オフビートで思考する語学 とは私がツイッター上で語学/音楽のリズムでのリズムについて発言する時に使っているハッシュタグです。今回はこの オフビートで思考する語学 についてこの場をお借りして御紹介させて頂けましたら幸いです。
2022年5月29日更新: 末子音がない日本語 ─── 縦乗りを克服しようシリーズその22
2022年5月15日更新: 裏拍が先か表拍が先か ─── 縦乗りを克服しようシリーズその3
2022年5月11日更新: 頭合わせと尻合わせとは何か ─── 縦乗りを克服しようシリーズその2
オフビートで思考する語学 とは私がツイッター上で語学/音楽のリズムでのリズムについて発言する時に使っているハッシュタグです。今回はこの オフビートで思考する語学 についてこの場をお借りして御紹介させて頂けましたら幸いです。
最近(諸事情によりこの曲をよく聴いている。この曲のメロディーは縦乗りが強いのにあまり縦乗りが強くない。その理由はこの歌詞が英語だからだ。1音符毎に子音が2つ(場合によっては2単語で更に2つ)必要なため、音符1つを2つ以上に分割して認識する必要がある。https://t.co/Sxc7dXilbJ
— 岡敦 (@ats4u) July 28, 2022
サンプル音源1はこれかなと思う。
— 岡敦 (@ats4u) July 30, 2022
外国風を狙ったお洒落中国人の様にしか聴こえない。https://t.co/iMlkeuiz75
おぉ! リフの始まりが全て16分音符1つ弱起になっているではないか!
— 岡敦 (@ats4u) August 4, 2022
私が子供の頃に聞いた時は気付かなかったし、何なら数年前聞いたときも気付かなかった。だが今日、私は気付いた!https://t.co/jSGJOkc5aR
打点を早くずらす時、まずタラッ、タラッ という二音があり、自音をそれら打点の前のタにあわせるだけでなく、後ろのラにあわせることもできる必要がある。
— 岡敦 (@ats4u) August 3, 2022
結構ひさしぶりにシーカンソーの喜劇を見た…。それで思ったが、ラオ語は英語よりも末子音・頭子音のリズムの入れ替わりが強い。末子音の裏拍を聴き逃がすと全部聴き取れなくなるので、この部分のリズム認識を鍛える事が必要だと気付いた。https://t.co/hYOWJ9oBZS https://t.co/E8HE1T0ogo
— 岡敦 (@ats4u) August 6, 2022
先週このビデオを見てとても思うことがあった。フレーズ組み立ては頭合わせ(バイエル?)、メトロノームを打つ位置も頭合わせ、だけどリズムはいわゆる日本人の縦乗りの様に平坦にならない。
— 岡敦 (@ats4u) August 7, 2022
日本人の4分音符を認識する方法自体が違うことが浮き彫りになる例だった。
(比較する為のビデオを作成) https://t.co/AwPn54bRPW pic.twitter.com/zHQcjEVwsE
うーむ…。
— 岡敦 (@ats4u) August 7, 2022
何でドラムより後ろに下がるのかな…。遅い。気持ち悪い。これじゃ乗れない。どんなに楽器力があっても、このタイミングの悪さだけで全てが台無しに破壊されてしまうんだけど、彼ら真剣に、そのタイミングの違いが認識できないんだよな…。
ここに挙げきれなかったツイートは、基本的に次のスレッドを辿ると全て到達できる様になっている。
この数週間で気付いた事をまとめる時間が取れることを待つと終わらない。 取り敢えず今まで気付いた事を雑多なメモとしてリンクを集め、縦乗りを克服しようシリーズ(草稿)としてアップロードした。https://t.co/XGVse89OMj
— 岡敦 (@ats4u) August 7, 2022
… カッカッカッカッ
— 岡敦 (@ats4u) August 7, 2022
はいアウト!縦乗り!
