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2010年5月28日金曜日

それでも日本語には声調がある (mixi05-u459989-201005280322)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
それでも日本語には声調がある
2010年05月28日03:22
◯ 前置き

僕は日本語には声調があると思う。 一般的には日本語には声調がないということが言われている。 たくさん異論があるのはわかっているが、僕は日本語には声調があるとみて間違いがないと感じる。 僕はこれまでタイ語・ラオ語を勉強してきたが、これらを勉強した後で日本語を見ると日本語にも声調があるようにしか見えない。 自分でも何でそう思うのかわからないが、声調があるようにしか見えないのだからしょうがない。 自分でも、何故僕が日本語に声調があるということを思うようになったのか、わからない。

殊に京都から四国にかけて旅行して以降、このことを強く感じる様になった。 だけど、僕は関西人ではないので、関西弁を話すことが出来ない。 だから何故関西でそう思うようになったのか、はっきりと掴み兼ねている。 そのことを頭の中でモンモンと悩む様になった。

そんななか、今日、ううさんに、僕にとって人生が変わるほどの凄い事を教えてもらった。 この日記である。

  http://mixi.jp/view_diary.pl?id=906092697&owner_id=1101663

この日記ははっきり言って衝撃的である。 エポックメイキングである。 少なくとも僕にとっては。 僕が思っていた事のを核心を付く形でかかれている。ひょっとしたら、関東人の僕が知らないだけで、関西人が中国語を勉強するとみな気がつくことなのだろうか。

ここに書かれている、関西弁でいうところの「血ぃ、出た!」 「ちょっと、手ぇ、貸して!」 「目、痛い!」 「歯、抜けた!」には、中国語と同じ声調が観察出来るという話は、僕に取ってこれ以上ないショックである。

==============

◯ 中国語の声調に付いて

中国語には声調が四種類あるが、これはそれぞれ以下の通りらしい。
http://www.zaich.com/chuji/sd.html

第1声 → 高高 イーアルサンスー の 「イー」
第2声 → 中高 ウーリューチーパーチュウシー の 「シー」
第3声 → 低高 ウーリューチーパーチュウシー「ウー」 你好 ニイハオのハオ
第4声 → 高低 イーアルサンスー の 「スー」

中国語で数を数える時の発音は次の通りらしい。 母音の上にある線が声調を表している。
(この記号のことを IPAと呼ぶらしい)

1 一 yī イ
2 二 èr アル
3 三 sān サン
4 四 sì ス
5 五 wǔ ウゥ
6 六 liù リィウ
7 七 qī チー
8 八 bā バ
9 九 jiǔ ジュウ
10 十 shí シ

正直、覚えられない... しかし、これらには日本語に対応する声調がある。
それを次で見てみる。

◯ 関西弁で覚える中国語

まず、準備段階として、笑福亭仁鶴の顔を思い出してもらいたい。
「四角い仁鶴がまぁ~るくおさめまっせぇ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E7%94%9F%E6%B4%BB%E7%AC%91%E7%99%BE%E7%A7%91
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%91%E7%A6%8F%E4%BA%AD%E4%BB%81%E9%B6%B4_%283%E4%BB%A3%E7%9B%AE%29

四角い仁鶴の顔がイメージ出来たら、笑福亭仁鶴が次の言葉を言っているところを想像してみる。

  「血ぃ、出たわ!」 「手ぇ、貸してや!」 「目ぇ、痛い!」 「歯ぁ、抜けたわ!」

ここで注目すべき点は、それぞれ 血ぃ、手ぇ、目ぇ、歯ぁ には中国語と同じ声調があるという事だ。

第1声 ...「血ぃ、出た!」 の 「血ぃ」 (高高)
第2声 ...「ちょっと、手ぇ、貸して!」 の「手ぇ」(中高)
第3声 ...「目ぇ、痛い!」の「目ぇ」(低高)
第4声 ...「歯ぁ、抜けた!」の「歯ぁ」(高低)

ここで、中国語の声調と比較してみる。

第1声 → 高高 イーアルサンスー の 「イー」
第2声 → 中高 ウーリューチーパーチュウシー の 「シー」
第3声 → 低高 ウーリューチーパーチュウシー「ウー」 你好 ニイハオのハオ
第4声 → 高低 イーアルサンスー の 「スー」

