中卒が差別する
2010年05月19日15:35
僕はイサーン人をバカにする人が大嫌いである。しかし、最近、イサーン人をバカにする日本人をバカにすることは、実は差別なのではないか、と思う様になった。
僕は中卒だ。 散々苦労したし、散々バカにされてきた。 金がないことも散々バカにされた。 何も買えない、勉強する事もままならない。 イデオロギーもない、教育もない。 そんなことも散々バカにされた。 血反吐を吐くまで走りつづけながら怠慢とまでいわれた。
しかし、僕はこれまで、金がない事、学歴がないこと、知識がないこと、技術がないこと、思考力がないこと、全てひとつひとつ、向き合って解決してきた。 中卒だが、今の僕には、何一つのやましいこと、恥ずかしいことなどない。
だからこそ、イサーン人をバカにする日本人を、何の躊躇もなく、「無知」「バカ」「トンマ」と罵ることができる。 無知は単に彼らの責任であり、怠慢である。 僕がそれを知っているのは、僕の純粋な努力の賜物である。(努力というほどの努力もしてないが。)そこには、何の「身体的なハンディキャップ」も「経済的なハンディキャップ」も「地域的なハンディキャップ」も存在しない。
◇
しかし、僕は最近「イサーン人」をバカにする日本人の多くが、実は東京人でなく、地方人であることに気がつき始めた。 ひょっとすると、多くの「地方人」が、日本国内で「地方人」として肩身の狭い思いをしている中で、タイに来て、イサーン人を見て、立場が逆転するという非現実的で痛快な経験をしているのかもしれない。 そうして、心のゆとりを持ったところで、自分をみつめなおしているのかもしれない。 僕は、ひょっとしたら、その邪魔しているのかもしれない。
僕は一応、東京人である。 僕は東京人であるが、中卒であり、非差別の対象である。 ( 一応東京者ではあるが、新聞配達員をするなどして、僕はいわば自力で「東京に出てきて」いる。) 僕は劣等感と屈辱の塊である。 無冠の帝王である。 僕はバカである。 バカは嫌だ。 それのみを考えてこれまでやってきた。
だが、ひょっとしたら、そんな僕を見て、何故か知らないが、強い劣等感を感じる人がいるのかもしれない、と最近考える様になった。
誰がこの「無職」「中卒」「独身」「ひきこもり」を見て、劣等感を感じるというのだろう。
もう40歳だ。 独身。 無学歴。 妻も子もなく、ここまできた。
誰がこの僕に劣等感を感じるというのだろう。
◇
才能というのは、ひとつの身体的特徴だ。
身体的特徴を理由に他人をバカにするのは、ひとつの「差別」である。
だから才能がない、と罵るのはひとつの差別である。
多くの人は「自分には才能がない」と思っている。
つまり、これは「自己差別」である。
実は、何かを成し遂げようとするとき、多くの場合、才能は関係がない。
自分に取って必要な事を順番にやっていく、それだけだ。
自分に取って必要な事を順番にやっていけば、必ず何かを成し遂げることが出来る。
出来ないというのは、必要な何かが足りないだけの話だ。
必要な何かを満たせば、誰でも必ずどんなことでも成し遂げることが出来る。
これはひとつの事実である。
自分を差別するもの、それは自分だ。
僕は中卒だ。 散々苦労したし、散々バカにされてきた。 金がないことも散々バカにされた。 何も買えない、勉強する事もままならない。 イデオロギーもない、教育もない。 そんなことも散々バカにされた。 血反吐を吐くまで走りつづけながら怠慢とまでいわれた。
しかし、僕はこれまで、金がない事、学歴がないこと、知識がないこと、技術がないこと、思考力がないこと、全てひとつひとつ、向き合って解決してきた。 中卒だが、今の僕には、何一つのやましいこと、恥ずかしいことなどない。
