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2009年8月18日火曜日

イサーン≠ラオ (isaan05-c987254-200908180728)

おかあつがミクシコミュニティータイ東北イサーン語研究会として著した記事を紹介します。
イサーン≠ラオ (おかあつ)
2009年08月18日 07:28
最近知り合ったバンコク都内のマクドナルドで働いているA君はまだ19歳で学校に通いながら仕事をしている、真面目でハイテク好きの好青年だ。 好奇心も強くハイテク好きなので、プログラマ向きであるような気がした。 年齢も若いしプログラミングを始めるのに時期的にもとてもよい。それで僕は彼にプログラミングを教えてあげようと思った。

それで仲良くなって色々話をして、色々な事を知った。 実は彼はブリラム県出身のイサーン人(タイ東北人)なのだ。 僕はかつてイサーン地方(タイ東北地方)の奥地、ウドンタニー県に住んでいたため、イサーン地方についてはかなり詳しいと思っていた。 タイ語の方言で、実はラオス語の方言でもあるイサーン語に至っては、すこし話せたりもする。 だからイサーンについてはほとんど何でも知っている、と思っていた。 しかし、それがそうではない、ということに気がついた。 実はイサーンという言葉は、かなり曖昧な言葉なのだと気づいた。



イサーンとは何だろうか。 一般的な定義はこういう風なものだ。

タイというのは、イチョウの様な形をした国土を持っており、中が大きく分けて4つの地方に分かれていると考えられている。

一つはバンコクがある中部だ。 中部は一番小さいと言っても過言ではないくらい狭い地域だけど、首都であるバンコクがある。 王室もここにあり政府関係施設もすべてここにある。 タイの中でもっとも栄えている地域だ。

次に南部がある。 南部はバンコクの南側に細長く伸びた地域で、イスラム系やマレー系の文化の影響が大きい。 南部人はタイで南部語と呼ばれるマレー語とタイ語が混ざった言葉を話す。

次に北部がある。 北部はチェンマイを中心とした地域だ。 かつて大きな王国があったのだそうで、これがバンコクに併合する形でタイになったという。 北部語というラオス語の一種を話す。

そして、最後に東北地方(イサーン)地方だ。

イサーン地方というのは、実に複雑な歴史を持つ地域だ。 そこには建前と本音が入り混じって、決して一面的には捉えられない難しい要素が入り乱れている。

ここは、かつてはビエンチャン王国という国があった。 ところがビエンチャン王国はバンコクとの戦争で敗れて属国として取られてしまったのだ。 バンコクでは、この時に出来た領土をすべてひっくるめてイサーンと呼んだ。

その後、フランスがアジアに侵略してきた時、バンコクはこのイサーン地方をメコン川によって分けて、半分をフランスに割譲することで国を守ったという経緯がある。 こうして出来上がったのが今のラオスだ。 残りが今のタイの今のイサーン地方ということになる。



元々この辺に住んでいる人たちは、非常にノンキであまり領土意識や帰属意識をはっきり持たない傾向がとても強い。 何故だろうか。 イサーン地方は、とても豊かな土地で、果物や穀物などが充分以上採れるからだ。 それも日本の様に耕して手入れをして手間暇かけてようやく手に入れるのではなく、ほとんど手放し放ったらかしでも、おいしい米がふんだんに採れる。しかも二毛作・三毛作は当たり前だ。 果物なんかわざわざ栽培しなくても辺りにいくらでも生えており、いくらでも手に入るといった、日本の常識ではまったく考えられない、極めて豊かな土地だ。こういう土地に住む人は自然とあまり所有意識を持たなくなる。 これは俺のだ、あれはあたしのだ、と我を張らない。 自分の持ち物は、みな惜しむことなく他人に分けてしまう。 所有意識をほとんど持っていない。 だから、ここに住む人は、イデオロギーというものも持たない。 だからここには政府のようなものが元々なかったのだろう、と僕は思う。

色々ないきさつがありこの地方はひっくるめて全部タイになった。 そして、この地方をひっくるめて全部イサーンと呼ぶようになった。 この地方に住む人はすべてイサーン人と呼ばれる様になった。

だけど、実はイサーンの中はもっと文化的に見ると細かに分かれている。 前々からうすうすは何となく思っていたことだったのだが、今回僕はこのブリラムの若者と仲良くなってはっきりとそのことに気がついた。



