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2010年6月18日金曜日

IT'S A 関東マジック (mixi05-u459989-201006181229)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
IT'S A 関東マジック
2010年06月18日12:29
プレジデント別冊 2010 6.17号 別冊
「新版 出世・結婚・お金は県民性で9割決まる」より引用

===
P34~
なぜ、大阪男と東京女は相性が悪いのか?
→ ボケとツッコミができないので、会話が成り立たない

東京女は知的ユーモアのある男性を好むので、大阪の下品なボケとツッコミには耐えられないのである。 大阪男に突っ込まれても返せないため、現実的に会話が成り立たないという問題も。 関東と関西の笑いのツボが異なるため、仕方のない結果であろう。

東京女はプライドが高く、見栄っ張りのかっこつけしいなので、大阪男の生活感のある暮らしぶりや価値感、店でいきなり値切り交渉を始めるデリカシーのなさにドン引きしてしまうのだ。 また、東京女には父親をはじめ、小さなころから細かな気遣いの出来る東京男にかしずかれてきたので、自己中心的で気配りの出来ない大阪男と相容れることができない。

とはいえ、押しの強い大阪男に強引に言い寄られると拒否できないかわいい一面も。

===

僕が思ったこと:

僕は、東京の人がこの文章を書いたのではないかという気がしてならない。 東京の人と付き合うのは、独特の難しさがあるが、その難しさの本質が上の文章に現れていると僕は感じる。

客観的に見て、関西人と関東人のどちらが気遣いがうまいかといえば、関西人の方が段違いに上手だ。 関西人はノンバーバルコミュニケーション※の達人が多い。 口に出さずとも、表情や仕草を読み、相手が言うことを先回りして理解する。 一方、関東人は言わないと気がつかないし、言っても気がつかない事も多い。 空気を読めない。

ところが、上の文章を読むと「東京女は小さなころから細かな気遣いの出来る東京男にかしずかれてきたので」という一文が出てくる。 僕は、この見方こそが、非常に関東っぽいと感じる。

関東の人は相手に思いを伝える能力が欠落しており、相手に伝わっていない上、伝わっていない事も気がついていない。関西人はそんな関東人を見て色々と考えるのだが、あまりにも情報が少なすぎて理解に苦しんでいる。 そんな関西人の苦労を尻目に、関東人からは「関西人は気遣いがヘタ・関東人は気遣いが上手」という言葉が出てくる。 関東の人は自分が見えていない。 関東人は自分のコミュニケーションスキルの低さを棚に上げ、関西人の気遣いの下手さに問題をすり替えてしまう。 こうして関東人は相手に気を遣わせまくって相手を疲弊させてしまう。

この手の問題のすり替えは、東京にすんでいると極めて頻繁に目にする。(注1:恐らく関東の人は絶対に同意しないと思うけど。) (注2:一方、関東の人も出身によって色々で、一概には決して言えない面もある。 例えば、長野とか千葉内陸とか湘南とかの人は、かなり違う雰囲気がある。)

この問題のすり替えをやられたとき、論理的にその矛盾点を指摘する反例をあげるのは、思いのほか難しい。 どうしても自己言及性の矛盾を通らないと相手の矛盾を指摘出来ないからだ。

例)
東京出身のAさん「... ま、かったりぃけど、あれだし、ま、そんな感じ?」
地方出身のB君 「もう少しはっきり言ってよ」
東京出身のAさん「おめぇが言っている意味がわかんねぇんだよ ボケ」

これぞ正に、関東マジック。

僕はアメリカ・ロシア・タイ・ラオス・ドイツと語学を勉強して色々な国の人と付き合ってきたが、東京の人が一番付き合いにくい。 特に東京人は世界で一番話しにくいと思う。 どこの国の人でも、知らない人同士で挨拶ぐらいはするし、自己紹介とかしてそこで出会った人と関係を築こうとする物だが、東京の人にはない。 知らない人に話しかけた瞬間、変態である。 世界で色々な人を見てきたが、同じ日本語を話しているのに、ここまでコミュニケーションが成り立たないというのも珍しくないだろうか。

