Decryption ( Billy's Bounce のリハモ ) を実際に演奏してみました。
関連記事:65536更新記録:
作成した。作成日はビデオ撮影日に準じた。(Sat, 22 May 2021 16:52:50 +0900)
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2022年5月15日更新: 裏拍が先か表拍が先か ─── 縦乗りを克服しようシリーズその3
2022年5月11日更新: 頭合わせと尻合わせとは何か ─── 縦乗りを克服しようシリーズその2
Decryption ( Billy's Bounce のリハモ ) を実際に演奏してみました。
関連記事:65536僕の周りには才能のある人がたくさんいる。だけどよく見ていると皆、全く同じ危うさがある様な気がする。「強烈な個性」のようなものを発揮する人はほとんどいなくて、それは「白紙」のような感じで何色にも染まってしまう。 ─── そこにたまたまあった絵の具の色に染まっていく。
ジャズには芸術と言語の二面性がある。芸術として見ればそこにどんな表現があってもよい。だけど言語として見るとそこには非常にはっきりした文法がある。文法が間違っていると通じなくなる「何か」がそこにはある。
華道では、並べる花は何であってもよいが、花を並べた時に美しくみえる配置にははっきりした規則がある。ジャズの芸術性と言語性の関係はそれに似ている。
日本のジャズ界には、ジャズの言語性と芸術性を混同している人が大勢いる。彼らは言語性の揺れを芸術性の多様性と倒錯し、言語性を失った他人に通じない自閉症的状態に芸術性を置いていることを自覚できず、自分の芸術が理解されない理由を「芸術の多様性と孤高」に安易に求めてしまう。
『白紙』の人はそういう言語性/芸術性の混同に頓着がなく、混同している人にも混同していない人にも心を開いてついていってしまう ─── 僕は見ていてそれがとても怖い。折角高い才能があっても善悪の頓着がない彼らは、言語性芸術性倒錯も屈託なく受け入れていってしまう。
ジャズを教えるに当たっては、絶対に自分の思想や芸術性を押し付けるようなことがあってはならない。だけど言語の模範を示す(幼稚園の)教諭のような存在は必要だと思う。
Linux で使われるデスクトップ環境で使われている "desktop" ファイルは、Windows のショートカットファイルの様な機能を提供します。これは小さなテキスト形式のファイルで、 ここにアプリケーションの実行開始に関する様々な条件を指定して決まったディレクトリに配置することによって Linux のデスクトップ環境にアプリケーションを登録することができます。
ところがこのファイルにGUIアプリケーションを起動する為のシェルスクリプトを指定して登録すると、ピンしたDesktopファイルのアイコンとの起動されたアプリケーションのアイコンが別々に分かれてしまい、アプリケーションランチャーに正しい状態でピン止めすることが出来ません。
ここではdesktop ファイルの作り方/配置方法と合わせてシェルスクリプトをアプリケーションランチャーにピン留めする方法を説明します。
MuseScore のアルペジオ機能を使うと効果的なギター奏法のシミュレーションができます。 (MuseScore3.6.2)
更新記録:オリジナル曲(…では厳密にはないですが)Decryption は長三度進行です。これと五度進行を組み合わせると結果的に短三度進行に変わります。これは2つの進行の組み合わせで違う進行に変わることを応用したもので、オーギュメンテッドスケール/ディミニッシュトスケールと密接に関連があります。これらを利用すると、作曲するときにとても面白い効果を出すことができます。
Decryption リード・シート及びコードチャート・・・4段になっており 各段がそれぞれ F/Ab/B/Db になっている。インタールードを挟んで転調するだけでなく、曲の途中で抜き打ちで転調したりして遊んでみたい。