イサーンと呼ばれる地域は実は、文化的に見ると、もっと細かく分けることができる。

1.北部(コンケン・ウドンタニー・ノンカイ・ウボンラチャタニー・カラシン...)
2.中部(コラート高原を中心とした地域・ナコンラチャシマ・チャイヤプーム)
3.東部 (シーサケット・ブリラム・スリン)

1.イサーン北部は一番ラオ人の文化を色濃く受け継いでいる地域で、言葉もビエンチャンの言葉(ラオ語)とかなり近い言葉を話している。とはいえ、ビエンチャンのラオ語と比べると少なくない違いがある。例えば、国境と接しているノンカイは、この地方の中ではビエンチャンともっとも近い話し方をする。 しかし川一つ隔てているだけなのにビエンチャンとは少なくない違いがある。

2. イサーン中部では、ラオ語とタイ語の中間言語(パーサーカーン)と呼ばれる言葉を話す。文法はラオ語のままだが、単語や慣用句がかなりタイ語と共通しており、タイ語に非常に近い言葉になっている。

3. イサーン東部は、カンボジアと国境を接している。 ここはタイ語・ラオ語・クメール語が入り乱れている地域だ。ラオ語を話す人もいるが、多くの人はラオ語ではなく、クメール語や、スワイ語と呼ばれるタイ語とクメール語の中間言語を話す。しかしクメール語が話せるからといってスワイ語が話せるとは限らないらしい。

なお、タイの名物である、ゾウ使いがいるのはスリンだ。 ゾウ使い以外にも密教が未だに残っていたり、呪いの技術が代々伝わっていたりと、ラオとはまったく違う独特な文化を今なお受け継いでいるらしい。



この様に、ひとことでイサーン人と言っても、色々いる。 つまり、イサーン人と言ってもイサーン語が分からない人がいる、というところが大きなポイントだ。 タイでイサーン語といえば、一般的に、ラオ語の方言の事をさす。 しかしイサーン地方には実際にはクメール系の人も少なからず住んでおり、この「イサーン人」は「イサーン語」がわからないのだ。



タイ語の「イサーン」と言う言葉は、その人たちがどういう民族でどういう言葉を話す人たちなのか、という要素とまったく結びついていない言葉なので、イサーン人と話すときに、イサーン人という言葉を使うと、物事をきちんと言い表せないことが多い。例えば、イサーン語といえば、イサーンで話している言葉という意味になるが、実はイサーンで話されている言葉には「ラオ語」「スワイ語」「クメール語」「中間語」とかなり色々種類がある。 一般的な意味で言えばイサーン語といえばラオ語の事を指すが、ブリラムの人と話すときイサーン語と言うと、ラオ語なのかクメール語なのかはっきりしないので、不便だ。

とはいえ、イサーン人はタイ人であるという建前がある。 タイに住む以上、タイ人としての自覚をはっきり持ち、タイ国に敬意を表さなければならない。タイ国内でイサーン人が自分はラオだ、自分はクメールだ、とはっきり主張する事は、タイ人としてはあるまじき、礼を失する行為だ。

だから、はっきりとラオ人・ラオ語と言いづらいものがある。



彼と話しているうちに気がついたのだけど、クメール系の人はラオ系の人と違って女系家族ではないみたいだ。 ラオ系の家では末っ子の女の子が親の面倒を見て、家を継ぐのも末っ子の女の子だ。 一家の大黒柱は飽くまでも女性で、男性はその補佐役になる。 男性は結婚すると女性の家に入る。でもクメール系の人はそういう習慣がどうもないみたいだ。 彼は、僕のウドンタニでの生活習慣を説明を聞いて、少なからず驚いていた。 文化的にもラオ系とはまったく違うのだ。



バンコクで色々な人と話していても思うけど、バンコクの人がこういうラオの文化を知っている事は100%無い。 断言するが、万が一にもない。 タイ人ですら知らないようなことを、外国人である僕が何故かそのことを知っているというのは、極めて珍しいことで、このことは時々ものすごく奇妙な人間関係の捻れを作る。 タイ人よりもタイを知っているというのは、とても奇妙なことだ。

そんな僕だが、たまに、次のようなことを思う。



イサーン地方は属国のくせにタイの人口の半分ちかくを占める巨大なグループなので、選挙で絶大な影響力を持っている。 ここを上手に収めることがタイの政治家に取ってキーポイントとなっている。

アピシットという政治家がいる。 彼は、タクシンが国外追放になった後に、散々もめにもめた挙句首相になった人だ。 今、彼はイサーン地方のインフラ整備に力を入れて頑張っている。 しかし、彼がやっている事は単なる「貧困層救済」であるようだ。 タクシンの真似をして、貧しい人が喜びそうな事...電気代を半額にしたりといった貧困救済策を手当たり次第にやっている。