これなら一発で覚えられる。

※ 前後の文脈で変化する気もする。 追い追い 考えてみる。



◯ 日本=鏡のないワンダーランド

日本では、日本語には声調がないということが通論となっている。 しかし、伊予弁に声調があるということを唱えている日本人の学者がいるらしい。 この人は早田輝洋という。 僕もつい最近知った。 早田輝洋が書いた本を見てみると、どうやら、この人も日本語を外国語との比較の中で考えているらしい。

http://www.amazon.co.jp/dp/4254515111/

早田輝洋が外国語との比較の中で日本語を考えた結果として、日本語に声調があるという結論に至った点は、僕に取って「やはり」と思わせるものがある。 僕が何故「やはり」と思ったのかを次で述べてみたい。



日本人が日本だけを見て日本について考える事は、独特の難しさがあると思う。 その難しさとは僕は次のような物だと思う。

映画「マトリックス」で、コンピューターが作り出した仮想世界に住む人たちが描かれている。 この映画の中には、仮想世界に生まれて育ったため仮想世界の外を知らず、自分住むの世界が仮想であるということをどうやっても証明出来ない人たちが登場する。 この世界の人たちは、生まれてすぐコンピューターに接続されて仮想現実のなかで育つ。 彼らにとって、見る物、聞く物、触る物、食べる物、嗅ぐ物、すべて仮想の世界の出来事であり現実の出来事ではない。

自分が住んでいる世界が現実ではないという事実を、論理的に矛盾無く証明する事は、実はものすごく難しい。 今見ている世界が仮想であるということを証明するためには、自分のまわりの世界で見られる矛盾点をひとつひとつ挙げて、自分の住む世界が仮想であるという実例を挙げていく以外にない。 しかし、仮想世界の様に外部と遮断され、論理的に完全に閉じた世界に住んでいる場合、その世界の中に矛盾点がほとんど存在しないことが問題になる。つまり、身の回りで起こる限定された極めて些細な矛盾点をあげ、それを反例として採用することによって、この世界がウソであるということを証明する以外にない。 しかしこの方法は論拠として弱く、多くの人はそれを信じない。 この様に、仮想現実のなかに居る人に「君は今、実は仮想現実の中に居る、今君が見ている物はすべてウソなのだ」と説明しても信じられない。

この仮想世界の登場人物と同じ難しさが日本人にはあるのではないか。

日本という国も、島国という特質上、海によって外部から遮断されている。 これは、仮想世界と同じ様に、ひとつの論理的に完全に閉じた世界である。 身の回りで起こる事象は、きちんと矛盾無く成立している。 だからこそ、自分たちが考えた理論が正しくないということを矛盾なく説明する事が出来ないのだ。

日本は海で遮断されているだけではなく、言語的にも外部と遮断されている。

日本語は世界的に見て特異な言語だ。 大抵の言語は近隣の言語と影響を受けたり与えたりしながら発展しており、近隣に似たような言語を持っている場合が多いが、日本語はまるでガラパゴス諸島に住む珍獣の様に独特な発展を遂げており、文法的に非常に孤立している。(日本語と朝鮮語は文法を共有しているが、孤立しているという点では韓国語も近いものがある。)

日本人は、日本語という文法的に極めて孤立した言語を話している為、外国語が苦手な人が多い。 日本人にとっては、海で国が外部と遮断されているだけでなく、言語的にも国が外部と遮断されている。 外国の文化を肌で感じる機会が他の国に住む人よりもずっと少なく、外国人が考える事を知るチャンスに恵まれない。

ひとたび日本を外から眺めると、自分たちが当たり前だと思っていたことがまったく当たり前でないということに、気が付かざるをえない。 いや、日本を外から眺めても気がつかない人すらも多い。 言語の壁があるからだ。

日本人は世界の辺境を旅して歩くことを趣味とする人が多いが、実は自分の国が世界で一番の辺境であるということに、どうやっても気がつかない。



我々は自分の姿を直接見ることは出来ない。 だが、鏡を見ることで自分の姿を知ることが出来る。

我々は自分が何者か直接見ることが出来ない。 しかし、他者の自分に対する言動を見ることにより、自分が何者なのかを、知ることが出来る。 他者は自分を映す鏡である。

我々は、自分が属する文化がどのようなものなのか、直接見ることが出来ない。 しかし、他の文化と触れ合うことにより、自分の文化がどのようなものかを、知ることが出来る。 他の文化は、自分の文化の鏡である。

日本は、鏡を持たない国である。

海だけでなく言語によっても外部と遮断され、自分を映し出す鏡を持たない。

日本人は自分たちが何なのかまったく知らない。 僕はこれこそが日本人の大きな特徴だと思う。 僕はこのことを「日本人の盲目性」と呼んでいる。 この日本人の盲目性はありとあらゆるところで指摘できる。



日本人は、他の文化を自分の属する文化の鏡とする事が出来ないばかりでなく、他者を自分自身の鏡とすることすら出来なくなりつつあるように僕には思える。 これはひょっとすると、首都に住む関東人独特の現象なのかもしれない。 これについては、追って考えてみたい。

コメント一覧
かつお   2010年05月28日 07:03
おかあつさんの発言を裏付ける記事を見つけました。Wikipediaで『近畿方言』で検索してみてください(携帯からなので、アドレスが書けません )。早田先生は、近畿方言には、声調があると言われていますね。近畿は古代から中国と交流があって、日本語も漢語から取り入れたようですから、昔の名残かもしれません。
ナム   2010年05月28日 07:31
おもしろいですね!

