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2010年5月9日日曜日

しってるつもり? イサーンクイズ (isaan05-c987254-201005091849)

おかあつがミクシコミュニティータイ東北イサーン語研究会として著した記事を紹介します。
しってるつもり? イサーンクイズ (おかあつ)
2010年05月09日 18:49
タイは多民族国家です。 多くの人は、タイ国内に住む人はタイ人、ラオス国内に住む人はラオス人だと考えていますが、それは事実ではありません。 タイ国の国境はこの200年で大きく移動しました。 国境が移動しても民族は移動しません。 民族や言葉、文化としてのタイ人・ラオ人を考えると、その本質は大きく違った様相を顕します。

タイには「イサーン人(東北人)」と呼ばれる人たちが居ます。 このイサーン人はタイ人であり「イサーン語」と呼ばれるタイ語の方言を話すと考えられています。 しかし、上記の視点から見ると、この視点にはたくさんの見落としがあることに気がつきます。

以下、クイズに対する答えという形をとりながら「イサーン(タイ東北地方)に住む人が全員ラオではない」という点や「ラオはタイではない」という点「ラオスだからラオ人の国だというわけではない」という点について論じることで「ラオ人」とは一体何なのかを浮かび上がらせて行きたいと思います。

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ここでクイズです! あなたはいくつ答えられるでしょうか。

Q1・タイのイサーン地方に住んでいる民族の名前を5つ以上挙げよ。
Q2・ラオ民族が住む地域を挙げよ。
Q3・タイにラオが併合したのは西暦何年でしょう。
Q4・タイのイサーン地方がふたつに分けられた年は?
Q5・現在のラオスという国が成立したのは西暦何年の話でしょうか。
Q6・国境がきちんと設立された年はいつでしょうか。
Q7・ヤーモーは、何民族出身でしょう。

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★ Q1・タイのイサーン地方に住んでいる民族の名前を5つ以上挙げよ。

(解答例)ラオ、クメール、スワイ、プータイ、ユアン、クンドゥン、クンタイ、タイドゥン... 他

解説: タイの中央部でタイ語を話している際に「イサーン人」と言えば、多くの場合はラオ人の事をさします。 同様に、タイ語を話している時に「イサーン語」と言った場合、ほとんどの場合はラオ民族が話す言葉であるラオ語の事をさします。

しかし、現実にイサーン地方に住む人という意味でのイサーン人には実際にはラオ民族だけでなく、上記の様に数多くの民族が住んでいます。 『イサーン人』と話しているからといって、その人がいわゆる『イサーン語』が話せるとは限らないということです。 例えば、あなたが話す相手がクメールの人であれば、クメール語(カンボジア語)をネイティブ言語として話し、大抵ラオ語は話せません。

★Q2・ラオ民族が住む地域を挙げよ。

(答え)タイ東北部~ラオス国内

タイの東北地方で主に話されているラオ語は、「イサーン語」と呼ばれてタイ語の方言と考えられています。 しかし、タイの人はこの「イサーン語」を聞いても理解することは出来ません。 一方、ラオス国内に住む人は、このタイ語の方言とされる「イサーン語」を難なく理解することができます。 会話する事に何の問題もありません。 つまり「イサーン語」は「ラオス語」なのです。 (実際にはラオビエンチャン語とラオイサーン語には色々な違いがありますが、ここでは論じません。)

ラオ人は、タイでは「イサーン人」と呼ばれ、タイ国内では存在すら認められていません。 しかし、ラオス国内に住むラオ人と同じ人たちです。 つまりラオ人はラオス国内からタイの東北に渡って、国境をまたがる形で住んでいると言えます。


★Q3・タイにラオが併合したのは西暦何年でしょう。

(答え)1829年にビエンチャンのアヌウォン王がタイに侵攻した際に、ヤーモーの策略に負けて敗退した。 その時から、ラオはタイに併合した。

解説:

■■■ 事実1 ラオ人はタイ人じゃない ■■■

多くの人は、タイ国内に住む人はタイ人、ラオス国内に住む人はラオス人だと考えています。 しかし、これは事実ではありません。

ラオは昔、ラオ民族の国を持っていましたが、1829年の戦争に負けたのをきっかけにタイに併合されました。 併合後はタイとラオはひとつの国となり、ラオはタイのイサーン地方(東北地方)と呼ばれるようになりました。 併合された年は1829年です。 今年は2010年です。 つまり、タイとラオが併合したのは、今からわずか180年前という事になります。 それより前は、それぞれ違う言葉を話、違う文化を持ち、違うお祭りをしていたという事です。

ところで、このイサーン地方は、現在ラオス国と呼ばれている地域を含むので、今イサーン地方と呼ばれている地域よりもずっと広くなっています。 これがどのようにして現在の形になったのでしょうか。これを次で見てみます。


★Q4・タイのイサーン地方がラオ国とイサーン地方のふたつに分けられた年は?