ドラマーとフェザリングについて話し合った時、彼は「フェザリングはドラムの基礎だ」言ったので、僕は「そんな考えは大間違いだ」と言い放ちました。 彼は「フェザリングは昔から使われているテクニックでそれを否定されても困る。」といいました ─── そこではたと思ったのですが、 ひょっとして日本語で「フェザリング」と言われているものは、海外でフェザリングと言われているものと全く違うのではないか ───
オンビート・スリップストリームは、日本人の演奏するジャズにリズムのニュアンスがつきにくい理由を考察するにあたってキーワードとなる重要な概念です。今回はこのオンビート・スリップストリームについて解説してみたいと思います。
ガンダム挿入歌『悲壮、そして決然と』の前半部分のみを採譜しMuseScore3で自動演奏させてみました。
「タリラリラリッ」というアルペジオが印象に残るこの曲の冒頭はG7(#9)/Ab …つまりb9がルートになって#9がトップになったG7でコンビネーション・オブ・ディミニッシュ(コンディミ)から導出されるコードです。
このように ♮3 と b3が共存するコードは、一瞬オーギュメンテッド・スケールと聞き違えやすく、次に短三度転調するか、長三度転調するのか、或いはただの4度進行なのか予想しにくく、そこが聞いている人にとってのインパクトにつながっていると自分は思います。
更にこの曲ではこのG7が5連符に乗っています。これは4拍子の曲の先頭に敢えて異なる分割数の5連符を乗せることで聞く人の虚を突いて印象の残すテクニック…だと自分は考えています。
『難解』と敬遠されがちな奇数拍子ですが、実は、こういう誰もが知っているようなとても印象に残る曲をよく分析してみると、実はしばしば変拍子で構成されているものではないでしょうか。
曲の構成は飽くまでもシンプルにとどめて、オーケストレーションを丁寧に作りこんで印象深く聴かせるという、とても勉強になるアレンジでした。
MuseScore3のSND機能はあまり完璧でなく、どうやってもマーカーを目的の位置に置けないことがあるようです。ややコツが必要なようです。
2021年1月21日(木)
最初に聞いた音が1拍目表に聴こえる病は、日本人だけが持つ特有のリズムの癖です。日本人がジャズ/ロック/クラシックなどの西洋起源の音楽を演奏するにあたって、この最初に聞いた音が1拍目表に聴こえる病が起因して、様々なリズム上の問題を引き起こします。
日本人が邦楽を演奏するにあたってとても大切になる日本人のリズム習慣は、日本人が洋楽を演奏するときにはほとんどの場合で有害です。日本人のリズム習慣は海外のリズム習慣と真逆の習慣になっており、同時に演奏すると音楽の良さを打ち消し合う結果となります。きちんとその違いを区別して混ざり合わない様にすることがとても大切です。
以下で最初に聞いた音が1拍目表に聴こえる病とは何かを説明し、そして最初に聞いた音が1拍目表に聴こえる病が起因することでどの様な問題が起こるのかを順を追って説明したいと思います。
【オーケストラアレンジ練習】『虫めづる姫 - 久石譲』耳コピ/作業時間2日間(イントロのみ大体5時間・後半大体2時間)/鍵盤なし打ち込み (OS: Ubuntu 16.04.7 LTS, MuseScore version 3.6.0 )
Cannot Exit from VIM (オリジナル曲)MuseScore3の SND (Single Note Dynamics) 機能を試すために実験的に作った曲です。(2021年1月19日作成)
単純版 Actual Proof を作りました。今回この曲のアレンジでは、コード進行を単純なツーファイブに戻して、リズムを遅くしてスイングに変更してみました。
Actual Proof のリズムをよく調べてみると、実はこの曲のリズムは一般的なR&B(70年代以降の伝統黒人教会音楽)のリズムにベースが置かれていることがわかります。そこで実験として当時のゴスペル風に戻してみました。
