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2010年6月13日日曜日

雑記1 (mixi05-u459989-201006131742)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
雑記1
2010年06月13日17:42
【1】 世の中のほとんどの人は嘘を見抜くことが出来ない。

1.嘘を見抜くことが出来る人は、少ない。
2.嘘を見抜き、その嘘が生まれた理由まで見抜くことが出来る人は、更に少ない。
3.嘘を見抜き、その嘘が生まれた理由を見抜き、
  更にそれを許すことが出来る人は、ほとんど存在しない。



【2】語学
語学っていうのは、学問でもあると同時に、スキルでもあるところが、おもしろいところであり、難しいところでもある。 知識とスキル、このどちらがかけていてもかっこ悪い。



【3】クメールとカンボジア / イサーンとラオ

先日、日本語の達人であるラオス人のSさんから、カンボジア人にクメール人と言うと凄く失礼になるんだ、という話を聞いた。

僕はタイ国内にいてクメール語とかクメール人とかそういう言葉をよく使っていた。 それはタイの東北に住む人をひとまとめにしてしまう乱暴な言い方である「イサーン人」という言葉を使うよりずっと丁寧な言葉だったからで、差別語だったとは考えたことがなかった。

一方、このクメールという言葉をカンボジアの国内で使うと失礼になるというのは、何となくそういうこともありそうな気がした。

バンコクにいて色々な人と話すと、しばしば自分の出身の民族の話になる。例えば自分は(中国の)潮州人なんだとか、ナコンパトムのタイ人なんだとか、祖父がラオ国内からきたラオ人だとか、カンボジアに住むクメール人とブリラムに住むスワイ人のハーフだとか色々な出身民族の話になる。しかしこれは飽くまでも仲良くなった後にする話で、例えば、いきなり「あなた中国人ですか?」というようなことを聞くと、99%はムッとされて終わる。 ここには色々な本音と建前が交錯する微妙な世界があり、ここに入るためには、独特な感受性が必要だ。 そうでない場合、飽くまでも タイに住む人はタイ人であるという大建前を守らなければいけない。

恐らくそれと同じような事がカンボジアでも起こるのだろう。



【4】事実と痛み

僕はタイのウドンタニーに居て、はっきり言ってしまえば、いつもいじめられている。 尊敬なんてされてない。 いつも意地悪されたり、言葉の問題を言われたり、仲間外れにされたりしている。 いつも不条理な事でいじめられて、ものすごく腹立たしいけど、いじめられるというのは外国にいるということの本質だと思う。 逆に僕はいじめられないと怖い。 いじめられているということは、少なくとも彼らが本音で付き合ってくれているという証拠だからだ。 いじめてくるということは、その人を信じても構わないというシグナルでもある。 いじめてこない人と付き合うのは、何か本心以外に隠している何かを持っている人と付き合うという意味であり、ひとつのリスクだ。 意地悪というのは、飽くまでも、自分にとって都合の悪いことを隠さずに付き合ってくれているシグナルであって、喜ぶべき事だ。 痛みは事実の証拠である。 僕はウドンに居て痛いと思うことがとても多い。 だから、僕はウドンの人の本心を知ってると自信を持って言える。

日本語の達人であるラオス人のSさんを見ていると、本当にやさしい人だなぁと思う。 見ていると、実は心のうちに色々と思っている事がある様子を観察出来る。 だけど言わない。 恐らく言うことが出来ないのだと思う。 僕は思うのだけど、ラオ人が本当に思っていることをすべて日本人に話したら、日本人はとてもじゃないが受け止めきれない。 日本人※には相手の不都合な事実を受け止める能力が欠落している。 だけど、Sさんには、そういう矛盾を上手く包んだ上で、相手が受け止められる形に上手に昇華してから投げるコツを知っているように見える。 これは大変高度なスキルだと思う。 正直、僕は出来ない。