しかしこんなことはいくらやっても無意味なんだと思う。 何故か。 タクシンがイサーンで絶大な支持を受けた理由は貧困救済などではなく、単にタイで「農協」をやったからだ。

農民だからといって必ずしも貧しい訳ではない。 彼らは自分たちの田畑を耕してきちんと自分たちの仕事がしたいだけだ。 貧困救済などしてもらいたい訳ではない。(してくれることをやめてくれとはいわないだろうが)

タクシンは農政にとても明るい人で、農民が何を必要としているか、極めてよくしっている。彼は農民の暮らしを知っている。 彼は農民に、流通網を与え、市場を与え、機会を与えた。 それだけだ。

しかし、アピシットは農民の暮らしを知らない。 アピシットは都会育ちで田舎の事を何も知らないのだろう。 バンコクの富裕層はタクシンを「田舎で金をばらまいた」と批判した。 追い出した挙句、自分たちが田舎で無駄な金のばらまきをしているというのは、実に皮肉なことだ。



普通の農政。 これがタクシンの人気の秘密だ。 バンコク人はこのことを知らない。 知らないから、タクシンも教えないんだろう。 タクシンはその捻れを逆手に取って、何とか帰国への道筋をつけようと頑張っている。 タクシンは非常にタイ人らしくない人で、政治家としてもタイ文化とは相容れないストイックな国作りを目指すところがある。 タクシンが帰ってくれば恐らく政治は更に混迷するだろう。 僕はタイにとってはもう帰ってこないほうがいいとは思う。

だけど、アピシットらバンコク人が、何でタクシンがイサーンで絶大な人気を誇ったのかについて正しい理解をしない限りは、タクシンの揺さぶりが続いて政局は安定しないのではないかと思う。

ほんの少しでよいので、きちんとした農政が出来ればそれで充分なはずなのだけど...。
コメント一覧
[1]   ☆クルワイやす☆   2009年08月18日 08:00
凄く分かり易い説明、ありがとうございます。 イサーン好きなので、大変勉強になりました。
[2]   おかあつ   2009年08月18日 08:43
読んでいただいて、ありがとうございます(^━^)
[3]   ☆クルワイやす☆   2009年08月18日 09:59
おかあつ様
 今後共、タメになる論説を宜しくおねがいします。
[4]   Yuji,   2009年08月20日 22:06
すばらしいレポートです。

ありがとうございます。
[5]   こうた@キンビアノッ   2009年08月20日 23:53
こういうところも目を通せば、また広がりますよ。
「世界民族博覧会」
http://wee.kir.jp/thailand/tai_people.html
http://wee.kir.jp/laos/lao_people.html
http://wee.kir.jp/cambodia/cmb_people.html
[6]   ダメ兄貴   2009年08月21日 05:20
イサーン嫁をもつ身としては非常に興味深い話です。

小生はウドンの女性と結婚しましたが、彼女の一族はヴェトナム系でして、結婚式のやり方、新年の祝いなんかはヴェトナム式でした。
移民3世は、ほぼタイ人と同化していますが1世であるジジババ連中は集まれば越語で話していますし、2世の義理母はタイ語は話せても、タイ文字の読み書きは出来ません。
ですから、タイ人を配偶者に持つ諸先輩方のアドヴァイスが当て嵌まらなかったです。
ナンと言いますか、華人に近いなーというか、同化していると感じました(元々ヴェトナムの大部分を占める金族は中国の影響が強いからでしょう)。


そういえば、映画「トムヤムクン」で象を密猟団から取り返す青年:カーム役のトニー・ジャーはクーイ族の末裔、華人マフィアの用心棒:ジョニー役のジョン・グウェンはヴェトナム系アメリカ人。
なんだかイサーンの縮図みたいな映画だったのだ、と今になって気づいています。
監督のプラッチャー・ピンゲェーウ(コン・コラート)がそれを意図したかは不明ですが。
[7]   ダヌパット   2009年08月21日 14:27
イサーンの3区分
私も同感です。

