東南アジアや中国南部にいるとき、僕が楽器を持っていなくて僕が音楽を演奏していなくても、僕が音楽をやる人だと気付く人は多かった。日本に帰ってきて即座に気付いたのは、日本にはそれに気付く人がとても少ないということだった。
— オカアツシ (@ats4u) April 4, 2021
2022年5月29日更新: 末子音がない日本語 ─── 縦乗りを克服しようシリーズその22
2022年5月15日更新: 裏拍が先か表拍が先か ─── 縦乗りを克服しようシリーズその3
2022年5月11日更新: 頭合わせと尻合わせとは何か ─── 縦乗りを克服しようシリーズその2
東南アジアや中国南部にいるとき、僕が楽器を持っていなくて僕が音楽を演奏していなくても、僕が音楽をやる人だと気付く人は多かった。日本に帰ってきて即座に気付いたのは、日本にはそれに気付く人がとても少ないということだった。
— オカアツシ (@ats4u) April 4, 2021
今日8分音符裏拍バスドラムを鳴らしながら色々と試していたのだが、それでふと気づいたことがあった。それは早すぎるべースがグルーヴしない理由だ。
去年の終わり頃、グルーヴする早いベースに拘って色々なタイミングを実験しているうちに偶然『早すぎるベースはグルーヴしない』ということに気づいた。だがその理由がわからなかった。また別なある日も、都内である非常に打点が早いベーシストとセッションしているときそのベーシストとアンサンブルするときにグルーヴさせることが非常に難しいことに気付いたことがあった。僕自身もそのときは早ければグルーヴすると思っていたので、グルーヴしなかったことが意外だった。その時もグルーヴしない理由をいろいろと考えたのだが、わからなかった。
いわゆる『打点が早いベース』とはスイング量が大きくなってベースの打点が次拍の8分音符裏拍に近づいている状態だ。スイング量は、8分音符の表拍が前進した距離と 8分音符の裏拍が後退した距離の2つの距離によって決まる。
参照:スイング理論
このときとてもよくある間違いは8分音符の裏拍を遅くずらすことでスイング量を増やすことだ。これをやるとリズムが日本的なスピード感のない重たい感覚に変化してしまう。スイング量を増やす時は8分音符の表拍を前進させなければいけない。
ベースをグルーヴさせる時に大切なのは次の拍の裏拍との距離を正確に制御することだ。120BPM〜150BPM程度だと1拍の長さにゆとりがあるのでかなり表拍をぎりぎりまで裏拍に近付けなければスイング感がでない。
だが200BPM以上の速いテンポになると1拍の長さがとても短いため裏拍と表拍が近づきすぎると裏拍と表拍の分離が悪くなってしまい個別の拍として聞こえなくなってしまう。
通常ベースが8分音符表拍を演奏しドラムが8分音符裏拍を演奏している。だからある程度ベースが遅めのタイミングに移動することで8分音符の表拍と裏拍の違いをはっきりと提示する様にしたほうがグルーヴがクリアになる。
最も大切なことは8分音符裏拍と8分音符表拍の距離を正確にコントロールすることだ。
ベースが遅いとグルーヴしないと言って早さばかりを追い求めるのはベーシストはブレーキのないフェラーリの様なものだ。どんなに速く走ることができても速さを望み通りに制御できなければすぐに大事故を起こしてしまう。
日本人は8分音符を演奏するときほとんどのばあい裏拍を起点に演奏することができない。かならず表拍を起点にして裏拍を強調しようとする。ところが日本人以外の人々はしばしば全く真逆で裏拍を起点にして表拍を強調する。
日本では、リード楽器もベースも表拍を起点にして演奏している。表拍を起点にして演奏する日本人ベースの打点を前方に移動させたとき、表拍を起点にしているリード楽器が裏拍の位置を安定して提示していることは極めて稀なことから、ベース/リード共に8分音符裏拍の位置を全く意識することなく4分音符表拍同士で音符距離を調節することになる。するとベースの打点が次拍の8分音符裏拍を超えて前に出てしまう。こうなってしまうと8分音符のニュアンスは完全に失われ解像度が4分音符に下がってしまう。こうしてグルーヴ感が失われることになる。
