格差は悪じゃない (おかあつ)
2009年08月21日 20:12
(おかあつが書いたニュース日記の転載ですが、よろしければご笑覧ください。)
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「格差は悪じゃない」
近頃「格差」という言葉がもてはやされるようになった。 格差というのは規制緩和のやりすぎなのだとか色々な事が言われるが、そもそも格差というのはどういう物なのだろうか。
多分格差っていうのは、規制緩和の有り無しに関わらず、実はかなり昔からあったのだと思う。 「格差」という言葉が使われるようになるまえは、単にバカとかマヌケとかそういう言葉しか使われなかった。
格差という言葉が、「それが格差なのだ」と認識されたのは、格差が出て大分立ってからだと思うし、「格差」という言葉が一般的になった今ですら「格差」という言葉を使う代わりに「負け組」とかそういう婉曲な言い方を好むことが多い。
格差についていくつかいえることがある。
1.格差が格差たりえるのは、そこに競争が働かない事だ。 弱い者でもひたすら勝ちっ放しになったり、強い者なのに負けっぱなしになったりするのは、健康的な事じゃない。
2. 格差は必ずしも問題ではない。 格差が問題として成立するためには、中流から落ちた人の生活が現実的に難しくなる必要がある。
2は若干説明が必要だと思う。 これは例えば、タイを見るといい。 タイは大変な格差がある国だ。 月収15,000円の人から、月収900,000円の人まで、大変な格差がある。 しかし、それは日本ほど問題化していない。 何故だろうか。
月収15,000円の人専用の40円のご飯もあるし、24円のバスが国中を走り回っている。月9000円で充分住めるきちんとしたアパートもある。 だから生活に困窮することはない。 一方で、月収900,000円の人専用の月20万円のプール付き・フィットネス付きアパートもある。望みであればフェラーリやポルシェで移動することも出来る。 金持ちは金持ちなりの生活が出来る。これは、日本など比較にならないほどの極端な格差といえる。
こういう状況のタイに比べてずっと格差が少ない日本なのに、格差が何でここまで問題化するのだろうか。
僕は、その理由は、貧乏が貧乏らしく無理無く生きる権利と自由が無いからではないかと思う。
タイで24円のバスを使ってあちこち遊び回るのは、決して悪い気分ではない。 これを使って生活するのは辛く苦しい生活だ、というわえけではない。 使ってみるとその使い心地は決して悪くない。 確かに24円なりの快適さで、あちこちに不具合や危険がたくさんあるけど、24円なりの羽が生えたような気軽さも持ち合わせている。 それに、40円のご飯は、決してまずいご飯ではない。 一番うまいご飯が一番安いというのは(食い倒れ横丁を引き合いに出すまでもなく)決して珍しいことではない。
日本人は貧しいことは絶対的な悪だと考える節がある。しかし現実的には、貧しいこと自体は必ずしも悪いことではない。
豊かさと責任が表裏一体であるのと同じように、貧しさと気軽さは表裏一体だ。 むしろ貧しい人に無理に背伸びをさせて無理に都会的な生活をさせることこそが、格差を問題化させてしまう根本的な原因なんじゃないかと僕は思う。
ここでも「日本人はみんな同じだという幻想」が働いていると考えられる。 この「日本人はみんな同じだという幻想」というのは、しばしば日本で発生する問題の原因となっているように思う。
◇ ◇
僕は昔から日本人がみな同じだというのは最初からウソだと思っていて、中には在日も居るし、中華系もいるし、ブラジル帰国者もいるし、金持ちも日本人だったり日本人じゃなかったりする。僕は変わった高校に通っていたので、そういう色々な違う人がたくさんいるなかで揉まれていることの方が多かったというのもある。またそういう中の方がずっと居心地が良かった。
僕的には年功序列が壊れたのは良いことだと思う。 僕は貧しかったし大体中卒なので、独学で色々な事をクリアしてる。努力で色々な問題をクリアしてきている。だけど、年功序列というのは、能力の高さ低さに関係せずに一定の地位を与えることを約束しているので、僕がいかに努力して高い能力を身につけていようがそれはまったく無関係で、絶対に中に入れてもらえなかった。