(音を出す前から縦乗り判定が下るケース。本来は1拍目が始まる前から音を出す必要があるのに、氏は1拍目を待っている。1拍目を待つと、次の小節のフレーズが全て4拍遅れになることが確定し、リカバリも不能になる。)https://t.co/YnrWd4wTwu
あともうひとつ、日本人が絶対に出来ないのは交互手叩き。これも日本人がリエゾンを聴き取れないことと関連がある。これも多分同じ様に恐らく毎日10時間やっても恐らく習得まで大変に長い年月が掛かる。
— 岡敦🇯🇵 (@ats4u) September 23, 2022
Credit https://t.co/h0pSjp2e2F pic.twitter.com/W6YViF9ZFo
オフビートとリエゾンについての記事を執筆中です。
関連記事:65536『日本人はオフビートが演奏できない』と人はいいます。『日本人の演奏にはオフビートがない』とも人はいいます。では何故日本人の演奏にはオフビートがないのでしょうか。そこに疑問を持つと実は、その理由を誰も知らない ─── そんな日本のミュージックシーンに私はメスを入れるべく、ライフワークとして常日頃リズムに関していろいろな考察をしています。
そのなかでも最近私が気付いた日本人がオフビートの演奏ができない理由 ─── 理解してしまえば実に当然な理由 ─── を、本日はご紹介したいと思います。
その理由とは「日本人は自分がオフビートを演奏しようとしているから、逆にオフビートが演奏できなくなる」…これはどういう意味でしょうか。順を追って以下で見てみたいと思います。
…これはどういう意味でしょうか。
この1.と2.の間に、日本人自身が気がついていない驚くべき日本人の習性と、その習性がもたらす日本人の能力の限界がそこに隠れています。
この1.から2.へ至る経緯を順を追って見てみたいと思います。
まず皆様がメトロノームを鳴らして演奏する時、皆様は鳴らしているメトロノームはどの様に聴こえているでしょうか。何を当たり前の事を言うのか … と思われるかも知れません。しかしこれは人によって、そして時代によっても、そして実は母国語とする言語によって大きく変化するものです。
もしもそこにメトロノームが鳴っていたら、通常そのメトロノームはこの様に聴こえているのではないでしょうか。
このメトロノームをもし仮に以下の様に鳴っていると仮定して演奏してみてはどうでしょうか。
これは鳴っているメトロノームの音は全く同じですが、そのメトロノームの音に対する我々の聴覚上の認識自体を変える事を意味しています。
そこで既に鳴っているメトロノームを裏拍として認識しながら、表拍で手を叩く ─── たったそれだけのことですが、できません。
私は予言します。 これを読んでいる貴方も、メトロノームをこう鳴っていると仮定しながら手を叩く事が出来ません。
それは貴方だけではありません。
それは有名な音大を出て著名な演奏活動をしているような音楽家も例外ではありません。
なぜなら日本語を母国語とする人は、特別な矯正訓練を行うことなしに、このリズムを演奏することができないからです。
私は数多くの方々にリズム理論を教えて参りましたが、ほとんど全員が出来なかっただけでなく、相当な練習を積んでも尚、これを行うことが出来ませんでした。
貴方は仰るでしょう ─── 「こんな難しいことは出来ないのは当然だ!」
しかしとても残念なことなのですが、これが出来ないのは日本人だけなのです。ある研究によるとイランのある民族の方々も同じ習性を持っているという説がありますが、いずれにしても世界的にとても珍しい習性のひとつということは言えそうです。
日本人はこの日本語のリズムの独特さを認識することができません。
そして…
『メトロノームを裏拍と認識しながら自分が表拍で手を叩くことが出来ない。』
これは実は、日本人が、日本語のリズム認識の独特さを観察することが出来る唯一の機会なのです。
フラメンコの演奏を見てみましょう。彼らは2グループに分かれ交互に手を叩いています。
彼らは決して修練を積んだミュージシャンという訳ではありませんが、普通に2手に分かれて交互に手を叩いています。これは彼らの民謡なので、上手下手の違いはあっても、誰でも同じ手の叩き方が出来ます。
