実はラオメロ病とは僕が作った造語だ。ラオスに行ってラオ人にメロメロになって精神的に駄目になってしまうことを指す。これは戦争中にビルマに渡った日本人がビルマ人の優しさにメロメロになってしまい精神的に駄目になってしまうこをとビルメロ病と呼んでいたことにちなむ呼び方だ。
─── それで僕も最近知ったのだが、『ビルメロ病』『ラオメロ病』と似た病気で『ジャパメロ病』というものもあるようだ。
「私はタイ通が嫌いだ!」
タイ通にありがちなこと 〜 ラオメロ病の恐怖
僕がラオメロ病についての記事を書いたのは2010年頃で、2020年の今から考えるとだいぶ前だ。当時僕はラオ語がまだそんなに上手でなかった。今の僕はラオ語や英語の読み書きが大分上手になったので、外国語で日本語の話をすることも多くなってきた。何よりも2010年と2020年の最も大きな違いはネットの発展だ。2010年ごろはそんなにネットが発展していなかった。 2020年はフェースブックやツイッターが爆発的に普及したことから、外国の人と討論をするチャンスがとても多くなった。
更に2020年の今、世界的な日本ブームが起こっており、日本製のアニメやドラマなどが世界中で人気が高まってきたことから、日本語を学ぶ人がとても多くなった ─── ということで僕は腐ってはいるが日本人ということで、英語やタイ語で日本語のことを説明する機会が多くなってきた。
─── のだがそれがあまり具合が良くないのだ。
タイで見る日本人の世界
僕はもう日本語でタイ語や英語のことを説明することをほとんど諦めている。日本人タイ語学習者は大分減ったが2010年頃はとても多かった。タイバーツが今よりずっと安かったので、タイに長期滞在する人が多かった。ところがタイに滞在するような日本人はタイに幻想をつのらせ、全く現実が見えないことが多かった。タイに長期滞在するような日本人はしばしば厳しい訓練が苦手だった。タイ人はその点に関して非常に寛容な民族で、外人が多少タイ文化に幻想を持って間違ったことを言っていたとしても、それはそれとして柔軟に受け容れてしまうところがある。タイ人は、英米の人たちの様に面と向かって相手の意見を反論するようなことはほとんどしない。そういう寛容さのなかで日本人は、タイ人に対してほとんど幻想といって差し支えないほどに現実から大きく乖離した間違った認識を募らせていく。
僕は現実主義なので、状況がどうであれきちんと現実を直視して現実に即した行動を取ることを好む。しかしタイ滞在日本人はタイに対する大きな幻想を持っており、これを破壊されると卒倒し動転して逆上する人が多かった。よって幻想と戯れているタイ滞在日本人との意見の相違が原因でトラブルになることがとても多かった。
幻想的なタイ滞在日本人の見解はしばしばとても差別的で、聞いているだけでも不愉快なものが多かったが、タイ滞在日本人はしばしば語学的な厳しさには全く耐える能力を持たず、能力的にもそれを理解するだけの許容量を持たなかった。彼らはタイ人の寛容性にメロメロになってしまい、そこから全く先に進めない。
だから僕は現実問題として、日本人に日本語でタイ文化について説明することを完全に諦めた。それが如何にタイ社会のなかで暮らす人であっても、それが如何に生活上重要な知識であっても、僕はもう説明すらしない。日本人はそれを理解する能力を持っていない。
─── これと同じことが実は、日本人を勉強する外人にも起こっているらしいことを知った。
日本で見る外人の世界
タイ人は曖昧な民族だ。曖昧にすることで相手との衝突を回避する ─── しかし日本もタイ人と負けず劣らず曖昧な民族だ。日本人が、日本語を一生懸命勉強する外人さんに面と向かって、文法のここが間違っている、あそこが間違っている等々の反論をすることは、絶対にないだろう。本当のことを言わない ─── 実はこの点タイ人も全く同じなのだ。僕はタイで、誰も正しいタイ語の文法を教えてくれないことでとても悩んだ。タイ人に文法的な間違いがあるかたずねても「いいよ!」「いいよ!」しか言わないので、結局のところどれが正しいのかわからない。だから僕はここに関して非常にストイックなアプローチを取った ─── ドラマやコメディを聞いてセリフを完全に暗記するということをよくやっていた。実例に多くあたっていくと直感的に「これだけは絶対にないだろう」という勘所が見えてくる。もちろんわからないことは仲の良い人に教えてもらうことも多かったが、基本は自学自習だ。ストイックな観察 ─── タイ人のような曖昧さで人間関係の衝突を回避する人たちの文化を学ぶためには、それ以外に方法はない。
─── 日本人も同じようなところがある。日本文化について日本人にたずねても、なかなか本音を言わない。「いいよ!頑張ったね!」「日本語上手だね!」ネガティブなことは一切言わない日本人。そういうなかで日本語学習の外人は、日本に対する幻想を募らせてしまうようだった。
僕は今、英語とタイ語に関して読み書きは全く問題ない。特に現地で色々な方言を研究していたので、聞く話すもとても得意だ。だから日本人が独りもいないような外国の現地人がたむろしているような場所にも全く問題なく入っていける。
だがどうやら、こういう日本人は非常に稀な存在らしいのだ。外国で外国の人が語る日本語のトピックは、どれもこれも酷いものばかりだ。思い込みや勘違いが蔓延っており、見ているだけで物凄く気持ちが悪い。ところが僕の様に日本人が全くいない場所にもつかつかと我が庭を歩くように入っていける日本人はほぼ皆無なので、そういう場所に日本人が来て日本語の間違いを直すということも絶対にありえないらしいのだ。
日本語を勉強する外人は、そういうバーチャルな島国空間のなかで日本に対する過大な幻想を募らせていく様だ。そして、その幻想を壊されることを好まない人が多い様に思う。
僕の反論
僕は何度かタイ語や英語で日本語に関する討論をした。だがとにかくみんな物凄く頭が堅く、なかなか僕が言っていることを理解しない。 僕は永遠に続くかのような反論に長々と返答することになる。それで気付いたのだが、外人に日本文化を説明することは、日本人にタイ語のことを説明するよりも、日本人に英語のことを説明するよりも、ずっと難しい。「何でそうなっているのか!」「何で辻褄があわないのか!」僕だって日本文化について「辻褄があわない」「何でそうなっているのかわからない」とは思っているのだ。日本人の僕だって日本文化の全てが合理的だとは思っていない。だが日本は島国で外部から隔離されていることから、物事が非常に独特な状態のまま安定して定着してしまった非常に珍しい文化が無数にあるのが日本なのだ。日本には「これはそういうもんなんです!」としか説明のしようがない事物がたくさんある。
ところが日本人の僕がいう説明に「そんなはずはない」「そうではないはずだ」と反論し、僕はいろいろな高説を聞かされることになる。
お前ら!日本語について日本人がそういうんだから、そうに違いないだろ!
そう声を大にして言いたいのだが、とにかくみんな聞いてくれない。
彼ら日本オタクは、タイに幻想を持って延々と幻想と戯れるタイ通の日本人と同じなのだ。
参照:
wapanese ホワイトとジャパニーズの合成語
japanophile (親日という意味の英語)
weeaboo 日本オタクの新しい言い方らしい