どんなアホでもどんな無能でも月収30万とか40万とか福利厚生付きでもらえるのに、どんなに高い能力を僕が身につけていようが、僕は月収10万円程度しかもらえない。僕は基本的に年功序列が崩れてくれて、実にありがたいと思っている。ボケていて何の危機感も持たない年功序列の中の人は、容赦なく僕を貧乏人扱いして非人間扱いだった。それは彼女とか友達とか信頼している人の両親ですら例外じゃなかったし、彼らは貧乏人は友達や恋人を得る権利は無いのだ、という強烈な教訓も僕にくれた。
そういう人たちが落ちぶれたということに、僕はあまり可哀想だという感想を持たない。 僕は早くに人生を知ったが、彼らはこれから人生を知るだけの話なのだと思う。
それにどんなに高度な問題をクリアしても、給料は一律20万円というのは、実にバカバカしい話だ。 能力が高ければ月収60万円・70万円とそれなりにいい思いをさせてもらえる、というのでないなら、長年の創意工夫の苦労に対してまったく割が合わない。
だから、最初は入れてもらえなかった年功序列の社会も(ほとんど年功序列の社会の中にいた僕の社会生活後半では)入れば入ったで正直わりに合わないとも思っていた。
能力の高いにとっては、社会が厳しくなればなるほど有利になる要素がいくつか存在する。 能力が高い人にとっては、問題が難しければ難しくなるほどどんどん有利になる。
◇
僕は高額所得者はもっと優遇されて良いと思う。 能力の高い人はどんどん優遇されるべきだ。 そうじゃないと、みんな、苦労してまで高いスキルを身につけようとなんか思わない。 みんなやる気がでないもの。
一方で、最初に述べたように、貧乏なら貧乏なりに、努力なんかとは無縁で、人生それなりにノンビリやっていきたいという人には、それなりの人生が許されるべきだと思う。
◇
貧乏なのに、外車を乗り回して家にアクオスがあって...と言うのは決して格差が解決されたという訳ではない、ということに注意する必要がある。 タイの例をすべて日本に応用できるわけでは無いけど、貧乏なら貧乏なりに、100円程度で充分食える食料が提供され、10円程度で充分使える公共バスがあればそれでいい、という視点から何かを学ぶべきだとおもう。
日本というのは極端な高級志向主義で、物価が非常に高く、生活のレベルを落とす事がほとんど不可能に近い。 死にそうなほどの空腹を満たすのに、わざわざ300円の高級ササニシキ・贅沢な燻製サーモンが入ったセブンイレブンのおにぎりを食べる必要は無い。 それよりは10円の梅干しおむすびを30個食べたい。しかしそういう格安なものが日本にはない。 日本で売られている物は、端から端まで極端に高級志向で、生活を安く済ませると言うことがものすごく難しい。 このことが問題の核心ではないか。
格差は悪だ、というのはウソだ。
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■小泉さん「よほどのことない限り政権交代」
(読売新聞 - 08月20日 01:23)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=934638&media_id=20
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「格差は悪じゃない」
近頃「格差」という言葉がもてはやされるようになった。 格差というのは規制緩和のやりすぎなのだとか色々な事が言われるが、そもそも格差というのはどういう物なのだろうか。
多分格差っていうのは、規制緩和の有り無しに関わらず、実はかなり昔からあったのだと思う。 「格差」という言葉が使われるようになるまえは、単にバカとかマヌケとかそういう言葉しか使われなかった。
格差という言葉が、「それが格差なのだ」と認識されたのは、格差が出て大分立ってからだと思うし、「格差」という言葉が一般的になった今ですら「格差」という言葉を使う代わりに「負け組」とかそういう婉曲な言い方を好むことが多い。
格差についていくつかいえることがある。
1.格差が格差たりえるのは、そこに競争が働かない事だ。 弱い者でもひたすら勝ちっ放しになったり、強い者なのに負けっぱなしになったりするのは、健康的な事じゃない。