一方日本人は、この様に交互に手を叩く事が極度に苦手です。
恐らくこれを読んでいる貴方も「そんな訳はないだろう」と仰るかも知れません。
しかし実際にやってみればわかるでしょう ─── ほぼ例外なくできません。
一番簡単に御自身の手で御自身の認識の狂いを観察する方法は、メトロノームを鳴らして交互に手を叩くことでしょう。
現在一般的なメトロノームは電子式で非常に正確にリズムを刻むことが出来るため、すこし慣れれば出来るようになるかも知れません。
しかし相手が人間の場合は、不正確で少しずつ早くなったり遅くなったりしますので、電子メトロノームの様には行きません。
彼らは、そのように動きのある中でも交互に手を叩くことができます ─── しかし日本人は動きのある中で自分の手を叩くタイミングを調整することができません。
日本人は、何らかの自分とは異なるタイミングで鳴っている拍に対して、交互に手を叩くことができません。
日本人は、相手のタイミングの狂いにとても神経質に反応するだけでなく、相手が速くなると逆に相手が遅くなったと錯覚するという、間違った方向に速度を認識するという独特な感覚の狂いを持っています。
その為に自分の手を叩く速度を逆向きに調節してしまうため、しばしばテンポがどんどん速くなったり、テンポがどんどん遅くなったりして、一定のテンポを維持すること自体ができなくなります。
そしてその認識の狂いを自分自身で認識できない為、相手のテンポが狂った様に間違った認識をしてしまいます。しばしばこのように、お互いがお互いの間違いを糾弾しあうことで喧嘩すら発生します。
では、今度はメトロノームと同時に手を叩いてみてはどうでしょうか ─── 今度は簡単に出来たのではないでしょうか。
このことから少なくとも次のことがいえるでしょう。
実際には、一定間隔でなる拍を二等分に分割することと一定間隔でなる拍と同時に手を叩くことに身体動作のとしての違いはありません。
ただ単に相手の拍と自分の拍との距離が半分になるように調整しながら叩くだけです。
しかし日本語を母国語とする人はこれが出来ません。
何故でしょうか。
それはメトロノームを裏拍として手を叩くことができないことと関係があります。
その事を私は『最初に聞いた音が表拍に聴こえる病』と呼んでいます。
メトロノームを裏拍と認識して手を叩く事が出来ないのは、何故なら第三者が提示した拍が必ず表拍に聴こえるからです。
ここからとても当然なことがわかります。
私達がメトロノームを裏拍として認識しながら演奏する事ができないことを見ました。
つまりもし誰かが裏拍を弾いても、一緒に合奏する演奏者はそれを裏拍と認識することができないということを意味しています。
つまりどんなに裏拍を演奏しても、共演者がその演奏された裏拍を表拍として認識してしまう以上、それを無意識の内に表拍に聴こえる様に位置を修正してしまうため、どんなに裏拍を演奏してもそれは表拍として修正されてしまいます。
「そんなことはないはずだ。」
「何故ならば、日本人は裏拍を演奏しているではないか。」
しかし日本人の裏拍の認識の仕方は、裏拍が認識できない人が裏拍を認識しなくても良い様に考え出した一つの苦肉の策になっています。
それを次に見てみましょう。
勝手に例として挙げてしまい大変恐縮なのですが、裏拍が中心となる音楽を日本人が演奏するとどういうことが起こるのかが、とてもはっきりと観察できるとても良い例でしたので、ここで御紹介させて頂けましたら幸いです。
大変厳しい修練を積んでいる事がわかります。しかしパラパラと裏拍がずれていることが観察できます。また表拍でとても大きな足踏みをしていることも観察できます。
ここで起こっていることを模式図として表してみました。
日本人は相手が演奏する裏拍の位置を認識する事が出来ません。
この状態で裏拍を演奏する為には、まず2人の演奏者がお互いの表拍の位置を共有している事が全てにおいて最も重要な事となります。
この上図の様に前者と後者が共通の表拍の位置をしっかりと認識した上で分割する拍を演奏します。
