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2009年5月25日月曜日

知識がない (mixi05-u459989-200905250521)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
知識がない
2009年05月25日05:21
知識がないことをタイ語で「マイミークワームルー」という。 僕が以前住んでいたウドンタニという田舎で、最近ある人がヘビに噛まれて亡くなったという話を聞いた。 ヘビは神経毒をもっているため、ヘビに噛まれたらすぐ病院に行かなければいけない。 田舎の話なので、街の病院に血清が用意されているかどうか、という問題はあるかもしれないけど、とにかく病院に行って手当てをしないことには話にならない。 ところが、この人はヘビに噛まれたけど、そんなに痛くないから大丈夫だろう、ということで病院に行かなかったのだそうだ。 それで、半日ぐらいで意識がなくなってそのまま亡くなったのだそうだ。

僕らがヘビに噛まれたら病院に行かなければいけない、と考えるのは、僕らが知識を持っているからだ。 日本では知識が街中に満ち溢れているため、誰でも簡単に手に入れることが出来る。 区役所などに行けば、保健所の広告がいっぱい張ってあったりする。 ヘビの多い地域ならポスターで「ヘビにかまれたときは」みたいなことが書いてあったりするだろう。 それ以外にも テレビや新聞、雑誌、最近はインターネットなどで、そういう生活上とても大切な知識を手に入れることが出来る。

ところが、ウドンタニというのはすごい田舎で、国の施設という物も少ないし、病院も少ない。 情報を入手出来るソースといえばテレビくらいな物で、それも日本のように「面白くて為になる」という番組はめったにない。 街中に張ってある広告も少ない。 インターネットもない。 電話もない。 下手をすると電気もない。 あるのは畑と森と雨だけだ。 だから、ヘビに噛まれたら病院に行かなければいけない、ということすら知らない人は、かなり居る。

彼らをバカだと思うだろうか。



知識というのはとても大切な物だ。 しかしすべての知識が有益というわけではない。 街中に溢れている知識には間違ったものや有害なものもたくさん含まれている。 ある特定の人が得をするようにあらかじめ仕組まれた情報も含まれる。 あるいは、意図的に情報を氾濫させることによって都合の悪い本当のことが隠されてたりすることもある。

日本みたいに情報が溢れているある国に居ると、そんな情報の害悪に気がつかない。 情報が間違っていたりウソだったり、情報に踊らされていたりする自分が見えない。

まったく情報がない状態になると、突如、このことに気がつく。 情報がなくなると、今まで自分がいかに情報に踊らされていたのかに気がつく。 自分が自分の為にしていると思っていたことが、実はある特定の他人の為だった、ということに気がつく。 他人が得をするためにいかに自分が忙しくなっていたのか、ということにに気がつく。 自分の人生にとってものすごく大切だ、と思っていたことが実は自分の人生に何の必要もないことだったことに気がつく。 情報がなくなると、そういうことに漠然と気がつくようになる。 日本に居ると、情報がなくなるということが一切ないので、気がつくことが出来ないのだと思う。

何も知らない、ということは、時として無敵の強さを誇る。 都会の人が悩まされ惑わされ走らされ苦しめられている情報を知らず、まるで無尽の野を行くように目的に向かってまっすぐ歩くことが出来る田舎人。

知識がたくさんある、ということは、知識がまったくない、ということと、実はあまり差がないのではないか、と思う。 その本質は、結局、自分の力で考えることによってしか見つけることが出来ないのではないだろうか。


コメント一覧
ねこ☆ミ。   2009年05月25日 08:33
情報は、人間を縛る力がある。

例えば、ここに水が入っているコップがあって、青酸カリが入っていると知ったら、飲めるだろうか?
青酸カリが入っていると知った瞬間から、飲めなくなると想う。

情報は人間にとって、単なる情報ではなく、心の中で物質のように実体化して、私達を強固に縛る力がある。

これに対抗するためには、自分の行動や感情を観察して気づくことであると想う。
気づきがなければ、外の情報に自動的に反応するだけの機械となってしまう。



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いまで気がつかなかったが、読んでいて、外からの情報を断ってしまう方法もあるんだなぁ、って想った。
ナム   2009年05月25日 08:40
なるほどぉ。