僕も東京人だけど、この事をどうやって東京の人に知らせればいいのか、わからん。


※ノンバーバルコミュニケーション
http://www.google.com/webhp?hl=en#hl=en&source=hp&q=%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

コメント一覧
あび   2010年06月18日 13:01
この文章に「東京人」とか「東京の人」という単語が出てきますが、おかあつさんが文中で使っている「東京人」とか「東京の人」という単語は、どういった属性の人たちを想定していますか?

ちょっと興味がある話題なので以下に私見を書きます。

東京は土地柄から「田舎者の寄せ集め」とも言われる場所なので、はたして「東京人」とか「東京の人」という括り方が本当に可能なのだろうかと感じます。

で、その全国各地の「田舎者の寄せ集め」である多種多様な人々が、それぞれの経験やイメージ、これまでの背景などに基づいて、各自勝手に想定する「東京人とはかくあるべき」という実態の無い想像上の東京人のを演じているためにコミュニケーションミスが多発しているんじゃないでしょうか。

緊密なコミュニケーションをとると、自分が生粋の東京人では無い、田舎もんである事がバレてしまい「お里が知れて」しまうので、無意識的にコミュニケーションの量を必要最小限度に抑制しているという側面があるかもしれません。

別の言葉で「江戸っ子」という言葉があり、その定義については色々な説が存在するようですが、一番狭義の江戸っ子の定義は、親子三代23区内に生まれて今なお暮らしている人というのがあります。そういう意味では私も江戸っ子ではありません。(父は千葉出身なので。)

田舎者の集まりである東京では、あまり緊密にコミュニケーションを取りすぎると、相手の出身や文化的背景などを考慮するコストが増大しすぎるし、自分も田舎者なので異文化とのコミュニケーションに熟達していない。だから、必要最低限のコミュニケーションしか取らないでおこうという後ろ向きな生活の知恵なのかもしれません。

ただし、だからと言って東京に住む人々が無味乾燥で上辺だけのコミュニケーションしかとっていないというと、実体験として違うと思います。ただ、緊密なコミュニケーションをとって貰える関係性を構築するまでに色々と時間をかけてプロトコルを取り交わす必要があり、また、緊密なコミュニケーションをとる相手もかなり限られているのだと思います。
ちえぞう   2010年06月18日 17:25
はーい江戸っ子ではないけど東京人です。
父が鳥取、母が東京、と言っても母は宮城と東京のハーフ(笑)です。

結婚前まで10年ちょっと水商売やってたのですが「東京っぽくないねぇ!」と言われることが多かったので、東京人の定義には興味あります
ちなみに文京区の外れののんびりとしたエリア出身です。

ちょっと大雑把ですが、東北よりも関西~九州(何故か広島や福岡)出身の子と仲良くなることが多かったです。
これはあまり関係ないかな…
おかあつ   2010年06月18日 19:05
>東京は土地柄から「田舎者の寄せ集め」とも言われる場所なので、はたして「東京人」とか「東京の人」という括り方が本当に可能なのだろうかと感じます。


僕も基本的にあびる君と同じ意見で、基本的に東京人っていうのは居ないんだと思うが、東京と大阪にははっきりした出身地傾向の違いがあると思う。 関西の人は、出稼ぎ上京するっていった時、わざわざ東京にくるよりはまず大阪に出て働くことがずっと多いのではないだろうか。 だから東京では 関西の人はあまり見かけない。 一方、東北の人は上京すると言ったら東京しかありえない。 わざわざ大阪まで上京しない。 だから東京の人は東北の人が圧倒的に多い。

日本いは糸魚川を中心にして高い山があることにより、遺伝的なルートがわかれているっていう話も聞いたことがある。 「箱根の山は天下の険」っていうぐらいで、古来から行き来は不便だったんではないかと思う。