私の中では「チャイヤプーン」は中部に区分しています。
ナコンパノムもベトナム村、ベトナム寺があり、
美味しいフー(タイ語でトム・セン)が食べられます。
(生春巻きもおいしいぞ!)
それに
プータイ、スー、ヨー、タイダム・・たくさんのタイ族が絡み
言語・文化区分が複雑に絡んでいますね。
(ライフワークにしようかな・・・と思っています)
[8]   おかあつ   2009年08月21日 19:28
こうたさん、
>こういうところも目を通せば、また広がりますよ。
僕は、こういうのは人の考えたことを見るんじゃなくて、自分から考えるからおもしろいんじゃないかと僕は思います。 「知る」と「理解する」というのは大きく違うことで、それを知っている事には、ほとんど意義はありません。 知っているだけの状態でその人たちと話すと、ほとんどの場合、大変な失礼を犯してしまいます。 そういう状態では、まともに相手にしてもらえないことがほとんどです。
[9]   おかあつ   2009年08月21日 19:42
BAKA-ANIさん、
何かとても貴重なお話をいただいて、とてもありがたく思います。

>移民3世は、ほぼタイ人と同化していますが1世であるジジババ連中は集まれば越語で話していますし、2世の義理母はタイ語は話せても、タイ文字の読み書きは出来ません。

へー... とても貴重なお話、ありがとうございます。 (もしお気が向きましたら、是非詳しいお話聞きたいです)

ベトナム系の人というのは、いわゆるコンユアンと呼ばれる人たちと同一でしょうか。 僕は、未だにコンユアン=ベトナム系なのか、そうじゃないのかという説ははっきりしません。

コンユアンについては、僕はラオ系の人が持っている印象しか知りません。 ラオ系の人はコンユアンがすごく嫌いで、悪いことしか言わないです。 話を聞いている限り、コンユアンは移民の様な少数グループで、この地域で大変な苦労をしているように思います。 僕が知っているコンユアンは金貸しでした。 このコンユアンに地獄を見せられた人は決して少なくなく、どんなダーティーなビジネスも厭わないという感じはあります。 しかしどれもこれも、聞いた話ばかりで実態はどういうものか何も知りません。

>カーム役のトニー・ジャーはクーイ族の末裔

恥ずかしながら、僕はこの映画をサイアムパラゴンの1チャプターをループにしてかけっぱなしにしてるDVDでしか見たことがなく、一部しか見たことがありません。像使いが、特にスリンに住むクーイ族なのだ、と言う話は聞いたことがあるのですが、未だにクーイ族の人はおろかクーイ族の人が知り合いにいる、という人すらあったことがないのです。 なるほど...この映画は、そういう話だったんですね。
[10]   ☆クルワイやす☆   2009年08月21日 19:48
自分はまだ、イサーンといってもサコンナコンに数回、それも超短期滞在でした。 しかし、人々の温かさやモーラムに触れて興味を惹かれました。 ここにお集まりの方々の様に今後感じてゆくであろう事に自分自身期待しております。
[11]   おかあつ   2009年08月21日 19:53
ダヌパットさん、
>ナコンパノムもベトナム村、ベトナム寺があり、
>美味しいフー(タイ語でトム・セン)が食べられます。

へー... ベトナム系の村があるんですね。

そういえば、いわれてみれば、(前述のとおり僕はユアンがベトナムなのかはっきり確信を持ちかねてはいるんですが)ウドンにもそういうユアンの村がありました。 ナムソムというすごく奥にあるところで、僕もいちどしか通ったことがありません。


>私の中では「チャイヤプーン」は中部に区分しています。

僕も何となくそういう気がしています。

余談なのですが、僕は、タイに初めて行った時に一度だけチャヤプームを訪れた事があります。 タイ語を勉強していった筈なのに、何故かひとこともみんなが話している事が理解できなくて、すごく悩んだことを覚えています。 僕、本当にウドンしかしらないんですよね...。


コラートって「リケー」という音楽が盛んだって聞いたことがあります。(というかシアンイサーンで見たことがあるだけですが^^;) この間バンコクのクワイティアオバミー屋でラジオがかけっぱなしになっていて、そこでリケーが流れてました。あたりが不思議な雰囲気になるというか、そういう感じがしました。 リケーってものすごく不思議な西洋音楽に無い音程がたくさん出てくる音楽で、かなりインパクト強いです。


民族って見ると、ものすごく耐え難い不思議な魅力があって、すごく調べたくなりますよね。
プータイの人は一度だけみたことがあります。 パッと聞いた感じ、ラオ語と発音がすごく似ているんですが、ラオ語とはまったく違ってさっぱり意味がわからないという事を聞いたことがあります。
[12]   おかあつ   2009年08月21日 20:00
☆クルワイやす☆さん
>サコンナコンに数回、それも超短期滞在でした。

そうだったんですか...
実際すごくおもしろいです。 その期待は絶対に裏切られないでしょう!
(確かに知れば知るほど苦しいという面もありますが...)