しかしその分割した拍を認識する事が自体が出来ないことから、その分割した拍と拍の位置関係を正確に図ることができません。
何故なら裏拍の位置を認識できないからです。
そこで鳴っている裏拍を聞こうとすると、それが表拍として聞こえてしまうため、それ以上の拍の認識を行うことができません。
これが日本人の裏拍の位置が安定しない理由です。
この状態でどんなに厳しい訓練を行っても、絶対に裏拍の位置は安定しません。
相手が裏拍を演奏すると、それが表拍に聞こえてしまう。
その状態で裏拍を演奏する為には、裏拍を聞かない様に努力するしかありません。
何故ならそれは目をつぶってスイカ割りをしているのと全く同じ状況だからです。
どんなに厳しい訓練をしても絶対に裏拍の位置が安定しないのは、だからです。
そもそも裏拍を認識するとは一体どういうことでしょうか。
それを理解する為に、そもそも相手が叩く拍の裏拍で手を叩くとは一体どういうことなのかを考えてみましょう。
あるミュージシャンAさんが一定の時間間隔で手を叩いているとします。
そしてもう独りのミュージシャン(貴方)は、Aさんの拍に対して裏拍の位置で手を叩くとします。
そこで裏拍を叩く為にまず最初に必要な作業は何でしょうか。
まずAさんが叩く拍を何度か聞き、その距離を図ることです。
そうすることで貴方は、Aさんが叩く次の拍が来る位置を予想することができるでしょう。
そして貴方は、Aさんの拍を何度か聞きAさんが叩く拍の長さが図れた後で、その予想された拍が来る地点の半分の位置で手を叩くでしょう。
ここまでは問題ありませんでした。
次に必要なことは何でしょうか。
─── それは位置を修正することです。
人間はメトロノームと異なる為、必ずしも正確に時間を測定できる訳ではありません。
その拍の長さには誤差があります。
よって相手と自分の拍の位置は、何もしなければ徐々にずれていきます。
この表拍と裏拍で手を叩く2人は、お互いがこのずれを図りながら極端にお互いの拍の二等分地点から大きく逸脱してしまうことがないように、微調整を行う必要があります。
つまりここで必要なことは、Aさんが貴方が叩く裏拍の位置と、Aさんが自分で叩く表拍の位置の両方を認識しながら、Aさんの叩く拍の位置を調整する必要があります。
つまりこれは、メトロノームを裏拍と認識しながら表拍を叩く作業、そのものです。
最初に我々が、メトロノームを裏拍と認識しながら表拍を叩く作業が、出来ないということを見て参りました。
つまり相手が裏拍を叩いていても、その裏拍と自分の拍との距離を図ることができず、お互いがお互いの二等分地点から大きく逸脱することがないように調整する、という作業自体が出来ません。
そして、これは貴方がAさんの表拍との距離を図っている時にも起こります。
Aさんが叩く表拍の裏拍で手を叩く貴方は、数十秒後にその拍の感覚を認識する感覚に徐々に疲労が起こり、Aさんの叩く拍が裏拍として聞こえてくる瞬間がやってきます。 するとその裏拍と自分の表拍との二等分点を大きく逸脱しないように調整する必要がでてくるでしょう。
ところがこれは、メトロノームを裏拍と認識しながら表拍を叩く作業そのものです。我々がこの作業が苦手だということを先だって見てまいりました。
つまりここから、メトロノームを裏拍として認識しながら手を叩く作業は、正に裏拍を認識するという認知作業そのものを表していることがわかります。
つまり、相手の拍を表拍として認識しながら自分が裏拍を叩くという作業は、相手の拍を裏拍と認識しながら自分が表拍を認識する作業と表裏一体です。
ここから私達は、私達のリズムに対する感覚が実は半分欠落している事を観察することができた…と言えるのではないでしょうか。
これは日本語の発音構造ととても大きな関係があります。
この図は、日本語の発音と英語の発音を模式的に表現したものです。これは必ずしも正確ではありませんが、感覚的にわかりやすくはあるのではないかと思います。
この様に日本語は必ず表拍から始まり裏拍へ移行する(子音から始まり母音で終わる)というリズム上の特徴があります。一方英語ではしばしばリズムは裏拍から始まり不規則に表拍の長さが伸び縮みしつつ再度裏拍からリズムが始まる…という複雑な変化をしながら進むという特徴があります。