また仮にリード楽器演奏者が裏拍起点で表拍を強調する演奏者だった場合、彼がニュアンスをつけようとして裏拍を基準にして表拍の位置を移動すると、日本人ベーシストにとって自分の打点位置を図るべき基準位置が移動してしまうため、打点位置を安定させることができなくなる。こうして演奏小節数すらも正しく認識することができなくなり、演奏が崩壊する。
更新記録:
速いと早いの区別を修正した。(Wed, 07 Apr 2021 14:55:25 +0900)
8分音符裏メトロノーム練習が非常に効果的だということが解りバンド練習に取り込んで2ヶ月程度たった。 8分音符裏メトロノーム練習の効果は絶大でバンドメンバーはみるみるグルーヴするようになった。
8分音符裏メトロノームを鳴らすと最小限の音でグルーヴを表現できるので僕はこれでソロ演奏もできるのではないか、と期待した。だがメトロノーム音はとても機械的であまり音楽的ではないという問題があった。
メトロノームを独奏に使うというアイデアについて僕はかなり長い間考えている。だがメトロノーム音はどうやってもとても機械的だった。フットドラムやドラムマシンなど本当に様々なことを試してみたが、なかなかよい解決策が見つからなかった。
今日思いついたのは8分音符裏でバスドラムを鳴らしたらより音楽的に聞こえるのではないか、というアイデアだった。やってみたらとても効果的だということがわかった。 8分音符裏拍バスドラムは、8分音符オフビートとアンサンブルのボトムエンドを同時に支えることができるのでより少ない楽器でグルーヴを表現できるようになった。
『東京に来たら東京に合わせなければいけない』と思っているから東京に喰われてしまう。
街には間違っている人がたくさんいる。そういう人は街に適応できず間もなく街から去る。だが常に一定数いる。
「東京に来たら東京にあわせなければいけない」と思っていると、東京にきてやられて不愉快だったことは全て、他人にやってもいいのだ、と勘違いする。
そこが東京だろうがそうでなかろうが、間違っていることには間違っているという。おかしいことにはおかしいとはっきりいう。
そうしないと自分が東京の嫌なやつになってしまう。
僕はこのケヴィン氏が言っていることがとても重要だと思っている。ケヴィン氏は『この踊りは駄目だ!彼女は周りにフィーリングが伝わっていないのにその事に気付いていない!周囲の人々の目を見ていない。表情を見ていない!』
僕は日本人ジャズマンに全く同じことを思う。日本人ジャズマンは自分の音楽が相手に伝わっていないのにそのことに気が付かない。
僕は外国でタイ語イサーン方言を勉強していて思うのだが、僕が今まで10年以上見ているなかで日本人がまともにタイ語を話しているのを見たことがない。勉強して喋るは喋るのだが、それが相手に伝わっていないということに気付かない。自分の思い込みで延々と喋るので、見ていて恥ずかしい。しかもタイ人は相手の思い込みをいちいち正さず放置する傾向があるので、日本人はいよいよ本当に気付かない。
タイに限らず、英語でもドイツ語でも僕はこの日本人の独りよがり傾向を思う。日本人の独りよがり傾向をきちんと戒めて正そうとする日本人は実はあまりいない。
そういう日本人が、ジャズを演奏することが得意になる筈がない。
僕も前述のビデオを見ていて周囲の人の目に非常に強い違和感を持つ。奇特な目で見られているのに気付かない。それを見ているだけで恥ずかしい感じがする。
だが恐らくこのビデオを見てもその違和感に気付かないのだろう。これを読んでいる人自身が。
そこに気付かないと駄目だと思うのだ。