母語で中国語の声調が学べる関西人がうらやましいです。
ねこ☆ミ。   2010年05月28日 08:41
分類とは、現実は複雑でとらえることが難しいものにもかかわらず単純化したものなので、声調言語で「ある」「ない」は境界の設定が難しい問題で、現実からかなり乖離しているような。

初めて理解する時には単純な分り易い説明は必要と思うのですが、この分類と現実のずれにより、日本語が母語でない人にうまく説明できないとか、その他色々、不都合はありそう。

思うのですが、逆に声調の全くない言語なんてこの世にあるのだろうか?。反語、、、ではなく、自分にはよくわからんです。

本気で考えると、色々な言語を比較して、どのような声調があるのかの特徴を名付けて、それが異なる種類なのか、種類の中の変形に過ぎないのかを見極めないとわからないと思う。
うう   2010年05月28日 08:43
そんなに驚いていただるとは(笑)

じゃあ、他にもありますってことで…。
「気ぃつけや」(気をつけて)の「気ぃ」は一声
「へぇこく」(おならをする)「へぇ」は二声
「ゲェ出る」(嘔吐する)の「ゲェ」は三声
「はよしぃな」(早くしなさい)「しぃ」四声

汚い例が混じってすいません(汗)

二声の単語を強く言おうとすると三声に近くなったりします。
だから、声調で意味が変わるという法則には沿わないかもですが。

もし、秀吉の時代がずっと続いて、
大阪が首都になってたら、
国語の時間に声調の練習したのかもしれませんね。
うう   2010年05月28日 09:14
>日本は海で遮断されているだけではなく、
>言語的にも外部と遮断されている。

自分の日記ばっかり紹介しちゃって恐縮なんですが、
偶然にも同じようなテーマで考えてたことがあって、
日記に書いているので、またリンクします。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=902922182&owner_id=1101663&org_id=906092697

あたしは逆に日本語は漢字を含めた外来語の多い、
外部の影響を多く受けた言語なのかなと考えてました。
ただ、それに気が付きにくいけれど。

ナム   2010年05月28日 10:11
外国人向けの日本語学校では、日本語の声調をきちんと教えているかもしれませんね。

昔受験して落ちた日本語教師の検定試験で、リズムや音の高低の聞き取り放送テストがありましたから。

地方出身の日本語教師は標準語の声調やリズムの知識が必要でしょうし。
退会したユーザー   2010年05月28日 11:06
ねこ☆ミさんと同じく 声調のない言語ってあるんでしょうか。

おかあつ   2010年05月28日 13:49
かつおさん、

これですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E7%95%BF%E6%96%B9%E8%A8%80

確かに、こりゃ面白いわ...。
この状況、タイとまったく同じだ。 日本人はすべからく標準日本語を話す。

この「独自研究の恐れ」って書かれているところも、タイと同じ。 そこに住んでいる人にしてみれば(多分)そんなことは常識なのだけど、関東人はそれを認めることが出来ない。 廃藩置県と同化政策の弊害。

ここに吉本言葉は関西弁じゃない、ということが書かれているけど、これも前からウスウス僕も思ってました。 僕は実は以前10年ちかく大阪系の企業で働いていたことがあるので、ネイティブの関西弁漬けの毎日を送ってた事があるのです。 (駅前関西弁留学)

東京の人で吉本芸人のマネをして関西弁を喋る人って結構いっぱいいるけど、あれってすごく恥ずかしいんですよね。 よく上司が「こぉのインチキ大阪人が!」って言ってたのを思い出します。 あれって普通の関西弁じゃないんですよね。


ラオのシアンイサーンも近いものがあります。 ちょっと状況が違うのですが、あれもかなり標準語が混ざっていて、その混ざり具合をギャグにしたりしているところがあるので、普通の人とかなり話し方が違います。(それでもいい勉強になりますが)
おかあつ   2010年05月28日 13:56
>外国人向けの日本語学校では、日本語の声調をきちんと教えているかもしれませんね。
>昔受験して落ちた日本語教師の検定試験で、リズムや音の高低の聞き取り放送テストがありましたから。
>地方出身の日本語教師は標準語の声調やリズムの知識が必要でしょうし。