(答え)1892年にフランスがサイアムに侵攻した際、サイアムがメコン川以東をフランスに割譲したことが始まり。

解説:

■■■ 事実2 ラオスだからラオ人の国という訳じゃない ■■■

現在、メコン川よりも南は、タイ東北・イサーン地方と呼ばれ、 メコン川よりも北側はラオスという別な国として呼ばれています。 それらふたつはQ3で見たように、かつては分け隔てのないひとつの地域でした。 一旦タイに併合するというかたちをとりましたが、その後、メコン川を境にふたつに分断され現在の様なラオス国とタイ東北イサーン地方になりました。 この分断された年が1892年です。

つまり、旧来の大きなタイ東北イサーン地方が、現在の様にラオス国と現イサーン地方に分断されたのは、今からたったの120年前なのです。 つまり、現在、タイ語で「イサーン人」と呼ばれている人が出来上がったのは、だいたい、この1892年からということになります。

併合したのが1829年前ですから、併合してからだいたい60年で分割された事になります。


★Q5・現在のラオスという国が成立したのは西暦何年の話でしょうか。

(答え)1974年


★Q6・国境がきちんと設立された年はいつでしょうか

(答え)(不明) 多分1980年代。

解説:

■■■ 事実3 ラオ文化がメコン側で分断されたのは、実はつい最近 ■■■

こうしてメコン川で分断されたラオ文化ですが、メコン川の北の方のラオス国が、近代国家としての体裁を整えたのは、実にたったの40年前の話です。

これは、僕自身がタイ東北イサーン地方に居て色々な人から直接聞いた話なのですが、今、40代くらいの人は、子供の頃、メコン川を歩いてラオ側とタイ側を行ったり来たりしていたのだそうです。40代の人が子供の頃といえばだいたい30年くらい前ではないかと推測されます。 今の様に橋が出来て、国境の検問が出来たのは、その後ということでしょう。

この様に、ラオ文化圏が実質的に二つに分断されたのは、更に最近なのです。 現在ある「イサーン人」が成立したのはつい30年前の話なのです。


■■ 事実4 実はラオ人は自分たちをタイ人だとはあまり思ってない ■■

言葉で説明すれば、単純ですが、実際に揺れ動く国境地帯に住む人の心情はこんなに単純なものではありません。 そこに実際に生活の基盤を置く人たちの気持ちは複雑です。

ラオの人は決して人前で言葉に出しませんが、自分たちをタイではなくラオ (ลาว) だと思っています。 ラオ人も今では、タイ国内でタイ語の教育を受け、ラオ文字を捨てタイ文字を使うようになり、自分たちがタイであると信じようとしています。 しかし、上で見てきたように、ラオ人がタイに同化し始めたのは、ごくごく最近の話です。 現在、控えめにみてもタイ人に同化したとはとてもいえません。 実際、今でもタイ語が話せない人はたくさんいます。 タイ語が上手な人でもうっかりするとラオ語が口から出てきてしまったり、タイ語で話すとどうしても話すスピードが遅かったり、話しを聞いても理解が遅かったり、場合によっては支離滅裂なことをいいだしたりします。 タイ語はあくまでもネイティブの言語ではないからです。 ラオは非常に個性的で強い文化基盤を持っています。 言葉や言葉遊び・昔話・歌・音楽などなど、今でも根強くラオの心に息づいています。 ラオ人は、タイ語を話し、自分はタイ人であるなどと気取っていても、ラオの音楽を聞くと思わず踊りだしてしまう、心は常に広大なラオの大地にあります。

ラオ語を深く勉強すると ラオ語には ラオ (ลาว) を婉曲に表現する言い回しがたくさんあることに気がつきます。 例えば、ルークトゥンモーラム(ラオの民族音楽の影響を受けたタイ演歌)の歌詞などにしばしばバーンハオという言葉が出てきます。 バーンハオという言葉は直訳すると「我々の村」という意味ですが、日常生活上では、バーンハオと言った場合「我々の住む村」のことではなく、多くの場合、ラオが住むイサーン地方の事をさします。 歌の歌詞でバーンハオと言った場合、それは暗にラオの事を指していると考えて間違いないでしょう。

一方、タイの中央部に住む人は「タイ同化教育」というものを受けており、民族に関わらず、我々はみなタイ人であるということを固く信じています。 この間には大変な温度差があります。

