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2009年4月20日月曜日

メモ日記2 (mixi05-u459989-200904202053)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
メモ日記2
2009年04月20日20:53
僕は小さい頃、学校が嫌いだった。 小学校に行くのが本当に憂鬱で、何で学校に行くのかよくわからなかった。 一方で科学とか天文学とかプログラミングとかが好きだった。 学校の勉強は面白くなかった。 学校の図書室が好きでいつもこもってた。 学校の勉強と自分がしている勉強がどうしても結びつかなかった。 学校でしている勉強のずっとさき、大学に入った頃に僕が好きな科学や天文学の勉強をすることになるのだ、ということがまったくイメージできなかった。 僕にとって学校の勉強というのは「ネコのカリカリエサ」のようなものだった。 おいしくないけど無理やり食べさせられる。 一方で僕は、ひそかに家から抜け出し、自由に山を駆け巡り、野鳥を捕らえ、その場で首を噛み切り血の滴るまま食べている猫だった。

僕は午後三時の日差しが嫌いだった。 学校の放課後、今日も暮れてゆく夕日を眺めながら、今日も無意味な一日を過ごしてしまったことを思い、憂鬱になった。 僕は朝九時の日差しに憧れを持っていた。 朝九時の日差しは僕にとっては禁断の日差しだった。 どうしても浴びることのできない日差しだった。 たまに家に忘れ物をしてしまい、先生に許可をもらって家に帰ったりすると、一瞬だけ朝九時の日差しの下を歩くことができた。 どこかよそよそしい、街の風景を眺める自由を楽しみながら家に行き、忘れ物をとって、また何の自由もない学校に戻らねばならなかった。 つかの間の自由だった。


タイにいると、本当に精神的に自由だ。 もちろん僕が外国人だからなのだけど、少なくとも今の僕は、あらゆる義務から解放されて、自由に考えることができるし、 あらゆる風習から開放されて、自由に行動することができる。 人生、自由な時期というのは限られている。 僕はだから今のうちに更に自由を得るために準備をしなければいけない。


土曜日18日は、何をしていたかあまり覚えていないのだけど、夜中に起きて、マクドナルドへ行って仕事をしたら、もう朝の5時ぐらいだった。 それで水タバコを吸いたいなと思いつつアラブ街をウロウロしていたら、顔見知りになっていた東欧出身のいつも暇そうな売春婦に見つかってしまった。 見つかると座れといわれるので隠れようと思ったのだが目が合ってしまったので、仕方が無いので座った。 相変わらず客が居ないようで、あちこちの男に声をかけては座れと命令していた。 で、もうひとり通りすがった男も座らされた。 僕もその男もその売春婦には興味がない、ということを察するや、帰ってしまった。

残された男と僕。 しかも閉店間際で客も少ないので、なんとなく話し始めた。 この人はいわゆるタイ好きの外国人で、タイ語はかなり話せた。 ラオ語も多少話せた。 英語が堪能だった。 とても良く話す人で、色々話を聞いた。 タイはもう長いのだそうで、タイでの苦労話は面白かった。

彼はイスラエル人だった。 つまりユダヤ人だった。 今、国が大変なんじゃないんですか?何かイランと戦争になりそうだしって聞いたら、まぁテレビで何か色々やってるけど、そんなたいしたことないよ、この間の赤シャツのデモとおんなじ、大騒ぎしているけど、まぁ平和だよ、と答えた。

この人はアジアの国々をあちこち回っているらしく、特に中国が好きだ、という風に言っていた。 僕はすごく興味をそそられた。 僕が知っているほとんど99%の外国人は中国が嫌いだったからだ。 僕自身も中国人はフレンドリーさに欠けると感じることがおおいので、付き合いづらいと感じている。 だけどこの人は好きだ、という。 タイ人は表面的で深く付き合えないけど、中国人は深く付き合える。 だからいい、と言っていた。 その視点の差が僕にはとても刺激的でエキサイティングだった。