Actual Proof はリズムが複雑ですが、コード進行も複雑です。この曲のコード進行は一般的なツーファイヴはベースになっておらず、モードがベースになっています。
モードがベースになった曲のコード進行はよく調べてみると、しばしば一般的なツーファイヴのコード進行が背景に存在するものです。 Actual Proofも多分に漏れず背後に単純なコード進行が隠れています。そこで今回は Actual Proof を単純なツーファイブのコード進行に戻してみました。
更新記録:分数コードとは2つのコードを重ね合わせたコードのことです。ここでは2つの7thコードを2つ組み合わせることで複雑な響きを作り上げています。
特にここでは Augumented Chord という特殊なコードで分数コードを作る例を紹介しています。
このビデオの冒頭に分数コードが出てきます。
言いたいことを言わない人がいる ─── だが僕にはよくわからない。僕は言いたいことを言ってしまう。だがどういう訳か僕は、言いたいことを言わない人と仲良くなりやすい傾向がある。僕の友達は言いたいことを言わない人が多い ─── そこに僕の特殊性がある。
言いたいことを言わない人は大抵、とても空気読みだ。空気を読む人は、相手の望みを察して忖度して言わなかったり、相手の聞きたい言葉に合わせていうことを変えてしまったりりする。だが言いたいことをいう人はしばしば空気が読めない。彼らは忖度しないしできない。 彼らは相手の意図に気が付かずにそのまま現実の問題を話してしまうし、それを話した結果その人がどういう反応を示すのかに気付かない。
僕はその点からみてとても特殊だ。僕は言いたいことを言ってしまうタイプであると同時に、僕は空気読みが出来ない人間ではない。僕が人と話す時は大抵、相手の言って欲しいこと言って欲しくないことに気付いている。だが僕は言いたいことをはっきりいうタイプなので、相手が言われたくないことがあると気付いた時に、僕はしばしば無視する。それどころか僕は意図的に、相手が嫌がることを言ったりしてしまうこともある。
僕は何故そのようなことをするのか。
リズムトレーニングをするにあたって声を出して英語で数字をカウントすることはとても大切です。しかしカウントはどうしても早口になりがちで正確に口に動かすことはとても難しいものです。数字のカウントの発音はそのまま音楽のリズムに影響する為に発音を正しくすることはとても大切です。
英語で早くスムーズに発音する時にどうしても避けられない問題はリエゾンです。リエゾンとはある音節の末子音を次の音節の始子音/始母音につなげて発音することです。
ex) アイ・ラヴ・ ユー → アイラヴュー
今回はこのリエゾンとはどういうものなのかを見ていきながら、正しい数字の発音を学んでいきたいと思います。
Ruby, My Dear セロニアス・モンクの名曲をMuseScore3を使って清書しました。
『感染拡大が続くタイ』ということで街中の人たちのインタビューが出ていました。そのタイ語と日本語訳が面白かったので、その話をしてみようと思います。
このビデオで出てくるタイ語の日本語訳が美しすぎて面白い!
วิงวนไปทั่วไม่เคิยไปก็ไป ไปใกล้ไปไกลไปหมด มันลำบากอะ พี่
วิง วิง วิง เมื่อเช้านี้ไม่ได้สักบาทพี่
ウィンウォン・パイトワ・マイクーイパイコパイ!
パイカイ・カイカイ・パイモット!
マンランバークア、ピー!
(どもりながら)ウィン!ウィン!ウィン!ムサオニー・マイダイサックバーツア!ピー!
(語呂合わせで韻を踏みながら) 街中行って行ったことない所も行って近場も行って遠場も行って全部行ってきたけど、マヂ大変だよ、兄ちゃん! 朝から走ってっけど1バーツも儲かんないよ、兄ちゃん!
今まで行っていないところも含めて行ったけどすごく厳しい 朝から1人もお客さんがみつからない
もちろん訳自体の意味はほとんど同じですが、実際の彼のややコミカルな話しかたとの落差が大きく、あまりにも直訳すぎるのもややコミカルなものです。
デイヴ・ホランドのホームカミングという曲です。ゲートウェイトリオの3枚目に収録されている曲です。
日本ではRの発音もLの発音もラ音便を使うのが標準となっている。だけどこれだと英語の単語を日本語に輸入する時に RとLの区別がつかなくなってしまう。世界中にRとLの発音区別が全くない言語は日本語しかない。これが日本人の外国語の学習の妨げになっているのではないか。
半音階ドレミは、ドレミの改良版です。普通のドレミでは、半音を ド♯(ドのシャープ) シ♭(シのフラット)などと長い名前がついていますが、半音階ドレミはこれらの半音についてもド・レ・ミなどと同じような1音で言い切れる名前をつけます。こうすることによって、普通のドレミでは正しく読むことができない全ての音程を正しい音程で読もうというのが、半音階ドレミの趣旨です。今回はこの半音階ドレミについて説明したいと思います。
僕はタイに来た2005年に初めてタイ東北民謡『モーラム』を聞いた時に「モーラムはジャズと似ている」と漠然と感じました。僕はその段階で既にジャズギターを10年以上勉強したのですが、ジャズのリズムを習得することはとても難しく、悪戦苦闘していました。
そんなある日僕はタイ東北民謡モーラムと出会いました。そこでモーラムがタイ語の方言であるイサーン語によって歌われることを知りました。それで僕は「恐らくイサーン語を習得すればジャズのリズムも習得できるだろう」という漠然とした直感を感じました。
─── それから10年以上の月日が流れました。僕は大変な苦労ののちにタイ東北イサーン語が話せるようになりました。それからしばらくしたとき僕が実際にジャズのリズムを習得していることに気付きました。
それは案外とはっきりしたことで、フィーリング/感じ方の違いなどという曖昧なものではなくはっきりと譜面に書いて違いを指摘できるようなものでした。
その違いが弱起の存在です。
ところが日本では、この違いを実際に音で聴かせても誰も理解できない…という奇妙なことに徐々に気付くようになりました。 音で聞かせるだけでなく、図に描いて説明することもやりましたし、実際に体を使って体得するトレーニングを考えて実践していただくこともやってみました。それで徐々に僕が気付いたことは日本人がジャズのリズムを理解することは極めて難しいという非常に奇妙な事実でした。
日本人は弱起を知らない ─── それだけでなく日本人は未だに弱起を発見してすらいません。僕は日本に帰国してからというもの、僕が海外放浪で身につけた弱起についてあちらこちらで説明してきたのですが、その結果は極めて驚くべきものでした。
どういうわけか、目の前で弱起を見せているのに弱起が見えないのです。弱起が何なのかを説明してもどうやっても理解できません。そもそもそこに弱起があること自体に気付きません。そこに弱起があると教えても、依然として弱起の存在に気付きません。その状態では当然、弱起とは何なのかを理解できる訳がありません。みな弱起が完全に見えないのです。
そこにある弱起を指差してそれについて語れば、それはもはやまるでそこに見えない幽霊がいて、見えない幽霊を指差して何やら訳のわからない説明をする人だと思われてしまう。つまり狂人と同じなのです。
しかしこれは幽霊ではありません ─── 日本人以外の人たちは弱起の存在に気付いています。そして日本人が弱起を認知することが出来ないことにもちゃんと気付いています。しかし日本人だけがその存在を知らず、その存在を知らないことにも気付かない。
日本人は弱起を認識できない ─── この現象が僕に与える違和感というものは、筆舌に尽くしがたいものがあります。
しかしまた同時に、弱起の存在に気付いている日本人も大勢います。僕があちらこちらでお話をして体感的に感じる比率でいえば、大体4割くらいの人はその弱起の存在に気付いています。しかし弱起の存在について語ると相手の自尊心を傷つけてしまうことが多く、それについて語ること自体が反社会的であると見做されることが多いようです。このことから、弱起の存在に気付く人はしばしば弱起の存在について気付いていないふりをしています。
弱起の存在をどうやったら日本人に教えることができるのでしょうか。この記事では、僕が漠然と感じていることを五月雨式に少しずつ書き加えてまとめていこうと思います。更新した経歴については記事末に記録していきますので適宜参照して頂けましたら幸いです。