※ 相手の不都合な事実を受け止める能力が欠落しているのは、日本人というか関東人/東北人のみかもしれない。 関西人は明らかにその能力を持っている。



【5】プライドと学習の矛盾点

国家としてのラオス人とイサーンに住むラオ人を「同じような物だ」と片付けるのは、関東人も関西人も「同じような物だ」と片付けるのと同じくらい失礼なことらしい。 実際、関東人と関西人は同じ日本にすんでおり、言葉がいくら違うとはいえ、理解し合うことぐらいは出来るが、関東人・関西人ともに一緒くたにされるのはあまり好まない。 ラオス人とイサーンに住むラオ人も同様に、多少違うがほとんど同じ言葉を話している。 だけど「同じような物だ」と片付けられるのは同様にあまり好まないような気がする。

その言葉を外国語として学習する僕としては、これらがまず「ほぼ同じである」という事を前提としなければ、学習がまったく進まなくなるという致命的な問題を引きこす。 イサーンラオ語とラオス公用語が違うというのは、外国人としては、飽くまでも学習がかなり進んだ上級の人が考えるべき事柄だ。 外国人に「ラオス公用語とイサーンラオ語は違う言葉だ」という立場に立つことを強制するのは、酷だ。 少なくとも僕にとっては受け入れることが出来ない。 受け入れたら学習が進まなくなる。



【6】建前とは

そもそも、ある国の人の意見を、他の国の人が受け入れることは、決して簡単な事ではない。 他国の文化は常に不条理である。これは世界中どこに行っても全く変化しない事実だ。しかし体感的に見ると、国によって入りやすい国、入りづらい国と分かれている様に感じるものだ。 それは何故かというと、建前があるからではないかと思う。

建前は、相手の理解を超えた事柄をやさしく包みこみ、相手が受け入れ易い形に昇華してくれる。 建前を構築することが上手な国は、他の国の人にとって入りやすい国となる。 しかし、建前は飽くまでも建前であって、事実ではない。 いかにその国が入りやすい国だと感じたとしても、他の国の文化を受け入れるということが非常に困難な事であることに違いはない。

相手に気を遣わせているうちは仲良くなったとは言えない、と僕は思う。 「ママさんに気を遣えるようになってこそ、一人前の飲み助である。 ママさんに気を遣ってもらっているうちはまだまだである。」と、飲み屋の達人は言う。 この預言は、異文化交流でも全く変化することがない。



【7】ラオス/タイ人と、日本人の違い

日本とタイ・ラオスは、外人の扱い方が真逆だ。

日本人って言うのは良くも悪くも図太い文化を持っているのだと思う。 日本人は、自分が外国語を話すのはけっして得意ではないが、外人に日本語を教えるのは大好きだ。 日本語が上手な外国人が来れば、遠慮なく日本人扱いする。 日本人にとって、日本語が上手な外国人というのは、とても有難い存在である。

と同時に、誰にでも日本語を強要する日本人とは、外人にとっては実はあまり有難くない存在である事に注意する必要がある。 僕は思うのだけど、日本人というのは外人に対してあまり建前を作らないところがある。 これは決して正直だと言う意味ではない。 単に日本人は外人に対して建前を固持出来るほどの器用さがないからだ。 誰に対してでも日本人丸出しである。



タイとラオスという国は、この真逆を行くのだと思う。 タイ人もラオス人も人間関係は非常に器用だ。 ラオス・タイの人たちがする外国人に対する対応は、基本すべて相手次第で、すべて相手に合わせるのが基本だ。 タイ人もラオス人も、本音と建前を切り分けるスキルが卓越しており、異国からやってくる相手が投げてくる「不都合な事実」をすべて受け止めてしまう包容力がある。

視点を変えると、タイ人もラオス人も、自分の本音を決して相手に見せないところがある。 タイ人もラオス人も、持っている本音は、普段話していることとは、遠くかけ離れたところにある。 しかも、その不条理さは、他の国の不条理さの比ではない。