余談なのですが、この間、サコンナコンの事を、ナコンサコンって言い間違えたら、爆笑されてすごく恥ずかしく、トラウマになりました。


しかし、このコミュ、200人に届かない人数で増えたり減ったりしていて、絶対に巨大化しないコミュですが、残っている人はやっぱりちょっと只者でないというか、おもしろい人多いですよね。


僕(ひょっとして過去ログで僕を見かけたことがある人いるかもしれませんが)どうしても「タイのイサーン」コミュが苦手で、前一応登録してたんですが、イサーンにいるくせにイサーンの事を何も知らないと言うか、そういう住んでいるくせに文化に無関心な日本人がとても多くて、見ているとイライラして我慢できなくなっちゃうんですよね。
[13]   おかあつ   2009年08月21日 20:07
これは日記に書こうと思ってるんですが...

つい昨日なんですが、ビザの延長に行ったら、順番を守らない変な人がいて、タイ語で「順番守ってちょうだい」って言ったら何も通じなくて、よく見たら、日本のパスポートを持っていたので、あぁ何だ日本人なのか、と思って日本語で話しかけたら、何だかそれもあまり通じてなくて、よく見たらヘッドフォンで耳フタで、何にも人の言うこと聞いてないんですよね。 僕が日本人だということすら気がついてない風でした。

語学が苦手とか言葉が通じないとかいうレベルを遥かに超越していて、そもそも言葉を聞く気すら無いというか、こりゃ問題外だと感じました。 大変なコミュニケーション機能不全だと思います。 こういうタイプって絶対に日本人にしかいません。

しかし日本人って多かれ少なかれ、この人と同じ様なところ、あります。 僕は、この問題についてたくさん例を出せます。

日本ってすごくコミュニケーションが破綻している文化だと思うんですが、何でこうなっちゃうんでしょうかね。
[14]   ☆クルワイやす☆   2009年08月22日 07:50
日本人って他人の事は愚か、自分自身の事にさえ無関心な人が多い様に思います。 あまりにも多い“規制”の中では己を閉ざし、他への興味も閉ざした方が日本国内では生きやすいのかもしれませんね。 いつの間にかそれが常態化します。これは外部との折衝を一切断つ事に他なりません… 無表情な若者も非常に多いのが特徴的です… また、メンタルが病んだ若者も非常に多い… ま、病んだ国の事は、これぐらいにしたいと思います。
[15]   まはヴぃーら   2009年08月23日 04:50
アピシット政権のバラマキは、ブリラムのネーウィンが自分の会派を民主党と連帯させる条件の一つとして、
「たとえポピュリズムと言われようと、前政権の政策を継承してほしい」
ということを提示したからです。
ネーウィンは前副農相なので農政に明るい。ただし親タクシン派からは裏切り者扱いされています。

アピシットがイサーンを理解していないというのは、私もそうだと思います。好きなバンドがオアシスという時点で駄目でしょう。

ただ、農村が都市を包囲する的な事態になったらそれはそれでまずいなと思います。
[16]   おかあつ   2009年08月25日 08:22
>アピシット政権のバラマキは、ブリラムのネーウィンが自分の会派を民主党と連帯させる条件の一つとして、「たとえポピュリズムと言われようと、前政権の政策を継承してほしい」ということを提示したからです。

アピシットのバラマキがネーウィンとの約束に基づく、というのは多分違うと思います。 そう思う理由は、いくつかあります。 少なくとも今アピシットがイサーンでやっている事は、「電気代半額」とか「道路の整備」と言ったことです。 タクシンがやっていた様な市場の整備、価格の安定化、農業の近代化と言うようなまともな農業政策は一つもやっていません。 とられている政策の明らかな違いから、担当者もおそらく同じでは無いだろうということが感じられます。

「前政権の政策を継承」という約束があるのに同じ事をしていないということには、何か別な事情があるか、あるいはノウハウが何らかの理由で失われたか、そういう理由があるのでしょう。


> ただ、農村が都市を包囲する的な事態になったらそれはそれでまずいなと思います。

ま、どんなにイサーンがお金持ちになっても、それはありえないとおもいます。
何故か。 それは今僕がまさに目の前で見て悩み苦しんでいるテーマでもあるんですが...。
まだはっきりわかりません。
[17]   ダメ兄貴   2009年09月18日 06:26
昨日、ウドンより帰国しました。

嫁の母方の祖母が喜寿を迎えるとかで、そのお祝いに行ってきた訳ですが、お寺に鐘を奉納、お布施をする行事を体験してきました。
ヴェトナム名物?の犬肉料理を食することができましたし、各世代の親戚達から面白い話も聞けてけっこう貴重だったかと思い、此処に記すことにしました。
ただ、何時ものことですが、嫁は突然こういったコトを言い出すので写真は撮っていません、残念!