人は何故、良いミュージシャンになれないのだろう ─── 答えは比較的はっきりしている。 その人は心の奥底では良いミュージシャンになりたいなどと夢にも思っていないからだ。言葉としては「良いミュージシャンになりたい」などとのたまう。だが心では適度に目立って適度に金になればそれで充分だ、と思っている。
人は暗闇でも道徳心を維持できるだろうか ─── 暗がりで周囲が見えなければ、恐らく周りの人も周囲が見えていないだろうと考えて、暗闇にまぎれて色々な浅ましい行動を取る。だが視力は人によって異なる。彼は暗闇でも物が見えている人がいる…という事を知らない。
私はオフビート・カウントというものを考案しました。音楽のリズムを声を出して数えるメソッドです。特にこのメソッドでは通常のカウント方法よりも8分音符1つぶん早く数えることで日本人が苦手とするオフビートから始まる弱起を自然に体得することを目的としたメソッドです。これについての本を著しましたので、ここで御紹介致します。
リズムトレーニングについての詳しい情報は
にて公開しておりますので、合わせてご利用いただけましたら幸いです。
アドリブ中で小節の長さを倍にしたり半分にしたりすることで、演奏にメリハリをつけることができますが、3拍子スイングの場合、長さを倍にしたり半分にしたりすることは案外と難しいものです。その数え方をビデオ化しました。
このビデオは続編5+4=9拍子の基礎編になっています。ここできちんと基礎を確認して5+4=9拍子の練習に入りましょう。
続編:3拍子スイングを9拍子と捉えて5+4拍子スイングに置き換える
今回は『最終拍基準式拍子入れ替え』というものをご紹介します。
多重拍子を演奏する時、通常は先頭拍を中心にして行うのですが、僕はこの演奏の仕方がグルーヴしないスピード感に欠けた遅い雰囲気を醸し出す原因として聞こえています。そのため僕はこれを解決する方法として、ビッグバンドの4拍子スイングと同じ様に最後の拍を中心にしたまま入れ替えれば良いのではないかと考えました。以下がそれを実際にやってみたビデオです。ビデオでその理論背景と実演を見ることが出来ます。
オフビートカウントで数えています。この場合、最終拍の裏拍を1として数えています。4拍子でいうと8分音符ひとつ分早く数えています。
3⇔4⇔5⇔7と順番に全パターンを順番に実演します。
3⇔4⇔5⇔7と順番に全パターンを順番に実演します。
ジャズスタンダード How My Heart Sings の進行を使ってオフビートカウントをしたまま3拍子と4拍子を同じテンポで入れ替える練習用のビデオです。
更新記録:
この曲を知ってから何年も経った。10年近く、歌詞の意味が聞き取れるどころか読むことすら出来なかった。今ふと気付いたら、全部聞き取れるようになっていた。更に意味もわかるようになっていた。
ข่อยฟ้าวเว้าต่อตอบว่าแม่นอยู่
ฝรั่งฮ้อง Oh! Yes แมนยู
ทีมฟุตบอลแมนยู
เวรีก็ค
เวรีก็ค
僕がラオ語を話さなくなってもう2年近く経ったが、明らかに語学が上達している。これは恐らく僕が最近開発したリズムトレーニングシステムを続けた成果ではないかと僕は思っている。 日本語話者は2341と弱起付きで入るリズムが聞き取れない。だから2341の弱起つきリズムを練習すると、外国語(日本語以外)が聞き取れるようになる。
この曲はラムトゥーイというラオ民謡の形式に基づいており、リズムは3拍の弱起のついた2341という順番のリズムで構成されている。日本人はこの日本人は2341リズムが聞き取れない。
ここで「2341リズム」という説明をして理解できる日本人は誰もいないだろう。それだけでなく、今までの僕自身の経験からいっても、日本人の目の前で数時間に渡って目の前で2341リズムを実演しても、決してそれを聞き取ることができない。 だからビデオでこれを実演しても2341リズムを理解することはできないだろう。2341リズムを聞き取ること自体ができない。そもそも、それが2341リズムなのだと認識できない。それだけでなくそのリズムが聞き取れない…ということ自体に気付かない。そして2341リズムが聞き取れないということに興味がない。だから、この話題を出しても誰もそれが重要なことだと気付かない。このリズムを教えても、そこが重要なポイントと思ってないので、修正もできない。
大変に驚くべきことだが、この言語リズムの壁を乗り越えるのは、大変に難しいことだ。だが僕はこれを日本語の文脈に輸入することをライフワークとしてやっていこうと思っている。
ダビディバ・カウントは、ビバップのリズム練習メソッドです。『ダービディーバ』とスキャットしながらアドリブすることで8分音符のオフビートや4分音符のオフビートを適切に認識できるようになり、効果的にグルーヴ感の向上を図ることができます。
今回このダビディバ・カウントについて本を著したので御紹介したいと思います。