2. 格差は必ずしも問題ではない。 格差が問題として成立するためには、中流から落ちた人の生活が現実的に難しくなる必要がある。
2は若干説明が必要だと思う。 これは例えば、タイを見るといい。 タイは大変な格差がある国だ。 月収15,000円の人から、月収900,000円の人まで、大変な格差がある。 しかし、それは日本ほど問題化していない。 何故だろうか。
月収15,000円の人専用の40円のご飯もあるし、24円のバスが国中を走り回っている。月9000円で充分住めるきちんとしたアパートもある。 だから生活に困窮することはない。 一方で、月収900,000円の人専用の月20万円のプール付き・フィットネス付きアパートもある。望みであればフェラーリやポルシェで移動することも出来る。 金持ちは金持ちなりの生活が出来る。これは、日本など比較にならないほどの極端な格差といえる。
こういう状況のタイに比べてずっと格差が少ない日本なのに、格差が何でここまで問題化するのだろうか。
僕は、その理由は、貧乏が貧乏らしく無理無く生きる権利と自由が無いからではないかと思う。
タイで24円のバスを使ってあちこち遊び回るのは、決して悪い気分ではない。 これを使って生活するのは辛く苦しい生活だ、というわえけではない。 使ってみるとその使い心地は決して悪くない。 確かに24円なりの快適さで、あちこちに不具合や危険がたくさんあるけど、24円なりの羽が生えたような気軽さも持ち合わせている。 それに、40円のご飯は、決してまずいご飯ではない。 一番うまいご飯が一番安いというのは(食い倒れ横丁を引き合いに出すまでもなく)決して珍しいことではない。
日本人は貧しいことは絶対的な悪だと考える節がある。しかし現実的には、貧しいこと自体は必ずしも悪いことではない。
豊かさと責任が表裏一体であるのと同じように、貧しさと気軽さは表裏一体だ。 むしろ貧しい人に無理に背伸びをさせて無理に都会的な生活をさせることこそが、格差を問題化させてしまう根本的な原因なんじゃないかと僕は思う。
ここでも「日本人はみんな同じだという幻想」が働いていると考えられる。 この「日本人はみんな同じだという幻想」というのは、しばしば日本で発生する問題の原因となっているように思う。
◇ ◇
僕は昔から日本人がみな同じだというのは最初からウソだと思っていて、中には在日も居るし、中華系もいるし、ブラジル帰国者もいるし、金持ちも日本人だったり日本人じゃなかったりする。僕は変わった高校に通っていたので、そういう色々な違う人がたくさんいるなかで揉まれていることの方が多かったというのもある。またそういう中の方がずっと居心地が良かった。
僕的には年功序列が壊れたのは良いことだと思う。 僕は貧しかったし大体中卒なので、独学で色々な事をクリアしてる。努力で色々な問題をクリアしてきている。だけど、年功序列というのは、能力の高さ低さに関係せずに一定の地位を与えることを約束しているので、僕がいかに努力して高い能力を身につけていようがそれはまったく無関係で、絶対に中に入れてもらえなかった。
どんなアホでもどんな無能でも月収30万とか40万とか福利厚生付きでもらえるのに、どんなに高い能力を僕が身につけていようが、僕は月収10万円程度しかもらえない。僕は基本的に年功序列が崩れてくれて、実にありがたいと思っている。ボケていて何の危機感も持たない年功序列の中の人は、容赦なく僕を貧乏人扱いして非人間扱いだった。それは彼女とか友達とか信頼している人の両親ですら例外じゃなかったし、彼らは貧乏人は友達や恋人を得る権利は無いのだ、という強烈な教訓も僕にくれた。
そういう人たちが落ちぶれたということに、僕はあまり可哀想だという感想を持たない。 僕は早くに人生を知ったが、彼らはこれから人生を知るだけの話なのだと思う。
それにどんなに高度な問題をクリアしても、給料は一律20万円というのは、実にバカバカしい話だ。 能力が高ければ月収60万円・70万円とそれなりにいい思いをさせてもらえる、というのでないなら、長年の創意工夫の苦労に対してまったく割が合わない。
だから、最初は入れてもらえなかった年功序列の社会も(ほとんど年功序列の社会の中にいた僕の社会生活後半では)入れば入ったで正直わりに合わないとも思っていた。
