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2010年5月26日水曜日

日本人の盲目性 (mixi05-u459989-201005262004)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
日本人の盲目性
2010年05月26日20:04
日本人は自分たちが何なのかまったく知らない。 僕はこれこそが日本人の大きな特徴だと思う。 僕はこのことを「日本人の盲目性」と呼んでいる。 この日本人の盲目性はありとあらゆるところで指摘できる。

声調
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E8%AA%BF

ここに「日本語には声調がない」とあった。 ウィキに限らず、日本人は日本語に声調が無いと思っている。 だがこのこと自体に日本人の日本人に対する盲目性を指摘できる。 日本語は声調がある言語だ。 だけど日本人は日本語に声調が無いと信じており、声調を文字に書き表さない。 だが実際には声調が存在するので、日本国内で声調の統一が取れず、地域によって多くの声調のバリエーションが生まれている。


この間、四国の観音寺というところに行った。 関東出身の僕は当然の様にそれを「かんのんでら(低高高高高高)」と読んだ。 だが、この観音寺はこう読まない。 観音寺と書いて「かんおんじ(高低低低低)」と読む。 声調が違う。 また、この地方では「かんおん」を「かんのん」と続けて読まないところも興味深い。 日本語にはリエゾンが無いと信じられているけど、僕はこれをみて、関東人にはリエゾンがあり、関西ではリエゾンがないのかもしれない、と感じた。

伊予三島というところにも行った。 僕はこれをみて「八丈島・三宅島」と同じように「いよみしま 高低低高高」と読んだ。 だけど、これは「京浜川崎」とか「海浜幕張」と同じように
「いよみしま 低高高低低」と読まなければいけない。(あるいは「いよみしま高高高低低」かもしれない。)

声調が変わると意味が変わる。



タイ語の先生で有名なポンパン先生がふたつの単語がつながると声調が変わるという例を本に書いている。

バンコク(高低低低) + 銀行(低高高高) を続けて読むと
バンコク銀行(高高高高高低低低)に声調が変わる。



ところが、この間、免許証の更新に行ったとき、免許センターの教官が話した声調はとても面白かった。

「...免許が出来上がりますと、後ろにある『電光掲示板』に表示されますので...」

この人の場合、電光(高高高高)+掲示板(高高高高)を続けて読むと
電光掲示板(高低低低低高高高) になる。

ちなみにこの人は「表示」を「しょうじ」と発音した。



そういえば、この間、京都に行って面白いなと思ったのが、

「ありがとう」
  → 東京だと「低高低低低」
  → 京都だと「高高高低低」 (「が」が高いところがミソ)



ここでは便宜上 高低しか書いていないけど、日本語には多分5つの高さがあると思う。

=========

僕も日本人だけど、日本人を見ていると、実は日本人は「マトリックス」の住民と変わらないのではないか、という気がする。

映画マトリックスの世界では、人は生まれてすぐコンピューターに接続されて仮想現実のなかで育つ。 彼らは、見る物、聞く物、触る物、食べる物、嗅ぐ物、すべて仮想の世界の出来事であり現実の出来事ではない。

自分が住んでいる世界が現実ではないという事実を、論理的に矛盾無く証明する事は、実はものすごく難しい。 今見ている世界が仮想であるということを証明するためには、自分のまわりの世界で見られる矛盾点をひとつひとつ挙げて、自分の住む世界が仮想であるという実例を挙げていく以外にない。 しかし、論理的に完全に閉じた世界に住んでいる場合、矛盾点がほとんど存在しないことが問題になる。よって、身の回りで起こる限定された極めて些細な矛盾点をあげ、それを反例として採用することによって、この世界がウソであるということを証明する以外にない。 しかし論拠として弱く、多くの人はそれを信じない。 この様に、仮想現実のなかに居る人に「君は今、実は仮想現実の中に居る、今君が見ている物はすべてウソなのだ」と説明しても信じられない。

ある日、仮想世界の住民はひとつのカプセルを飲む。 このカプセルを飲むと仮想世界の夢から覚めて現実に戻る。 嵐の様に激しく苦しい現実の世界に強制的に戻ってしまう。 それを見れば、どんなバカでも今までいた場所が仮想現実であった事を信じるだろう。



日本人も同じである。

昨今、身の回りで起こっていることがウソだらけになっている。 だけど、島国という特質上、ひとつの論理的に完全に閉じた世界であるため、すべてのウソがきちんと矛盾無く成立しており、それをウソだと疑う者は少ない。

だけど、外国にひと度出れば、そんな者は誰の目にも明らかにウソであることがわかる。 ひと度、日本という仮想現実の世界から出れば、ウソは簡単に暴露される。 嵐の様に激しい苦痛と火が衝くような歓喜の現実がそこにはある。



コメント一覧
退会したユーザー   2010年05月26日 20:13
面白い(=゜ω゜)ノ
なかなか興味深く読みいってしまいました(´・ω・`)
そむちゃい吉田   2010年05月27日 01:10
至極、共感。
かな文字にはほんの少しだけ日本語に声調があったことを伺わせる
名残がありますね。

お:を
い:ゐ
え:ゑ
は:わ

ただ、時間とともに変わる、生きているのも言葉。
近年の若者たちの無機質な声調は、聞いていて気持ちが悪い。
もしかしたら、このままどんどん無機質になって行ってしまい、
最後には話す人がいなくなるのかも。
ヒロコ   2010年05月27日 01:55
おかあつさん、鋭いですね
音声学をかじった者は日本語のそれにつては、声調とは呼ばず、高低アクセントと呼んでいます。他に、英語などを強弱アクセントとも。
中国語やタイ語などは、声調が異なる単語は意味も違いますよね。ラオス語もそうですか?
タイ語では
   マー(平らなまま):来る
   マー(下がってから上がる):イヌ
   マー(高めからさらに高く):馬
となります。
でも、日本語の場合、免許センターの方の発音が違っても、理解できたのですよね。それは声調言語ではないからなのです。関東と関西で語の中の高いところが違っても意味が通じるのも同じ理屈です。
   はな(低高):関東(花)
   はな(高低):関西(花)

クラブ:本来なら「高低低」が「低高高」になったりするのは、自分はそのことばに思い入れしてるとか仲間ことばにするなどの意思表示だといわれています。もし、日本語が声調化してきたら、それはまた新しい世代や考え方の現われなのかもしれません。もしくは古のことばが方言に残っていたものが顕在化してきたとか。
そむちゃい吉田さんがおっしゃってるのも声調ではなく、音声です。や行、わ行の空いている部分も昔は音の区別があったという説があります。
(ところで、そむちゃいさん、昔、マハーサラカムのぴっぱら関係でメールのやりとりをしたことがありませんか?記憶違いでしたら失礼しました。)

以上、長々と失礼しました
おかあつ   2010年05月27日 02:40
> でも、日本語の場合、免許センターの方の発音が違っても、理解できたのですよね。それは声調言語ではないからなのです。

ここが事実と違うかな。 関東の人が標準語を話しているからそう錯覚しているだけで、地方の人には案外と通じてないんじゃないでしょうか。 通じていないと「あぁ田舎者はバカだなぁ」って片付けられてしまうだけで。

関東弁丸出しでしばらく地方にいると、意外な言葉が通じなくて結構戸惑うことって多いように思うんですよね。 関東人としては、どの地方の人もみんな必死に関東弁にあわせてくるので気がつきにくいものですが。

上で例に挙げた「いよみしま」も「かんのんでら」もイントネーションが違うと通じません。(駅の「みどりの窓口」で経験済み)四国にいるときに観察していて気がついたんですが、関東人(ビジネス客)がゴリ押しで「かんのんでら」を貫きとおすので、駅のアナウンスをする係の駅員さんも、ビジネス客が多いときは「かんのんでら」って言い換えてます。 こういう地方人の苦労って、関東人的には気がつきにくいものです。

この辺は、タイ語話者とラオ語話者の温度差と似ているように思います。 方言ネイティブの人の苦しみを標準語ネイティブの人は理解できないのです。

逆に声調言語であるタイ語であっても、声調を間違えてもかなりの割合で通じています。我々日本人が得意(だと本人は信じている)タイ語で話してちゃんと通じているのは、声調を間違えても通じているからです。タイは色々な方言の人が混ざりあって暮らしているので発音上の差異に対して包容力があります。僕は今まで、タイ語の声調がすべて正しい日本人って見たことがありません。 外人であれば、誰もが何かしら発音上の不具合を抱えてますが、それでも通じています。

このふたつは反例として挙げられるでしょう。


>クラブ:本来なら「高低低」が「低高高」になったりするのは、自分はそのことばに思い入れしてるとか仲間ことばにするなどの意思表示だといわれています。もし、日本語が声調化してきたら、それはまた新しい世代や考え方の現われなのかもしれません。もしくは古のことばが方言に残っていたものが顕在化してきたとか。

これは、恐らく関東オンリーでしょう。 僕の回りにいるような関西人に聞いたら、一応建前があるので、複雑な表情で「あ、あぁそうだね」って返事するでしょうけど。 僕の想像ですが、大阪だと恐らく「クラブ=高高低か低高低」で変化しないでしょう。

ちなみに、僕は千葉出身の横浜育ちの家族の中で育ったんですが、僕は素丸出しだとべらんめい調+浜言葉になります。(人称代名詞は「てめぇ」「おれぁ」で、語尾は「じゃん」になる。加えて 三文字の単語は大抵 低高高 になる & ラ行が巻き舌に変化。) これを現代東京で話すと恐ろしい程に通じないです。一方千葉の友達とかはこれが案外通じたりするのが面白いです。


地方にいるとき、関東弁でゴリ押ししていると、大抵、だんだんと敬遠されて、遠回しに追い返されたりしますが、これも気づく関東人と気づかない関東人が居ます。日本語に声調があるなしというのは異論があるところでしょうが、きちんとコミュニケーションを取るうえでは、標準語話者としては「声調がある(かもしれない)」という事を念頭に置いておくことが基本ではないかと思います。
おかあつ   2010年05月27日 03:04
声調の定義が「声調が違うと意味が変わる」という事であれば、日本語にもそういう言葉は少なからずあります。

一番顕著な例でいけば、橋と箸です。橋と箸は関東と関西でアクセントの位置が逆になるので、意味が通じなくなります。

前、日本語が上手なアメリカの人と話している時、豊島区にある千川という地名を「せんかわ 低高高高」と読んでいたことがあったんですが、それが豊島区にある千川「せんかわ 高低低低」だと気がつくまでに結構時間がかかりました。 これも良い例です。

この様に考えたとき、本当に厳密に「声調言語」という物を考えるのであれば、例えば「同発音・異声調の単語が何パーセント以上あれば声調言語と呼ぶ」というような具体的な定義が必要じゃないかと思います。 しかし、そこには恐らく「コンテクストディペンデントコミュニケーション」とかいう概念も入って来そうですし、あまりそこまで考えるのは、あまり有意義でない気がします。

声調の定義を「イントネーションが変わることで意味に違いが現れること」という定義とした場合に限ってですが、少なくとも日本語にも声調はある、という点は言えるような気がします。
おかあつ   2010年05月27日 03:13
「♪ あかいくつ、はーいてた、おーんなーのーこー
いーじんさんにつーれてかーれー、いーっちゃーったー」

って歌ありますが、僕、相当長い間「良いじいさんに連れてかれ」たので、
彼女は幸せだったんだと思ってました。

「いじんさん 低高高高高」 「いいじいさん 高低高低低低」

メロディー的に、後者の方が近いと僕には感じられたのです。

======

「♪ おーもーいーいこんだーぁらー しれんーのーみーちーぃおー」

この曲を聞いて「思い込んだら」って思う人と「重いコンダラ」って思う人といるそうです。 で、「コンダラってなんやねん」って思うわけです。 ちょうど星飛雄馬が重たいグラウンドローラーを引っ張っている場面が映し出されるので、あれをコンダラだと勘違いした人はかなり居ると聞いています。

「思い込んだら 低高高 高低低低」 「重いコンダラ 低高高 高低低低」

# あ、これは同じか。
おかあつ   2010年05月27日 03:18
頭を洗うとき使うシャンプーってあります。
これの声調は「高シャン 低プー 」です。

これを英語で正しく発音すると「低シャン高プー」です。
英語話者に、これを間違えて発音すると正しく伝わりません。

ということは英語も声調言語なんでしょうか。
これはちょっと常識的な感覚と一致しないものがあります。
おかあつ   2010年05月27日 03:37
山手線の社内アナウンス

It may be necessary for the train to stop suddenly to prevent an accident so please be careful.

特に最後の「プリーズ高 ビー低 ケア高 フー低」になってる。

本当はBE動詞にアクセントを置かないといけないので
「プリーズ高、 ビー高 ケア高 フー低」じゃないといけない。

だけど、日本語の声調にあわせると前者のようになってしまう。
これは、実はネイティブ英語話者の人にとって、かなりわかりにくい。らしい。

これも日本語に声調があることの婉曲な証拠ではないか、と僕には思える。
おかあつ   2010年05月27日 03:44
>中国語やタイ語などは、声調が異なる単語は意味も違いますよね。ラオス語もそうですか?

ラオス語は声調言語だと言われています。 しかし、ラオス語には、前後の文脈によって同じ単語でも声調に変化が現れる単語が少なからずあります。 ということは、ラオス語は声調言語ではないのでしょうか。 これも直感とかなり反する物があります。

声調言語の定義というものも、なんというか、遠足ルールの「お弁当のソーセージを地面に落としても3秒居ないに拾えば食べても大丈夫」的で、曖昧な感じがします。

おかあつ   2010年05月27日 03:46
でも、こういう話も、英語を勉強して、ロシア語を勉強して、ドイツ語とかも勉強して、ラオス語を勉強して、タイ語を勉強すると、そんなに疑問に思わないものかもしれません。 日本語にも声調がある、って考えたほうがずっとすっきりと簡単に色々な事を説明できるようになると、僕個人的には感じられます。

おかあつ   2010年05月27日 04:03
そういえば、思い出したんですが、ロシア語のおばあさんって言う言葉「バーブシカ бабушка 」ですが、これをアメリカ人に読ませると「バブーシカ」になってしまうんですよね。

英語には「主に二個目にアクセントを置く」っていう漠然としたルールがあるのだそうで、それに則って読むとバーブシカがバブーシカに化けてしまうそうです。 ロシア人的には、バブーシカって読まれるとかなり違和感を感じるみたいです。

こういうところに国柄があるんですよね。

日本人も「無くて七癖」で、こういう独特な癖がある、ということなのかもしれません。
おかあつ   2010年05月27日 13:14
また例を思いつきました。
この「声調」という言葉自体に声調があるように思います。

声調は「せいちょう 低高高高」と読みますが、これを「せいちょう 高低低低」と読むと意味が混乱します。

日本語には声調があります
「にほんごにわ せーちょうがあります 低高高高 高高 低高高高高 低低低低」
これを
「にほんごにわ せーちょうがあります 低高高高 高高 高低低低高 低低低低」
と読むとかなり意味が変わります。
おかあつ   2010年05月27日 13:27
昔、バイオリンで「ちりがみこうかん」の語りを演奏するというギャグがはやったことがありました。

「まいどおなじみ、ちりがみこうかん、ちりがみこうかんで、ございます。 ごふようになった、古新聞、古雑誌、布切れなどございましたら、およびかけください」

バイオリンは子音を発音することが出来ないので、音階だけで「ちりがみこうかん」を表現する訳ですが、これが不思議と「ちり紙交換」を話しているとわかるのです。 確かに、1970年代に流行したこの「ちり紙交換」という商売を知らないと、何を言っているかわからないかも知れませんが、日本語に声調があり、それがある程度の意味を伝えているという意味では、例として挙げられるように思います。

おかあつ   2010年05月27日 13:35
若干オフトピックですが、こういう例があります。

「私は明日友達とあう約束をしました。」
「私は昨日友達とあう約束をしました。」

このふたつの文はそっくりですが、全然違った文法構造を持っています。 これは日本語が「コンテクストディペンデント」な言語であるという例になっています。つまり言葉のルール自体が文脈によって柔軟に変化するという意味です。 日本人はたくさん考えられる文法構造の中から正しい文法構造を無意識のうちに選択することが出来ますが、外国人は出来ません。

これは外人に日本語を教える際に、日本人が日本語に付いて知っている以上の知識が必要になるということのよい例になっています。



日本語には声調がありますが、声調を記述しません。 もし本当に日本語に声調がなかったら、外国人にも教えなくても外国人は日本語を正しく話すことが出きるはずです。 ですが、外国人に日本語を教える時、きちんと正しい声調を伝えないと、ほとんどの場合、日本人は彼らが言うことを理解することが出来ません。

少なくとも、このことに一般的な日本人は気がついていないということは、指摘出来ると思います。
おかあつ   2010年05月27日 13:43
声調が持っている音階の数を数えると、多分ですがタイ語と日本語は同じはずです。また、これも多分ですが、ラオス語の方が日本語よりも音階が多いと思います。(ラオス語には裏声という隠れた音階がある。)

タイ語も日本語と同じように二つの音階で大体表現できるのではないかと思います。

マー (低高) → 犬
マー (高高) → 馬
マー (高低)→(無し)(ラオ語では「来る」)
マー (低低)→ 来る

もし音階がふたつしかない言語は声調言語とは言えない、ということであれば、タイ語は声調言語ではない、ということになってしまいます。

逆に見れば、音階がふたつしかない日本語も声調言語と言える、ということになってしまいます。
おかあつ   2010年05月27日 13:58
僕は言語学者ではないので、「声調言語」の定義にはまったく興味がありません。

ただ、日本語には声調がある、ということは少なくとも言えるのではないか、という意見を持っています。 個人的な見解ではありますが、日本語に声調があるというのは事実だと思われます

恐らくですが、日本語に声調がないとしたら、外国人に日本語を教えるのはずっと簡単でしょう。 日本語に声調がないとしたら、日本語のすべての文をひらがなで書いても問題なく意味が伝わることでしょう。

タイ語が声調言語だといわれている根拠に「声調が間違うと通じない言語」という定義がありますが、タイ人は声調を間違えたくらいで理解できなくなるということはありません。 声調の間違った日本語を日本人が理解できるのと同じように、理解できます。 また、タイ人に、チャット等で、声調をすべて消したタイ語のアルファベット表記を見せても充分通じます。 これも良い例でしょう。
おかあつ   2010年05月27日 14:29
考えてみれば、ある意味、英語にも声調があるのかもしれません。

ただ、英語の場合、音程は投げたボールの様に、音程が登ったら必ず落ちるという暗黙の了解があるので、若干違いがあるような気がします。 声調が違うと通じないという点は、実は英語も同じです。

20バーツは、正しくは

  イー高 スィップ低 バーツ低

ですが、イギリス人が発音すると大抵

  イー高 スィップ高 バーツ高

っていう風になってしまうみたいです。

まえ アメリカでアニメを見ているとき、 子供が wow what a beautiful cream cake! っていうのをみたんですが、

ワーオ上、ワ上ッタ下 ビューリ上 フォー上 クリーム上 ケーク下

こういう風に(うまくかけないんですが)上がったら必ず下がるというルールがあるような気がします。 英語でも、イントネーションが違うと、通じないか、意味がわかりにくくなります。


何か、考えてみれば「声調」っていう言葉自体が凄く日本的なのかもしれませんね。それは、西洋人がタイ語の声調を「アクセント」って呼ぶのと同じように不適切なのかもしれませんね。

じゃぁ何が声調で何がアクセントなんでしょう。 正直僕はあまりこの言葉の定義には興味がありません。

つまるところ、何て呼ぶかは別として、すべての言葉には必ずその独特なイントネーションのルールがあって、外国語を勉強するということはそれを模倣するというだけの話で。
おかあつ   2010年05月27日 14:56
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E4%BD%8E%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88#.E9.AB.98.E4.BD.8E.E3.82.A2.E3.82.AF.E3.82.BB.E3.83.B3.E3.83.88

これか。

ま、僕がやっていることは、つまるところ、日本人得意の「カテゴリー戦争」なんだな...

http://en.wikipedia.org/wiki/Tonal_language

しかし、英語のウィキは同じ事を書くにしても、これだけ書き方が違う。

日本語ってものすごく単語が多いので、最小限の言葉で新しい言葉に厳密な意味を定義して大きな物事を説明するっていう文章の構成方法をやる土壌がないような気がする。 だから読解力と「知っている単語量」には比例の関係があって、国民全員「雑学王者決定戦」みたいな様相を表してきやすいような気がする。 だけど、これは物事を考える場合において本質的なことじゃない。 当然それぞれの人が持っている単語の意味づけは同じではないからだ。

日本人の討論ではしばしばこういう「単語カテゴリー戦争」が起こる。 「お前の声調は何や!」「んなもん、声調やない! ワテの声調はコレヤ!」「アホか!んなもん声調ちゃうわ!」という様な不毛な戦争が起こり易いような気がする。

僕もだ。 反省。


しかし、声調という物を「音の高低の組み合わせにより具体的な意味の割り当てを行う言語に置いての、ひとつの高低組み合わせのこと」と定義した場合、日本語に声調は存在しないといわれると、凄く違和感があるのは確かだ。 日本語にもタイ語ほどでないにせよ、そういう声調の要素がある。 方言になるとさらにそういう要素が強くなる。

それをあっさり「声調言語」「高低アクセント言語」「強弱アクセント言語」ってカテゴライズしてしまうのは、かなり違和感がある。

うう   2010年05月27日 21:22
おもしろく読ませていただきました。

ヒロコさんがおっしゃるように、
声調というのは日本語の標準語は「高低アクセント」で、
ひらがなひと文字は高いか、低いかのどちらかで、
タイ語の例でおっしゃっているように、
マーの一音節音が低い→高いに変化するとか、
その違いで意味が変わるようなことがあるとかって
ことがないということになっていますよね。

でも関西弁には、そういう意味でいう声調があります。
声調があるから、そこでバランスを取って、
助詞をよく抜かします。
外国人の友達で助詞に苦労している人は、
よく助詞を飛ばして話ますが、
(ぼくーあしたーきょうとーいくー、みたいに)
「君らだって飛ばしてる!」って指摘されたりする…(笑)

前に自分の日記でそのことを触れてます。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=906092697&owner_id=1101663

正統派言語学のことはよくわかりませんが、
外国語はもとより、
知ってると思っている日本語についても考えるのって
おもしろいですね。

それに外国語を話す時って、
歌ってるみたいな気分になります。
まだまだ「言語」っていうより、
あたしにとっては「音」なんだと思います。
語学習得の道のりは長い(笑)
うう   2010年05月27日 22:06
すいません!
日記をリンクしておきながら、
公開設定に限定かかってました(汗)
さきほど変更しました…。
おかあつ   2010年05月27日 22:34
>でも関西弁には、そういう意味でいう声調があります。

不思議な事に日本語に声調があるって主張する人の多くは西の人みたいです。 僕も上の日記の念頭にあるのは伊予弁ですし...。 聞けば、日本語に声調があると唱えている学者は、特に伊予弁について声調があると主張しているそうです。これは、きっと偶然ではないと思います。

======

ところで、英語のウィキと日本語のウィキを比較してみました。

英語
http://en.wikipedia.org/wiki/Tone_%28linguistics%29

Many languages use tone in a more limited way. Somali, for example, may only have one high tone per word. In Japanese, less than half of the words have drop in pitch; words contrast according to which syllable this drop follows.

日本語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E8%AA%BF

言語の類型上、日本語は声調言語ではない。一方で、早田輝洋のように鹿児島方言や京阪方言などに見られるアクセント語類の型・式を「単語声調」とみなす説も存在する。しかし、これらは通常、高低アクセントとみなされるものであり、京阪方言を母語とする者でも、日本語には声調はないとすることが一般的である。

======

日本のウィキでは「日本語に声調などあるものか」と断定的な書き方をしているのに対して、英語のウィキでは「多くの言語ではより限定された形で声調を利用している」と弾力的な書き方をしているのが観察できます。

僕の個人的な意見ではありますが、この辺に日本人独特な視点のバイアスを感じます。

======

>それに外国語を話す時って、歌ってるみたいな気分になります。

それって本当です。 例えば、ラオス語にはモーラムと言って喋っているだけなのに音楽になってしまうジャンルがあります。 言葉の中に音感を整えるだけの働きを持った単語がたくさんあって、頻出フレーズが、トラさんの「けっこうけだらけねこはいだらけ」みたいな語呂合わせになっています。 ラオスって国民全員トラさんみたいです。


例えば、この曲、ずっと喋ってるだけです。
http://www.youtube.com/watch?v=tWoRWW8fqho
後半、オバチャンが罵ってる妙に語呂合わせのよい言葉がラオ語です。


こっちは完全に本物のモーラムで全編ラオ語です。
これ、たった今見つけたんですが、この演奏凄いです。
http://www.youtube.com/watch?v=n0e6tyj2mpY



P.S.
非常に残念な事に日記を見ることが出来ませんでした...。
おかあつ   2010年05月27日 22:41
見れました!

--8<--8<--8<(引用)--8<--8<--8<

ちなみに日本語には声調はありませんが、
上海人のshangtiいわく、
「関西弁には声調がある!」とのこと!!

関西人が・・・
「血、出た!」って時の「血」は第1声。
「ちょっと、手、貸して!」って時の「手」は第2声。
「目、痛い!」って時の「目」は第3声。
「歯、抜けた!」って時の「歯」は第4声。

--8<--8<--8<(引用終わり)--8<--8<--8<


これ、すごい! こーれは、凄い! 凄すぎる! 気がつかなかった!
これは例として非常に優れてる!

「ちぃでた! てぇ貸しや! めぇ痛い! はぁ抜けたわ!」
おーーー ! 確かにそうなってる! こ れ は す ご い !

おかあつ   2010年05月27日 22:45
>僕の個人的な意見ではありますが、この辺に日本人独特な視点のバイアスを感じます。

最近、僕もだんだん自分で気がついてきたんですが、僕が「日本人」って言うときの「日本人」は、実はかなり多くの場合「関東人」のことなんですよね...。 ま、僕も関東人ですが...。

日本人独特なバイアスっていうよりも「関東人独特なバイアス」なのかも知れません。
おかあつ   2010年05月27日 23:11
これも凄いです。

> い~ち(下がる)
> にぃ~(上がる)
> さ~ん(高くてまっすぐ)
> しぃ~(低くてまっすぐ)
> ごぉ~(高くてまっすぐ)
> ろぉ~く(下がる)
> ひ~ち(下がる)
> はーち(下がる)
> くー(高くてまっすぐ)
> じゅう(低くてまっすぐ)

これも凄い。 関東だとすべて高低で統一です。


そういえばこれを見て思い出したんですが、電話番号を読むときのイントネーションが、中国語と日本語で同じなんですよね。

例えば

345ー4567

さ高ん高 し高い低 ご高お低 の低お高 し高い高 ご高お低 ろ低く高 な高な低

このメロディーは、中国語でもどうも同じみたいで、へーと思ったことがあります。
おかあつ   2010年05月27日 23:44
伊予弁に声調があるとか、そういうことを言っているという、早田輝洋という人の事がウィキに書いてありましたが、やっぱりこの人も日本語を外国語との比較の中で考えているということみたいです。

http://www.amazon.co.jp/dp/4254515111/

日本人が日本だけを見て日本に付いて書いても客観性がないのです。
うう   2010年05月28日 09:04
>関東だとすべて高低で統一です。

ちなみに日本語の標準語では、
始めの音が低ければ次は必ず高く、
始めの音が高ければ次は必ず低くなるとされています。

だから非日本語話者が日本語の発音をする時、
これを意識するのがナチュラルな日本語に聞こえるコツ!
なんですよ~。

英語は強弱アクセントなので、
英語話者は日本語の高低アクセントを
強弱アクセントで表現しがち。

英語話者の「わたぁしは」とか「おはぁようございます」とか「さくぅら(桜)」みたいな独特の英語なまり日本語は、
2音目に高くなるアクセントを強いアクセントで発音しちゃうから、
ああなっちゃうようで、
逆にこれで発音すると英語話者日本語のモノマネができる(笑)
おかあつ   2010年05月28日 13:35
> ちなみに日本語の標準語では、
> 始めの音が低ければ次は必ず高く、
> 始めの音が高ければ次は必ず低くなるとされています。

え゛! 非標準語では違うんですか!?( ̄ロ ̄;;

>だから非日本語話者が日本語の発音をする時、
>これを意識するのがナチュラルな日本語に聞こえるコツ!
>なんですよ~。

と...いうことは、標準語話者が非標準語を話そうとするときは、
これの逆をやればいいわけですね。

# 大阪弁話せるようになりたい...
# 最近、本気で笑福亭仁鶴の落語コンプリートDVDを買おうかと思っています。
# 関東だと見れないんですよね。


>英語話者の「わたぁしは」とか「おはぁようございます」とか「さくぅら(桜)」みたいな独特の英語なまり日本語は、
>2音目に高くなるアクセントを強いアクセントで発音しちゃうから、
>ああなっちゃうようで、
>逆にこれで発音すると英語話者日本語のモノマネができる(笑)

これ、そうですね。

そういえば、前アメリカに行ったとき、大抵第二シラブルがアクセントになるって聞いた時、いくつか例外があって、第一シラブルがアクセントになるケースがあるということも一緒に聞きました。

日本人のファーストネームは大抵この例外に当てはまるって聞いたんですが、この例外の法則を忘れてしまった... 何だったかなぁ...。 確か言葉がスペイン語みたいに子音母音子音母音の繰り返しになっている時だった様な気がするんですが、どうも実例と当てはまらない... 何だったかな...。
うう   2010年05月28日 14:22
笑福亭松鶴のしゃべりが本当の大阪のその辺のおっさんぽいです(笑)
http://www.youtube.com/watch?v=Pu3ab0SmVDo
ぜひ、このくらいグダグダな感じで(笑)
 
出展 2010年05月26日20:04 『日本人の盲目性』