だから関東・関西って分ける事にある程度合理性があると感じる。

僕はこの件についてすごく興味があって、いつか機会があったらきちんと調査してみたいと思う。(そんなチャンス滅多にないだろうけど)
おかあつ   2010年06月18日 19:16
>ちょっと大雑把ですが、東北よりも関西~九州(何故か広島や福岡)出身の子と仲良くなることが多かったです。これはあまり関係ないかな…

僕もこの感覚、あります。 必死に仲良い人を探す訳なんですが、もうなかなかいなくて、とにかく少ない訳です。 で、ようやくめぐり逢った、と思うとみんな不思議なほどまでに関西出身なのです。 気がつけば、巡り巡って関西企業に就職したりもしたし...。

この間始めて関西を旅行して「あぁ気が合う人ってこんなにたくさん居たのか」って思いました。 関東では変わり者の僕も、関西では何か普通なんですよね。


>母が東京、と言っても母は宮城と東京のハーフ(笑)です。

あぁ ...なるほど ...こんなところに共通点が...。 僕は祖父祖母の代の出身地が、愛媛・千葉・新潟・青森と見事にバラバラだということをついこの間知りました。

ひょっとしたら、山吹高校の両親の代の出身を調べたら、ひょっとしたら大変な共通点が見つかったりするんじゃないだろうか... 要するに東京で「変わり者」って言われる人って、マルチ出身地ハーフなんじゃないか、って言う気がする。 これは僕の個人的な感想なのだけど、東西ハーフって更に少ないんだと思う。

僕も小さいころからさんざん変わってるって言われて苦しんだけど...この辺が理由なんではないかという気がする。


僕、小さいころから、家族の顔が他の人と微妙に違うということをいつも思っていたのだけど、それは家族で顔を見慣れているからそう思うんだと思っていたのです。 だけど、この間四国に行ったら、家族と同じ顔をしている人がゾロゾロいっぱい歩いていて、ビビった。

同じ名字の人とか、親父と同じ名前の人とか、いっぱい居たのもショックだった。
おかあつ   2010年06月18日 21:05
このビデオ、エラいおもしろい
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/k-kda1/k-kca1/k-ksa1/k-kaa1.mpg
うう   2010年06月19日 01:41
>僕も小さいころからさんざん変わってるって言われて苦しんだど..

あたしもたいがい変わり者と言われましたが、
父(大阪生まれの大阪育ち)はけっこう、
あたしをネタにしておりました。

で、今は息子二人(同じく大阪生まれの大阪育ち)
のネタとして、
誇張して彼らの友人に伝わっているようです…。

ですので、変ってはおりますが、
あんまり苦しまなかったよ。

ま、これは関西関東というより、
うちが大阪の下町だったからからかも。

京都生まれで京都育ちの母は、
けっこう、マジで心配してましたし。



おかあつ   2010年06月19日 02:39
>ま、これは関西関東というより、
>うちが大阪の下町だったからからかも。

あ...!





何となく勘なんですが、きっとですが、全然自信ないですが、もし京都に住んでいたら結構大変だったんじゃないかなぁ...

京都の人ってものすごく保守的で、本当に京都の人としか結婚したがらないって言う話を聞いたことがありますし、未だに部落差別を頑張って守ってるという話も聞きます。 で、元に、某・京都に住む他県ハーフの人が居るんですが、コテコテの京都生まれ・京都育ち人なのに、ビックリするほど文化ギャップでかなり苦しんでいて、もしこの場に来たら、バリバリに力説してさっていくような気がします。



で、やっぱり変わってるって言われてたんですね。


僕はこう、何ていうか、生まれたときから浮いてました。 何かいつも居心地が悪い感じがするのです。 僕が当たり前だと思うことを誰も当たり前だと思わないんです。あちこち旅してみましたが、僕が当たり前だと思うことを当たり前だと言う人はたくさん居ます。