またここでは便宜上英語を比較対象として出していますが、必ずしも英語だけに特徴的な違いではありません。私はタイ語・ラオ語を話すことができるのですが、タイ語・ラオ語共にほぼ同じリズムの違いが存在します。
日本語は英語などの他の言語と比べて、次の特徴があります。
日本語にない概念を日本語で理解する為には、誤解を招かないように大変に慎重に言葉を選ぶ必要があります。
またあまりにも抽象的で感覚的につかみにくくならないように、熟考を重ねた平易な表現を使う必要があるでしょう。
というジレンマがあることを御紹介致しました。
外人はどうでしょうか。
まとめてみます。
裏拍を演奏する時、
当たり前の様で誰も気付かなかった当たり前な法則です。
今回のこの記事はここで筆を置きたいと思います。
これらは、私たち日本語話者の文脈から見ると、それぞれ数冊の本が出来るほどにとても複雑な要素を持っています。
しかし日本から一歩でも出てしまえば、それは学術的でも何でもない、その辺りの人々ですら当然のこととして受け容れている、ごく当たり前なことでもあります。
語学と音楽は同じだ。リズムは語学だ、語学は音楽だ、と刺激的なパフォーマンスで人を呼び寄せる人は大勢いるでしょう。
しかしそれは実は感覚的でも何でもないごく当たり前な違いの積み重ねでしかありません。
私は学者でも何でもありません(どころか私は高校すらまともに卒業できなかった中卒です)が、このことに気付いた数少ない日本人となってしまったようです。
当初はジャズの演奏方法として考え出したリズム矯正トレーニングでしたが、その本質は語学(英語)そのものだということが、徐々に明らかになってまいりました。
裏拍が取れないということは、英語が苦手になる理由と全く共通であり、裏拍を認識するトレーニングは英語のトレーニングにもなっているということが徐々に明らかになってまいりました。
この縦乗りを克服しようシリーズも50回を迎えることになりましたが、その50以降は外国語の発音構造の説明と、それが音楽の演奏にもたらす影響についてお話ししていこうかと思います。
どうか今後共によろしくおねがいいたします。
関連記事:65536
僕がブレンダ3Dというグラフィックスソフトの勉強をしていたのは2014年頃なのですが、当時の僕はアジアの辺境を放浪中の身で非力なパソコンしか持っておらず作業は全くはかどりませんでした。当時は仕方がなかったので、使い方の学習とそれに伴う英語のリスニングの訓練に血道を挙げていました。(当時のブレンダの学習リソースは全て英語で大半がビデオでした。)
今は2021年。手元にはクロック数5Gオーバーのi9マシンがあります。2014年とは比較にならない恵まれた環境です ─── それで昨日1日作業して取り敢えず出来上がったのが、この『消しゴム人形』です。
2021年最新パソコンに2021年最新バージョンのブレンダ3Dをインストールして作業しても、僕の技術は相変わらず2014年のまま進化なしでした…。
しかしこれではあんまりだということで、更に7時間程度悪戦苦闘して出来上がったのが、次の『寝室で踊るお兄さん』です。これで何とか6年分キャッチアップできた感があります。
当時は街から街へと走り回って電気屋さんを隅から隅まで探し回って機材を探していましたが、全く見つからず。レンダリング時間は1枚あたり3時間以上掛かり、出来上がりの感じを確認して修正するという作業に膨大な時間が掛かりました。もはや不可能と言ってよいレベルでした。 ─── が、その分語学が伸びたので良しとしなければいけないな、と思いました。
当時街のあちこちでタイ語方言や英語などの言語を操ってややこしい技術話をして回ったことが今生きています。YouTubeでかなり訛った英語でも聞き取れますし、タイ語もラオ語もその方言も中国語も聞き取れるからです。日本にいながらにして世界中の情報がてにはいります。
自動翻訳も英語に訳すと日本語に訳すより遥かに読みやすい文章を出力しますので、フラ語・スペイン語・ポルトガル語・・・等々の情報も比較的入手しやすくなってきました。