ミュージシャンなら。
気付かないならそこに自分の認知力の限界があると気付いて努力しなければいけない筈なのだ。
ミュージシャンとして。
自分に嘘をついている人間が良い音楽を演奏できることは永遠にない。
それが僕が感じている違和感の全てだ。
ベース演奏は金になる。その金が自分に嘘をつかせる。
その理論でいくと、都内で腐ったベーシストを拾い集めて防腐剤を入れても美味くなることはない。腐ったミカンに防腐剤を入れても腐ったミカンは腐ったミカンだ。
田舎で素材を集めて鎧を着せた方がずっと確実に美味くなる。
旅に出るか…
みんなは僕のことを「自己認識が狂っている人」だと思っている ─── 僕はその事自体が興味深い。僕は世界のあちこちで生活してあちこちでの異なる自己認識を持っている。つまり僕は比べる自己認識を複数持っている。
日本人は自分の無責任さを直視する状況に落ちると巧妙に相手の自己認識を狂わせる事で自己正当化する。 「そういう事を1人で言っている事自体がおかしい」 「自分だけが正しいと思っている」 「お前は勝手すぎる」 等々等々 日本語は、そういう自己正当化のフレーズの宝庫だ。
日本人のベーシストは全員例外なく滓だ。そんなことはないだろうと思う所が既に甘い。日本から一歩でも出たら近辺の素人の子供やお年寄りですらもプロの日本人より良いグルーヴを出す。グルーヴがないベースは音楽ですらない。日本人のベーシストはまずその現実を直視する所から始めなければいけない。
海外で新鮮なリズムセクションを収穫しても日本に輸入するとすぐ腐ってしまう。
見渡す限り滓ベースしかいなければ、それが滓と気付くこともない。
文明の利器が街中に配備されている街に長くいると生命力が落ちる。例えば、街にはどこにいってもエスカレータがあるので階段を登り降りしなくなり足腰が弱る。だから僕はいつもどこに行ってもエスカレータを使わない。
ベーシストにも同じことがいえる。ベーシストには需要があるので街に来ると金になりやすい。だがリズムの温い仕事ばかり受けていると足腰が弱りリズムが悪くなる。
ベーシストのお前らはリズム力を金で売っているのと同じだ。
生活のためだって?馬鹿言うな。生活を考えたらサラリーマンになったほうがよっぽど安定していただろ。
日本外にいるとリズムの足腰が弱いと普通に蹴落とされるので楽だ。
日本はリズムのエスカレータがあちこちに配備されているので、心を強く持たないとあっという間にリズム足腰が弱る。
ぬるま湯に浸かっている人に熱湯をぶっ掛けると怒る。
外国でしばらく活動していたミュージシャンが日本に帰ってきて鬼の様になるパターンを何例か知っているが、それはその人が鬼なのではなくて、実は日本のミュージックシーンにいる人全員が足萎えだということなのだが
海に囲まれて安全が無料な国のジャズミュージシャンには何を言っても聞くはずがない。
リズム音痴という耳をつんざくばかりのブーイングは、日本人の耳には届かない。
竜宮城には上手なベーシストが大勢いて下手なベーシストがベースを弾くと恐ろしい鬼がやってきて喰われる ─── 目の前に恐ろしい鬼がいて金棒でぶっ叩かれるなら理解するだろうが、僕が代わりにぶっ叩けば僕を恨んで僕を悪者にして排除するだけで、結局厳しさを理解しない。
日本は安全は無料だけど苦労は有料だ。
「苦労は買ってでもしろ」とはよく言ったもんだな…。
不思議なことに日本語には日本人を戒める言葉がたくさんある。
のに戒めない日本人。
寿司に乗せる魚を「寿司ネタ」というけどもこれは元々「寿司種」から来た逆さ言葉だ。要するに手品の種と同じだけど、寿司ではネタという。
寿司は元々日本が起源ではなくて、東南アジアの魚発酵食品が元になっている。実は僕も、タイにいた時にそれに近いほとんど有名でない郷土料理を見た。だけど生の発酵していない魚を乗せる寿司は、実は江戸前寿司と呼ばれていて江戸が発祥なのだそうだ。