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(番外編)
★ Q7・ヤーモーは何民族出身でしょう。

(答え)(まったく不明)

ท้าวสุรนารี タオスラナリ ย่าโม ヤーモー(モーおばさん)は、1829年にビエンチャン軍がサイアムに攻め入ったとき、策略を案じて、ビエンチャン軍を滅ぼした人です。 タイではヤーモー(モーおばさん)と呼ばれ、国を救った英雄だと考えられて居ます。 一方、ラオでは(誰も決して大きな声では言いませんが)国を滅ぼした裏切り者と考えられています。

タイでは「機転を効かせた立ち回り」という話で曖昧にされていますが、僕がラオスに行った時にある方から聞いた話は非常にドスグロいものでした。 実は、ビエンチャン軍が街にやって来た時、ヤーモーはどうやらお酒だけではなく、『女性』をも振る舞ったと言う話です。 色仕掛けでお酒を飲ませてメロメロに酔っ払わせ寝込んだところをヤーモーはタイ軍に通報、ビエンチャン軍は殲滅させられたという話です。

僕は何となくですが、このヤーモーの立ち回りの話を聞いて、僕が普段見ているラオ人の行動とかけ離れいるように思いました。 本当にヤーモーはイサーン人(ラオ)なのでしょうか。 僕は違うと思うのです。 これに関しては僕もはっきりとはわかりません。 僕が勝手に思っているだけです。

ですが、以前、バンコクで「パーサーヤーモー」という言葉を聞いた時、ヤーモーはラオではないのではという疑いを更に深めたのです。

実はこのヤーモーが居たイサーン南部の街・コラートには、コラート語という、ラオ語とタイ語の中間言語があるのです。 このコラート語というのは、あるコラート出身の人にうかがったところによると、実は3つに分かれているということなのです。 それぞれ クンタイ・タイドゥン・クンドゥンと呼ぶそうです。

で、僕が驚いたのは、そのうちのひとつが「パーサーヤーモー」 (モーおばさんの言葉)とも呼ばれているらしいことを聞いたときです。 この話を聞いて、ヤーモーがラオ人ではないという事を更に深く思うようになったのです。 言葉が違えば多くの場合、民族も違うからです。

僕が普段見ているラオ人... 策略とは遠くかけ離れたノンキで無策で気持ち最重視のラオ人を見ていると、このヤーモーの鋭く人を刺すように論理的な立ち回りがどうしてもイメージ出来ないのです。 ヤーモーがラオ語話者ではない、という話は僕にヤーモーが実はラオ人ではないのではないかという疑いをより強く持つようになりました。 もちろん、確証はまったくありません。 多くの場合言葉が違えば、民族も違いますが、絶対に違うという訳では決してありません。



ヤーモーの立ち回りにより、ラオはタイに併合されました。 併合後、ラオの文化は破壊されました。 焚本によってラオ文字の本は、ほとんど燃やされてしまったそうです。 現在残っているラオ語の古文章はごくわずかだという話です。

その影響か、ラオ語に関する本は現在でも少ないものがあります。 一般的にタイ国内で、ラオ語の辞書はあまり売られていません。 ラオ語の教科書もタイ国内で入手できるものはごく限られています。

そういう中でも、ラオ文化は生き残り今なお息づいています。 西洋音楽に存在しない独特な旋法を個性的で強烈なビートに乗せたラオの民族音楽。 タイ語よりも声調が多く話しているだけで音楽的に聞こえるラオ語。 強烈な毒舌とギャグの傍らホロリと涙が出てしまうような悲しみのある新喜劇。 ラムと呼ばれる美しい踊り。 一説によると、ラオス国内でのラオ語話者人口よりもタイのイサーン地方でのラオ語話者人口の方がずっと多いのだそうです。

国境の文化・ラオ。

国境というのは、国家と国家との利権がもっとも激しくぶつかり合う場所です。 このぶつかり合いの中で、あらゆる嘘・あらゆる詭弁が大きな声で宣伝されます。 誰が真実を語るか、誰の言うことが最も合理的なのかは、まったく関係ありません。 最も大きな声で宣伝する者が真実の伝道者と考えられます。

そういう激動する社会の中に住む人の心は激しく揺れ動きます。

揺れ動く人の気持ちに触れることは簡単ではありません。しかし、語学を学ぶという事を通じて、目には見えない人の気持ちを感じる洞察力を身につける努力を続けることは、人としてとても価値のあることではないか、と僕は思います。
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出展 2010年05月09日 18:49 『しってるつもり? イサーンクイズ』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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