タイ・ラオスの文化を理解するのは、非常に難しい。 アメリカの様に開けっぴろげな国とはまた違った難しさがある。 アメリカ人は自分たちを理解しない人間を情も涙もなくバッサリと切り捨てる強引さがある一方、開けっぴろげで思ったことを何でも口にする。 だから、彼らが思っている事を理解するのは困難ではない。 しかし、タイ人・ラオス人は、自分が思っている事を口にすることは、決してない。 だからその本心を知る事は極めて難しい。

更に考えを深めてみると、本心を決して語らないのは、理解が難しすぎるからでもある。 その本心は、不条理に満ちており合理性がなく、たくさんのトラブルの原因をはらんでいる。 それだけでなく、文化的に、他人の本心に合理性を求める事を反モラル行為であると考えられており、それに変更を加えることは全く不可能だ。

タイ人・ラオス人がその本心を外国人に話すと、多くの場合混乱を呼び起こすだけだ。 命に関わることすらある。 タイ・ラオスでのモラルに反した場合、社会がそれに与えるペナルティーはしばしば「死」である。 無理解に対する猶予の余地はほぼない。 だから、タイ人・ラオス人は、無用なトラブルを避けるため、そのことを外国人に話したがらない。



タイ人は、タイ語が話せる外国人が嫌いだ。 この点、日本語が話せる外国人が大好きな日本人と一線を画す。 タイ人はタイ語がちょっとだけ話せる外人は好きだが、上手な外人は嫌いだ。 この傾向は都心に住む人ほど顕著であるような気がしている。 (まだ僕は、この点についてラオス人の人がどう思っているかわからない)

日本語が話せる外人が好きな僕としては、タイ人が何故タイ語が話せる外国人が好きでないのか、どうしても感覚的に理解できないものがある。

これが何故なのか、僕は色々考える。 外人のタイ語のスキルと所持金の量は反比例の関係にあるので、それも関係するのかもしれない。 あるいは、タイ人には、本音の部分に入り込まれるのを非常に嫌う民族性があるのかもしれない。 あるいは、タイ人は、もともと、日本人よりもずっと排他的な民族なのかもしれない。



【8】雑感

実は、僕にはジャズを演奏するという秘技がある。 僕は今はこうしてプログラムを組んだり、語学を勉強したり、無意味に長文を書いたりしているが、実は、以前ジャズの演奏者をやっていた。 ジャズは、10年以上勉強してきたし、短いが仕事として演奏していた時期もある。 ジャズロックやフュージョンも演奏できる。

このスキルをバンコクで使ったらどうなるのだろうか。

排他的でよそよそしいバンコクの人も気持ちを開いてくれる様になるのだろうか。

コメント一覧
あび   2010年06月13日 18:18
> 嘘を見抜き、その嘘が生まれた理由を見抜き、更にそれを許すことが出来る人

教会では、その人をキリストと呼んでいます(w
うう   2010年06月13日 19:58
【3】
クメールじゃだめなんですか?(汗)
プノンペンの工場の子と話していると、
彼がクメール料理とかクメール語とか言うから、
カンボジア料理とか言うよりそっちが正しいのかと(汗)
彼は中国系のカンボジア人3世です…。
難しー。

【1】
詐欺みたいな嘘から、
本心を言わないとか、
その時はそうだったけど今は気持ちが変わったとか、
嘘の範囲って広くて曖昧だと思う。
詐欺なのは別として、
あたしは疑うのが面倒くさいという気持ちがあります。
だから、その人がそういうなら、
嘘でも本当でも、どっちにしても、
あたしにそう思って欲しいんだろう、と思って聞いてます。
疑わしい時でも
「嘘か本当かわからないけど、そういうことにしておこう」
と思って、次のステップに進みます。
それによって、あたしが行動を起こすか起こさないかは、
その人が自分にどのくらい響いているかによるので、
結果、それが嘘でも本当でも、
あんまり気にならないというか…。
本当のことでも響いてこないことには行動が起こせないから、
嘘でも本当でもあんまり関係ないのかなぁ…。
あんまり嘘を許すとか許さないとか考えたことがありません…。