だからこそ、イサーン人をバカにする日本人を、何の躊躇もなく、「無知」「バカ」「トンマ」と罵ることができる。 無知は単に彼らの責任であり、怠慢である。 僕がそれを知っているのは、僕の純粋な努力の賜物である。(努力というほどの努力もしてないが。)そこには、何の「身体的なハンディキャップ」も「経済的なハンディキャップ」も「地域的なハンディキャップ」も存在しない。
◇
しかし、僕は最近「イサーン人」をバカにする日本人の多くが、実は東京人でなく、地方人であることに気がつき始めた。 ひょっとすると、多くの「地方人」が、日本国内で「地方人」として肩身の狭い思いをしている中で、タイに来て、イサーン人を見て、立場が逆転するという非現実的で痛快な経験をしているのかもしれない。 そうして、心のゆとりを持ったところで、自分をみつめなおしているのかもしれない。 僕は、ひょっとしたら、その邪魔しているのかもしれない。
僕は一応、東京人である。 僕は東京人であるが、中卒であり、非差別の対象である。 ( 一応東京者ではあるが、新聞配達員をするなどして、僕はいわば自力で「東京に出てきて」いる。) 僕は劣等感と屈辱の塊である。 無冠の帝王である。 僕はバカである。 バカは嫌だ。 それのみを考えてこれまでやってきた。
だが、ひょっとしたら、そんな僕を見て、何故か知らないが、強い劣等感を感じる人がいるのかもしれない、と最近考える様になった。
誰がこの「無職」「中卒」「独身」「ひきこもり」を見て、劣等感を感じるというのだろう。
もう40歳だ。 独身。 無学歴。 妻も子もなく、ここまできた。
誰がこの僕に劣等感を感じるというのだろう。
◇
才能というのは、ひとつの身体的特徴だ。
身体的特徴を理由に他人をバカにするのは、ひとつの「差別」である。
だから才能がない、と罵るのはひとつの差別である。
多くの人は「自分には才能がない」と思っている。
つまり、これは「自己差別」である。
実は、何かを成し遂げようとするとき、多くの場合、才能は関係がない。
自分に取って必要な事を順番にやっていく、それだけだ。
自分に取って必要な事を順番にやっていけば、必ず何かを成し遂げることが出来る。
出来ないというのは、必要な何かが足りないだけの話だ。
必要な何かを満たせば、誰でも必ずどんなことでも成し遂げることが出来る。
これはひとつの事実である。
自分を差別するもの、それは自分だ。
コメント一覧
ダヌパット 2010年05月19日 16:15
私もイサーン人をバカにする日本人は大嫌いです。
学歴より大切なものはいくらでもある。
学歴で人生の成否が決まる物でもない。
その人の人間力が大切ですね・・・。
学歴より大切なものはいくらでもある。
学歴で人生の成否が決まる物でもない。
その人の人間力が大切ですね・・・。
さい 2010年05月19日 17:09
いままでで一番つきぬけた日記。
あび 2010年05月19日 17:23
どんな人にも必ず尊敬できる(すべき)点があり、また同時に尊敬できない点もあるだろうという、ある意味当たり前の事であるものの、ともすると、忘れてしまいがちな事を再確認しました。
☆クルワイやす☆ 2010年05月19日 17:45
コンイサーンを愛する自分も、彼らを差別する日本人は許せないけど、日本人はとかく、“差別する対象”を見付けては安心したがる民族…ある意味、右へ習えの日本人は哀れである。
oxoofo 2010年05月19日 23:05
自分の劣等感から来る「誰かをバカにする」
ではない、
「Aのバカ」 ってのも、あるでしょうか。
ではない、
「Aのバカ」 ってのも、あるでしょうか。
うう 2010年05月20日 00:30
タブヤスさんところから来ました。
いい日記ですね。
>実は、何かを成し遂げようとするとき、
>多くの場合、才能は関係がない。
ほんとにそうですね。
才能のせいにしたら自己嫌悪から逃げられる。
才能がないのは「普通」で、あるのが「特別」だから、
