自分の実家は繁華街の中にあり、生活するうえで駅前を定期的に通過します。駅前には大勢のポン引きの方々が勤務しています。彼らは旅行客を専門に生計を立てているため、地元人と旅行者を確実に見分けて声を掛けることが彼らの重要なスキルとなっているようです。
駅前を歩いていますとポン引きの方々と目が合うのですが、ここで目配せだけで地元人と伝えるスキルが重要となってきます。ポン引きの方々にしてみても、地元人に声をかけてしまうと時間ロスとなるので、彼らに迷惑を掛けないためにもきちんと誤解のないアイコンタクトを実行することが肝要となります。
今日もいつものようにポン引きの方々とのしばしのアイコンタクトを実行していたのですが、そんななか、ふとタイの首都バンコク放浪中のことを思い出しました。
バンコクに滞在していた後半、僕は既にタイ語の東北方言が話せました。これは実は「ラオ語」と言われる方言で、発音がとても複雑で聞き取りが非常に難しい言語です。ですが僕はこれが話せましたので、普通は外人が絶対に入っていけないゲットーにある飲み屋や市場などにお邪魔させて頂いておりました。また日本人がラオ語方言を話すのはとてもめずらしいことで、面白がられ、地元の方々(というか出稼ぎでバンコクに住んでいる方々)には色々と親切にして頂いたことを思います。
バンコクにもたくさんの外人相手のポン引きがいるのですが、彼らポン引きの食い扶持を稼がせてあげるようなアクティビティに興味がない僕は、彼らにとって時間ロスの原因でした。彼らに迷惑を掛けない様に、僕がいちおう「地元人」であるということを目配せだけで伝えなければいけません。
このバンコクのポン引きのアイコンタクトの『速さ』『確実さ』は特筆に値します。目配せだけで僕が地元人であるということを伝えられなかった人は滞在中ほとんどいなかったことを思います。
とにかくバンコクに出稼ぎで来ている農村出身の方々の『視力』は凄まじく100m以上離れている人でも普通にアイコンタクトが通じます。
また彼らは極めて察しがよく、タクシーの運転手などは、僕が立っている場所や目の動きなどで行き先を察知しており、行き先が渋滞の多い方面であれば全力で『見てみぬふり(婉曲な乗車拒否)』をして遠ざかっていきます。なので、渋滞の多い方面にタクシーを利用する場合は何食わぬ顔で全く違う方面に行くような演技を打つ必要がありました。
タイを訪れた日本人の友人が、僕が目配せだけでタクシーを止めたり、目配せだけで食事を注文したりする様子を見て「いつの間に頼んだの!?」と目を白黒させていましたが、とにかくタイ人のアイコンタクト精度の高さは特筆すべきものがあります。
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そんなタイ人ポン引きの察しの良さを思い出しまして、そしてこの今僕が見ている日本人ポン引きの反応を見ると思うのは、反応速度のあからさまな違いです。
僕は明らかに日本人顔なので、バンコクで僕が地元人である可能性は非常に低いのですが、にも関わらず目配せだけで僕が地元人と気付くタイ人ポン引き。
そして僕はこの日本の地元辺りの駅周辺では明らかに地元人顔で、僕が地元人である可能性は非常に高いのですが、それでも目配せだけで僕が地元人だと気が付かない日本人ポン引き。
タイの人間観察力の底力の違いを思うのです。
実は僕は2005年から12年間の海外放浪中に実は何度か乱闘事件に巻き込まれたことがあります。幸運なことに僕は難を逃れたものの近傍の方が怪我を負ったケースがあります。また何度か身近で事件に遭遇し、身近の人が亡くなってしまったり…ということが何度かありました。
僕は海外滞在中そういう暴力事件について話すことを戒めていましたし、今でも戒めています。しかしやや思う所があるので、今回は書いてみようと思います。
日本は治安がとてもよいです。海外も通常は治安が良いですが、多民族が混在している環境なので、しばしば、ある程度気をつけていなければといけない注意点がいくつかあったりすることはあります。
タイの人はいつもニコニコしており温和で大抵はとても友好的ですが、そういう中にもいくつか暗黙の掟のようなものは存在しており、彼らの掟を明確に意図して何度も破った場合、彼らは極めて攻撃的です。
彼らを観察していると、彼らの身のこなしが非常に速いことに気づきます。視力もとても良く、動くものに対する反応動作が速いのです。
またそれが個人の特別な能力としてではなく、全般的に平均して高いことがわかります。なのである程度の注意力を持っていれば、彼らが喧嘩で非常に強いだろうことは推測できるのではないか…
と僕は思うのです。
実際に彼らは非常に喧嘩に強いのです。ニコニコしてのっそりのっそり歩いている彼らが瞬間的に攻撃を開始して大きな白人を次々になぎたおしていく…という様子を僕も何度か目撃しました。タイには日米地位協定の様なものがないので、タイ人は遠慮なく白人を殴ります。また法律も対等ではないので、殴られた白人は大抵泣き寝入りをすることになります。
日本人の有名な格闘家がタイに遠征してタイ人格闘家にボコボコに負けてしまうというのはよくある話ですが、いつもゆるーくニコニコしている温和な彼らは、実際には非常に当たりが強く極めて喧嘩に強いのです。
