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2021年1月8日金曜日

変わってると言われる不愉快 (oka01-ezgepjnhuqiecelp)


変わっている、というのは褒め言葉だろうか

変わってると言われて楽しいか

同じ学校に行ってるのに、同じ会社で働いてるのに、同じコミュニティーにいるのに、「いやー田舎から来た人って素朴でいい味出てるよね〜」って言われて、気分がいい人がいる訳ない。

全く同じことが都会人にも言える。「都会人は個性的でいい味出てるわー」「いや〜決して悪い意味ではなく」と言われて心地よい思いをするはずがない。

その言葉には相手を批判することで自分の安心感を醸造するという非常に弱々しい心が見え隠れする上、結果的に仲間に入れるつもりはないと語るに落ちてしまっているので、相手に警戒心を与えるだけで、何も良いことがない。

これを、相手を傷つけない様に言う方法を、教えてくれ。

同じくらい傷つける言葉を君が発してるのだ、と気付いてくれ。

街モンというのは、大抵超多方言空間で育ってるので、大抵の方言は聞いたことがある→つまり実際のところ物凄く方言に敏感。ちょっと訛ってるだけで「あぁ訛ってるな、どこどこの人だな」くらいは常に思ってる。だが*当然だが*失礼だからそんな事を話題に出したりはしない。それは相当に仲良い人でも

こっちは延々と文化差異を受け入れっぱなしでストレスが溜まってるのに、一方的に「いやー街モンって変わってて面白くていいわー」と言われっぱなしになるので、これはもう筆舌に尽くしがたい不愉快がある。

それは言わんでくれと

それを言い始めると、普段飲み込んでるナイフの様な言葉がグサグサに出てきてしまう。

そこでそのアクセントは、どこどこの地方の特有でとかそれは九州のある地方と同じでとか正確は微妙に似てるけどここがちがう とかこの地方の人はいつもこのパターンでドツボにはまるとか

ソリャ見てりゃ思うよ、みんな同じパターンで動いてんだもん。

だけどそれを言ったらおしまいだから、言わんだけで

でござる。

江戸っ子

最近江戸っ子というやつが他の地域のやつと案外違うということに気付いてきた。なんといっても僕は子供の頃から江戸っ子に人生を台無しにされ続けているので、慣れているというか「それはそういうものなのだろう」的にあまり目新しさを感じていない。

だが他の地域の人と比べるとやはりその独特さを思う様になってきた。

江戸っ子は、とにかく馬鹿。 それは頭が悪いというだけではなく、何かを根気を持ってやるということに関して馬鹿力を発揮する奴が多く、何も考えずに馬鹿みたいにたくさん作ったり、馬鹿みたいに長時間働いたり、馬鹿みたいに勉強したり、まさに馬鹿みたいに物凄くやり過ぎたことをする。馬鹿パワーがあるので、危険物として注意して取り扱わないと事故が起こる。

食べ物も海産物を好み、鶏肉を食わない。肉は豚肉/牛肉しか食わない。江戸は海苔の産地だったせいか、妙に海苔が好きで海苔にうるさい。

江戸っ子は多分だが東北が混ざってる人が多く、強烈に頑固になるところがある。ひとたび頑固になると強烈にしつこく、絶対に他人の意見を聞き入れない。

物凄く威張りカッコつけで、人前で頭を下げるのが苦手な奴が多い。

江戸っ子と仲良くなるのは、多少暴力が必要。非常に保守的で滅多なことでは仲間に入れないのだが、そこで引き下がらず暴力的に前に出て大喧嘩するくらい引き下がらないと、逆に一目を置いて仲良くなれる場合が多い。

…という江戸っ子のクセに慣れがないと、江戸っ子の気ままさと向こう見ずさに辟易してヘトヘトに疲れる筈だ。

江戸っ子耐性

そんなこんなで僕は江戸っ子耐性が高いのだが、昔から超保守的な地域に入っては、地域の人たちと大喧嘩して、結局街一番の頑固ジジイと仲良くなって色々親切にしてもらったり、その場の全員から嫌われてる頑固ジジと僕だけが仲良くなったり…ということがよくあった。

それも僕からすると、何も考えずにただ自然にしていただけなのだが、これもよく考えてみると、他の地域の人には絶対に真似できないことなのだ、と最近思うようになってきた。

やっぱり他の地域の人に真似できないのは、ぶつかり方な気もする。闇雲にぶつかるのではだめで、折れるところはきちんと折れるのだけど、折れない所は前に出てきちんと意見を言うというところが必要だけど、これがなかなかできない。

江戸っ子はある程度、納得するとあっさり引き下がるタイプの人が多い。あまり後腐れが残らない。

江戸っ子が苦手な奴

江戸っ子からすると、逆にぶつかってはっきりさせた後でいつまでもネチネチと後腐れが残るタイプの奴はあまり得意でない場合が多い。

またぶつかると「そんな暴力的なことはやめて下さい」的なことを言う奴は面倒くさい。

小難しいことを言う人も嫌いだ。

江戸っ子はマイノリティ

街中に江戸っ子はほとんどみない。ほぼ絶滅危惧種と言って良く、広い社会で暮らしていて出会うことなどまずない。

江戸っ子の違い

実際問題江戸っ子を見た目だけで見分けられるかというと、ほとんど無理。物凄く激しく多地域が混ざってる人が多いので、 顔つきだけではわからない。だけど食べ物の好みとか性格とかに多少特徴があるので、話を聞くと気付くこともある。

だがとはいえ、他の地域の人と比べると大きく違う点はあるらしい。

江戸っ子で普通でも他の地域の人には全く真似できないことも案外とたくさんあるようだ。江戸っ子は街で揉まれてるので、他人の粗相にある程度は寛容なところがある。だがこれは江戸っ子でない人に求めるのは、ちと酷なところがあるのではないか。

街の荒波で揉まれた経験が違う。こぐりぬけた修羅場の数が違う。


郷に入ったら郷に従う

郷に行ったら郷に従えという。僕はそう思う。だから大阪に行ったら大阪で当たり前とされてることに従う。

僕はそう思うから、タイにも行ったし、ラオにも行ったし、中国南部にも行ったし、ドイツにも行ったし、アメリカにも行った。世界中の方言を勉強して帰ってきた。僕が今喋れる方言は4つある。 そのうちの1つはネイティブレベルに近い。

他人の文化を研究するというのは、大変に疲れることだ。

他人を配慮し、他人を立てる。貴様の意見など聞いていないのである。

郷に入らなければ郷には従わない

だが東京ここは、俺の郷である。

俺の方言通用地帯であり、俺がルールブックだ。

俺が普通である。

俺の郷でまで、変わりもん扱いされたくないのである。

変わりもんは飽くまでもお前でなければいけない。

何故ならここ東京は俺の街だから。

それが気に入らんなら自分の郷に帰れ。


それか最低限「街では他人を変わり者扱いしてはいけない」という

最低限のマナーだけは

守ってもらいたいのである。

街モンは田舎から来る奴を変わり者扱いしたり 田舎モン扱いしたりしない。

もし田舎モンが同じことをするなら街モンも同じことをするのである。

以上。


著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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