日本ではジャズマンが逆さ言葉を使うのだけども、これを使う人は今では絶滅危惧種として指定されておりほとんど誰も使っていない。逃げる→ゲルニー等々。もうほとんど誰も使わない逆さ言葉でも広く一般認知されているものもあって、そのひとつが「タモリ」だ。タモリ氏の本名は「モリタ・森田」さんで、モリタを逆さ言葉にしてタモリと逆さ言葉にした芸名が有名になった。
だけど実は寿司種の種も逆さ言葉としてタネではなくネタと逆に呼ばれた状態で定着していた。しかもジャズマンの逆さ言葉よりも起源が古い。
僕の生まれは東京の海沿いで育ったのも海沿いだ。海沿いの人々は極めて荒っぽく金遣いが荒く暴力的で馬鹿だ。僕はそういう中で育って大変に苦労しただけでなく人生をボロボロに滅ぼされてしまった。そういうボロボロにされる過程で、海沿いに極端に古い魚屋があることも知っていたし、極端に古い釣り船屋があることも知っていた。
江戸っ子というと浅草という印象があるが、実は浅草名物の浅草海苔を作っていたのは僕の出身である大森〜蒲田〜羽田の沿岸だったらしい。江戸っ子といえば一般的に浅草と考えるだろうが、実態は実は東京の海沿いの僕がいるあたりらしいのだ。
つまり僕が日頃見ている大馬鹿野郎がまさしく江戸っ子の正体であるらしい。元々発酵食品だった寿司に発酵していない新鮮な生の魚を乗せて食わせるという発想も、直情的で喧嘩っ早い漁師の多いこの近辺の大馬鹿野郎の考えそうなことである。
ちなみに虎ノ門とかもう少し内陸の方にも江戸っ子は大勢いたらしい。ある江戸っ子のお年寄りの人に聞いた話を総合すると、あの辺の江戸っ子は恐らく1980年代に地上げに遭ってほぼ全員土地を追い出された様だ。ちなみに、そのお年寄りもまがいもなく後先考えない大馬鹿野郎だった。
僕が馬鹿なことばかりしているのは、恐らく僕にも大馬鹿野郎の血筋が入っていることによるようだ。道理で僕も荒っぽく金遣いが荒く喧嘩っ早いと思った。
逆さ言葉と江戸っ子というのは、何となくだが関係がある様に思う。僕が思うに江戸っ子の人はほとんど全員、縦乗りではない。江戸方言はそもそも相当に早口で何を言っているか判別がつかないほどに早い。 言葉のアクセント自体に頭合わせリズム がない。詳しくは 江戸言葉と関西弁の違い を読んで欲しい。だから江戸っ子が逆さ言葉を好むというのは僕の個人的な感覚として違和感がない。
僕は今なおリアル江戸っ子が生息している地域の出身であると同時に、西日本系九州系の出身でもあり、自分自身の性格が謎だ。全く真逆の事を同時に考えて同時に実行できる。
僕は全くの大馬鹿野郎だが、大馬鹿野郎の考えている事を理論的に分析して頭の良い方々にわかりやすく説明することもできる。
すると頭の良い方々に『お前らは何を馬鹿な事を言っているのか』ということを極めて論理だって説明する事になるらしい。自分を馬鹿と呼ばれることに慣れていない頭の良い方々にとって、その言葉はなかなか受け入れがたい様だ。
馬鹿の裏事情を熟知している僕が、頭がよいふりをしているだけの馬鹿の化けの皮をあっさり剥がしてしまうのだろう。
僕が怒られるのはそういう理由もある。
馬鹿に馬鹿と言って何が悪い。
日本人は責任感が強いという。だけど『自分がどこに行くか』に関しては全く真逆で無責任だ。 自分が何かをする理由は飽くまでも『言われたからやる』だ。そして失敗したら『言った通りやったのにどうしてくれる』になる。
日本は絶対に自力では変わらない。変えようとすると変えた人を徹底的に叩きのめして元に戻る。上手くいっても上手くいかなくても変えた人は殺される ─── だからこそ日本は、元寇とか黒船とか大戦とか原爆とかコロナとか、定期的にそういう外圧を受け入れることで体制を刷新してきた。
