日本に帰ってきて随分たったが、やっと自分の日本人としての感覚を思い出してきた。ラオでは「他者を赦す」ということを身につける必要があり、僕はそれを習得した。だが日本で必要なことは「他者に克つ」事だ。日本は、そこが他の国と違う。ラオでは他者を赦せば、他者も自分を赦してくれる。だけど日本では、他者を赦しても、他者は自分を赦してくれない。 赦しと克ち
他人に克てる人は必ずしも、自分に克っている訳ではない。そこに日本人の落とし穴がある。人間に必要なことは飽くまでも自分自身に対する克ちだ。
自分自身に対する克ちを実現する上で、自分自身に対する赦しがとはも大切な条件となる。これが他者に対する赦しの基礎となる。
ところが日本人は自分に克つことなく、つまり他人を赦し受け容れることなく、他人に克とう(勝とう)とする。つまり君が他人を赦しても、他人が君を赦すことはない。他人は君に勝ち続ける。彼は彼自身を赦せない ─── これが招く結果は彼の長い年月を経た自己破綻だ。そして君は自分に克って他人に勝てない。
君は彼に負ける。そして彼は全てに克てない。こういう状況下で他人を赦し続けるのは自滅行為だ。君は、彼の心中に付き合う必要はない。
日本でも自分に克つことは大切だ。だが必ずしも他人に克つ必要はない。彼は自分に克つつもりがない。彼は自分を知らぬ愚かな人間だ。君が自分に克った後にはむしろ積極的に他者に勝たなければならない。彼を赦し受け容れる必要はない。彼を遠慮なく蹴落としてよい。
自分に克った人間は容易に他人に勝つ。