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2019年12月31日火曜日

僕の音楽は新しいステージへ (oka01-neroxjznxdgfzuhq)

この2〜3日、都心部のあちこちの『一見さんお断り』的な上級者が多いジャムセッションで演奏したら、また感覚が変わってきた。僕は新しいステージに入った様だ ───


上級者が多いと演奏者・観覧者共にかなり難しいことをやってもついてきてくれるどころか「もっとやれ」と喜んでくれる。 ─── そこで自分がやっていることがある程度は通じる感覚を得てしまった。

そうしたら自分でもそれと気が付かないうちに、もっと際どい音(以前にやってわからんと怒られてやめてしまったハーモニーやリズム)を入れるようになってしまった様だ。

僕はいちおう演奏が終わるといつも感覚が変わるので、それを修正する為に必ず練習しなおしていたのだが、セッションが立て込んでいたので今日はそれをさぼった ─── そうしたら自分の出したフレーズで驚いて慌ててしまい力が入って何度か転んでしまった。

1996年頃 ─── 僕がリズム研究オタクになる前 ─── 僕はハーモニー研究オタクだった。僕は今でもハーモニーに関しては唯一無二レベルで詳しい。だけど僕はあるときからその知識を封じた。何故かというといくらハーモニーが良くてもリズムが良くないと音楽が全くおもしろくなくなることを知ったからだ。

マニアックなハーモニーを色々試していたころ僕はリズムが非常に悪かった。親しいドラマーにいつも怒られていた。『お前はテクニックがあるのに演奏が面白くない!』 僕はあちこちのジャズ研(大学のジャズサークル)を渡り歩いて演奏していたが、実際リズムが悪いと全く観客に受けないことを思っていた。ジャズのライブをやったとき観客の反応が悪いということは実に悲惨なことで「ここは一発ぶっ飛ばさないと確実に死ぬ」という極度に注目を集める土壇場のステージ上で僕は何度も撃沈した。 ─── そういう経験から僕は『リズムが良ければハーモニーが悪くても面白い』『どんなによいハーモニーもリズムが悪いと全く面白くない』つまり『リズムが全て』という信念のようなものを得た。

そういう経験が僕をラオ語の研究に駆り立てたということも非常に大きかった。僕にとってラオ語のリズムは非常に面白かったのだ。 ─── と同時にハーモニー研究オタク的な考え方を封じるようになった。

それで非常に長い年月がかかったが最近、リズムがある程度固まってきた。そうしたら昔封じていたフレーズが形を変えて蘇ってきた様だった。

高度なリズム・高度なハーモニーとは

複雑で難解なハーモニーの正体はほとんどの場合実は単純だ。単純なメロディーを一定の法則にしたがって伸縮して場所を変えて当てはめているだけだ。これはリズムにもいえる。複雑なリズムというのはしばしば、単純なリズムをある一定の法則にしたがって伸縮させて場所を変えて当てはめているだけなのだ。

数学やコンピューターの世界で translation (行列演算? 平行移動? 縮小と移動が同時に起こることを指す表現で、英語ではよく使われるのだが、日本の英和辞書を見たらその訳は載ってすらいなかった)という概念があるが、複雑なリズム/複雑なハーモニーは translation と似た処理だと僕は思っている。


リズムもハーモニーも数と数のあいだで共鳴が起こる様子の美しさと同質のものだ。音の世界でも、複数の音程や複数のリズムを重ねあわせることでこの振り子と同じ現象が起こる。共鳴は美しいから、音も美しい。


本当はここできちんと具体例を示さなければいけないのだが、ここでは省略する。

僕は「お前はアウトフレーズばかり弾く」と言われるのだが、今僕の感覚としては全部ビバップのなかに収まっていて全くアウトしていない。

また今僕はしばしば「お前はすぐ複雑なリズムを弾く」と言われるのだが、これもまた僕の感覚としては全部ビバップのなかに収まっており、単純なリズムしか演奏していない。

僕のなかでは全てビバップなのだ。

僕が一番すきなギタリストはウェス・モンゴメリなのだが、それをいうとみんな爆笑する。「お前がウェスが好きなのか!」と爆笑する。

また僕が好きなまた別なギタリストはアラン・ホールズワースだ。アラン・ホールズワースは僕のなかではウェス・モンゴメリの延長なのだ。ウェスとホールズワースのスケールの認識は非常に似ている。ただ使っているリズム/スケールが違うというだけの話だ。ウェスを5連符や7連符に乗せ、ハーモニーをホールトーンやディミニッシュの上に乗せるとホールズワースになる。

今まで僕はこういう話をするとき、きちんと資料を作って誰でも客観的に理解できるように文章化していたのだが、もうやらなくてもいい。

どうせ作っても誰も理解できないし、なんといっても誰も読まない。

それを表現すべき方法は恐らく文章ではなく、音楽だ。


著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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