おかあつさん、ためになりました。

>知識がたくさんある、ということは、知識がまったくない、ということと、実はあまり差がないのではないか、と思う。 その本質は、結局、自分の力で考えることによってしか見つけることが出来ないのではないだろうか。


自分が情報に対して醒めてないとだめですね。

おかあつ   2009年05月25日 18:23
> いまで気がつかなかったが、読んでいて、外からの情報を断ってしまう方法もあるんだなぁ、って想った。

よく思うんだけど、頭のいい人ほど煙に巻くのは簡単じゃないだろうか。 どうやるかというと、難しくて分厚いマニュアルみたいな理論書をドサッと渡して、答えはここに全部書いてあるからって言えばいいと思う。 そうすると頭のいい人は夢中になって読み始める。 すると、ほかのことを考える余力がなくなる。 すると全体像を見失ってその人自身も気がつかないうちに反論するのをやめてくれる。 そういう意図について感づく勘のいい人もいる。 そういう人は読むのをやめてしまう。 そういう人には「不勉強だ」って言って責めればいい。 人は、そうやって「実はバグだらけの実装」とかを隠したりする。

入ってくる情報に対して徹底的に付き合って考える、というのもひとつだけど、人間、一度に考えられる量というのは実はそう多くないと思う。 黙っているとゴミみたいな情報がドサドサ自分に入ってきて、ゴミみたいなことを考えることで精一杯になったりする。 だから自分に入ってくる情報を選んで取捨選択するのは大切だと僕は思う。


もちろん、ヘビに噛まれて病院に行かないっていうのは、相当よくない。 ウドンタニにはHIVにかかったら「蜂の巣を食べれば直る」って思っている人が本当に居る。 でも僕はバカだとは思わない。 仕方がないと思う。 情報がないって言うことは、情報がたくさんあるのと同じくらい、信じられないことを起こす。

まったく外に関心を持たないというのもよくないし、かといって情報をあるだけたらふく食べてしまうのも、よくないんだと思う。

おかあつ   2009年05月25日 18:29
> 自分が情報に対して醒めてないとだめですね。

そうですね...。


余談ですが、前、友達と本屋に行ったとき、友達が、「たまにこの本屋においてあるすべての本を読んでしまうことは出来ないのだ、って考えると不思議な気持ちになる」って言っていたことがあったんです。

でも、僕が思うには、「その本屋においてあるほとんどの本は読む価値がない」って思うことあります。 本当に大切な本って、数冊しかないんじゃないかと思います。

(といいつつ、僕も結構たくさん本を持っているんですが...)
おかあつ   2009年05月25日 18:30
> まったく外に関心を持たないというのもよくないし、かといって情報をあるだけたらふく食べてしまうのも、よくないんだと思う。

日本に居ると、マクドナルドのフリーバイキングみたいなことになってしまうのかなぁ。 毎日食べ放題でビッグマックをバカスカ食べたりして。

タビビト   2009年05月26日 13:43
書き込みが遅くなりました。

>街中に溢れている知識には間違ったものや有害なものもたくさん含まれている。

そうですね。私なども圧倒的な量の情報に対して、どれが正しくて、どれが有用な情報であるのか、もはや判断することが困難になっている感があります。複数の情報にあたらずに、たまたま自分が接する機会のあった情報だけを鵜呑みにしてしまう・・・。そして、より公正であろうとして、なるべく多くの情報に当たろうとすると、それはそれで情報に踊らされることになる。


>、「たまにこの本屋においてあるすべての本を読んでしまうことは出来ないのだ、って考えると不思議な気持ちになる」

この気持ち、よくわかります。30代も後半になると、残りの時間の少なさにも気がついてきて、自分がやることをよく選択しなくてはならないという気持ちが強くなります。(日記の趣旨とは異なってきますが)

 
出展 2009年05月25日05:21 『知識がない』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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