江戸方言と逆さ言葉
寿司に乗せる魚を「寿司ネタ」というけどもこれは元々「寿司種」から来た逆さ言葉だ。要するに手品の種と同じだけど、寿司ではネタという。
寿司は元々日本が起源ではなくて、東南アジアの魚発酵食品が元になっている。実は僕も、タイにいた時にそれに近いほとんど有名でない郷土料理を見た。だけど生の発酵していない魚を乗せる寿司は、実は江戸前寿司と呼ばれていて江戸が発祥なのだそうだ。
日本ではジャズマンが逆さ言葉を使うのだけども、これを使う人は今では絶滅危惧種として指定されておりほとんど誰も使っていない。逃げる→ゲルニー等々。もうほとんど誰も使わない逆さ言葉でも広く一般認知されているものもあって、そのひとつが「タモリ」だ。タモリ氏の本名は「モリタ・森田」さんで、モリタを逆さ言葉にしてタモリと逆さ言葉にした芸名が有名になった。
だけど実は寿司種の種も逆さ言葉としてタネではなくネタと逆に呼ばれた状態で定着していた。しかもジャズマンの逆さ言葉よりも起源が古い。
僕の生まれは東京の海沿いで育ったのも海沿いだ。海沿いの人々は極めて荒っぽく金遣いが荒く暴力的で馬鹿だ。僕はそういう中で育って大変に苦労しただけでなく人生をボロボロに滅ぼされてしまった。そういうボロボロにされる過程で、海沿いに極端に古い魚屋があることも知っていたし、極端に古い釣り船屋があることも知っていた。
江戸っ子というと浅草という印象があるが、実は浅草名物の浅草海苔を作っていたのは僕の出身である大森〜蒲田〜羽田の沿岸だったらしい。江戸っ子といえば一般的に浅草と考えるだろうが、実態は実は東京の海沿いの僕がいるあたりらしいのだ。
つまり僕が日頃見ている大馬鹿野郎がまさしく江戸っ子の正体であるらしい。元々発酵食品だった寿司に発酵していない新鮮な生の魚を乗せて食わせるという発想も、直情的で喧嘩っ早い漁師の多いこの近辺の大馬鹿野郎の考えそうなことである。
ちなみに虎ノ門とかもう少し内陸の方にも江戸っ子は大勢いたらしい。ある江戸っ子のお年寄りの人に聞いた話を総合すると、あの辺の江戸っ子は恐らく1980年代に地上げに遭ってほぼ全員土地を追い出された様だ。ちなみに、そのお年寄りもまがいもなく後先考えない大馬鹿野郎だった。
僕が馬鹿なことばかりしているのは、恐らく僕にも大馬鹿野郎の血筋が入っていることによるようだ。道理で僕も荒っぽく金遣いが荒く喧嘩っ早いと思った。
逆さ言葉と江戸っ子というのは、何となくだが関係がある様に思う。僕が思うに江戸っ子の人はほとんど全員、縦乗りではない。江戸方言はそもそも相当に早口で何を言っているか判別がつかないほどに早い。 言葉のアクセント自体に頭合わせリズム がない。詳しくは 江戸言葉と関西弁の違い を読んで欲しい。だから江戸っ子が逆さ言葉を好むというのは僕の個人的な感覚として違和感がない。
僕は今なおリアル江戸っ子が生息している地域の出身であると同時に、西日本系九州系の出身でもあり、自分自身の性格が謎だ。全く真逆の事を同時に考えて同時に実行できる。
僕は全くの大馬鹿野郎だが、大馬鹿野郎の考えている事を理論的に分析して頭の良い方々にわかりやすく説明することもできる。
すると頭の良い方々に『お前らは何を馬鹿な事を言っているのか』ということを極めて論理だって説明する事になるらしい。自分を馬鹿と呼ばれることに慣れていない頭の良い方々にとって、その言葉はなかなか受け入れがたい様だ。
馬鹿の裏事情を熟知している僕が、頭がよいふりをしているだけの馬鹿の化けの皮をあっさり剥がしてしまうのだろう。
僕が怒られるのはそういう理由もある。
馬鹿に馬鹿と言って何が悪い。