2005年頃… 僕はラオ語の勉強を何となく興味を持って何となく始めてしまった。ラオ語の研究を始めるにあたって決心のようなものが何もなかった。ただ何となく最初に目についたから研究しただけだった。だがこれは実は、凄いことたったのかも知れない。
ラオ文化は世界の盲点だ。
─── ラオ文化は世界の盲点だ。本当に。ラオ文化は実は非常に高度に洗練されており奥行きが深い。だが世界中を見回してみると誰も興味を持っていない。音楽の知識のある方々はラオ文化の様な下品な貧乏人の音楽など研究しないのだ。 ─── 加えてラオ人の信じがたい怠惰。芸術センスが非常に高いのに大変に面倒くさがりで芸術活動など手間の掛かることが大嫌い。出世欲が全くない。保存に全く興味がない。気分一発で作り上げたら全部捨てる。出来上がった作品を惜しげもなく次々に捨てていく ─── だから、作品が全く外人の目に触れない。
ラオ人の怠惰さはフランス人も見捨てる勢いだ。フランスはラオを占領して植民地にしたあと、どういう理由かはわからないが突然ラオを放棄した。僕の想像だがラオ人があまりにも怠惰なので金にならず業を煮やして放棄したのではないか。
ラオ人のリズムを最初聞いたとき『これは面白いぞ!』と感じた。何故面白いのかはわからなかった。なんとなくジャズに似ていると感じた。それで何となく聴き始めて、何となく研究を始めた。単に何となく身につけてみた。だが改めて考えてみると、ラオのリズムは非常に面白い構造を持っている。ラオのリズムには最初から形式としてスイングが含まれているので、最初からスイングしている。というのもジャズのスイングは、盛り上がってきた時に一瞬だけ出るリズムなのだが、ラオのリズムは最初からそのリズムが形式に含まれている。
もともとジャズと似ていると思って研究し始めたが、最初はどこが似ているのかまでは理解していなかった。大分後になってわかったのは弱起の作り方が似ていることだ。ジャズの弱起とラオの弱起でひとつだけ違う点は、ラオ人のリズムはジャズの弱起より大分長いことだ。他はほとんど共通だ。
その後、色々考えた結果としてそのリズムをジャズに応用しようと思った ─── 訳ではないのだが、ラオ語が話せるようになって頭が完全にラオ語で洗脳されていたので、ただ単に何となくそうするのが自然なように感じたので、ラオのリズムでジャズを演奏するようになった。
僕のなかではラオのリズムとジャズのリズムはもう完全に同一のものなので、そう思うことに関して何の違和感もない。それどころかゴスペルのリズムを聞いてもアフリカのリズムを聞いてもどちらも完全に同一のリズムに見える ─── これらの本質は全て【変拍子+長い弱起】という共通点がある。
これが今の僕にはもはや当然の様にしか見えないのだ。
─── だがこのリズムは人々を大パニックに陥れているようだ。
それが何故なのか僕には理解できないのだ。
今の僕にはそれが当然のリズムにしか感ぜられない。
ひょっとしてラオのリズムが、世界の盲点だからかも知れない。
インド・アフリカ・中東リズムは、欧米で盛んに研究されている。英米ポップスにもたくさん取り入れられている。インド・アフリカ・中東の音楽は多少聴き馴染みがある。 ─── だがラオというのは誰もやっていない。完全に盲点だ。
ラオ系リズムは、インパクトが強いのかも知れない。
しかし果たしてこれはどこまで通じるのか??
歩く速度と民族
今日山手線を渋谷で降りて歩いていたら、ヒップホップ・ファッションに身を包んでもたもた歩く若者がいた。とにかく歩くのが遅く僕もイライラした。後ろから蹴りを入れてやろうと思うくらい遅かった。だがギターもアンプも持っていて身軽でなかったので、取り敢えず僕も彼の後ろをトボトボ歩いた。何で日本人は歩くときこんなモタモタするのか。僕は毎日毎日日本人の歩く速度の遅さに苛立つ ─── バンコクではこんなにイライラすることはなかった!と思った。日本外で人々は歩くのが速い。そう思ってさらにイライラした。更に彼は自動改札を通ろうとしたら料金不足で警告音が鳴り響いた。彼は後ずさり、後ろにいる僕の足を踏んだ。「このノロマ!」と僕は内心思った。 ─── ふと顔を見たらアフリカ系の方だった!こんなに動作の遅いアフリカ系の人がいたのか!と思った。アフリカ人は通例機敏だと思うのだが必ずしも機敏ではなかった! アフリカは中国より大きい。その分人種の多様性も中国より高いのではないか。
僕は普段、アフリカ系・東南アジアの方々の視力の良さと行動の機敏さを思う。
特に僕がいたタイ・ラオの人々は視力が非常によくリズム感が良かった。
広い地域またがって住むアフリカ場合、人々は視力・機敏さが地域によって全く違うのではないか。
だとするとアフリカの様々な民族がごちゃまぜになって住んでいるアフリカ系アメリカ人の方々のリズム感や機敏さは、大きな個人差があるではないか。
そういう中でラオス系のリズムというのは、どこまで通用するのだろうか。
このリズムはカウントで身につくか?
僕はこのリズムをカウント練習によって身につけたと思っている。だが今のところ僕が「カウントしたほうがいいよ」と言って実際にカウント練習をした人は今のところ独りもいない。僕がメソッドを教えることで実際にこのリズムを獲得した人を僕はまだ見たことがないのだ。果たしてラオ語を学ばない状態でこれを獲得することは可能なのだろうか?
─── それはわからない。
ひょっとしたら ───
少しだけ、このリズムを独り占めさせてもらってもいいのかな。
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カテゴリ【音楽メモ】に追加しました。 (Sun, 08 May 2022 03:54:08 +0900)