東京の最寄り空港は成田と羽田だ。このふたつは実はどちらも『民有地の土地取得』で建設された。成田は反対地元派による三里塚闘争が起きて長年揉めた。 ─── 実は僕の地元の羽田も同じなのだけど、成田とひとつ大きく違うところがある。
違いは、羽田を接収したのは日本政府ではなくてアメリカ政府という点だ。日本敗戦時に米国が暴力的に接収したあと、日本政府がその土地を引き継いで今もそのまま返還されていない。 それでも三里塚みたいに闘争が起きなかったのは、接収したのが日本ではなくて外国だったからではないか、と僕は思う。
羽田近郊を歩き回っていると、そういうアメリカ接収時の遺跡の様な場所があちこちにある。羽田に来て羽田空港外を歩き回る酔狂な人はいないだろうから、恐らくそういうことは地元民しか知らないだろう。
僕みたいにネイティブ地元人でありながら、同時によそ者でもあるというような人出ない限り、その事の意味を考えることもないだろう。地元人は大馬鹿野郎だし、よそ者はそこまで深い事情を知らない。
僕が10年前にアイルランドバーの経営をやっていた時に客で来ていたかなり大きい在タイのイギリス人ゴルフクラブの連中がつい最近まで活動をしていたらしいことを知る。
…世界を全く知らない無垢な僕に痛烈に毒を盛ってくれた(詐欺まがいの騙しをやった)連中だったが、久しぶりに見ると懐かしい。
外国の生活は、勉強した通りにはならない。そこは相撲の様な駆け引きがあり、将棋の様にコミュニケーションがあり、築地市場のセリの様な闘いがある。
「高等教育を受けると見えるようになることと、逆に見えなくなることがある。」 全ての教育がそういう訳ではないと思うけど、日本の教育には確かにそういう一面がある様に思う。
親の金ばかりに興味を持って親の面倒も見ない仕方ない息子だといいいい、話を聞けば実は自分も親の面倒を見ていないことが透けて見えたり、見るのなんかまっぴらということも透けて見えたり、知らんけど。
子に金を残すなんてばからしいといいいい、自分もいざ親の面倒を見る段になれば金でどうにかすればよい、と思っている。
そういうところから、実はその人が地方出身者で親を田舎に捨ててきた人なのだ…ということが透けて見えたり
街者は街が田舎なので、親の面倒も見るし、親を捨てて上京したって田舎が東京なので親から逃げられもしないし、
違うなら違うと言えばいいのに、いいもしないし、実は結構色々言いたいことがあるのも見えるのに、言う勇気もない。 で
正直になんでも言うと角ばかり立つ超少数民族の東京モン
『なんでも金で解決できる』って思っているツケが、人生の最後の最後で、そういう形で舞い戻ってくるものなのかも知れないが
親族をやっとこさ全員墓場まで送って自分を墓場に入れる奴が誰もいない大変さも知らず、勝手なことばかり言う…と正直思う。 人の面倒を見るというのは
人の面倒を見るというのは、最終的にゲンコツであって、金ではない。
タイとかラオとかの人は、親族の為に子が死ぬのは当然と思ってる節があって、そのために命がけで子を育てるし、そのおかげで子が死んだり親が死んだり普通にしてるから、僕も奴らと付き合っていて『お前は死ぬ覚悟があるのか?』と問いかけられて答えられないことが何度もあり
そんな何でもかんでも命がけで、ちっとも金を使って解決しない大馬鹿者が、繁盛して金持ちになるかといえば、ちっともならない。それはちっとも発展性がない。
だから、子が親の面倒を見ないで、親のことなど忘れて街で活躍しているということは実に素晴らしいことだ…と親は思っていた筈で、親は辛くても子のためを思って何も言わずじっと耐えていた筈で、
そんなことも知らずにノホホンと街で働いていたわけだ、お前らは。
で、自分が死ぬ番になって、ふと気付く訳ですな。貴様の親が貴様にしてくれたことを。
人生の最後の最後で、弁護士という死神が来て銀行通帳を取り上げていく ─── 成年後見人という悪魔を連れて。
子に遺産を残すなんてばからしい…って本末転倒じゃないのか?