能力の高いにとっては、社会が厳しくなればなるほど有利になる要素がいくつか存在する。 能力が高い人にとっては、問題が難しければ難しくなるほどどんどん有利になる。
◇
僕は高額所得者はもっと優遇されて良いと思う。 能力の高い人はどんどん優遇されるべきだ。 そうじゃないと、みんな、苦労してまで高いスキルを身につけようとなんか思わない。 みんなやる気がでないもの。
一方で、最初に述べたように、貧乏なら貧乏なりに、努力なんかとは無縁で、人生それなりにノンビリやっていきたいという人には、それなりの人生が許されるべきだと思う。
◇
貧乏なのに、外車を乗り回して家にアクオスがあって...と言うのは決して格差が解決されたという訳ではない、ということに注意する必要がある。 タイの例をすべて日本に応用できるわけでは無いけど、貧乏なら貧乏なりに、100円程度で充分食える食料が提供され、10円程度で充分使える公共バスがあればそれでいい、という視点から何かを学ぶべきだとおもう。
日本というのは極端な高級志向主義で、物価が非常に高く、生活のレベルを落とす事がほとんど不可能に近い。 死にそうなほどの空腹を満たすのに、わざわざ300円の高級ササニシキ・贅沢な燻製サーモンが入ったセブンイレブンのおにぎりを食べる必要は無い。 それよりは10円の梅干しおむすびを30個食べたい。しかしそういう格安なものが日本にはない。 日本で売られている物は、端から端まで極端に高級志向で、生活を安く済ませると言うことがものすごく難しい。 このことが問題の核心ではないか。
格差は悪だ、というのはウソだ。
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■小泉さん「よほどのことない限り政権交代」
(読売新聞 - 08月20日 01:23)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=934638&media_id=20
コメント一覧
[1] 基地外天才紙一重 2009年10月10日 19:52
おかあつさん>
思うところありますけど
タイと日本の決定的違いは
農業するのにテクがいる国 そうでない国です
異様な地価 相続税
日本は四季がある分色々作れますが
安定しない分 量を作るのにテクがいるのです
平地の狭さも半端無い
田んぼ一個作るのに山を切り開かないといけない国と
余ってる土地に適当に牛を放置した後 適当に種籾をばらまきながら
散歩してやる農業とは訳が違います
水利も水草をふんだんに用意した清水の溜池と牛に水遊びさせた
堆肥まじりの泥水を流してやる液肥
要は手抜きで理に叶った農業ができる
あと人口です 実質有用面積即ち平地の広さは
タイだと日本の5倍以上?10倍ある
人口はタイと日本が同数だとしても
やっぱり余裕がない国なんですよ日本は
タイの農業を間近でみたら日本人が全部バカに見えるほどです。
働かないでも食える国タイ。 一回田植えすれば3年は放置してても
狩る>脇芽からあたらしい稲穂>狩る
この繰り返しで稲が半宿根草なんですよね
日本だと冬が脇芽を殺してしまうから、結局一年草になってしまうので
そういう文化が根付かなかった
思うところありますけど
タイと日本の決定的違いは
農業するのにテクがいる国 そうでない国です
異様な地価 相続税
日本は四季がある分色々作れますが
安定しない分 量を作るのにテクがいるのです
平地の狭さも半端無い
田んぼ一個作るのに山を切り開かないといけない国と
余ってる土地に適当に牛を放置した後 適当に種籾をばらまきながら
散歩してやる農業とは訳が違います
水利も水草をふんだんに用意した清水の溜池と牛に水遊びさせた
堆肥まじりの泥水を流してやる液肥
要は手抜きで理に叶った農業ができる
あと人口です 実質有用面積即ち平地の広さは
タイだと日本の5倍以上?10倍ある
人口はタイと日本が同数だとしても
やっぱり余裕がない国なんですよ日本は
タイの農業を間近でみたら日本人が全部バカに見えるほどです。
働かないでも食える国タイ。 一回田植えすれば3年は放置してても
狩る>脇芽からあたらしい稲穂>狩る
この繰り返しで稲が半宿根草なんですよね
日本だと冬が脇芽を殺してしまうから、結局一年草になってしまうので
そういう文化が根付かなかった