ダメ兄貴   2010年06月13日 21:37
確かにシンガポール、マレーシアの華人と話したとき(英語で)彼等は“チャイナ”と呼ばれるのを嫌がっていました。

「我はシンガポーリアン(マレーシアン)チャイナ也!」

「レッド・チャイナ(人民)とは違うのだよ」

と。。。

でも、呼ぶには長いヨ(笑)。


タイ語で中国は“チン”、スペイン語圏では“チーノ”ニッポンでは“支那”。。。この短さ加減が軽んじられてる!って思うのでしょうかネ?


小生は京都の坊サン大学卒なのですが、京都ってトコロは凄く保守的で、京都と呼べるのは市内だけ、更に言うなら碁盤の目の中(中京区)だけ。。。北区や宇治、伏見、まして亀岡、舞鶴、福知山なんかと一緒にせんといて!という気質丸出しです(当時付き合っていた彼女が“バリx2京都の職人サン”家の娘で、コト有るごとに言っていました 苦笑)。

で、逆に亀岡出身の同級生は自らを“亀モン(かめもん)”と言っていましたが、他所モノ(特に京都人)からそう呼ばれると烈火のごとく怒っていました。

で、ウチの嫁はウドン出身のヴェトナム人。
会話のなかで“ユオン”ってよく言ってます。
ヴェトナムを指す言葉みたいで、別にジャップ、ニガー、カイク、チョソ公。。。みたいな所謂“蔑称”ではナイみたいです。
クマエやラオ、イサーン語でも“ユオン”は越の意味です。
只、小生が感じたのは上記のような「オマエら他所モンが言うな!」という空気を感じました。


大阪弁に「いらう」という言葉があります。標準語では「触(さわ)る」という意味なのでしょうが、当地では「からかう」、「苛(いじ)める」。。。といった意味の方が強いと思います。最近は漫才が全国区になったのでニュアンスが判っていただけるかと。。。
主に年長者が年下をからかったりする(分かり易くいうなら“島田伸介の芸風←奇しくも彼は京都の“町”の出身)のですが、案外“いらわれた”側は決して恨んだりせずに、“おいしい”と喜ぶのです。
オミットされたり、スルーされるよりも引っ掛りがあった方が有り難い、可愛がられている。。。と喜ぶのです。
なんかこの辺はイサーン・ディスコやシア・イサーンの寸劇でも観れますよね。

そういえば、30年位前、吉本新喜劇が東京に進出した時に東京のTV局から「鼻が大きいとか、アゴが出ている、鼻が上を向いているというのは差別的表現だから云々。。。」とクレームが付いたと聞きました。
そんなもん、コッチは物心ついた時から観てるもんやのに、ナニがあかんネン?
狭いニッポンでもそんな温度差はありました。


徒然なるままに書きましてスイマセン。。。






おかあつ   2010年06月13日 23:56
いや。

こういうことを書くと反応するのは、しばしば関西の人なんですよ。
あぁそうだよって理解するのも関西人、
実はこうだよって教えてくれるのも関西人です。

ここまで書いても、何度書いても、しつこく書いても、厳密に書いても、長く書いても短く書いても、そんなことないよって言う人がいます。 それは、しばしば関東人です。

「君、そんなことないよ、考えすぎだよ」って関東の人は言います。 いや、そんなこと、ありあり、おおありなんですが、その存在に気がつきもしないどころか、想像すらしてしない、想像する人をバカ扱いすらするのが、関東人です。

コミュニケーションスキルが下手どころか、ないのです。 ゼロです。僕も関東人ですが、そんな関東人にあきあきしたこと、一度や二度ではありません。 非常に疲れます。

僕がこうやって日本語でするラオ語の話を、一番すっきりとストレスなく理解してくれるのは、語学学者とか語学マニアではなく、実は関西人です。 関西の人は、勉強してないのに、それを感覚的に理解できるのです。

こないだ、僕のマイミクで、ニューヨークに20年近く住んでいる、ジャコビさんという方が「ニューヨークに住んでいる日本人は、実はほとんど関西人だ」と言ってました。 僕は、これを聞いて、さもありなんと思いました。



で、何で日本人がこのことを理解しないのか、長年の謎でした。 何で僕だけ理解できて、みんなそれを理解できないのか、ずっと悩んで苦しんでいました。 これについて悩んだ苦しみというのは、筆舌に尽くしがたいものがあります。 何で僕だけみんなと違うのか。 何で僕だけ変なのか。 何で僕だけ慣れ慣れしいのか。 何で僕だけよく喋るのか。 何で僕だけ知らない人と話すのが好きなのか。 顔すら違うのです。

僕は関東人です。 関東から離れたことがありません。 関東が人生のすべてです。 知り合いは全員関東人です。 だから僕の世界のなかでは、日本人=関東人でした。 かつては。

で、僕、これまで40年近く自分が関東人100%だと思っていたんですが、ついこの間、実は、自分が25%関西人だったという事を知りました。

で、こないだ初めて関西行って、すぐ思ったんですが、
僕、凄く普通なんですよね。関西だと。
顔も似ている人たくさん居るし。
みんなよく喋るし。
知らない人と話すのやぶさかじゃないし。

うう   2010年06月14日 01:11
ダメ兄貴さんの「いじられる」=「おいしい」
わかりすぎて受ける(笑)
そうですね。
スルーされるのがあたしたちには一番つらい(笑)

【4】
おかあつさん、それ、かなり「おいしい」ですよ(笑)

それと、逆にあたしは、
関西と関東でそんなに違うのに驚きです。
みんないじられたら、うれしいんだと思ってた!
気をつけよう(汗)
おかあつ   2010年06月14日 01:31
>それと、逆にあたしは、
>関西と関東でそんなに違うのに驚きです。

関西の人に関東の常識を話すと、驚くみたいです。

こないだたった一週間、京都~岡山・四国に行っただけなのですが、それはもう、タイに行くよりずっと刺激的でした。

マック入ったら知らないおじさんと仲良くなって、ポテトフライおごってもらったんですが、東京じゃ絶っっっっっっっっっっ対にありえないです。 会話すらないです。 話しかけようものなら、瞬間的に空気が凍ります。 僕はそれでも敢えて声をかけること、ありますが、100%玉砕します。 100回に1回きりもありえないです。

さっき、こんなサイト見つけたんですが、
http://nanpalife.com/kannsainannpasupotto.html

東京に20年・横浜に16年、住んだ僕にとっては、すべてがおとぎ話みたいに見えます。 まぁ、100%無視されます。 女の子どころか、男の子・おじさん・おばさん、近所の顔見知りにだって話しかけられません。 話しかけたら、変態です。

ベイジル   2010年06月14日 11:46
※ 相手の不都合な事実を受け止める能力が欠落しているのは、日本人というか関東人/東北人のみかもしれない。 関西人は明らかにその能力を持っている。

ココが、いまいちわかりません。
当方、関東人です。

「相手の不都合な事実を受け止める能力」が無いからかしら?
これって、自分にとって不都合な事実って意味ですかね。
ここはおかあつさんのご期待にこたえて「そんなことないよ」って言ってみようと思います。


ロンドンに居て感じたことですが
やっぱり東京はスゴイのです。洗練されておるのです。
だから、東京を知ってる日本人は、
わざわざロンドンやらNYやらに居る必要をそれほど感じないのです。
東京を知っていて、ロンドンやらNYやらパリに居る人は、
なにかしらの理由がある人です。(仕事・恋人とか)

