オンビート・スリップストリームは、日本人の演奏するジャズにリズムのニュアンスがつきにくい理由を考察するにあたってキーワードとなる重要な概念です。今回はこのオンビート・スリップストリームについて解説してみたいと思います。
前提知識について
この問題を理解するためには次の2つの前提知識が必要です。
スイング理論
スイングが持っている様々なリズムの要素についての理解が必要です。スイングの各リズム要素については スイング理論 を参照して下さい。
最初に聞いた音が1拍目表に聴こえる病
最初に聞いた音が1拍目表に聴こえる病 とは、ある音符の配置された小節内の位置(2拍目/3拍目/4拍目等々)に関わらず、最初にその音符と遭遇したその位置を1拍目と誤認してしまう日本人だけが持っている独特な認知偏りです。
もしもまだ最初に聞いた音が1拍目表に聴こえる病 を読んでいませんでしたら、まず最初に読んで頂けましたら幸いです。
最初に聞いた音が1拍目表に聴こえる病とその症状 ───
縦乗りを克服しようシリーズその36
オンビート・スリップストリームが起こる原理
リード奏者がジャズ的なオフビートを中心にしたリズムでアドリブラインを構成し、オフビートにニュアンス(もたり)をつけて演奏すると、日本語話者のリズムセクション演奏者はしばしばリード奏者の裏拍をずれた表拍と聴き間違えてしまい、リズムセクションが演奏する表拍の位置を無意識のうちにリードセクションの裏拍の位置まで修正してしまいます。これによってリード奏者のつけたオフビートのニュアンスが帳消しになって消えてしまうという問題が起こります。
このことをオンビート・スリップストリームと呼びます。
リズムセクションでオンビート・スリップストリームが起こると、リードセクションは音符にニュアンスをつけることができなくなるため、演奏上たいへんに大きな問題となります。
この問題を細かく分けて考えると、次のようなことがわかります。
オンビート・スリップストリームが引き起こす様々な問題
オフビート煽り
オンビート・スリップストリームが発生すると、結果としてリード奏者のオフビートがオンビートにすり替わってしまい、8分音符1つ分のリズムが抜けて消えてしまいます。
そこでリード奏者が演奏している地点を修正して、もう一度オフビートへ移行し直すと、日本語話者のリズムセクションは再びずれて、結果としてリードセクションのリズムがオンビートにすり替わってしまいます。これが何度も繰り返されることになります。
この問題が起こらない様にする為には、リード奏者は裏拍を充分に表拍から距離を取る必要があります。すると演奏すると演奏するメロディーにリズムニュアンスが欠けたとてもせせこましい感じになってしまいます。そこで裏拍のタイミングずれによって作られるべきニュアンスが消えてしまします。
ひとたびオンビート・スリップストリームが発生すると、リズムセクションの演奏する表拍が吸い込まれる様にリードセクションの裏拍に近づいてきます。リードセクションが裏拍の位置を前に移動して逃げても、逃げても、リズムセクションの表拍がどんどん追いかけてきます。
この様に、リードセクションがオフビートに主軸を置いた演奏をするとき、リズムセクションのオンビートが吸い込まれる様にリードのオフビートに近づいてきて、オフビートが前に逃げてもオンビートが更にオフビートに近づいてくるこの問題のことを【オフビート煽り運転】と呼びます。
またここでリードセクションが演奏するオフビートがオンビートに重なってしまい、そこから位置を修正してもリズムセクションがついてくる為に修正が不能になってしまった状態を
【オフビート煽り追突事故】と呼びます。
オンビート渋滞
逆に【オンビート渋滞】というものもあります。リードセクションがスピードを上げて彼の演奏するオフビートが早い方向にずれていくとき、リズムセクションがそれをオンビートと誤認してしてしまうと、無意識のうちにリズムセクションが演奏するオンビートが徐々に遅れてきてしまう現象が起こります。
リードセクションがリズムセクションより早い地点を演奏するとバンドアンサンブルが不安定になるため、リードセクションはスピードを落として少し待つ必要がでてしまいます。このリズムを待つ瞬間にリードのグルーヴ感が壊れてしまうという現象が起こります。 これが【オンビート渋滞ノロノロ運転】です。
一度リズムセクションがオフビートをオンビートと聞き間違えると、そこから タイミングをずらしてそれがオフビートと認識できる位置まで移動しようとしても、リードが移動した分だけリズムセクションが釣られてタイミングを合わせてしまうため、リードがタイミング移動できなくなります。これが【オンビート渋滞追突事故】です。
オンビート渋滞が起きている時に、リード・セクションがリズム・セクションを追い越してバンドアンサンブルが不安定になると、本来リズム・セクションがスピードを上げなかったことが原因で起きた違反であるにも関わらず、しばしばリード・セクションが聴衆から非難されます。これが【オンビート渋滞追い越し違反冤罪】です。
オフビート煽りによるニュアンスの破壊
João Bosco - Incompatibilidade De Gênios
この演奏ジョアン・ボスコの名演を聞くと、裏拍だけを演奏し表拍を演奏せず、その状態で裏拍の位置を遅らせてニュアンスをつけていることがわかります。その時、裏拍の位置はベースの表拍よりも遅く表拍が裏拍を追い越しています。その瞬間の音だけを聞くとその音は表拍として聞こえます。しかし前後の文脈から判断するとそれは裏拍だと判別がつく。そのような状態下でもしリズムセクションがその拍を裏拍と認識していなかったら、リードセクションの遅れが戻ってずれが解決した時に、アンサンブル内の裏表の関係が崩れてしまいます。
そもそも日本外のミュージシャン(特にアフリカや東南アジアのミュージシャン)は、最初に聞いた音を前後の文脈がなくとも裏拍と認識する傾向があるようです。例えば、このマイケル・ジャクソンの演奏がわかりやすいのではないか、と思います。これは最初に聞いた音を表拍と認識する日本人の対極を行く認識のしかたです。
※ この『チーチキ・チーチキ』の構成の理論的な解説に関しては
何故日本人は縦乗りなのか
を参照してください。
ところがここで『オフビート煽り運転』が起こっていると、リード・セクションがニュアンスをつけることを目的としてオフビートを遅らせたときに、それを表拍と聞き間違えたリズムセクションが吸い込まれる様に重なってしまい、それが表拍にすり替わってしまう【オフビート煽り追突事故】が起こります。
こうして追突事故を恐れてオフビートのニュアンスが消えてしまうことを【オフビート煽られスピード違反】と呼びます。
まとめ
今回は以下ことを説明しました。
最初に聞いた音が1拍目表に聴こえる病が起こす症状・各種スイングのリズムは、オンビートが早めに、オフビートが遅めに移動していくことでニュアンスを出すものではないでしょうか。オン/オフそれぞれの位置が移動してしまっても文脈からそれをオン/オフと判別する能力が求められる… 否、そもそも最初に聞いた音を必ず裏拍とみなすことが暗黙の了解となっている音楽なのではないでしょうか。
そしてその対極にいるのが日本の音楽 … 世界的に稀に見る『最初に聞いた音を1拍目表とみなす』ことが暗黙の了解という、珍しいルールを持った演歌の世界なのではないでしょうか。
更新記録:
『最初に聞いた音が1拍目表に聴こえる病とその症状』からオンビート・スリップストリームに関する記述のみ当ページとして分離した。(Wed, 03 Feb
2021 00:58:57 +0900)