そういう感じで話が弾んで、閉店しても朝が来るまでずっとしゃべっていた。

電話番号を交換して分かれた。

僕は土曜日の朝に帰って寝始めた。早く起きよう、と思っていたけど、起きたのは夜中の十二時だった。 18時間ぐらい寝てしまった。 疲れていたのかもしれない。 それで起きた訳だけど、このまま明日の夕方まで起きよう、と思った。 だけど、明け方また寝てしまった。 今度もずいぶん長く寝て、起きたのは夜中の十二時だった。 これもまた18時間ぐらい寝てしまったわけで、全部で36時間ぐらい寝た。 疲れがたまっていたのかもしれない。

とにかく、ムチャムチャ長い時間寝て起きた。 大変な数の夢を見た。



...もうどうにもならないくらい眠いので、寝ようと思う。 また気が向いたら続きを書こうと思う。


コメント一覧
クレ   2009年04月21日 13:14
中国人はけんかして初めて仲が深まると考えるそうですが、それは一理あるかもしれません。でも日本ではこういう深い人間関係はめんどくさいかもしれませんね。けんかするのは疲れるし、深く付き合うのもたいへんです。
ところで高校生の頃、成績ぼろぼろだった私に友達が、「ボロボロなのを気にする性格なのが気の毒だ」と言われたことがありました。おかあつさんの日記を読んでいて、自由人なのに、価値観がどことなく自由でないところがあって気の毒だと思ってしまう自分がいました。
おかあつ   2009年04月21日 13:31
「僕はそれを「気の毒だ」って思ってしまうクレさんがとても気の毒です。」



なーんて... 考えてすらいないことを言ってみるテスト。
クレさん、どう反応するだろう。


僕が自分を卑下してて価値観がゆがんでいることを言いたいんだと思うんだけど、そんなにかわいそうかなぁ...。

ひとって誰でもいつしか傷つくんじゃないかなぁ。
それが10代に来るか80代にくるかは本当に人それぞれで。

あたしゃ大丈夫、とか思ってるとガツーーンって来るんですよ。
いきなり思っても見なかった方向からカツーンと...。
人生終盤にそういうパンチが来るんです。
慣れてなくて一発ノックアウトになっちゃう人っていっぱいいます。


僕は少しずつそれに慣れてきたから幸運だったって思ってるんですよ。 僕の価値観がゆがんでいるのは、ある意味、防衛本能です。 これがあるから多少危ない場所でも歩いていられるのです。

気の毒だなんて滅相もない。
クレ   2009年04月21日 23:32
>僕が自分を卑下してて

そうそう、いつも日記に書かれているこの部分だけは、確かに納得いかないんですよねえ。私は、日記から読み取れるおかあつさんの生き方にはほとんど違和感がなくて、またそれを受け入れない日本社会だということも当然な気がしているので、受け入れられることなどどうでもいい!って言ってほしい・・いえそれ以上に気にも留めないで、能力一本で飄々と生きていてほしい気がしてしまうのかもしれません。
私の勝手な願望です。ごめんなさいね。(もしかすると、ほんとは気に留めてない?)
おかあつ   2009年04月22日 00:18
社会に受け入れられない、って言うのは世の常です。 最近良く思うんですが、どこの国に行っても「自分の国なのに居心地が悪い」っていうタイプの人はいるような気がします。 そういうタイプの人は、日本に行って成功したり、逆に日本で失敗したりもします。

受け入れられなくてもいい、っていうのはあるていど理想論かもしれません。 受け入れられなければ、商売としてなりたたない訳で、商売としてなりたたなければ、金持ちの道楽になるか、自分の時間を削ってでもやる趣味なのか、でしかないわけで、仕事にならない以上限界というものも見えてきます。

それに自信いっぱい、って言うのも儚いものじゃないでしょうか。 自信がいっぱいっていうのも、偶然そのときの状況と自分の状況がうまく一致してうまく行っているからこそ、自信がいっぱいなわけで、それがあっさり状況が変わってすべてがうまく行かなくなってしまう、ということもありえるとおもいます。

 
出展 2009年04月20日20:53 『メモ日記2』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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