…て年齢が倍以上ある年寄りに説教しても意味がないが
金を持ってると色々と、見えなくなるものがあるんだとおもう。それは間違いない。
『彼は損な奴だ。』 ───
だが彼が損得の為にやっているのでなかったとしたら、その発言は一体何が言いたいのだろうか。
能力も才能も、別に徳をする為のものではない。
逆にしてみる。
そんなことを言ったらまるで虚しいだけではないか。
───
だから人は、無意識のうちに逆側の感想を述べる。
ここに気付かない限り、人は前向きに進めない。
僕がブレンダ3Dというグラフィックスソフトの勉強をしていたのは2014年頃なのですが、当時の僕はアジアの辺境を放浪中の身で非力なパソコンしか持っておらず作業は全くはかどりませんでした。当時は仕方がなかったので、使い方の学習とそれに伴う英語のリスニングの訓練に血道を挙げていました。(当時のブレンダの学習リソースは全て英語で大半がビデオでした。)
今は2021年。手元にはクロック数5Gオーバーのi9マシンがあります。2014年とは比較にならない恵まれた環境です ─── それで昨日1日作業して取り敢えず出来上がったのが、この『消しゴム人形』です。
2021年最新パソコンに2021年最新バージョンのブレンダ3Dをインストールして作業しても、僕の技術は相変わらず2014年のまま進化なしでした…。
しかしこれではあんまりだということで、更に7時間程度悪戦苦闘して出来上がったのが、次の『寝室で踊るお兄さん』です。これで何とか6年分キャッチアップできた感があります。
当時は街から街へと走り回って電気屋さんを隅から隅まで探し回って機材を探していましたが、全く見つからず。レンダリング時間は1枚あたり3時間以上掛かり、出来上がりの感じを確認して修正するという作業に膨大な時間が掛かりました。もはや不可能と言ってよいレベルでした。 ─── が、その分語学が伸びたので良しとしなければいけないな、と思いました。
当時街のあちこちでタイ語方言や英語などの言語を操ってややこしい技術話をして回ったことが今生きています。YouTubeでかなり訛った英語でも聞き取れますし、タイ語もラオ語もその方言も中国語も聞き取れるからです。日本にいながらにして世界中の情報がてにはいります。
自動翻訳も英語に訳すと日本語に訳すより遥かに読みやすい文章を出力しますので、フラ語・スペイン語・ポルトガル語・・・等々の情報も比較的入手しやすくなってきました。
当時は苦労した割に全く成果が出ずがっかりしていましたが、今こうしてかなり大きな時間差と共に苦労の成果を手にしている感があります。
『寝室で踊るお兄さん』は何も考えずフルHDでレンダリングして1枚でたったの3分位程度なので、本当に簡単です。
Reproducible Steps ( Giant Steps Reharmonization )
ジャイアント・ステップスのリハモを作りました!