タイの人が温和なのは何故なのでしょうか。僕はそれは衝突したら確実に死人が出る…と理解しているからではないかと僕は思うのです。タイ人は非常に喧嘩に強く、一度本気で喧嘩になってしまうと、しばしばどちらかが死んでしまう
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だから喧嘩のリスクが非常に高い。つまり彼らが喧嘩するときは相手を殺すと覚悟した時だけではないか、と思います。
僕が見たある喧嘩では、不意に蹴り倒した相手の首元を容赦なく踏み潰していましたし、あぁこの人は首の骨を狙ってるな、と僕も即座に理解しました。倒された彼はやってはいけない暗黙の了解を堂々と破っていたのでやむを得ないですが、それを見た時僕は「あぁタイ人はやるときはやるのだな」と非常に冷めた目で見たことを覚えています。
タイ人は喧嘩に非常に強い。強いからこそ暴力の恐ろしさをよく知っている。だからこそ、繁華街をうろつくどんな強面の屈強なボディーガードでも、いつもニコニコ顔、常に温和で絶対に相手を罵るようなことがなく、威張らず謙虚な人格者で滅多に怒らない。多少の粗相は全く気にもせず相手を許すことを再優先に考えている。
僕が住んでいたバンコクのある集落には、有名な仏塔がありました。僕は親しい友人にこの寺周辺が出身の地元人がいたので、よく連れて行ってもらいました。僕もしばしば寺に行き、仏塔の頂上に上り、瞑想させてもらっていました。寺では、怒りを収めよ・他人を許せ…と教わりました。
タイの人は歩いていても、滅多に人にぶつからないです。またわざと近くに歩いて行ってぶつかろうとしても避けてしまうので、滅多にぶつかれません。そういう視力がとてもよいタイ人。そんな情景を、僕の地元駅周辺の避けても避けても自分からぶつかってくる不注意な歩行者を見ながら思い出します。
タイでは、喧嘩になると確実に血を見る。よって喧嘩にならない様に色々と嘘を言ったり方便を言ったりして誤魔化したり騙したりするのがこの地の常識なのですが、タイ人は実に嘘にさとく、騙すのも一苦労です。また向こうもこちらをすぐ騙しにくるのでうかうかできません。実に巧みな演技で騙しにくるタイの方々。
しかも騙された!と気付いたときに「何で騙したんだ!」と詰め寄ると、また血を見ることになってしまう。よって騙されたふりをすることも重要になってくる。笑顔が眩しいお祖母ちゃんや可愛らしい子供が列をなしてやってきては見え透いた嘘をついていくわけですが、そういう嘘を見ても見ぬふりをしつつ、怒らず、温和に適度に騙されたふりをしてあげていきます。
そういう『笑顔が可愛いお祖母ちゃん』や『つぶらな瞳の天使の様な子供』という強敵が真顔で嘘や騙しにくる修羅の国の騙し合い闘争のなかで僕は10年以上、もみくちゃになりながらやってきました。
タイ人はしばしば非常に計算が苦手で、日本人の様な難しい論理を操るのは無理なことが多いです。それは具体的に目に見える形で国家間の経済力の違いとして観察することができます。
しかしタイ人の『人間力』の高さは、全く日本人の及ぶところではないように感じるのです。セルフコントロールが得意で、人間観察力が高く・動体視力が良く、リズム感が良い。それが彼らの日常的な動作のここそこからいつもにじみ出ていると感じます。道を歩く人々の動きの良さ、身のこなしの速さ…等々が日本人と全く違う。
タイ人は全く知識のない田舎のおじさんですら外人と確実にコミュニケーションできます。知らない言語を話す人としばらく会話することでそこから知らない言語を学んだりもできます。
音楽を演奏するときも、どんなジャンルを演奏させても、感情が相手に伝わるような演奏ができる。そこに自然に人だかりができる。それも国籍を超えて誰もが集まる
─── そんな演奏を老若男女の誰もが当たり前のようにできる。
僕は、タイの多民族環境の複雑な人間関係の中で何度も笑顔の一撃を喰らいました。反撃することは許されない手痛い一撃です。僕は笑顔で「よく考えてみると実は痛烈な皮肉になっている冗談」で応酬するも、それは無力であります。圧倒的な人間力の違いに打ちひしがれました。
僕は日本人として、この『日本人の人間力の低さ』という事実と謙虚に向き合う以外にない…と感じます。
そしてそれは他人に対して勝っていれば良いという様なものでは決してない ───
というようにも思うのです。強いていえばそれは、自分に対して勝っていなければいけないのではないか
─── と思うのです。
何に対しても自分よりも圧倒的に強い者の存在を想定して努力する謙虚さ。対象を謙虚に観察し、自分との違いを見つけ出し冷静に分析することで、その本質を見極めていく冷静さ。怒りなどのネガティブな感情を修めて冷静さを保つ能力の圧倒的な違い。能力差をどうカバーするか。
能力差をカバーする為に何を使うのか。何を学び、何を諦めるのか。
それがアジアで唯一、敗戦しなかった国『タイ』での経験から僕が思うことです。
【色黒な方々との戦記】或いは【日本人の人間力の底力】 (Tue, 29 Sep 2020 05:00:06 +0900)