僕は小さい頃、学校が嫌いだった。 小学校に行くのが本当に憂鬱で、何で学校に行くのかよくわからなかった。 一方で科学とか天文学とかプログラミングとかが好きだった。 学校の勉強は面白くなかった。 学校の図書室が好きでいつもこもってた。 学校の勉強と自分がしている勉強がどうしても結びつかなかった。 学校でしている勉強のずっとさき、大学に入った頃に僕が好きな科学や天文学の勉強をすることになるのだ、ということがまったくイメージできなかった。 僕にとって学校の勉強というのは「ネコのカリカリエサ」のようなものだった。 おいしくないけど無理やり食べさせられる。 一方で僕は、ひそかに家から抜け出し、自由に山を駆け巡り、野鳥を捕らえ、その場で首を噛み切り血の滴るまま食べている猫だった。
僕は午後三時の日差しが嫌いだった。 学校の放課後、今日も暮れてゆく夕日を眺めながら、今日も無意味な一日を過ごしてしまったことを思い、憂鬱になった。 僕は朝九時の日差しに憧れを持っていた。 朝九時の日差しは僕にとっては禁断の日差しだった。 どうしても浴びることのできない日差しだった。 たまに家に忘れ物をしてしまい、先生に許可をもらって家に帰ったりすると、一瞬だけ朝九時の日差しの下を歩くことができた。 どこかよそよそしい、街の風景を眺める自由を楽しみながら家に行き、忘れ物をとって、また何の自由もない学校に戻らねばならなかった。 つかの間の自由だった。