二度と起こしてはならない」。戦争反対を心に決めた。

 例年、慰霊の日には平和祈念公園(同県糸満市)へ足を運び、仲間の名が刻まれた礎(いしじ)に手を合わせてきた。足を痛め、今年は行けないが、亡き仲間の霊に祈りをささげるとともに、基地問題に翻弄(ほんろう)されない平和な沖縄を願っている。

 一方、激戦地の糸満市摩文仁を訪れた戦没者遺族らは、過重な基地負担軽減に願いを込め、静かに平和を祈った。

 警察官だった父親を亡くした名護市汀間の男性(75)は、好物だった泡盛を手向けた。「32歳の若さだった。悔しかったと思う。戦争は罪悪。二度とやってはいけない」

 うるま市で農業を営む男性(73)は「沖縄は65年も(基地の)犠牲になっている。総理が来てもうれしくはない」。父親の遺骨は見つからないまま。3万5千柱余りの無縁仏が眠る糸満市内の「魂魄の塔」で祈った。


コメント一覧
bobcat   2010年06月24日 21:25
おすすめのアニメ(見てるだけなら今んとこ著作権法違反にはなりません)
上海と満州のハナシやけど
http://up.b9dm.com/listview.php/lid_819.htm
oxoofo   2010年06月26日 00:24
「ワ レ ワ レ(チキュウジン) ハ」(何度か起こしたけど、もう起こさないぞ ) ってことでは

実際に殺し合いという世界を体験して、「あれは、いかん、、ああならないように、なんとかしないと」という想いなのでは

「戦争とは、どうやって起こるか、起きたか、防ぐには、具体的にどうすればできるのか」というような観点での考察、とはまた別に、実際に体験してしまった(日々生きてたらある日巻き込まれた)人の、実感としては、そのような感じなのではないかと。

んーー、いや、まだ、上手く言えてない。 なんでしょう。 

体験者が、具体的に
「日本がいけなかった。日本は、あの時、こういう政策、態度でのぞむべきだったに、そうせず、戦争した。日本は、2度と、戦争を起こしてはならない。」
と、思っている

というよりは、

「あれは、、、 ひどい体験だった。。 あれは、 悪。2度と体験したくない。させてはいけない。自分の子にはさせたくない  最優先で避けるべき物。 じゃあ、どうすれば良かったのか、と言われたら、その具体策が分かっている訳じゃないが」

という感じなんじゃないかな、って、思ったのでした。

読み返してみると、同じような事を2回ループして言っているような気がしないでもないですが、繊細な話題でもありますし、正規化を試みようとして言葉足らずになる危険よりも口頭のような冗長さの方を取って、このままサブミット。
 
出展 2010年06月24日00:38 『戦争反対の欺瞞』