親戚縁者が一同に介するのですが、面白いのは彼等の戸籍上の出身はノンカーイ、シーチェンマイ、ナコンパノム、ムクダハンといったメコン河沿いの県であること(義理母もタビアンバーンではノンカーイ県出身だった)。
つまり、移民一世は第二次仏印戦時にヴェトナムからラオスを陸路で国境を越え、更にメコンを渡ってタイに入国・定住したという。
移民故に自分達の土地を所有できないので、それこそ屋台を引いて生計を立てていたとのこと。
で、その後より都会でベトナム戦争で特需に沸くウドン、コンケーン、コラートに移住したとのこと。
だから彼等は「自分達は、ベ戦で移り住んできた難民でなく、移民である」と言う。
戦火から逃れてきた”可愛そうなボート・ピープル”でなく、自分達の意思で未来を切り開くために新天地に向かった“開拓精神を持ったピルグリム”と言えば言い過ぎだろうか。
実際、親戚連中は金行、鉄工所、食堂、電気屋、写真屋…といった商売を営っており、身なりは良い。まあ、稼ぎがソコソコあるからこそタンブン出きるのだろうが…。

義理母は仕出屋の他に金貸し、人材派遣の顔を持つ。
金貸しは同胞向け、ドン/バーツの両替もこなす。人材派遣とはヴェトナム本土から出稼ぎにやってくる同胞へ掃除、洗濯、ベビーシッター、調理補助といった仕事を紹介している。
ドイモイ以降、市場経済が導入されて景気が良いが、そこはやはり社会主義の国。公務員の給料が20US$という母国よりも、3K仕事でこき使われてもタイで働く方がマシ、という現実が見えてくる。

彼女を見ていて思うのは、本当によく働き、金銭関係にシビアということだ。
一昔なら“どてらい”最近なら“がばい”と言えばイイのか。
このガメツさがイサーン人からすれば「他人ん家に来て儲けやがって」という反感を抱かれ、嘗ての仏印領のラオ、クメールからは妬まれるのであろう(そういえば宗主国であるフランスはベトナム人を役人として登用し、クメールやラオを治めさせたと学生時代に歴史の授業で聞いたことがある。そうすることでフランスへの恨みにワンクッション置かせたようだったし、3国の中でヴェトナム人が優秀な人材が多かったようだ)。

この感じは、今の日本でも同じだ。
経済が後退し、派遣切り・解雇の憂目に遭って、お手上げ状態で派遣村・生活保護に集まるニッポンの若者。
法律ギリギリで日本に来て、ニッポン語を覚えて、それこそ形振り構わず、3K職場で働く半島並びに人民達。
この“形振り構わず”に嫌悪し、より憎悪を募らせるネット右翼…。

下川裕治氏が「タイという国は10年後の日本を歩んでいるトコロがある」と書いていたが言い得て妙である。
[18]   ダメ兄貴   2009年09月18日 07:01
因みに嫁の家は、ウドンターニー・アンポームアン…つまりウドン市内にあります。
近くには大きな警察署、刑務所があり、ムスリムのモスクもあります(ウドンに住んでおられたならコレで大体の位置は判るかと思います)。
まあ、所謂ゲットーみたいなトコロなのでしょう(今ではそんなに物騒ではありませんが・・・)。
あと、町のランドマーク的な時計台、噴水のロータリー周辺の果物の露天商や春巻き屋台。
ここは殆んどがヴェトナム人、金行や薬屋の類は華人が経営しています。

越人はタイ・ラオ人ほど愛想は良くありません。ナンだったら喧嘩腰ですが一旦懇意になれば、義理堅いですし強い味方になると思います。

彼等は少数派であるかも知れませんが、華人系同化していて、確実にイサーンの経済を牛耳っていると思われます。
管理人サマが在泰越人社会に興味があり、コンタクト希望されるなら一報下さい。
 
出展 2009年08月18日 07:28 『イサーン≠ラオ』