でも、東京・横浜では当たり前じゃないのです。


で、アメリカにいくと、もうみんなが違うということを大前提に付き合えるので、ものすごく楽なのです。 でも日本だと、建前だけでも同じに振る舞わなければいけないし、でも同じなんてこと絶対ありえないですし、じゃぁって相手が何を思っているのかも絶対説明してくれないですし、もう取りつくシマもありゃしない。

考えてみれば、日本って言うのは、フュージョン型異文化コミュニケーションがまだ成熟していないのかもしれません。 ゴチャゴチャならゴチャゴチャで、もっとゴチャゴチャにすればいいと思うのです。

でも、みんなどうしても建前を守るので、表面上は混ざっているけど、やっぱり、水と油みたいに混ざってないんですよね。

キーワードはバーバルコミュニケーションだと思うのです。 自分の思っている事を徹底的に言葉にして表現する。 これしかないと思うのです。 常識とか慣例とか空気とかにベースをおかずに、徹底的に言葉だけでコミュニケーションするようにする以外方法はないと思うのです。

あるいは、タイ人やラオス人みたいに、徹底的にノンバーバルの世界に行くというのもひとつかもしれません。 でも、タイラオスは色々な民族がいるのに、みんな決して仲良くないですよね。 表面上は仲良くしているふりをしてますが。 こちらは、ある意味、日本みたいにまぜこぜにしないで、ある程度住み分けをしているので楽というのはあるかもしれません。バンコクみたいに無理やり同化を推し進めたところでは、やっぱり歪んでますよね。
おかあつ   2010年06月19日 03:43
僕は強情だとか主張が強いとか言われます。 でも、そうじゃないと思うのです。

普通なら、いくら意見が合わなくても、地元に戻れば「あぁそうだよ」って言ってくれる人がいるのでしょう。 だから都会では、多少意見が違っても強情をはらないで「そうそう」って言葉尻を合わしておけばいいのでしょう。 疲れたら地元に戻ればいいのです。

でも、僕はどこにも帰るところがありません。 僕はここで生まれてここで育っていくら考え方が違ってもここ東京に住むしかありません。 みんな同じじゃないこの場所で居場所を作らないといけないのです。 意見が違うからと言って「はいはい」と引き下がる訳にいかないのです。

この間の温度差って、結構埋めがたい物があるのかもしれませんね。
うう   2010年06月19日 20:10
えーと、京都。
あたしは19歳の時に1年間京都に住みました。
当時あった京都のマイナーサブカル雑誌を出している、
会社というより、同好会みたいな会社で働きました。
ガロ系の漫画家が遊びに来たり、
暗黒舞踏の人らが泊まり込んだり、
その他「売れない」「食えない」漫画、小説、音楽、演劇に携わる人が、うごめく世界…。
そしてそう大人に、そういう大人が集まる「変わった店」に連れていかれてで飲む日々…。
母が生まれて育った京都とは、全く違う京都だったし、
その人達の京都人率もどのくらいかわかんないですけど、
あたしにとって京都は、
「そそそそそんなん、アリなんですか?!」っていう世界で、
あたしなんか、変ってる部類に入らないんじゃないかと思うくらい、
好きなことを好き放題やってる人にかいなかったので、
京都のイメージはかなり歪んでおります…。

だから大阪は「変わってるけどおもろい奴」という扱いでしたが、
京都は、あたしの初海外初一人旅のインドくらい
「人生なんでもアリ」を教えてくれた土地。

「そうそうそう」って言ってくれる人がいるのは心強いし、
これがないとかんなりつらいけど、
「ようわからんけど、まあ、ええやん。あんた、おもろいし」
でも、まあ、ええやんと思えるし、
そういう人たちって、どこかにかたまってたりするので、
それが故郷でなかったとしても、
そこを「第二の故郷」にしちゃったらどうでしょうか。

ああ、何書いてんだか、わからなくなってきた…。スイマセン
 
出展 2010年06月18日12:29 『IT'S A 関東マジック』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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