日本人が日本語を教えるときって、日本人が知っている日本語の知識以上の知識が必要になるんですよね。 声調(ひょっとしたら高低アクセントってよんでいるかもしれないけど)とか、文法とかも、日本人が知っていることだけじゃ足りません。

前、日本人がタイ人のタイ語教師に苦情を言っていたのを覚えてます。「あの先生は、自動詞と他動詞の区別について聞いても答えられなかった! タイ人はまったくもってけしからん」

僕思ったんですが、自分だって日本人なわけで、外人からいきなり「日本語には冠詞はないんですか」とか聞かれたら多分答えられるようになるまで2~3年かかるでしょう。 また「声調はないんですか?」とか聞かれても、生徒が納得できるように的確に答えるのは極めて困難でしょう。

この人にも鏡がないんです。
おかあつ   2010年05月28日 14:07
ねこ☆ミ。

>分類とは、現実は複雑でとらえることが難しいものにもかかわらず単純化したものなので、声調言語で「ある」「ない」は境界の設定が難しい問題で、現実からかなり乖離しているような。

まだそんなこと言ってる。 君はもう英語は素人じゃないんだから、英語WIKIの同項目をガツっと訳してみたりしてほしい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tonal_language

これを見るとわかるけど、日本語のウィキが声調を分類項目として説明しているのに対して、英語では要素として説明している

これとかもざっと読んでみてほしい
http://en.wikipedia.org/wiki/Structuralism
http://www.google.com/webhp?hl=en#hl=en&source=hp&q=structuralism
おかあつ   2010年05月28日 14:44
ううさん、
>「気ぃつけや」「へぇこく」「ゲェ出る」「はよしぃな」

ありがとうございます! これも有難く頂きます!
これも極めて良いサンプルになります!


> もし、秀吉の時代がずっと続いて、
> 大阪が首都になってたら、
> 国語の時間に声調の練習したのかもしれませんね。

これ、僕も思うことあります。

英語の方言に、 I wants a car とか、 I has とかいう地方があるんだそうです。
Practical English Usage の「方言」の項にかいてありました。
http://www.amazon.com/Practical-English-Usage-Michael-Swan/dp/019431197X

この本の中で、もしもイギリスとどこだったか...の大きな戦争のときにイギリスが負けていたら、この本に書かれている事はまったく違ったものになっていただろう、っていうんです。

以下の言葉が引用されていました。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1489076016&owner_id=459989&org_id=1489527307

─── 標準語とは、軍を持ったひとつの方言である。
  マックス ヴェインレイク(ロシアの言語学者)
"A language is a dialect that has an army and a navy."
Max Weinreich

─── 方言とは=政府・学校・中流階級・法律・軍隊以外のものは全てを持っている標準語である。
  トムマッカーサー
"Dialect: A language variety that has everything going for it, except the government, the schools, the middle class, the law and the armed forces"
Tom McArthur


タイにもあります。1829年に大きな戦争があったのですが、この時もしもラオが勝っていたら恐らく今のタイ語の教科書はまったく違ったものになっていた筈です。


こういうことがあるので「日本語に声調はない」って発言するのは、学問的な話じゃなくて、ある意味ひとつの政治的発言なんじゃないか、と思うことがあります。
おかあつ   2010年05月28日 14:50
>ねこ☆ミさんと同じく 声調のない言語ってあるんでしょうか。

どんな言語にだって「声調がない」って断言することは出来ないと僕は思うのです。
でも、日本人は「声調は一切ない」と断言している、そこにおかしさを感じるのです。
ダメ兄貴   2010年05月28日 15:02
ただ、例文に出ている声調の大阪弁ってのは“船場言葉(せんばことば)”といわれる大阪市内で使われていた方言で仁鶴師匠のそれです。

で、淀川を越えると摂津弁、大和川を越えて海側が泉州弁、大和川を越えて山側が河内弁。。。と大きく4ツに分かれています。

船場言葉って柔らかい響きがあると思うのですが、古臭い、野暮ったい匂いがする(大阪弁では“もっちゃり”“もっさり”という)ので最近の大阪弁は比較的洗練された摂津弁になっています。

おかあつ   2010年05月28日 15:41
BAKA-ANI さん、

> ただ、例文に出ている声調の大阪弁ってのは“船場言葉(せんばことば)”といわれる大阪市内で使われていた方言で仁鶴師匠のそれです。

w(’O') へー... なるほど...
この話、どうもありがとうございます。 勉強になります。

船場言葉=仁鶴師匠...と。 φ(._.)