努力不足という自己嫌悪から逃げて「普通」に安住できる。
そこが心地いいかどうかは別として。
自分に必要なことを、
必要な順番にやっていけばいいんだなと再確認しました。
人生にノルマなんかないと思っているけど、
日々の心地よさや充実感は欲しいので。
いい日記ですね。
>実は、何かを成し遂げようとするとき、
>多くの場合、才能は関係がない。
ほんとにそうですね。
才能のせいにしたら自己嫌悪から逃げられる。
才能がないのは「普通」で、あるのが「特別」だから、
努力不足という自己嫌悪から逃げて「普通」に安住できる。
そこが心地いいかどうかは別として。
自分に必要なことを、
必要な順番にやっていけばいいんだなと再確認しました。
人生にノルマなんかないと思っているけど、
日々の心地よさや充実感は欲しいので。
退会したユーザー 2010年05月20日 01:59
>全てひとつひとつ、向き合って解決してきた。 中卒だが、今の僕には、何一つのやましいこと、恥ずかしいことなどない。
と、言える人は、あまりいないと思います。
そこまで努力し続けられるのは、かなりの粘り強さと欲望と目的があるのかな、と思います。多くの人は「これぐらいでいいや、腹八分目で満足だ」って、なるんじゃないでしょうか。
でも腹の底では満足なんかしていないので、劣等感をもつんだと思います。
イサーンの人たちをバカだと言う人、私の周りにもいます。
理解しようとしていないのに、理解不能のバカだ!と勝手に怒っているので、なんていうか、不思議です。でもそう言うと喧嘩になるので、何も言いません。
と、言える人は、あまりいないと思います。
そこまで努力し続けられるのは、かなりの粘り強さと欲望と目的があるのかな、と思います。多くの人は「これぐらいでいいや、腹八分目で満足だ」って、なるんじゃないでしょうか。
でも腹の底では満足なんかしていないので、劣等感をもつんだと思います。
イサーンの人たちをバカだと言う人、私の周りにもいます。
理解しようとしていないのに、理解不能のバカだ!と勝手に怒っているので、なんていうか、不思議です。でもそう言うと喧嘩になるので、何も言いません。
這いよる謎の犬ピース 2010年05月20日 13:10
日記の後半部分、なんだか勇気を与えられる物を感じます。そこでいいや、ここでいいやと思う人は、その場や価値観を破壊する人を差別してる気がします。それが悪い物を破壊するのであっても、良い物を破壊するのであっても関係がない。考えない。
かつお 2010年05月20日 22:15
おかあつさんの言いたいことはわかるが、はたして『イサーン人』と『中央タイ人』の違いがわかる日本人はどれくらいいるだろうか?また、イサーン人とはいくつの民族の集まりであり、それぞれ仲良く暮らしているのだろうか?
ヒロコ 2010年05月22日 19:00
女性の視点から言うと。
結婚してるか、してないか。
結婚してるなら、ご主人の勤め先。
勤め先の次は役職。
子どもがいるか、いないか。
いるなら、その子どもは男の子か、女の子か。
その後に、出身、学歴。
確かに話のきっかけとして、何らかの情報は必要かもしれません。
でも、私はそんなことを探り合うよりも、もっとその人の人となりを知りたい、と思います。
結婚してるか、してないか。
結婚してるなら、ご主人の勤め先。
勤め先の次は役職。
子どもがいるか、いないか。
いるなら、その子どもは男の子か、女の子か。
その後に、出身、学歴。
確かに話のきっかけとして、何らかの情報は必要かもしれません。
でも、私はそんなことを探り合うよりも、もっとその人の人となりを知りたい、と思います。
風我 2010年05月23日 05:38
置かれた立場や状況とどう向き合うかで
人の本当の価値が決まると思います。
人の本当の価値が決まると思います。