私は、正直、ロンドンにいたときよりも、地方都市で生活していたときのほうが
イギリスにいるという充実感がありました。

東北人は・・・知りません。が、関西の人は大阪から海外に出ますが、
東北の人はやはり東京に出てから・・・と思う人が多いみたいです。
おかあつ   2010年06月14日 17:28
僕は関西についてまだあまりよく知りません。 以下、日本人とタイ人の違いについて書きますが、恐らくこの違いは、関東と関西でも同様な違いを持つのではないかと思います。 これは飽くまでも僕の想像ですが、タイと日本が違うのではなく、「関東とそれ以外」が違うのだと思います。

違いというのは、視点です。
僕も関東人で、無意識のうちに以下で説明する視点を持っています。
ベイジルさんが書いた上の文にもその視点を指摘できます。

多分ですが、ドラマを見るとき、タイ人は人を見るのですが、日本人は家具を見るのではないかと思います。

僕も関東人ですが、タイのドラマとか見ていると、何でこんなところにロケ用のロッカーが置いてあるんだよ、とか、ここ配線出ちゃってるよ、ダメダメだなぁとか、何でこんなところに安っぽいベッド置くのかなぁ雰囲気台無しだよ、とかそういう風な事を思います。

一方、タイの人はそういう事には目もくれず、ストーリーのみに集中してます。 タイのドラマはストーリーが非常に凝っており、連続ドラマなのに毎日二時間とか放送時間があります。 起承転結が激しく、日本のドラマよりもメンタル面を重点的に描写します。 家具というのは飽くまでも付属品でそれが多少間違った状態でも気にしません。そこにリアリティーを一切求めません。 興味は飽くまでも濃厚な心理描写で、そこに飽くなきリアリティーを求めます。

日本人はそういう心理描写の存在すら認識できません。 ひたすら家具のあら探しをします。


日本人とタイ人は、歩いているだけでも見分けが付きます。 まわりをキョロキョロしているのは日本人です。 街の雰囲気・建物や内部の家具インテリア・看板などを見ています。一方、タイの人は、人だけをじいっと見ています。

タイの人は、人ばかりを見ています。 自分の持てる時間のすべてを周囲の人を観察することに費やしていると言っても過言ではないです。 だから、日本人から話しかけたりするとき、大抵話しかけられた時点で既にその日本人が何を言うかを知っています。 常に周囲の人を観察しているからです。 だから言葉が通じなくても会話が成立します。

一方日本人は、人を全く見ておらず、話しかけた時、相手が何を言おうとしているのか知りません。 相手の文脈を見ていないので相手にとってトンチンカンな応答をしがちです。 几帳面な性質で語学をものすごく勉強しており、タイ語も堪能です。 しかし人を一切見ていないので相手の意図がくめず、その語学力に関わらず全く会話が成り立たないタイプが非常に多いです。

会話が成り立たないタイプというのは、僕もそのタイプでして、飽くまでも自分が人を見ていないということを認識して、人だけを観察する様に切り替えているので、多少出来るようになったところがあります。


ベイジルさんは、ロンドンの事をかかれていますが、上で書くように家具やインテリアなどを集中的に見ていることが指摘出来ます。 それはもちろん、家具やインテリアがひとつの文化であり、それを味わう事がひとつの知的な楽しみであるという認識があるからです。

じゃぁ関西人がロンドンに行ったら何を見ているか。

僕は自信を持って言いますが、方言を見ている筈です。コクニーがどうとか、ロンドン弁・アイリッシュ弁・マンチェスター弁がどうとか、どの地方は、アイの発音がこうだとか、あの地方は アクセントがここに来るとか ...。 家具なんか目もくれないでしょう。

方言や発音がひととなりを表し、相手の本音を探る(コミュニケーション)上で、非常に重要な情報源になるということを本能的に知っているからです。


(ちょっと書き換えました 6/14 17:27)
 
出展 2010年06月13日17:42 『雑記1』