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2012年7月19日木曜日

タイ通にありがちなこと 〜 ラオメロ病の恐怖 (oka01-szrqgjlmjacqytkz)

バンコクなどに滞在する日本人を中心に「タイ通」と呼ばれる人たちが居るのをご存知だろうか。タイ通とは何なのか、何がタイ通をタイ通たらしめるのか、筆者なりに考えてみた。

タイには通称「タイ通」と呼ばれる日本人が居る。タイ通は多くの場合、日本国内で比較的経済的にゆとりがある人たちである事が多いようだ。様々な理由からタイに興味を持つようになり、休暇ごとにタイに通うようになって以降、タイのあちこちの粋な店を調べては巡り、しばし楽しんで日本に帰る。そんなタイ好き日本人のタイ通いも10年以上経って年季が入ってくる様になると、しばしば自分たちを「タイ通」などと呼ぶ。「タイ通」という言葉には、そんなちょっとした知的な遊びを思わせる雰囲気がある。

どういう理由によってかわからないのだが、自分たちを「タイ通」と自称する彼らは、タイ滞在歴の浅い筆者に対して批判的な場合が多い。しばしば彼ら「タイ通」は、僕の見解に対して様々な遠慮のない批判を浴びせる。だがその批判は、多くの場合的確さに欠けた取るに足らない物が多いと僕は感じている。

僕は、基本的にタイ文化・ラオ文化の様に、気持ちを重視した曖昧な価値観を好む人間だが、同時にコンピュータープログラマという常に論理的な厳密さを求められる職人でもある。気づけば経歴も30年を超えた。曖昧で多様な定義を認めた先にあるのは、デスマーチである。優しさや思いやりによって曖昧なままになった案件を許してしまえば、ミーティングは、誰の気分も害すること無く気分よく終わるだろう。── だが、そんな曖昧な定義の案件がプロジェクトとして動き始めた途端、連続連夜・不休不眠で徹夜するプログラマが続出し、プログラムは完成せず、プロジェクトは赤字に陥り、日々一刻一刻減っていく予算を横目に、社内のあちこちから責任を問う怒号が飛び交い、フロア上で過労に依る発作を起こして倒れる人が続発、けたたましい救急車のサイレンが鳴り響く中、開発部族間の暴動による衝突が発生し、流血惨事が発生する阿鼻叫喚の終末を迎える。

優しさは時として人を不幸にする。

僕は、タイ通の人たちの僕に対する批判に対して、彼らが持っている理解不足や、知識の不備を指摘することが出来る。どんなにタイ通がタイに詳しかろうが、それは所詮タイに来てタイ料理を食べてタイ料理に詳しいという程度の事ではないか。寿司通がいかに寿司に詳しかろうと、寿司に一番詳しいのは飽くまでも寿司職人である。それと同じ事だ。 だがしかし、その様な血も涙もない反論は、彼らの持っている何かを壊してしまう。彼らの矛盾点を遠慮無く突いてしまうと、彼らは往々にして精神的なバランスを崩して壊れてしまう。僕は、そういう「壊れやすいタイ通」を何度も見てきた。

何故壊れやすい「日本製タイ通」が生まれるのだろうか。それはタイ人・ラオ人の独特な習慣に依るところもあるのかも知れない。

タイ人・ラオ共に共通する特徴なのだが、相手の考えが正しくない事を知っていても無理にそれを正そうとしない習慣がある。相手が間違った事を言っても、まるで漫才コンビの「ノリツッコミ」のノリの様に、ひたすらその間違いを指摘せずに相手の見解に同意を続ける。

ツッコミとは、漫才用語で相手の間違いを正す発言のことだ。例えば「あら!いいハンドバッグねぇ!」「ハンドバッグちゃうねん!それ、ワテのブリーフでんねん!」というように、相手の間違いを正す発言の事をツッコミという。そして、そのツッコミに対してノリツッコミと呼ばれる行為がある。これは即座に間違いを正してしまわずに相手に一定期間同調した後に間違いを正す行為を言う。ここで言うノリとは「あらいいハンドバッグねぇ」「そうなの、このハンドバック、香りも素敵でしょう?」「あらホント!」と相手の間違いを指摘せず、そのまま相手の意見に同意を見せることをいう。そして一定時間のノリを見せたあとで「それワテの今日履いてたブリーフでんねん!」と間違いを指摘する事を「ノリツッコミ」と呼ぶ。