当時は苦労した割に全く成果が出ずがっかりしていましたが、今こうしてかなり大きな時間差と共に苦労の成果を手にしている感があります。
『寝室で踊るお兄さん』は何も考えずフルHDでレンダリングして1枚でたったの3分位程度なので、本当に簡単です。
半音階ドレミは、ドレミの改良版です。普通のドレミでは、半音を ド♯(ドのシャープ) シ♭(シのフラット)などと長い名前がついていますが、半音階ドレミはこれらの半音についてもド・レ・ミなどと同じような1音で言い切れる名前をつけます。こうすることによって、普通のドレミでは正しく読むことができない全ての音程を正しい音程で読もうというのが、半音階ドレミの趣旨です。今回はこの半音階ドレミについて説明したいと思います。
この曲を知ってから何年も経った。10年近く、歌詞の意味が聞き取れるどころか読むことすら出来なかった。今ふと気付いたら、全部聞き取れるようになっていた。更に意味もわかるようになっていた。
ข่อยฟ้าวเว้าต่อตอบว่าแม่นอยู่
ฝรั่งฮ้อง Oh! Yes แมนยู
ทีมฟุตบอลแมนยู
เวรีก็ค
เวรีก็ค
僕がラオ語を話さなくなってもう2年近く経ったが、明らかに語学が上達している。これは恐らく僕が最近開発したリズムトレーニングシステムを続けた成果ではないかと僕は思っている。 日本語話者は2341と弱起付きで入るリズムが聞き取れない。だから2341の弱起つきリズムを練習すると、外国語(日本語以外)が聞き取れるようになる。
この曲はラムトゥーイというラオ民謡の形式に基づいており、リズムは3拍の弱起のついた2341という順番のリズムで構成されている。日本人はこの日本人は2341リズムが聞き取れない。
ここで「2341リズム」という説明をして理解できる日本人は誰もいないだろう。それだけでなく、今までの僕自身の経験からいっても、日本人の目の前で数時間に渡って目の前で2341リズムを実演しても、決してそれを聞き取ることができない。 だからビデオでこれを実演しても2341リズムを理解することはできないだろう。2341リズムを聞き取ること自体ができない。そもそも、それが2341リズムなのだと認識できない。それだけでなくそのリズムが聞き取れない…ということ自体に気付かない。そして2341リズムが聞き取れないということに興味がない。だから、この話題を出しても誰もそれが重要なことだと気付かない。このリズムを教えても、そこが重要なポイントと思ってないので、修正もできない。
大変に驚くべきことだが、この言語リズムの壁を乗り越えるのは、大変に難しいことだ。だが僕はこれを日本語の文脈に輸入することをライフワークとしてやっていこうと思っている。
自分の実家は繁華街の中にあり、生活するうえで駅前を定期的に通過します。駅前には大勢のポン引きの方々が勤務しています。彼らは旅行客を専門に生計を立てているため、地元人と旅行者を確実に見分けて声を掛けることが彼らの重要なスキルとなっているようです。
駅前を歩いていますとポン引きの方々と目が合うのですが、ここで目配せだけで地元人と伝えるスキルが重要となってきます。ポン引きの方々にしてみても、地元人に声をかけてしまうと時間ロスとなるので、彼らに迷惑を掛けないためにもきちんと誤解のないアイコンタクトを実行することが肝要となります。
今日もいつものようにポン引きの方々とのしばしのアイコンタクトを実行していたのですが、そんななか、ふとタイの首都バンコク放浪中のことを思い出しました。
ドラマーのSさんと延々とリズムトレーニングをしました… 8分音符1つずれカウントをしながらドラムを叩いて、間違えた音を1音1音修正していく根気のいる作業でした…
リズムとは発音そのものではないかと思うのです。
弾くこと自体は誰でもできる簡単なフレーズだが日本人のアドリブには絶対に出てこないリズム ─── 伝統的なジャズの基礎リズムパターンだけど、日本語がネイティブなジャズマンの大半の人ができていない…という現状がある。弾けないだけでなく、メンバー内の誰かがこのリズムを多用したときに正しく小節数を数えることができなくなってしまい、演奏がずれてしまう。