リズムトレーニングについての詳しい情報は
にて公開しておりますので、合わせてご利用いただけましたら幸いです。
『ビバップ』という名称の起源は「ビバップのフレーズが『ビーバップ!ビーバップ!』という音に聞こえるからそういう名前になったんだよ!」という話をしたら、そのことが実は意外と知られていないことに気付きました。ネット上を検索してもそのことを説明しているサイトはほとんどないという状況に気付きました。
英語が聞き取れる人でビバップを聞いたことがあれば、ビバップのフレーズはオフビートが強調された「ビーバッパリーバッパ」という様に聞こえます。ビバップの語源がビバップのフレージングの擬音語だということは自明で、だからこそ英語話者の間ではビバップの語源がフレージングにあるということ自体に言及がありません。
このフレージングは末子音の存在と密接に関係しています。末子音を持たない日本語話者は、このビバップのリズム自体が聞き取れず、それを聞いても『ビーバッパリーバッパ』と言っている様には聞こえません。
僕のこの文章は日本人が見えない事物を指差し、そこに見えない物の存在を示しているのと同じで、それはまるで幽霊を指差すのと同じようになってしまいます。しかしこれは幽霊ではありません。
ウィキペディアでは 英語と日本語で全く一致しない説明がされています。そこで2020/12/18 現在の英語版ウィキペディアの『ビーバップの語源』の部分の英語を簡単に訳してみました。
1.
The term "bebop" is derived from nonsense syllables (vocables) used in scat singing; the first known example of "bebop" being used was in McKinney's Cotton Pickers' "Four or Five Times", recorded in 1928.
─── ビバップという名称はスキャットをする時の意味のない歌詞から来ています。最初に『ビバップ』という歌詞が使われた例として知られているものは『マッキニーズ・コットンピッカー』1928年録音の『Four or Five Times』です。
2.
"In spite of the explanations of the origins of these words, players actually did sing the words "bebop" and "rebop" to an early bop phrase as shown in the following example."
─── ビバップという名称の起源として様々な説が挙げられていますが、演奏者は実際に「ビバップ」「リバップ」というフレーズを初期のバップ曲のなかで実際に歌っています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Bebop#Etymology
という訳でビバップは擬音語なんですよ!というお話でした。
更新履歴:
ビデオへのリンクを追加し加筆訂正した。(Sat, 19 Dec 2020 13:52:24 +0900)
日本に帰ってきて随分たったが、やっと自分の日本人としての感覚を思い出してきた。ラオでは「他者を赦す」ということを身につける必要があり、僕はそれを習得した。だが日本で必要なことは「他者に克つ」事だ。日本は、そこが他の国と違う。ラオでは他者を赦せば、他者も自分を赦してくれる。だけど日本では、他者を赦しても、他者は自分を赦してくれない。 赦しと克ち
他人に克てる人は必ずしも、自分に克っている訳ではない。そこに日本人の落とし穴がある。人間に必要なことは飽くまでも自分自身に対する克ちだ。
自分自身に対する克ちを実現する上で、自分自身に対する赦しがとはも大切な条件となる。これが他者に対する赦しの基礎となる。
ところが日本人は自分に克つことなく、つまり他人を赦し受け容れることなく、他人に克とう(勝とう)とする。つまり君が他人を赦しても、他人が君を赦すことはない。他人は君に勝ち続ける。彼は彼自身を赦せない ─── これが招く結果は彼の長い年月を経た自己破綻だ。そして君は自分に克って他人に勝てない。
君は彼に負ける。そして彼は全てに克てない。こういう状況下で他人を赦し続けるのは自滅行為だ。君は、彼の心中に付き合う必要はない。
日本でも自分に克つことは大切だ。だが必ずしも他人に克つ必要はない。彼は自分に克つつもりがない。彼は自分を知らぬ愚かな人間だ。君が自分に克った後にはむしろ積極的に他者に勝たなければならない。彼を赦し受け容れる必要はない。彼を遠慮なく蹴落としてよい。
自分に克った人間は容易に他人に勝つ。