日本人のラオ文化・タイ文化に対する無理解によって、日本人がタイ人・ラオ人の方々に様々な迷惑や失礼をかけてしてしまっても、タイ人・ラオ人は、決して怒らず、それを無理に日本人に知らせて理解させようとはしない。タイ人・ラオ人は、ただひたすらその日本人の勘違いにノリ続ける。それは、タイ人・ラオ人の持っている寛容さや思いやりから来る行動なのだが、この行為が往々にして日本人に大きな幻想を抱かせるのもまた事実だ。

日本の頭の良い人間が、次々にラオ人の優しさの幻想という論理の狂いにころっと陥ってしまう。僕はこの現象をラオにメロメロになるという意味で「ラオメロ病」と呼んでいる。この呼称は、かつてビルマで闘った日本人が温和なビルマ人にメロメロになってビルマに夢中になってしまう事を揶揄してビルメロ病と呼んだ事にちなむ。

日本人がタイ人と交流する機会が最も多いであろうタイの繁華街で働くタイ人の9割はラオ系住民である。そしてこのノリ続ける傾向はラオ系に特に顕著である。タイ系もノリがあるが、そのノリにはある程度の厳しさがあり、一定のノリのあとで、必ず非常に鋭いツッコミが入る。その点ラオ系は、ひたすら延々とノリ続けてなかなかツッコミを入れない。実はラオ系は、単にツッコミを入れないだけでそれを思ってはいるのだが、絶対にそれを言わない点がタイ系と若干違う。だからこの病を「タイメロ病」と呼ぶのには若干違和感がある。あくまでも「ラオメロ病」である。

論理的で頭の回転が速く討論好きでちょっと攻撃的なタイ通たちだが、彼らは心のどこかで触れられたくない過去を抱えているのではないか、と僕は思う。タイの文化は、そんな心にぽっかりとあいた穴を塞いでくれる存在であるのかも知れない。それもまた、ひとつのタイ文化・ラオ文化の素晴らしさであり、筆者おかあつが否定するものではない。

誰が何を目当てにタイに来ようと、それは人の自由である ──それがタイの少女売春の値段の安さであろうが──公然と男娼が居る自由な風紀であろうが──有名なハッテン場であろうが──筋肉ムキムキなクセに気配りが細やかで、年配女性にも非常に優しいビーチボーイの存在であろうが──それは飽くまでも人それぞれの価値観であり、筆者おかあつは、それらの価値観に批判を申し付けるものでは決してない。

否、むしろそういう「ささやかな」精神的自由さが認められている点こそが、タイという 国の良さのひとつではないか。日本の自殺率は、タイの犯罪死亡率を上回っている。責任を負わされるばかりで何の幸せを求める権利も持たない日本人。世界で一番忙しい国に住む日本人にだって、そんな「ささやかな」心の穏やかさを求める権利があっても良いではないか。多くのタイ好き日本人は、「ささやかな」個人的幸せを求める素朴な人達だ。

バンコク在住のタイ通の人たちは、僕に対する否定的な姿勢を決して崩さないところが辛いところなのだが、そこはラオ文化の学習で鍛えた寛容さを見せなければならない。
 
ところで、このラオメロ病に感染して劇症に苦しんだ挙句、それが治癒し、免疫が出来上がって克服すると、その感染者がラオメロ病のキャリアとなってしまう場合がある。相手が自分の意見と違った事を言っても、ニコニコして「うんうん」とひたすら頷き続け、相手に誇大な幻想を抱かせて、意図せず相手をラオメロ病にしてしまう。そんなラオメロ病キャリアの知人が日本人に居る。非常に優しく良い方だが、色々と悩んでいる。彼の幸せを祈るばかりである。

このポストをラオメロ病の後遺症で悩むH氏に捧ぐ


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若干加筆訂正した。(寿司職人の件)(Wed, 10 Jul 2013 14:48:01 +0900)