26−2やCount Down等々のように一般的なジャズ・スタンダードをジャイアント・ステップス進行に変えると面白くなります。逆にジャイアント・ステップスをスタンダードな進行に変えたらどうなるだろう、とふと思いついたのですが、考えてみるとそういう曲はまだありませんでした。そこで作ってみました。
僕は普段ネットを見る時は日本語を使わず英語だけでネットを見るようにしています。日本にいると外国語を使う機会はほとんどないので、普段から出来るだけ使うようにしないとどんどん忘れてしまうからです。それで最近見つけた面白いビデオで、アルゼンチンの野菜売りの女性のセリフを音楽化したビデオがあります。これは面白いだけでなく色々な勉強にもなりますので今回御紹介したいと思います。
実行してカーソルでウィンドウをクリックするとプロセスIDや実行コマンドライン等々が表示される。
zenity --info --no-wrap --text="$(ps -p $(xprop | grep PID | sed 's/[^=]*= *//' ) -o args | tail -n 1 )"
Decryption ( Billy's Bounce のリハモ ) を実際に演奏してみました。
関連記事:65536僕の周りには才能のある人がたくさんいる。だけどよく見ていると皆、全く同じ危うさがある様な気がする。「強烈な個性」のようなものを発揮する人はほとんどいなくて、それは「白紙」のような感じで何色にも染まってしまう。 ─── そこにたまたまあった絵の具の色に染まっていく。
ジャズには芸術と言語の二面性がある。芸術として見ればそこにどんな表現があってもよい。だけど言語として見るとそこには非常にはっきりした文法がある。文法が間違っていると通じなくなる「何か」がそこにはある。
華道では、並べる花は何であってもよいが、花を並べた時に美しくみえる配置にははっきりした規則がある。ジャズの芸術性と言語性の関係はそれに似ている。
日本のジャズ界には、ジャズの言語性と芸術性を混同している人が大勢いる。彼らは言語性の揺れを芸術性の多様性と倒錯し、言語性を失った他人に通じない自閉症的状態に芸術性を置いていることを自覚できず、自分の芸術が理解されない理由を「芸術の多様性と孤高」に安易に求めてしまう。
『白紙』の人はそういう言語性/芸術性の混同に頓着がなく、混同している人にも混同していない人にも心を開いてついていってしまう ─── 僕は見ていてそれがとても怖い。折角高い才能があっても善悪の頓着がない彼らは、言語性芸術性倒錯も屈託なく受け入れていってしまう。
ジャズを教えるに当たっては、絶対に自分の思想や芸術性を押し付けるようなことがあってはならない。だけど言語の模範を示す(幼稚園の)教諭のような存在は必要だと思う。
Linux で使われるデスクトップ環境で使われている "desktop" ファイルは、Windows のショートカットファイルの様な機能を提供します。これは小さなテキスト形式のファイルで、 ここにアプリケーションの実行開始に関する様々な条件を指定して決まったディレクトリに配置することによって Linux のデスクトップ環境にアプリケーションを登録することができます。
ところがこのファイルにGUIアプリケーションを起動する為のシェルスクリプトを指定して登録すると、ピンしたDesktopファイルのアイコンとの起動されたアプリケーションのアイコンが別々に分かれてしまい、アプリケーションランチャーに正しい状態でピン止めすることが出来ません。
ここではdesktop ファイルの作り方/配置方法と合わせてシェルスクリプトをアプリケーションランチャーにピン留めする方法を説明します。
MuseScore のアルペジオ機能を使うと効果的なギター奏法のシミュレーションができます。 (MuseScore3.6.2)
更新記録:オリジナル曲(…では厳密にはないですが)Decryption は長三度進行です。これと五度進行を組み合わせると結果的に短三度進行に変わります。これは2つの進行の組み合わせで違う進行に変わることを応用したもので、オーギュメンテッドスケール/ディミニッシュトスケールと密接に関連があります。これらを利用すると、作曲するときにとても面白い効果を出すことができます。
Decryption リード・シート及びコードチャート・・・4段になっており 各段がそれぞれ F/Ab/B/Db になっている。インタールードを挟んで転調するだけでなく、曲の途中で抜き打ちで転調したりして遊んでみたい。