何も知らない「とうきょうもん」の私に色々と済みません...

つっこみするどく、顔も鋭い...と。 φ(._.)
おかあつ   2010年05月28日 15:54
(おかあつメモ)

厳密に言うと、僕は言語学的な批判をしてないのかもしれない。 僕はどちらかというと、結論を出す過程に違和感を感じているのかもしれない。 日本語に声調がない、という話をする時、言語学以前の問題として「そもそも」の点に間違いがたくさん見つけられる。

そもそも、何かをみて「これは何々である」ということを証明することよりも「これは何々ではない」ということを証明することの方がずっと難しい。 例えば、ある動物を見て「この動物は猫である」と言いたい場合、単にそれを見て 「猫である」という事をいうのはそんなに難しくない。 だけど、「この動物は猫ではない」という事を言うのは、猫であるという事をいうよりもずっと難しい。 これはどういう意味なのか、次で見てみる。

この場合、その動物が猫であるということを言うためには、その動物がある限られた個数の条件をクリアするかどうかだけを見れば良い。 例えば猫の定義が「夜になるとニャーと鳴く動物」という定義であれば(現実にはそんな簡単な定義ではありえないが)その動物を観察し、ある夜にニャーと鳴けばその動物は猫だということができる。

一方、「この動物は猫ではない」という事をいうのは、「この動物が猫だ」というよりもずっと難しい。 何故なら、「この動物は猫ではない」という事をいう為には、この猫が全ての夜に於いて、ニャーと鳴かない事を観察する必要があるからだ。 ずっと長い観察期間が必要になる。



数学などの抽象的な学問では、こういう場合に「背理法」という論理を使う。 背理法とは「仮にそれが◯◯でないとする。 ということは ××ではない、だが、これは××だったから、すなわちこれは◯◯である(要出典)」という論法だ。 例えば、この動物はネコではないと仮定する。 この動物はネコではないということは、夜になってもニャーと鳴かない。 ニャーと鳴かないということは、ネコである、という論法だ。

「ならば」という演算子の働きを知る必要がある。

P ならば Q
真|真 = 真
否|真 = 真
真|否 = 否
否|否 = 真

対偶を取る

非P または Q
真|真 = 真
否|真 = 真
真|否 = 否
否|否 = 真

対偶という処理を経ると問題の難易度をずっと下げる事が出来る。 しかし対偶を取る為には、その考えている問題の上で「排中律」という条件が満たされる事を確認しなければいけない。

ここでいう対偶を取ると問題の難易度が下がるという件だが...(続く)
ねこ☆ミ。   2010年05月28日 16:53

リンクを読みました。
Non-tonalな言葉は少くないようで。

現在の言葉の使用状況から考えて、日本語は声調言語ではないが、tonalであるに一票。

声調≠tonal

「声調」が中国音韻学の用語で、長らく中国語のあの発音システムを声調と呼んでた言葉だから、「日本語は声調言語ではない」。

尚、日本語は音の高低により、単語の意味が変わるので、少なくともtonal

どの時代からかわからないけれども(遣唐使の時代?)、長らく使われてきた「声調」という言葉の意味に、西洋のTonalという概念が入ってきて、違和感はここから発生してる気がする。

実際の所、自分は日本語の声調と言う単語は四声等を表すままの意味がいいと思っていて、別のtonalに対応する単語があればなと思うんですが、おかあつさんは、英語等に意味を合わせて、声調=tonalと置き換えた方がふさわしいと考えている?



関西まで行かなくても、関東でも少しはあると聞きまして・・・

「え?」と聞き返すと、第二声
「カー、カー」とカラスの鳴き真似をすれば、第四声
さい   2010年05月28日 16:59
声調よりモーラが大問題。
日本人である私が英語を学ぶと。

声調による分類には興味はないけど、
(言語学なんてこれからまだまだ発展するだろうし
古くて機能しない考え方に注目しても今はまだ無駄)
英語の強弱&高低を学ぼうとすると
モーラよりよっぽどとっつきやすい。
日本人の前に立ちはだかる
大きな大きなモーラの山。
それを乗り越えたら今度は
声の高低&強弱の山を超えないと。

考えてみれば日本語は学びやすかった。
あかさたな と あいうえお
があれば、50音なんてすぐわかるし
漢字混じりのひらがな文は
速読向き。
 
出展 2010年05月28日03:22 『それでも日本語には声調がある』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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