ドラマーとフェザリングについて話し合った時、彼は「フェザリングはドラムの基礎だ」言ったので、僕は「そんな考えは大間違いだ」と言い放ちました。 彼は「フェザリングは昔から使われているテクニックでそれを否定されても困る。」といいました ─── そこではたと思ったのですが、 ひょっとして日本語で「フェザリング」と言われているものは、海外でフェザリングと言われているものと全く違うのではないか ───
オンビート・スリップストリームは、日本人の演奏するジャズにリズムのニュアンスがつきにくい理由を考察するにあたってキーワードとなる重要な概念です。今回はこのオンビート・スリップストリームについて解説してみたいと思います。
ガンダム挿入歌『悲壮、そして決然と』の前半部分のみを採譜しMuseScore3で自動演奏させてみました。
「タリラリラリッ」というアルペジオが印象に残るこの曲の冒頭はG7(#9)/Ab …つまりb9がルートになって#9がトップになったG7でコンビネーション・オブ・ディミニッシュ(コンディミ)から導出されるコードです。
このように ♮3 と b3が共存するコードは、一瞬オーギュメンテッド・スケールと聞き違えやすく、次に短三度転調するか、長三度転調するのか、或いはただの4度進行なのか予想しにくく、そこが聞いている人にとってのインパクトにつながっていると自分は思います。
更にこの曲ではこのG7が5連符に乗っています。これは4拍子の曲の先頭に敢えて異なる分割数の5連符を乗せることで聞く人の虚を突いて印象の残すテクニック…だと自分は考えています。
『難解』と敬遠されがちな奇数拍子ですが、実は、こういう誰もが知っているようなとても印象に残る曲をよく分析してみると、実はしばしば変拍子で構成されているものではないでしょうか。
曲の構成は飽くまでもシンプルにとどめて、オーケストレーションを丁寧に作りこんで印象深く聴かせるという、とても勉強になるアレンジでした。
MuseScore3のSND機能はあまり完璧でなく、どうやってもマーカーを目的の位置に置けないことがあるようです。ややコツが必要なようです。
2021年1月21日(木)
最初に聞いた音が1拍目表に聴こえる病は、日本人だけが持つ特有のリズムの癖です。日本人がジャズ/ロック/クラシックなどの西洋起源の音楽を演奏するにあたって、この最初に聞いた音が1拍目表に聴こえる病が起因して、様々なリズム上の問題を引き起こします。
日本人が邦楽を演奏するにあたってとても大切になる日本人のリズム習慣は、日本人が洋楽を演奏するときにはほとんどの場合で有害です。日本人のリズム習慣は海外のリズム習慣と真逆の習慣になっており、同時に演奏すると音楽の良さを打ち消し合う結果となります。きちんとその違いを区別して混ざり合わない様にすることがとても大切です。
以下で最初に聞いた音が1拍目表に聴こえる病とは何かを説明し、そして最初に聞いた音が1拍目表に聴こえる病が起因することでどの様な問題が起こるのかを順を追って説明したいと思います。
【オーケストラアレンジ練習】『虫めづる姫 - 久石譲』耳コピ/作業時間2日間(イントロのみ大体5時間・後半大体2時間)/鍵盤なし打ち込み (OS: Ubuntu 16.04.7 LTS, MuseScore version 3.6.0 )
Cannot Exit from VIM (オリジナル曲)MuseScore3の SND (Single Note Dynamics) 機能を試すために実験的に作った曲です。(2021年1月19日作成)
単純版 Actual Proof を作りました。今回この曲のアレンジでは、コード進行を単純なツーファイブに戻して、リズムを遅くしてスイングに変更してみました。
Actual Proof のリズムをよく調べてみると、実はこの曲のリズムは一般的なR&B(70年代以降の伝統黒人教会音楽)のリズムにベースが置かれていることがわかります。そこで実験として当時のゴスペル風に戻してみました。
Actual Proof はリズムが複雑ですが、コード進行も複雑です。この曲のコード進行は一般的なツーファイヴはベースになっておらず、モードがベースになっています。
モードがベースになった曲のコード進行はよく調べてみると、しばしば一般的なツーファイヴのコード進行が背景に存在するものです。 Actual Proofも多分に漏れず背後に単純なコード進行が隠れています。そこで今回は Actual Proof を単純なツーファイブのコード進行に戻してみました。
更新記録: